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第11話 今、始まりの時
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ヴァーグが従業員に名札を配った日の朝、彼女の手紙を携えたアクアは、王都を目指して飛んでいた。
初めての一人旅に不安もあったが、
「あなたしか頼めないの。お願いできるかしら?」
と、大好きな主ヴァーグの頼み。ここで断ると嫌われると思ったアクアは軽く胸を叩いて、自信満々に引き受けた。
王都を目指して飛び続けたアクアは、大きな建物を見つけると、そこには向かわず、その脇に建つこじんまりとしたーそれでも大豪邸ー建物へと降りていった。
アクアが向かったのはリチャードの家だった。
リチャードは王族に近い身分で、母親が王妃付きの侍女をしている。父親は北の国との境で国境警備の隊長をしているため、あまり屋敷に戻らないが、たまの休暇で戻ってくると息子のリチャードと娘のカトリーヌ(20)を本人たちから「しつこい!」と叱られるほど溺愛している。
その日、リチャードは訪ねてきたエテ王子と中庭で魔法玉の実験をしていた。
王立研究院から魔法玉の実践を頼まれているエテ王子は、魔法玉に使い捨てタイプと時間が経てば再び使えるタイプがあるらしく、王立研究院から盗まれた魔法玉は使い捨てタイプだと言うこともわかっていた。
「違いって何?」
説明されても見た目に変わりはなく、リチャードには二つの違いが判らなかった。
「俺には使い捨ての方はただの一色のガラス玉にしか見えないが、そうじゃない方はガラス玉の中に靄(もや)が見えるんだ。お前は見えるか?」
目の前に差し出された魔法玉を見ても、リチャードにはただのガラス玉にしか見えなかった。エテ王子が言う靄は全く見えない。
「さっぱり見えん」
「やっぱ、俺の戦闘攻撃の能力に関係あるのかな?」
「戦闘攻撃の能力?」
「あの村のドラゴン使いに言われたんだ。俺は戦闘攻撃の能力が高いって。で、魔力もかなりあるから、その魔力が武器に蓄えられて、魔法玉を通して魔法攻撃が使えるって言ってた」
「おいおい、まだ何も解明されていない事をなんでその人は知っているんだ?」
「俺も不思議に思ったんだけど、彼女が使う道具が珍しい物ばかりで、この世界の人でない気がするんだよな」
「この世界の人じゃないって、そんなわけあ……るかも」
リチャードは突然真顔になった。
エテ王子も彼の真顔に、冗談でも言い返そうと思ったが、彼の脳裏に昔、王宮の歴史博士から教えられたある話を思い出した。
「『国が危機に陥るとき、異世界よりこの世界に存在しない知識を持つ勇者が現れる』ってやつだっけ? 王子が興味を持って調べたけど、何も解明されなかったんだろ? 予言なのか、過去に起きた実際の事なのか、それすらわからなかった」
「歴史博士の作り話だと思っていたけど、もう一度調べる価値ありだな」
「だけど……勇者って、男限定だよな? いや、女の勇者もいるのか? 女も勇者になれるのか?」
「知らん。だが、とても興味がある。暇だし、調べてみるかな」
自分から興味を持つことは余りないのに、エテ王子の顔がキラキラと輝いていた。余程興味をそそられたのだろう。
中庭に置かれたテーブルで話していたリチャードとエテ王子に、リチャードの妹カトリーヌがお茶を持ってやってきた。だが、カトリーヌはテーブルに近くまで来ると、空を見上げたまま固まってしまった。
「どうした? カトリーヌ?」
リチャードが彼女に顔の前に手をかざしても、カトリーヌは空の一点を見つめたまま動かなかった。
不思議に思ったエテ王子が彼女が見つめる方向を見ると、そこには水色のドラゴンが羽根を羽ばたかせて飛んでいたのである。
「お前はアクアか!?」
