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第5話 温泉付き宿、オープンします
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村に暖かい風が吹き始めた頃、ケインの叔父一家が移住してきた。
ケインの叔父のマックスが移住してくる少し前、女性はケインの父親にあるお願いをしていた。
「マックス一家を、新しくオープンする宿で働かせたい?」
突然の申し出に父親のルイスは聞き返してしまった。
ケインと同じ青く澄んだ瞳はまっすぐに女性を見つめていた。
「無理なお願いだとは思います。実はラインハルト君が私の店で働きたいと願い出てまして、ケインから話を聞いたところ、家族が接客業をしているようなので、その知識と技術を宿で活かせられないかなと思いまして」
「まあ、我々の農業はあなたのお蔭でだいぶ楽になったので、特に人を増やすこともしなくていいかなと思うが……」
ルイスは何か不安の思うことがあるらしい。
彼が不安になっているのは弟のマックスの事だろう。小さい頃から何をしても長続きしなかった彼が、宿の仕事などやりこなせるのか、それが不安だった。
「マックスさんにはいろいろな仕事をしてもらおうと思います。その中で自分に合った仕事を見つけてくれたらと思います。それに、宿の経営そのものはベテランに頼みましたので心配はいりません」
「ベテラン?」
初めて聞く言葉にルイスは首を傾げた。
女性が宿経営のベテランと呼んだのは、この村で唯一の宿を経営している女将のことだった。
「わたしが新しい宿で働く!?」
女将サリナスは、ケインから話を持ち掛けられて、目を見開いて驚いた。
「この村で宿泊施設のノウハウを知っているのはおばさんしかいないんだよ。お金の動きとかは彼女がやってくれるから、おばさんは宿の従業員としてどんな動きをしたらいいのかを教えてほしいんだ」
「わたしは構わないけど……言っておくけど、宿の仕事しかできないからね。お店で物を売るとか、食事を提供するとか、そういうのはやった事がない」
「それは大丈夫。そこは俺たちがやるから。それにおばさん一人じゃないよ。マックス叔父さんが戻ってきて、宿で働くんだ」
「マックス…って、あのマックスかい? 何をやっても飽き性のマックスに務まるのかね?」
「作物を枯らすよりかはいいと思う」
「そりゃそうだ」
サリナスは豪快に笑い出した。小さい頃のマックスを知っている彼女は、とことん扱き使うと宣言して、宿で働くことを了承してくれた。
新しくオープンする温泉付き宿屋は、男女別々に入れる温泉に作り替えた。24時間利用可能にしたかったが、それだと従業員が休む時間がないため、利用時間は今まで通りとなった。
宿泊施設は一人で泊まれる部屋から最大4人まで泊まれる部屋が合計35部屋ある。
元々女性の店だったところは、入り口と受付となり、向かって左の空き家だった所が団体客用、右の空き家だった所が一人から2人で泊まれる部屋がある。両方とも三階建て。
中央の女性だった店は、一階に受付カウンターがあり、二階に食事ができるスペースがある。店の一階にあったイートインスペースを二階に移した形になる。宿泊していなくても利用できる。三階は従業員専用の居住スペースになっており、女性もケインもマックス一家もここで生活することになる。
また三棟すべてを繋げたことで、裏庭も温泉以外に広く土地が手に入ったことで、オルシアたちの小屋を作る事が出来た。
「我の住む場所もあるのか?」
自分たちの家が出来たことに、オルシアもシエルも信じられなかった。
「オルシアとシエルは俺の大切な家族だろ。大切な家族を野ざらしにするかよ」
ニカッと笑うケインに、オルシアもシエルも「この人の主でよかった」と思えた。長い間、人間は冷酷で、仲間を平気で殺す残酷な生き物と認識していたが、ケインのような心温かい人間もいる事を再認識できた。
マックス一家が村にやってくると、一家は新しくープンする宿に案内された。
「ここがマックスさんたちの新しい職場兼住居です」
「…へ?」
てっきりルイスの農場で暮らすと思っていた一家は呆然と立ち尽くした。
「マックスさん一家には、この宿で働いてもらいます。メアリーさんはサリナスさんと一緒にカウンター業務…簡単に言えば、お客様の予約取りや、宿泊客のご案内です。エミーさんは、メアリーさんとサリナスさんの補助と二階にあるレストランのウェイトレス、ラインハルトさんはレストランで働いてもらいます。最初はウェイターの仕事ですが、慣れてきたら調理も手伝ってもらおうかなと考えています」
「マリーは?」
「ミリーは?」
自分たちにも仕事があるのかと、双子はワクワクしていた。
「双子ちゃんには昼間は学校に行ってもらいます。そして学校から帰ってきたら、お兄ちゃんたちのお手伝いをしてもらいます。出来るかな?」
「「うん!!」」
「それからマックスさんですが、マックスさんにはいろいろな仕事をしてもらいます。客室の清掃や、お客様のご案内、レストランの皿洗いや調理補助。その中から自分ができる仕事を見つけてください」
「それって…」
メアリーは、夫のマックスにあえて固定の仕事をさせない理由に気付いた。
なかなか定職に就かない夫に嫌気が差したこともあったが、一つの仕事に固定するように言う自分が恥ずかしくなってきた。
「私やケインもフォローに回ります。オープン初日はこの間のお祭りのように忙しいと思いますが、宜しくお願いします」
女性はマックス一家に向けて頭を下げた。ケインもそれに釣られて頭を下げた。
慌ててマックス一家も「こちらこそ宜しくお願いします」と頭を下げた。
温泉付き宿がオープンすると、噂を聞きつけてきた客が殺到した。
温泉を楽しむ者、レストランで見たことのない料理に舌鼓を打つ者、お土産コーナーで買い物を楽しむ者、ドラゴンと遊ぶ子供たち。いろいろな客がやってきたが、その誰もが楽しく笑顔を絶やさない光景に、メアリーやエミーの顔も自然と綻んでいった。
そして何より、マックスが与えられた仕事を嫌味一つ言わずにこなしているのだ。来客の案内、レストランの皿洗い、温泉の掃除や客室の掃除まで自分で仕事を見つけては走り回っていた。オープンから一週間後には、村の入り口まで自らお客を迎えに行くようにもなった。
「あのマックスがこんなにも動くなんて驚きだわ」
サリナスは変わったマックスを見て驚きの声をあげた。
彼女だけでなく、ルイスも驚きの声を上げた1人だ。
宿のレストランで使う食材はルイスの所で採れた野菜を使っている。マックスは毎朝、ルイスの畑へ野菜を貰いに行っている。それも一日も休まずに。
「やり方ひとつで変わるんだな」
野菜を取りに来たマックスに、「辛くないか?」と訊ねたら、返ってきたのは、
「全然! むしろ楽しい!]