エテ王子が名前を呼ぶとドラゴンは「キュウキュウ」と鳴きながら大きく頷いていた。
「なんでアクアがここに!?」
「お前、一人で来たのか? 主はどうした。一緒じゃないのか?」
エテ王子とリチャードが矢継ぎ早に質問しているにも拘らず、アクアはストンと地面に降りると、自分の肩にかかっているショルダーバックを2人の前に差し出した。
「この中に何か入っているのか?」
アクアは再び大きく頷いた。
エテ王子がショルダーバックの中に手を突っ込み、中を探った。すると、手の先に何かが触れ、その触れた物を取り出した。
中から出てきたのは、20~30枚に纏められた紙の束と、二通の封筒だった。
「おっと、これはお前にだ」
封筒の表に書かれたリチャードの名前を見たエテ王子は、その封筒をそのまま彼に渡した。
誰から来た手紙だ?と裏を見た途端、リチャードの顔がニヤけだし崩れていった。手紙の差出人はエミーからの物だったのだ。
「兄上様、どなたからですの?」
カトリーヌが覗き込んでも、リチャードはニマニマした顔を戻すことなく、手紙を両手で抱え込んだまま「エミー嬢」と彼女の名前を連呼していた。
その間に、エテ王子は残されたもう一通の手紙に目を通し、すぐに20~30枚に纏められた紙の束に目を移した。
「エテ様、兄上様がおかしいです」
「放っておいても害はない。カトリーヌ殿、母君は宮殿にいますか?」
「え…ええ。朝早くから王妃様と王立歌劇団の方と、秋に行われる芸術祭の打ち合わせをしております」
「じゃあ、父上もそこにいるのか」
「急用ですか?」
「ああ。カトリーヌ殿、しばらくの間アクアを見ていてもらってもいいですか? すぐに戻ります」
「わかりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
カトリーヌに見送られてエテ王子は王宮へと向かった。
残されたカトリーヌはまだ、自分の世界に入り込んでいる兄に対して大きな溜息を吐いた。
休暇である村を訪れてから、リチャードは自分の世界に入り込むことが多くなった。庭の花を見ては「あの人に贈りたい、あの人になら似あうだろう」とブツブツ言い続けたり、屋敷に出入りする宝石商にこの世界で一番美しい宝石を持ってこいと無理難題を言いつけたり、仕立て屋には一枚の女性の似顔絵(これが上手すぎる)を見せて、この人に似合うドレスを仕立てろと、仕立て屋を困らせたり、とにかく兄は変わってしまったとカトリーヌは呆れている。
今も手紙を両手で抱え込み、不気味な笑みと不気味な声を出し続ける兄をどうしようか…と悩んでいるカトリーヌの耳に「グゥゥゥゥ」という聞きなれない音が聞こえた。
「何、今の音!?」
音の出どころを探していると、目の前に立つドラゴンがお腹に手を回して顔を真っ赤にしながら、必死に音を止めようと頑張っていた。
「あなた、お腹が空いているのですか?」
カトリーヌの声に、今度は顔を両手で覆ったドラゴンのアクアは小さく頷いた。
その可愛い仕草に、カトリーヌはクスッと小さく笑った。
「お使いご苦労様です。朝ご飯も食べていないんでしょ? 今、何か用意しますね」
アクアは恥ずかしそうに小さく頷いた。
「でも、ドラゴンって何を食べるのかしら? 野菜…果物…お肉がいいのかしら?」
当てにしたい兄のリチャードが、未だに自分の世界から戻ってこない為、カトリーヌはアクアを連れて厨房へと向かった。
その後、お腹いっぱいに果物を食べたアクアは大満足し、エテ王子の帰りを待つことにしたが、王宮へ向かったエテ王子が戻ってくるまでリチャードが自分の世界から戻ってくることはなかった。
王宮の一室で行われていた芸術祭の打ち合わせの場に、1人の使者がやってきた。
「お話中、失礼いたします。エテ王子が至急、国王様にお目通りを…とのことです」
使者の声に国王は、
「すぐに行く!」
と即答し、部屋を走り去ってしまった。