と笑顔で答えた。
前はちょっとでも辛くなると、すぐに仕事を辞めていたマックスが変わったことにルイスはどんな魔法を使ったんだ?と女性の事を不思議に思った。
マックスが仕事を転々としていたのは、同じ仕事をしていても毎回違うことを求められるのが嫌だった。今日はこうやってほしいとやり方を教わると、次の日には違う人からやり方が違うと指摘を受ける。やり方を変えると、昨日教えてくれた人がそれは違うと指摘してくる。
そういうことが、どこの職場に行っても言われるため、仕事が嫌になってくる。
小さい頃も兄のルイスと比べられる事が多く、それが嫌で村を出た。
だが、今は違う。自分がやりたい事をやると、周りから「ありがとう」と返ってくる。少しやり方を変えると「それ、いいやり方だね!」と賛同してくれる。
例えば、小さい村ではあるが、初めて来たお客は宿の場所が分からない。だったら、こっちから迎えに行けばいいと、最初は自分が時間が空いているときにお客を村の入り口まで迎えに行っていた。それをたまたま女性に見られてしまい、怒られると思ったが、女性の口から出てきた言葉は、
「明日もお願いできますか? いえ、これから毎回お願いできますか?」
と、送迎の仕事を新たに作ってくれた。
自分がやっていることは間違っていない。
その気持ちがマックスを変えさせたのだろう。
ラインハルトも変わりつつある。
彼が女性の店で働きたいと願ったのは、ケインができるのなら自分のできると思ったからだ。ラインハルトは「誰かがやっていることは自分もできる」と思い込むことがある。王都でカフェのウェイターをしていたのも、友達がやっているのなら自分もできると思ったから。実際は料理を運ぶことしかできず、友達はどんどん出世して、今では自分の店を持っている。
自分と友達の何が違うんだろう。その事もわからないまま、ただカフェで働いていた。
だが、今、女性とケインと一緒に働いて自分にない物を見つけた。
それは「興味を持つこと」。
ケインは女性が新作を作る度に「それ、何ですか?」「これ、どうやって使うんですか?」「同じ食材なのにこんなに違うんだ!!」といちいち煩い。でも女性はその都度教え、ケインもすぐに覚え、いつのまにか女性と同じ物を作れるようになっていた。
ラインハルトはいつか自分もできるようになると考え、物事に深く追求しなかった。
目の前で年下のケインがどんどん成長していく姿を見て、ただ待っているだけじゃダメなんだ。自分から動かないといけないいんだと思う様になり、簡単な調理補助には自分から聞くようになっていた。
そういえば、友達も先輩たちに色々聞いていたな…。
自分にない物をやっと理解できたラインハルトは、殻をむき始めていた。
そんな彼も一か月後には、デザートの盛り付けで人気者になっていた。
きっかけは些細な事だった。ケーキを皿に乗せて提供する時、白い皿が味気なく感じたからだ。ラインハルトは思い切って女性に意見を言った。
「ケーキのお皿が味気ない?」
「はい。白いお皿にケーキが乗っているだけだと、なんとなく淋しいんです。派手なお皿にするとか、飾りを着けるとか、目でも楽しみたいんです」
「そっか……ラインハルト君も仕事に慣れてきたし、ちょっと挑戦してみる?」
「挑戦…ですか?」
「今、チーズケーキの注文が入っていたよね?」
「はい。若いカップルのテーブルにイチゴのケーキとチーズケーキのご注文が入ってます」
「じゃあ、その二つをお皿にそれぞれ乗せてくれるかな? あ、ちょっと中央からずらして乗せてね」
「は…はい」
保冷機能が付いたケースから白いクリームに覆われ赤いイチゴが乗ったケーキと、クッキー生地に白いクリーム状のチーズが乗ったケーキを、言われた通りに皿の中央から少し外して乗せて、女性の元に運んだ。
女性は先端が尖っているイチゴジャムが入った筒と、同じように先端が尖っているブルーベリージャムが入った筒を準備していた。
そして、イチゴのケーキのお皿にイチゴジャムの入った筒を傾け、三つの丸い円を作り上げた。その三つの円は一つは大きく、二つは半分ぐらいの円だった。三つの円を取り囲むように細い線を描き、最後に細い線でハートマークを描いた。
それだけでも華やかなのに、女性は竹串に持ち替えると三つの円の中央を軽く引っかいた。するとただの円だった形があっという間にハート型に変わったのだ。
「す…すげーーーーー!!」
ラインハルトの声に、ミリーが何事かと駆けつけた。
ミリーは皿に描かれたハート型の絵に「可愛い~~!!」と絶賛だった。
「これならどう?」
「いい! すごくいい!!」
「じゃあ、こっちのチーズケーキはラインハルト君がやってみて。ブルーベリージャムで同じようにすれば大丈夫よ」
「オ…オレが!?」
「何事も経験よ」
「が…頑張ります!」
ブルーベリーにのジャムが入った筒を受け取ったラインハルトは、見様見真似で皿にハートを描き始めた。
「なんていいタイミングなのかしら」
ミリーがポツリと呟いた。
「何かあったの?」
「このケーキ、若いカップルのご注文ですよね? そのカップル、今日が結婚記念日なんですって。一年経ったお祝いに泊まりに来たって、受付の時に仰っていたんです」
「本当にナイスタイミングね」
「きっと喜びますわ」
些細な情報を得る能力をエミーは備えているかもしれない。
女性は更なる発展を目指すことにした。
皿に絵が描かれたケーキを運んだのはエミーだった。
「ご注文のイチゴケーキとチーズケーキです。お待たせしました」
テーブルに皿が置かれると、若いカップルは歓声をあげた。
白い皿に描かれているのはハートマーク。しかも皿の淵には「一周年おめでとうございます」と書かれてあった。
「受付の時、今日がご結婚記念日とお聞きしましたので、ささやかなお祝いです」
にっこりと微笑むエミーに、男性は「ありがとうございます」と何度もお礼を言い続けた。
女性は歓喜のあまり泣き出してしまった。
その様子を見ていたラインハルトは、自分がやりたいことが見つかったようだ。
女性は、
「もっといろいろやってみる?」
と声を掛けた。
ラインハルトは笑顔で「はい!」と答えた。
オープンからしばらくは休みなしで営業していたが、やはり疲れは貯まる物。
「お休みを作ろうかしら?」
営業終了後のレストランで、従業員全員で夕食を食べていた時、女性がポツリと呟いた。
「お休み?」
「さすがに休みなしだと、皆さんも疲れてきていますし、休養が必要ですよね」
「それもそうだけど、宿屋が休んで大丈夫なのかい? わたしの宿は休みはなかったよ」
かつて自分の宿を営んでいたサリナスは、過去の経験から宿屋が休むことはなかったと発言した。最も、サリナスの宿はあまり利用する客がいなかったー村に観光に来る客がいなかったーので、毎日休みのようなものだったが…。
「全部一度に休んでしまうと、お客様にも迷惑が掛かってしまうので、交代に休むのはどうでしょうか?」
「交代に…ってどうやって?」
「例えばなんですが、明日は午前中のみ温泉をお休みにします。午後は通常営業します。その代わり午後から翌日のお昼まではレストランをお休みにします。レストランがお昼から営業を始める時に、宿泊の受付を午後から翌日のお昼までお休みにするんです。こうすれば、どこかで丸一日お休みが取れますよね?」
「なるほど…」
「予約は今のところ、二週間先までありますが、その後は予約そのものを止めているため、営業時間を変えるのなら二週間後が最適だと思います」
「でも、お客様にはどうやって知らせるんですか?」
「それは明日までに作ってきます」
「この世界にカレンダーがあって助かった」と小声でつぶやく女性。時間を知らせる物はないが、カレンダーがある事には感謝していた。
翌日、女性は営業時間の変更を知らせる紙を、朝のミーティングで従業員に配った。
この世界は一週間が7日で、七日目は休息日となっている。この休息日は役所や学校は休みで、個人経営の店は休みでも営業をしてもいい。ただし休息日に休まなかった店は、他の日に一日は必ず休まなくてはいけない。(温泉付き宿は、オープンから一度も休みはないが、休まなかったからと言って罰せられることはない)
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| 営業時間変更のお知らせ |
| |
| |
| 温泉 レストラン 宿泊受付 |
| |
| Ⅰ 朝~昼 〇 〇 × |
| 昼~夜 〇 × 〇 |
| |
| Ⅱ 朝~昼 〇 × 〇 |
| 昼~夜 × 〇 〇 |
| |
| Ⅲ 朝~昼 × 〇 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 × |
| |
| Ⅳ 朝~昼 〇 〇 × |
| 昼~夜 〇 × 〇 |
| |
| Ⅴ 朝~昼 〇 × 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 〇 |
| |
| Ⅵ 朝~昼 〇 〇 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 〇 |
| |
| Ⅶ 朝~昼 〇 〇 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 × |
| |
| 〇=営業中 ×=お休み |
| |
-------------------------
Ⅰは週の初めの『第一曜日』を表している。順に『第二曜日』、『第三曜日』と続き、『第七曜日』が週の終りとなる。
『第六曜日』と『第七曜日』は週末ということで家族で旅行に出かける人も多いため、すべての業務を営業する。『第七曜日』のお昼から夜にかけては帰っていくお客が多いので、受付業務はお休みとなる。
温泉もできれば週に二日休みを入れたかったが、村人が入りに来るので、来訪客が少なければ臨時の休みにすることにした。
レストランは週二日の休み。そのうち『第四曜日』のお昼から夜にかけては、新作のメニュー作りだったり、ケインとラインハルトの特訓日とした。
「これならどうかな?」
女性の提案に異議を唱える人はいなかった。
「もっと従業員がいれば、交代でお休みが取れるんだけど、しばらくはこれで行こうと思います」
「あ…そういえば…」
ふとメアリーがある事を思い出した。
「なにかあったんですか?」
「この間、ここで働くことはできますかって訊ねてきた人がいるんです」
「そういえばわたしも」
ミリーも同じように訊ねられたことがあるらしい。
「特に募集はしてませんけど、働けるようなら働いてくれると助かります。それでその方たちは何か条件は出していませんでしたか? 働ける時間の希望とか」
「それが…」
メアリーとミリーはお互いに顔を合わせると困った顔を見せた。
「難しい希望ですか?」
「それが、子供がまだ小さいので、子供が学校に行くようになったら働きたいって言うんです」
「わたしも同じでした。今、子供が3歳なので、学校に通う様になる三年後から働きたいって言うんです」
「三年後…ずいぶんと先の話ですね」
「子供を預けるところがないので働きたくても働けないって言っていました」
(どこの世界にも待機児童っているんだ…)女性の記憶の中に、子供を預けられないから働けないと言っていた知り合いがいたのを思い出した。
たしかにこの村に若い人はいる。旦那さんが都会に出稼ぎに行き、妻が家庭を守っているが、女も働いて稼ぎたいはずだ。でも、この村は6歳からしか学校に通えない。また6歳から8歳までは学校がお昼で終わってしまう。家事をしながら働くには難しい事だった。
「保育所、作って見ようかな?」
また女性がポツリと呟いた。
「ホイクジョ?」
聞き逃さなかったのはケインだった。
「私が前にいた場所に、子供を預ける施設があったの。働いている親御限定なんだけと、朝から仕事が終わるまで子供を預かって、代わりにご飯食べさせたり、お昼寝させたり、遊ばせたりしてくれるのよ。子供たちを見てくれる専用の職人がいて、親は安心して仕事に行けるの」