毎年行っている祭りで、決め事なども変える必要もなく、参加者は当日の飛び入り参加可能。歌、踊り、芝居、楽器演奏など芸術に関係することなら自由にステージに立てる。優勝を競うものではなく、国王に気に入られれば望みの物を渡すという、打ち合わせも何も必要ない。
落ち合わせと称した王妃、王妃の侍女(リチャードの母親)、国立歌劇団副団長(女性)の、ただのお茶会のような席に、国王は話に着いて行けず退屈していたのだ。そこに飛び込んできた使者。これと言わんばかりに、抜け出すチャンスを得た国王は笑顔で走り去っていったのだった。
エテ王子が呼ばれたのは国王の私室だった。
ほぼスキップ状態で部屋に入ってきた国王を見て、エテ王子は
「絶対、退屈していたな」
と、さっきまでの国王の様子を察した。
「いや~、いい時に呼び出してくれた。ありがとう、エテ」
満面な笑顔でお礼を言う国王は、声も弾んでいた。
「緊急を要することでしたので」
「で、何があったんだ?」
「先日、王立研究院より、魔法玉が盗まれた事件は覚えていますか?」
「ああ。まだ犯人は見つかっていないんだろ? その後の調査結果は何も聞いていない」
「その犯人が見つかりました。ある協力者からの情報で、犯人と思われる人物を繋ぎとめることに成功した。こちらで証拠を確保するので、近々軍を派遣してほしいと要請が入りました」
一通り報告すると、エテ王子は顔をあげた。
エテ王子の目に映ったのは、つまらなそうな表情を見せる国王の姿。国王からしたらそんな報告は、軍のトップにしろ!と怒鳴り散らしたいところだ。
「あ…あの、父上?」
「それはリチャードが決めればいいことだろ? それよりももっといい報告かと思ったんじゃが…」
「いい報告と申しますと?」
「お前の結婚が決まったとか、クリスティーヌに想い人が出来たとか、そういう話が聞きたいのじゃ!!」
(魔法玉で人も殺せるんだぞ! このクソ親父!)エテ王子からしたら殺傷能力がある魔法玉の盗難は国の一大事なのに、それすら聞こうとしない国王の態度に怒りが込み上げていた。
「エテ、前々から紹介している娘に会ってみないかい? 王女4人には想い人もいないし、一番上の王子はちと問題ありだし、2番目の王子はプレイボーイだし、まともなのはお前だけなんだよ。わしが王位についている間に一人でもいいから国を挙げての結婚式をやりたいんじゃよ」
駄々っ子のように体を左右に揺らしながら国王は「いいじゃろ?いいじゃろ?」とネコナデな声を出した。
「俺が結婚したら、姉上たちが黙っていないでしょうね! なにせ、王位継承権を持っている中で唯一、母親がいないのは俺だけなんですから。俺が結婚したら姉上たちが母親もいないくせに、次期王位に近づくなって言うでしょうね」
エテ王子が言うことは本当に起こりそうなことだ。いくら国王の座が任命制と言っても、伴侶がいて世継ぎもいれば優先順位は高くなる。だがエテ王子には生母がいない。生母がいなければ王宮内に張り巡られている派閥との衝突もあり、手助けしてくれる後ろ盾もいない。そうなると、万が一エテ王子が国王に就いたとき、王宮内は荒れる事間違いなしだ。
第一王女は国王の地位に就いたら伴侶を見つけると宣言している。
第二王女はどうやら王宮に出入りしている商人に想いを寄せているようだが、相手が身分を持っていないと国王の地位に就いたときに「身分もないくせに」と権力を持つ人たちが楯突くだろう。
第一王子は生母の関係で大きな問題がある。
第二王子は日替わりで恋人を作り、本命はいない。遊べる時に遊ぶ!と宣言しているが、このまま彼が王位に就けば「我こそ世継ぎ!」と名乗る物が多く出るはずだ。
第三王女のクリスティーヌ王女は異性の噂を何も聞かない。
第四王女のルイーズ王女はまだ子供だ。