「いい施設ですね。それを作ることはできますか?」
「建物は簡単に作れるけど、そこで働く人を育てるには時間が掛かるわ。子供が好きだけじゃ成り立たない仕事だからね。赤ん坊の世話もしなくちゃいけないし、小さい子供ってすぐに熱を出すでしょ? その対処とかも知らないといけないからね」
「大変な仕事なんですね」
「わたしが知っている施設で働いている人はほとんど結婚していない人たちばかりでしたよ」
「え!?」
「20歳ぐらいの人たちが主でしたね」
「できるんですか? 自分の子供もいないのに」
「そういう学校で学ぶんです。ちょっと前向きに考えてみますね。とりあえず、今日も一日頑張りましょう」
女性のミーティングを終わらせる言葉で、従業員たちはそれぞれの持ち場に着いた。
子供を預ける場所があれば働きたい。
レストランに来る常連客も同じような事を言っていた。
「子供を預かってくれるのなら助かるわ」
6歳未満の子供を持つママさんたちは、女性が持ち掛けた「子供を預ける施設」に大賛成していた。
「私の家は牧場を経営しているけど、子供がいると旦那たちの仕事を手伝えないの。ちょっと目を離すとどっかに行っちゃうから大変で大変で」
牧場主を夫に持つママさんは、今年3歳になる子供と5歳になる子供がいる。来年になれば上の子が学校に通う様になるが、学校はお昼まで。下の子が9歳になるまで仕事を手伝うことができない。
「私もよ。3時間だけでもいいから預かってくれれば家事が進むわ」
そういうママさんは4歳になる子供持ち。仕事はしていないが料理中に纏わりついてきて、危うく怪我をするところだったと話した。
他にも同じ悩みを抱えているママさんが多く、やはりこの世界に「子供を預ける施設」が必要なんだと実感した。
だが、施設を作っても、そこで働く人はどうする?
学校には勉強を教える教師はいるが、ほとんどが教会に勤めている人。女性が想像する母国語を教え、計算式を教え、外国語を教える教師とは違う。
女性にとって「子供を預かる施設」はほぼ無縁。今まで関わってきた仕事は飲食関係だったり、小売業だったりで、子供専門の仕事に関わったことがない。その為、客観的に見てきたこともあり、詳しく知らないのである。
そんなこんなで二週間が過ぎ、温泉付き宿も落ち着きを取り戻した。
夏に向けてイベントを開催したいと考えている女性は、相変わらず愛用のパソコンとにらめっこをしていた。
「保育所…か」
いまだに消えない保育所の案件に、女性は大きな溜息を吐いた。
いつもなら「簡単簡単」が口癖の彼女が珍しく悩んでいる。なんでも出来る彼女がこれだけ悩んでいるのだから、子供を預ける施設を作ることは大変な事なんだと従業員全員が感じていた。
「あ…あの…」
エミーが悩み続ける女性に声を掛けた。
すでに日が沈み、宿の営業は終わっている。今からレストランで従業員全員での夕食だ。レストランのカウンター席に座っていた女性は、片づけがすべて終わっていることに今気づいた。
「あ…もう夕食の時間?」
「いえ、今、ケインとラインハルトが作っているんですが、実はご相談したい事がありまして……」
「相談?」
「子供を預かる施設の事です。実は王都に似た施設があるんです」
「王都に?」
「はい。そこは教会が運営しているのですが、シスターたちが朝から子供を預かって、その間、親は仕事に行くことができるんです。ただ、そこに子供を預けるのには条件がありまして…」
「厳しい条件なの?」
「片親の子供しか預けられないんです。父親か母親を亡くした子供のみです」
「どうして片親だけ……あ、そうか、どちらかがいなかったら働かないと生活できないものね」
「はい。でも、子供を預かると言う所は同じですよね。もしご迷惑でなかったら、その施設で働いている知り合いがいます。相談に乗れないか手紙を出そうかと思うのですが…」
「本当? 手紙を出してくれるの?」
「はい。それに、わたしもその施設でお手伝いをしていましたので、何かと手助けできると思います」
「ありがとう、ミリー。こんな近くに相談できる人がいてくれて助かるわ」
エリーはすぐに王都にいる知り合いに手紙を書くと言って、レストランから走り去った。
少しでも参考になれば…と、エミーの知り合いからの返事を待っていると、一組の予約が入った。その予約はエミーの知り合いからの返事を持参して王都からの使いの者が直接、予約をしに来た。
「男性2人と女性3人のご予約…ですか?」
たまたま受付カウンターにいた女性は、王都からの使者が持ってきた封書を見て聞き返した。それもそのはず。封書には王家の紋章が描かれていたのだ。
もしかして国王様が!?と内心焦ったが、手紙の内容をみるとどうやらリチャードが知り合いと旅行に来るらしい。新年の祭りの後、休みが取れずにこの時期になってしまい、ついでだから新しくオープンした温泉宿を見に知り合いと企画したと手紙に書かれてあった。
「急ではありますが、宜しくお願いいたします」
確かに急だ。宿泊予定日が明後日の『第五曜日』からの2泊3日。王都からこの村までかなりの距離がある為、予約の確認もしないまま王都を出た可能性もある。
(電話、開発しようかな? またお金がかかる…)
迅速に予約を取るための手段を、また考えなくては…女性の悩みがまた一つ増えた。
断ることもできず、予約は受け付けた。
2日後、リチャードは4人の知り合いと共に村へとやってきた。
<つづく>
ケインの叔父のマックスが移住してくる少し前、女性はケインの父親にあるお願いをしていた。
「マックス一家を、新しくオープンする宿で働かせたい?」
突然の申し出に父親のルイスは聞き返してしまった。
ケインと同じ青く澄んだ瞳はまっすぐに女性を見つめていた。
「無理なお願いだとは思います。実はラインハルト君が私の店で働きたいと願い出てまして、ケインから話を聞いたところ、家族が接客業をしているようなので、その知識と技術を宿で活かせられないかなと思いまして」