そんな中、エテ王子は軍からの信頼もあり、王立研究院とも深い絆がある。また王宮警備をしているリチャードとも親しいため、身分に見合った娘と婚姻関係を結べば、すべてが安泰する。
「ともかく、今は俺のことよりも、魔法玉を盗んだ犯人確保が先です! 国王である父上の返事が必要なんです。今、リチャードの家に使いの者が待機しています。一刻も早く返事を下さい。国として協力するのか、しないのかを!」
アクアが持ってきた手紙と、20~30枚の紙の束を机に叩きつけたエテ王子。あまり見ない彼の迫力に国王はタジタジになっている。
「じゃ…じゃが、国として協力と言っても…」
「その紙の束に色々と作戦が書いております。なによりも、犯人は魔法玉を持っている事に警戒しなければなりません。俺としてはすぐに軍を派遣したいのですが、一度に軍人が押し寄せると犯人は村人を人質にしかねません。そこで、向こうでは証拠となる物を集めてくれるようです。その証拠が集まり次第軍を派遣します。まずは数人、向こうに送りたいのですが、その数人を村の温泉宿に泊まらせます。その宿泊費を国から出してもらいたいのです」
「温泉宿? では、犯人が逃げ込んだのはドラゴンがいる村なのか?」
「はい。初めに俺、リチャード、カトリーヌ殿の三人で滞在し様子を見ます。その後の展開によっては人を増やしていきます。向こうからも村に刺激を与えたくないとのことでしたので、初めは三人で動きます」
「カトリーヌ殿…というとリチャードの妹君か?」
「とても最適な人材だと思います」
「そうだな。その三人なら大丈夫だろう。返事を書く。すぐに使者をここに呼んでくれ」
「それはできません。返事なら俺が届けます」
「何故だ?」
「使者はドラゴンだからです。手紙の差出人が契約を結んでいるドラゴンなので、ここに連れてくることはできません」
「なに!? ドラゴンだと!!??」
エテ王子の口からドラゴンという言葉語飛び出すと、国王は部屋と飛び出して行った。
「父上!?」
エテ王子が止めようと思ったが、国王の姿はもうなかった。
「リチャードの家にいるんだよな! そうだよな!!」
突然外から国王の声が聞こえてきた。いつの間に外へ出たのか、私室を見上げる庭に国王の姿があった。
「いつの間に…」
「先に行っているからな! お前も来い!!」
走り去る国王は、その年からも想像つかないほど俊足だった。国王の逃亡に気付いた兵士たちが追いかけようとしたが、その兵士たちでさえ追いつかないその速さに、どこにそんな体力があるんだ?と誰もが疑問に思っていた。
ドタドタと誰かが走り込んでくる音に気付いたカトリーヌは、瞬時に身構えた。
中庭の回廊でアクアと戯れていた彼女は耳を澄ましながら、音のする方角を確認した。もし賊ならばここで戦わなくてはいけない。懐に隠し持っている短剣に手を掛けた。
「ドラゴンはどこじゃ!!」
そう叫びながら屋敷の中から飛び出してきたのは、予想もしなかった国王。
身構えていたカトリーヌは呆気にとられた。
「へ…陛下!?」
「おお、カトリーヌ殿。ドラゴンが来ていると聞いている。どこにいるんじゃ? まだおるんじゃろ?」
子供のようにキラキラとした顔を見せる国王は、カトリーヌににじり寄ってきたが、彼女の後ろにいるアクアを見た途端、ますます顔を輝かせた。
「ドラゴンじゃーーーー!!!」
(子供か!)と突っ込みたいぐらいにアクアに飛びつく国王。
供もつけず、連絡もなしにやってきた国王にカトリーヌがどうしたらいいのかわからずオロオロしていると、アクアは状況を察したのか国王を丁寧にもてなした。飛びつく国王に威嚇することもなく、身を屈めて背中に乗せたり、必要以上に頬ずりしてくる国王に嫌な顔一つ見せなかった。
「陛下の扱いが慣れている…」
カトリーヌがそう呟くのも当たり前。アクアは村の子供たちを相手にすることが多く、子供の扱いは慣れている。つまり、アクアにとって今の国王は村の子供たちと何の変わりもないのだ。
ごく自然に国王と接しているアクアに驚いていると、
「ったく、いい加減にしろよな、親父」
と、王宮から追いかけてきたエテ王子が到着した。
「お帰りなさいませ、エテ様」
「親父が迷惑かけた。申し訳ない」
「いえ、あのドラゴンが陛下の相手をしてくださいましたので、わたくしは何も…。陛下はドラゴンがお好きなのですね」
「好きっていうか、書物に描かれたかつて存在していたと言われる動物に会ってみたい野望があるらしい。国王の地位を降りたら、その動物たちを探しに旅に出るって言っているぐらいだ」
「そうなんですか? 初めて知りましたわ」
「俺以外、誰にも言っていない事だからな。王妃も知らない事だ」
「では、1人で旅立つつもりなのですか?」
「だろうな。国王の地位を降りたら、王妃には自由にしていいと言っているらしい。11歳で親元を離れ、父上の妃として王宮に上がられた王妃だ。自由な時間を与えられなかった事への償いだろう。俺も母を亡くしてからは王妃にだいぶお世話になっているし、俺の母のせいで辛い思いもされた。あの辛さは一生償っても許してはくれないだろうから、退位後の事はサポートするつもりだ」
淡々と王妃の事について話すエテ王子の横顔を、カトリーヌは微笑みながら見つめていた。
たとえ血が繋がっていなくても、エテ王子と王妃の間の絆が強い事はカトリーヌもよく知っている。王妃の侍女をしている母親からエテ王子と王妃の事はよく聞かされているからだ。
今の国王の王妃は、国王が初めて婚姻を結んだ相手だ。国王15歳、王妃12歳の時に婚姻を結ばれたが、子宝には恵まれなかった。周りからは世継ぎを催促されたが、まだ若い二人にはそれが大きなプレッシャーとなってしまい、王妃は体調を崩して子を授かれない体となってしまった。子が恵まれないのなら婚姻関係を解消するように周りから言われたが、国王は王妃との婚姻を解消しなかった。お互いに右も左も何もわからない時に手を取り合ってきたこともあり、お互いに深い絆で結ばれている。
それでも世継ぎを望む声に王妃は、「自分が認める相手」との子供なら世継ぎとして認めると国王に伝えた。色々な鬱憤の貯まっていたのだろう。国王は王妃が選ぶ「相手」との間に子をもうけ、世継ぎも無事に誕生した。だが、国王はその後、気に入った女性との関係を持ち続け、王妃が認めた相手ではない間の子供は王位継承権は持たないが、それぞれ将来は安定した職を約束されている。
実は、エテ王子の母親は「王妃が認めた相手」ではなかった。王妃付きの侍女の一人で、結婚を決めた相手もいた。だが、国王に見初められ夜を共にし、エテ王子を身ごもった。それと同時に婚約者が不慮の事故で亡くなってしまい、相次いで実の両親も亡くしてしまった。哀れに思った王妃が、自分の実家の養女として迎え入れ、生まれてくる子供を「後継者」として認めた。エテ王子が誕生して数ヶ月後、産後の体調がよくならず、エテ王子の母親は亡くなってしまった。エテ王子には血の繋がった親族は誰もいない。王妃はエテ王子の継承権を剥奪しようと考えたが、紙の上の繋がりでも甥にあたる。血は繋がっていなくても実家の両親や兄たちが後見人としている。ここで継承権を剥奪したら実家から変な圧力がかかるだろう。そう思った王妃は王子の一人として王宮で教育できるように手配した。
エテ王子は成長していくにつれ、周りを察する能力に長け、10歳ながらも自分の居場所を把握していた。
だからだろう。すこしでも父国王の手助けになれるように、継承権を剥奪されても王宮に残り、国王や王妃を守れるように、軍の育成学校に行くことを望んだ。軍人になり、王宮警備に配属されれば退位するまで国王も王妃も守ることができる。国王が退位するまで傍に仕えるのが最大の恩返しだとエテ王子は思っている。
カトリーヌはクスリと小さく笑った。