「まあ、我々の農業はあなたのお蔭でだいぶ楽になったので、特に人を増やすこともしなくていいかなと思うが……」
ルイスは何か不安の思うことがあるらしい。
彼が不安になっているのは弟のマックスの事だろう。小さい頃から何をしても長続きしなかった彼が、宿の仕事などやりこなせるのか、それが不安だった。
「マックスさんにはいろいろな仕事をしてもらおうと思います。その中で自分に合った仕事を見つけてくれたらと思います。それに、宿の経営そのものはベテランに頼みましたので心配はいりません」
「ベテラン?」
初めて聞く言葉にルイスは首を傾げた。
女性が宿経営のベテランと呼んだのは、この村で唯一の宿を経営している女将のことだった。
「わたしが新しい宿で働く!?」
女将サリナスは、ケインから話を持ち掛けられて、目を見開いて驚いた。
「この村で宿泊施設のノウハウを知っているのはおばさんしかいないんだよ。お金の動きとかは彼女がやってくれるから、おばさんは宿の従業員としてどんな動きをしたらいいのかを教えてほしいんだ」
「わたしは構わないけど……言っておくけど、宿の仕事しかできないからね。お店で物を売るとか、食事を提供するとか、そういうのはやった事がない」
「それは大丈夫。そこは俺たちがやるから。それにおばさん一人じゃないよ。マックス叔父さんが戻ってきて、宿で働くんだ」
「マックス…って、あのマックスかい? 何をやっても飽き性のマックスに務まるのかね?」
「作物を枯らすよりかはいいと思う」
「そりゃそうだ」
サリナスは豪快に笑い出した。小さい頃のマックスを知っている彼女は、とことん扱き使うと宣言して、宿で働くことを了承してくれた。
新しくオープンする温泉付き宿屋は、男女別々に入れる温泉に作り替えた。24時間利用可能にしたかったが、それだと従業員が休む時間がないため、利用時間は今まで通りとなった。
宿泊施設は一人で泊まれる部屋から最大4人まで泊まれる部屋が合計35部屋ある。
元々女性の店だったところは、入り口と受付となり、向かって左の空き家だった所が団体客用、右の空き家だった所が一人から2人で泊まれる部屋がある。両方とも三階建て。
中央の女性だった店は、一階に受付カウンターがあり、二階に食事ができるスペースがある。店の一階にあったイートインスペースを二階に移した形になる。宿泊していなくても利用できる。三階は従業員専用の居住スペースになっており、女性もケインもマックス一家もここで生活することになる。
また三棟すべてを繋げたことで、裏庭も温泉以外に広く土地が手に入ったことで、オルシアたちの小屋を作る事が出来た。
「我の住む場所もあるのか?」
自分たちの家が出来たことに、オルシアもシエルも信じられなかった。
「オルシアとシエルは俺の大切な家族だろ。大切な家族を野ざらしにするかよ」
ニカッと笑うケインに、オルシアもシエルも「この人の主でよかった」と思えた。長い間、人間は冷酷で、仲間を平気で殺す残酷な生き物と認識していたが、ケインのような心温かい人間もいる事を再認識できた。
マックス一家が村にやってくると、一家は新しくープンする宿に案内された。
「ここがマックスさんたちの新しい職場兼住居です」
「…へ?」
てっきりルイスの農場で暮らすと思っていた一家は呆然と立ち尽くした。
「マックスさん一家には、この宿で働いてもらいます。メアリーさんはサリナスさんと一緒にカウンター業務…簡単に言えば、お客様の予約取りや、宿泊客のご案内です。エミーさんは、メアリーさんとサリナスさんの補助と二階にあるレストランのウェイトレス、ラインハルトさんはレストランで働いてもらいます。最初はウェイターの仕事ですが、慣れてきたら調理も手伝ってもらおうかなと考えています」
「マリーは?」
「ミリーは?」
自分たちにも仕事があるのかと、双子はワクワクしていた。
「双子ちゃんには昼間は学校に行ってもらいます。そして学校から帰ってきたら、お兄ちゃんたちのお手伝いをしてもらいます。出来るかな?」
「「うん!!」」
「それからマックスさんですが、マックスさんにはいろいろな仕事をしてもらいます。客室の清掃や、お客様のご案内、レストランの皿洗いや調理補助。その中から自分ができる仕事を見つけてください」
「それって…」
メアリーは、夫のマックスにあえて固定の仕事をさせない理由に気付いた。
なかなか定職に就かない夫に嫌気が差したこともあったが、一つの仕事に固定するように言う自分が恥ずかしくなってきた。
「私やケインもフォローに回ります。オープン初日はこの間のお祭りのように忙しいと思いますが、宜しくお願いします」
女性はマックス一家に向けて頭を下げた。ケインもそれに釣られて頭を下げた。
慌ててマックス一家も「こちらこそ宜しくお願いします」と頭を下げた。
温泉付き宿がオープンすると、噂を聞きつけてきた客が殺到した。
温泉を楽しむ者、レストランで見たことのない料理に舌鼓を打つ者、お土産コーナーで買い物を楽しむ者、ドラゴンと遊ぶ子供たち。いろいろな客がやってきたが、その誰もが楽しく笑顔を絶やさない光景に、メアリーやエミーの顔も自然と綻んでいった。
そして何より、マックスが与えられた仕事を嫌味一つ言わずにこなしているのだ。来客の案内、レストランの皿洗い、温泉の掃除や客室の掃除まで自分で仕事を見つけては走り回っていた。オープンから一週間後には、村の入り口まで自らお客を迎えに行くようにもなった。
「あのマックスがこんなにも動くなんて驚きだわ」
サリナスは変わったマックスを見て驚きの声をあげた。
彼女だけでなく、ルイスも驚きの声を上げた1人だ。
宿のレストランで使う食材はルイスの所で採れた野菜を使っている。マックスは毎朝、ルイスの畑へ野菜を貰いに行っている。それも一日も休まずに。
「やり方ひとつで変わるんだな」
野菜を取りに来たマックスに、「辛くないか?」と訊ねたら、返ってきたのは、
「全然! むしろ楽しい!]