「な…なんか変な事言いましたか?」
急に笑われたエテ王子は顔を赤くして恥ずかしがっていた。
「いえ。エテ様は本当に王妃様を愛していらっしゃるのですね」
「ぎ…義務だからな。俺を育ててくださった王妃に感謝し、恩返しするのが義務だと思っている」
「ご立派な義務ですわ。でも、王妃様はそんなことを望んではいないと思います。本当に望んでいるのはもっと別な事ですわ」
「別な事?」
「それはご自分でお考え下さいませ」
クスクスと笑うカトリーヌはそれ以上言わなかった。
カトリーヌは王妃の侍女をしている母親から、一度だけ王妃の愚痴を聞いている。
「血縁関係はないけども、紙の上では伯母と甥の関係。一度でいいからあの子から『伯母』と呼ばれたい」
と、王妃は言っているらしい。
王妃と王子という関係は築き上げられている。でも、親族としての関係は築き上げていない。
一度は突き放そうとしたが、自分の子供がいないこともあって、身近にいる親族との絆を築き上げたいようだ。
国王とこれでもか!と思えるほど遊び倒したアクアが村に戻ってきたのは、日が沈む直前だった。
フラフラの状態で空を飛んできたアクアは、国王とエテ王子から預かった手紙をヴァーグに渡すと、その場にバッタリと倒れ込んでしまった。
「アクア!?」
ヴァーグが心配してアクアに駆け寄ると、アクアは豪快ないびきをかいて寝ていた。
「あらあら」
傍で見ていたシエルは、アクアを咥えて自分の背中に乗せると、
「小屋に戻りますね」
と、温泉宿の裏にある自分たちの小屋へと向かった。
遠くまで飛んだから疲れたのかな?と思っていたヴァーグだったが、エテ王子からの手紙に「国王が興奮のあまり、何時間も占領させてしまった。申し訳ない」と書かれてあったため、きっと思い切り遊び続けたのだろうと察した。
国王からの手紙には、作戦に関してはそちらに任せる。必要な物があればすぐに用意すると書かれてあった。また、王都からエテ王子、リチャード、リチャードの妹が先に村に入り、状況を把握したいと書かれてあった。
タイミングよく、女神からも「カメラ機能が付いた名札」が届いた。
村全体に危険が及ぶかもしれない。
でも、他の人に話したら密告者が現れ、犯人を逃がしてしまうかもしれない。
いつもと変わらない生活をしつつ、尚且つ、犯人を追い詰めていく。
何が起きるかわからない未来に、ヴァーグは不安よりもワクワクとした期待しかなかった。
今まで物語にも書いたことがない出来事が、始まろうとしていた。
<つづく>
初めての一人旅に不安もあったが、
「あなたしか頼めないの。お願いできるかしら?」
と、大好きな主ヴァーグの頼み。ここで断ると嫌われると思ったアクアは軽く胸を叩いて、自信満々に引き受けた。
王都を目指して飛び続けたアクアは、大きな建物を見つけると、そこには向かわず、その脇に建つこじんまりとしたーそれでも大豪邸ー建物へと降りていった。
アクアが向かったのはリチャードの家だった。
リチャードは王族に近い身分で、母親が王妃付きの侍女をしている。父親は北の国との境で国境警備の隊長をしているため、あまり屋敷に戻らないが、たまの休暇で戻ってくると息子のリチャードと娘のカトリーヌ(20)を本人たちから「しつこい!」と叱られるほど溺愛している。
その日、リチャードは訪ねてきたエテ王子と中庭で魔法玉の実験をしていた。
王立研究院から魔法玉の実践を頼まれているエテ王子は、魔法玉に使い捨てタイプと時間が経てば再び使えるタイプがあるらしく、王立研究院から盗まれた魔法玉は使い捨てタイプだと言うこともわかっていた。
「違いって何?」
説明されても見た目に変わりはなく、リチャードには二つの違いが判らなかった。
「俺には使い捨ての方はただの一色のガラス玉にしか見えないが、そうじゃない方はガラス玉の中に靄(もや)が見えるんだ。お前は見えるか?」