と笑顔で答えた。
前はちょっとでも辛くなると、すぐに仕事を辞めていたマックスが変わったことにルイスはどんな魔法を使ったんだ?と女性の事を不思議に思った。
マックスが仕事を転々としていたのは、同じ仕事をしていても毎回違うことを求められるのが嫌だった。今日はこうやってほしいとやり方を教わると、次の日には違う人からやり方が違うと指摘を受ける。やり方を変えると、昨日教えてくれた人がそれは違うと指摘してくる。
そういうことが、どこの職場に行っても言われるため、仕事が嫌になってくる。
小さい頃も兄のルイスと比べられる事が多く、それが嫌で村を出た。
だが、今は違う。自分がやりたい事をやると、周りから「ありがとう」と返ってくる。少しやり方を変えると「それ、いいやり方だね!」と賛同してくれる。
例えば、小さい村ではあるが、初めて来たお客は宿の場所が分からない。だったら、こっちから迎えに行けばいいと、最初は自分が時間が空いているときにお客を村の入り口まで迎えに行っていた。それをたまたま女性に見られてしまい、怒られると思ったが、女性の口から出てきた言葉は、
「明日もお願いできますか? いえ、これから毎回お願いできますか?」
と、送迎の仕事を新たに作ってくれた。
自分がやっていることは間違っていない。
その気持ちがマックスを変えさせたのだろう。
ラインハルトも変わりつつある。
彼が女性の店で働きたいと願ったのは、ケインができるのなら自分のできると思ったからだ。ラインハルトは「誰かがやっていることは自分もできる」と思い込むことがある。王都でカフェのウェイターをしていたのも、友達がやっているのなら自分もできると思ったから。実際は料理を運ぶことしかできず、友達はどんどん出世して、今では自分の店を持っている。
自分と友達の何が違うんだろう。その事もわからないまま、ただカフェで働いていた。
だが、今、女性とケインと一緒に働いて自分にない物を見つけた。
それは「興味を持つこと」。
ケインは女性が新作を作る度に「それ、何ですか?」「これ、どうやって使うんですか?」「同じ食材なのにこんなに違うんだ!!」といちいち煩い。でも女性はその都度教え、ケインもすぐに覚え、いつのまにか女性と同じ物を作れるようになっていた。
ラインハルトはいつか自分もできるようになると考え、物事に深く追求しなかった。
目の前で年下のケインがどんどん成長していく姿を見て、ただ待っているだけじゃダメなんだ。自分から動かないといけないいんだと思う様になり、簡単な調理補助には自分から聞くようになっていた。
そういえば、友達も先輩たちに色々聞いていたな…。
自分にない物をやっと理解できたラインハルトは、殻をむき始めていた。
そんな彼も一か月後には、デザートの盛り付けで人気者になっていた。
きっかけは些細な事だった。ケーキを皿に乗せて提供する時、白い皿が味気なく感じたからだ。ラインハルトは思い切って女性に意見を言った。
「ケーキのお皿が味気ない?」
「はい。白いお皿にケーキが乗っているだけだと、なんとなく淋しいんです。派手なお皿にするとか、飾りを着けるとか、目でも楽しみたいんです」
「そっか……ラインハルト君も仕事に慣れてきたし、ちょっと挑戦してみる?」
「挑戦…ですか?」
「今、チーズケーキの注文が入っていたよね?」
「はい。若いカップルのテーブルにイチゴのケーキとチーズケーキのご注文が入ってます」
「じゃあ、その二つをお皿にそれぞれ乗せてくれるかな? あ、ちょっと中央からずらして乗せてね」
「は…はい」
保冷機能が付いたケースから白いクリームに覆われ赤いイチゴが乗ったケーキと、クッキー生地に白いクリーム状のチーズが乗ったケーキを、言われた通りに皿の中央から少し外して乗せて、女性の元に運んだ。
女性は先端が尖っているイチゴジャムが入った筒と、同じように先端が尖っているブルーベリージャムが入った筒を準備していた。
そして、イチゴのケーキのお皿にイチゴジャムの入った筒を傾け、三つの丸い円を作り上げた。その三つの円は一つは大きく、二つは半分ぐらいの円だった。三つの円を取り囲むように細い線を描き、最後に細い線でハートマークを描いた。
それだけでも華やかなのに、女性は竹串に持ち替えると三つの円の中央を軽く引っかいた。するとただの円だった形があっという間にハート型に変わったのだ。
「す…すげーーーーー!!」
ラインハルトの声に、ミリーが何事かと駆けつけた。
ミリーは皿に描かれたハート型の絵に「可愛い~~!!」と絶賛だった。
「これならどう?」
「いい! すごくいい!!」
「じゃあ、こっちのチーズケーキはラインハルト君がやってみて。ブルーベリージャムで同じようにすれば大丈夫よ」
「オ…オレが!?」
「何事も経験よ」
「が…頑張ります!」
ブルーベリーにのジャムが入った筒を受け取ったラインハルトは、見様見真似で皿にハートを描き始めた。
「なんていいタイミングなのかしら」
ミリーがポツリと呟いた。
「何かあったの?」
「このケーキ、若いカップルのご注文ですよね? そのカップル、今日が結婚記念日なんですって。一年経ったお祝いに泊まりに来たって、受付の時に仰っていたんです」
「本当にナイスタイミングね」
「きっと喜びますわ」
些細な情報を得る能力をエミーは備えているかもしれない。
女性は更なる発展を目指すことにした。
皿に絵が描かれたケーキを運んだのはエミーだった。
「ご注文のイチゴケーキとチーズケーキです。お待たせしました」
テーブルに皿が置かれると、若いカップルは歓声をあげた。
白い皿に描かれているのはハートマーク。しかも皿の淵には「一周年おめでとうございます」と書かれてあった。
「受付の時、今日がご結婚記念日とお聞きしましたので、ささやかなお祝いです」
にっこりと微笑むエミーに、男性は「ありがとうございます」と何度もお礼を言い続けた。
女性は歓喜のあまり泣き出してしまった。
その様子を見ていたラインハルトは、自分がやりたいことが見つかったようだ。
女性は、
「もっといろいろやってみる?」
と声を掛けた。
ラインハルトは笑顔で「はい!」と答えた。
オープンからしばらくは休みなしで営業していたが、やはり疲れは貯まる物。
「お休みを作ろうかしら?」
営業終了後のレストランで、従業員全員で夕食を食べていた時、女性がポツリと呟いた。
「お休み?」
「さすがに休みなしだと、皆さんも疲れてきていますし、休養が必要ですよね」
「それもそうだけど、宿屋が休んで大丈夫なのかい? わたしの宿は休みはなかったよ」
かつて自分の宿を営んでいたサリナスは、過去の経験から宿屋が休むことはなかったと発言した。最も、サリナスの宿はあまり利用する客がいなかったー村に観光に来る客がいなかったーので、毎日休みのようなものだったが…。
「全部一度に休んでしまうと、お客様にも迷惑が掛かってしまうので、交代に休むのはどうでしょうか?」
「交代に…ってどうやって?」
「例えばなんですが、明日は午前中のみ温泉をお休みにします。午後は通常営業します。その代わり午後から翌日のお昼まではレストランをお休みにします。レストランがお昼から営業を始める時に、宿泊の受付を午後から翌日のお昼までお休みにするんです。こうすれば、どこかで丸一日お休みが取れますよね?」
「なるほど…」
「予約は今のところ、二週間先までありますが、その後は予約そのものを止めているため、営業時間を変えるのなら二週間後が最適だと思います」
「でも、お客様にはどうやって知らせるんですか?」
「それは明日までに作ってきます」
「この世界にカレンダーがあって助かった」と小声でつぶやく女性。時間を知らせる物はないが、カレンダーがある事には感謝していた。
翌日、女性は営業時間の変更を知らせる紙を、朝のミーティングで従業員に配った。
この世界は一週間が7日で、七日目は休息日となっている。この休息日は役所や学校は休みで、個人経営の店は休みでも営業をしてもいい。ただし休息日に休まなかった店は、他の日に一日は必ず休まなくてはいけない。(温泉付き宿は、オープンから一度も休みはないが、休まなかったからと言って罰せられることはない)
----------------------ーーー
| 営業時間変更のお知らせ |
| |
| |
| 温泉 レストラン 宿泊受付 |
| |
| Ⅰ 朝~昼 〇 〇 × |
| 昼~夜 〇 × 〇 |
| |
| Ⅱ 朝~昼 〇 × 〇 |
| 昼~夜 × 〇 〇 |
| |
| Ⅲ 朝~昼 × 〇 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 × |
| |
| Ⅳ 朝~昼 〇 〇 × |
| 昼~夜 〇 × 〇 |
| |
| Ⅴ 朝~昼 〇 × 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 〇 |
| |
| Ⅵ 朝~昼 〇 〇 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 〇 |
| |
| Ⅶ 朝~昼 〇 〇 〇 |
| 昼~夜 〇 〇 × |
| |
| 〇=営業中 ×=お休み |
| |
-------------------------
Ⅰは週の初めの『第一曜日』を表している。順に『第二曜日』、『第三曜日』と続き、『第七曜日』が週の終りとなる。
『第六曜日』と『第七曜日』は週末ということで家族で旅行に出かける人も多いため、すべての業務を営業する。『第七曜日』のお昼から夜にかけては帰っていくお客が多いので、受付業務はお休みとなる。
温泉もできれば週に二日休みを入れたかったが、村人が入りに来るので、来訪客が少なければ臨時の休みにすることにした。
レストランは週二日の休み。そのうち『第四曜日』のお昼から夜にかけては、新作のメニュー作りだったり、ケインとラインハルトの特訓日とした。
「これならどうかな?」
女性の提案に異議を唱える人はいなかった。
「もっと従業員がいれば、交代でお休みが取れるんだけど、しばらくはこれで行こうと思います」
「あ…そういえば…」
ふとメアリーがある事を思い出した。
「なにかあったんですか?」
「この間、ここで働くことはできますかって訊ねてきた人がいるんです」
「そういえばわたしも」
ミリーも同じように訊ねられたことがあるらしい。
「特に募集はしてませんけど、働けるようなら働いてくれると助かります。それでその方たちは何か条件は出していませんでしたか? 働ける時間の希望とか」
「それが…」
メアリーとミリーはお互いに顔を合わせると困った顔を見せた。
「難しい希望ですか?」
「それが、子供がまだ小さいので、子供が学校に行くようになったら働きたいって言うんです」
「わたしも同じでした。今、子供が3歳なので、学校に通う様になる三年後から働きたいって言うんです」
「三年後…ずいぶんと先の話ですね」
「子供を預けるところがないので働きたくても働けないって言っていました」
(どこの世界にも待機児童っているんだ…)女性の記憶の中に、子供を預けられないから働けないと言っていた知り合いがいたのを思い出した。
たしかにこの村に若い人はいる。旦那さんが都会に出稼ぎに行き、妻が家庭を守っているが、女も働いて稼ぎたいはずだ。でも、この村は6歳からしか学校に通えない。また6歳から8歳までは学校がお昼で終わってしまう。家事をしながら働くには難しい事だった。
「保育所、作って見ようかな?」
また女性がポツリと呟いた。
「ホイクジョ?」
聞き逃さなかったのはケインだった。
「私が前にいた場所に、子供を預ける施設があったの。働いている親御限定なんだけと、朝から仕事が終わるまで子供を預かって、代わりにご飯食べさせたり、お昼寝させたり、遊ばせたりしてくれるのよ。子供たちを見てくれる専用の職人がいて、親は安心して仕事に行けるの」