目の前に差し出された魔法玉を見ても、リチャードにはただのガラス玉にしか見えなかった。エテ王子が言う靄は全く見えない。
「さっぱり見えん」
「やっぱ、俺の戦闘攻撃の能力に関係あるのかな?」
「戦闘攻撃の能力?」
「あの村のドラゴン使いに言われたんだ。俺は戦闘攻撃の能力が高いって。で、魔力もかなりあるから、その魔力が武器に蓄えられて、魔法玉を通して魔法攻撃が使えるって言ってた」
「おいおい、まだ何も解明されていない事をなんでその人は知っているんだ?」
「俺も不思議に思ったんだけど、彼女が使う道具が珍しい物ばかりで、この世界の人でない気がするんだよな」
「この世界の人じゃないって、そんなわけあ……るかも」
リチャードは突然真顔になった。
エテ王子も彼の真顔に、冗談でも言い返そうと思ったが、彼の脳裏に昔、王宮の歴史博士から教えられたある話を思い出した。
「『国が危機に陥るとき、異世界よりこの世界に存在しない知識を持つ勇者が現れる』ってやつだっけ? 王子が興味を持って調べたけど、何も解明されなかったんだろ? 予言なのか、過去に起きた実際の事なのか、それすらわからなかった」
「歴史博士の作り話だと思っていたけど、もう一度調べる価値ありだな」
「だけど……勇者って、男限定だよな? いや、女の勇者もいるのか? 女も勇者になれるのか?」
「知らん。だが、とても興味がある。暇だし、調べてみるかな」
自分から興味を持つことは余りないのに、エテ王子の顔がキラキラと輝いていた。余程興味をそそられたのだろう。
中庭に置かれたテーブルで話していたリチャードとエテ王子に、リチャードの妹カトリーヌがお茶を持ってやってきた。だが、カトリーヌはテーブルに近くまで来ると、空を見上げたまま固まってしまった。
「どうした? カトリーヌ?」
リチャードが彼女に顔の前に手をかざしても、カトリーヌは空の一点を見つめたまま動かなかった。
不思議に思ったエテ王子が彼女が見つめる方向を見ると、そこには水色のドラゴンが羽根を羽ばたかせて飛んでいたのである。
「お前はアクアか!?」
エテ王子が名前を呼ぶとドラゴンは「キュウキュウ」と鳴きながら大きく頷いていた。
「なんでアクアがここに!?」
「お前、一人で来たのか? 主はどうした。一緒じゃないのか?」
エテ王子とリチャードが矢継ぎ早に質問しているにも拘らず、アクアはストンと地面に降りると、自分の肩にかかっているショルダーバックを2人の前に差し出した。
「この中に何か入っているのか?」
アクアは再び大きく頷いた。
エテ王子がショルダーバックの中に手を突っ込み、中を探った。すると、手の先に何かが触れ、その触れた物を取り出した。
中から出てきたのは、20~30枚に纏められた紙の束と、二通の封筒だった。
「おっと、これはお前にだ」
封筒の表に書かれたリチャードの名前を見たエテ王子は、その封筒をそのまま彼に渡した。
誰から来た手紙だ?と裏を見た途端、リチャードの顔がニヤけだし崩れていった。手紙の差出人はエミーからの物だったのだ。
「兄上様、どなたからですの?」
カトリーヌが覗き込んでも、リチャードはニマニマした顔を戻すことなく、手紙を両手で抱え込んだまま「エミー嬢」と彼女の名前を連呼していた。
その間に、エテ王子は残されたもう一通の手紙に目を通し、すぐに20~30枚に纏められた紙の束に目を移した。
「エテ様、兄上様がおかしいです」
「放っておいても害はない。カトリーヌ殿、母君は宮殿にいますか?」
「え…ええ。朝早くから王妃様と王立歌劇団の方と、秋に行われる芸術祭の打ち合わせをしております」
「じゃあ、父上もそこにいるのか」
「急用ですか?」
「ああ。カトリーヌ殿、しばらくの間アクアを見ていてもらってもいいですか? すぐに戻ります」