「いい施設ですね。それを作ることはできますか?」
「建物は簡単に作れるけど、そこで働く人を育てるには時間が掛かるわ。子供が好きだけじゃ成り立たない仕事だからね。赤ん坊の世話もしなくちゃいけないし、小さい子供ってすぐに熱を出すでしょ? その対処とかも知らないといけないからね」
「大変な仕事なんですね」
「わたしが知っている施設で働いている人はほとんど結婚していない人たちばかりでしたよ」
「え!?」
「20歳ぐらいの人たちが主でしたね」
「できるんですか? 自分の子供もいないのに」
「そういう学校で学ぶんです。ちょっと前向きに考えてみますね。とりあえず、今日も一日頑張りましょう」
女性のミーティングを終わらせる言葉で、従業員たちはそれぞれの持ち場に着いた。
子供を預ける場所があれば働きたい。
レストランに来る常連客も同じような事を言っていた。
「子供を預かってくれるのなら助かるわ」
6歳未満の子供を持つママさんたちは、女性が持ち掛けた「子供を預ける施設」に大賛成していた。
「私の家は牧場を経営しているけど、子供がいると旦那たちの仕事を手伝えないの。ちょっと目を離すとどっかに行っちゃうから大変で大変で」
牧場主を夫に持つママさんは、今年3歳になる子供と5歳になる子供がいる。来年になれば上の子が学校に通う様になるが、学校はお昼まで。下の子が9歳になるまで仕事を手伝うことができない。
「私もよ。3時間だけでもいいから預かってくれれば家事が進むわ」
そういうママさんは4歳になる子供持ち。仕事はしていないが料理中に纏わりついてきて、危うく怪我をするところだったと話した。
他にも同じ悩みを抱えているママさんが多く、やはりこの世界に「子供を預ける施設」が必要なんだと実感した。
だが、施設を作っても、そこで働く人はどうする?
学校には勉強を教える教師はいるが、ほとんどが教会に勤めている人。女性が想像する母国語を教え、計算式を教え、外国語を教える教師とは違う。
女性にとって「子供を預かる施設」はほぼ無縁。今まで関わってきた仕事は飲食関係だったり、小売業だったりで、子供専門の仕事に関わったことがない。その為、客観的に見てきたこともあり、詳しく知らないのである。
そんなこんなで二週間が過ぎ、温泉付き宿も落ち着きを取り戻した。
夏に向けてイベントを開催したいと考えている女性は、相変わらず愛用のパソコンとにらめっこをしていた。
「保育所…か」
いまだに消えない保育所の案件に、女性は大きな溜息を吐いた。
いつもなら「簡単簡単」が口癖の彼女が珍しく悩んでいる。なんでも出来る彼女がこれだけ悩んでいるのだから、子供を預ける施設を作ることは大変な事なんだと従業員全員が感じていた。
「あ…あの…」
エミーが悩み続ける女性に声を掛けた。
すでに日が沈み、宿の営業は終わっている。今からレストランで従業員全員での夕食だ。レストランのカウンター席に座っていた女性は、片づけがすべて終わっていることに今気づいた。
「あ…もう夕食の時間?」
「いえ、今、ケインとラインハルトが作っているんですが、実はご相談したい事がありまして……」
「相談?」
「子供を預かる施設の事です。実は王都に似た施設があるんです」
「王都に?」
「はい。そこは教会が運営しているのですが、シスターたちが朝から子供を預かって、その間、親は仕事に行くことができるんです。ただ、そこに子供を預けるのには条件がありまして…」
「厳しい条件なの?」
「片親の子供しか預けられないんです。父親か母親を亡くした子供のみです」
「どうして片親だけ……あ、そうか、どちらかがいなかったら働かないと生活できないものね」
「はい。でも、子供を預かると言う所は同じですよね。もしご迷惑でなかったら、その施設で働いている知り合いがいます。相談に乗れないか手紙を出そうかと思うのですが…」
「本当? 手紙を出してくれるの?」
「はい。それに、わたしもその施設でお手伝いをしていましたので、何かと手助けできると思います」
「ありがとう、ミリー。こんな近くに相談できる人がいてくれて助かるわ」
エリーはすぐに王都にいる知り合いに手紙を書くと言って、レストランから走り去った。
少しでも参考になれば…と、エミーの知り合いからの返事を待っていると、一組の予約が入った。その予約はエミーの知り合いからの返事を持参して王都からの使いの者が直接、予約をしに来た。
「男性2人と女性3人のご予約…ですか?」
たまたま受付カウンターにいた女性は、王都からの使者が持ってきた封書を見て聞き返した。それもそのはず。封書には王家の紋章が描かれていたのだ。
もしかして国王様が!?と内心焦ったが、手紙の内容をみるとどうやらリチャードが知り合いと旅行に来るらしい。新年の祭りの後、休みが取れずにこの時期になってしまい、ついでだから新しくオープンした温泉宿を見に知り合いと企画したと手紙に書かれてあった。
「急ではありますが、宜しくお願いいたします」
確かに急だ。宿泊予定日が明後日の『第五曜日』からの2泊3日。王都からこの村までかなりの距離がある為、予約の確認もしないまま王都を出た可能性もある。
(電話、開発しようかな? またお金がかかる…)
迅速に予約を取るための手段を、また考えなくては…女性の悩みがまた一つ増えた。
断ることもできず、予約は受け付けた。
2日後、リチャードは4人の知り合いと共に村へとやってきた。
<つづく>
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俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
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