「わかりました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
カトリーヌに見送られてエテ王子は王宮へと向かった。
残されたカトリーヌはまだ、自分の世界に入り込んでいる兄に対して大きな溜息を吐いた。
休暇である村を訪れてから、リチャードは自分の世界に入り込むことが多くなった。庭の花を見ては「あの人に贈りたい、あの人になら似あうだろう」とブツブツ言い続けたり、屋敷に出入りする宝石商にこの世界で一番美しい宝石を持ってこいと無理難題を言いつけたり、仕立て屋には一枚の女性の似顔絵(これが上手すぎる)を見せて、この人に似合うドレスを仕立てろと、仕立て屋を困らせたり、とにかく兄は変わってしまったとカトリーヌは呆れている。
今も手紙を両手で抱え込み、不気味な笑みと不気味な声を出し続ける兄をどうしようか…と悩んでいるカトリーヌの耳に「グゥゥゥゥ」という聞きなれない音が聞こえた。
「何、今の音!?」
音の出どころを探していると、目の前に立つドラゴンがお腹に手を回して顔を真っ赤にしながら、必死に音を止めようと頑張っていた。
「あなた、お腹が空いているのですか?」
カトリーヌの声に、今度は顔を両手で覆ったドラゴンのアクアは小さく頷いた。
その可愛い仕草に、カトリーヌはクスッと小さく笑った。
「お使いご苦労様です。朝ご飯も食べていないんでしょ? 今、何か用意しますね」
アクアは恥ずかしそうに小さく頷いた。
「でも、ドラゴンって何を食べるのかしら? 野菜…果物…お肉がいいのかしら?」
当てにしたい兄のリチャードが、未だに自分の世界から戻ってこない為、カトリーヌはアクアを連れて厨房へと向かった。
その後、お腹いっぱいに果物を食べたアクアは大満足し、エテ王子の帰りを待つことにしたが、王宮へ向かったエテ王子が戻ってくるまでリチャードが自分の世界から戻ってくることはなかった。
王宮の一室で行われていた芸術祭の打ち合わせの場に、1人の使者がやってきた。
「お話中、失礼いたします。エテ王子が至急、国王様にお目通りを…とのことです」
使者の声に国王は、
「すぐに行く!」
と即答し、部屋を走り去ってしまった。
毎年行っている祭りで、決め事なども変える必要もなく、参加者は当日の飛び入り参加可能。歌、踊り、芝居、楽器演奏など芸術に関係することなら自由にステージに立てる。優勝を競うものではなく、国王に気に入られれば望みの物を渡すという、打ち合わせも何も必要ない。
落ち合わせと称した王妃、王妃の侍女(リチャードの母親)、国立歌劇団副団長(女性)の、ただのお茶会のような席に、国王は話に着いて行けず退屈していたのだ。そこに飛び込んできた使者。これと言わんばかりに、抜け出すチャンスを得た国王は笑顔で走り去っていったのだった。
エテ王子が呼ばれたのは国王の私室だった。
ほぼスキップ状態で部屋に入ってきた国王を見て、エテ王子は
「絶対、退屈していたな」
と、さっきまでの国王の様子を察した。
「いや~、いい時に呼び出してくれた。ありがとう、エテ」
満面な笑顔でお礼を言う国王は、声も弾んでいた。
「緊急を要することでしたので」
「で、何があったんだ?」
「先日、王立研究院より、魔法玉が盗まれた事件は覚えていますか?」
「ああ。まだ犯人は見つかっていないんだろ? その後の調査結果は何も聞いていない」
「その犯人が見つかりました。ある協力者からの情報で、犯人と思われる人物を繋ぎとめることに成功した。こちらで証拠を確保するので、近々軍を派遣してほしいと要請が入りました」
一通り報告すると、エテ王子は顔をあげた。
エテ王子の目に映ったのは、つまらなそうな表情を見せる国王の姿。国王からしたらそんな報告は、軍のトップにしろ!と怒鳴り散らしたいところだ。
「あ…あの、父上?」
「それはリチャードが決めればいいことだろ? それよりももっといい報告かと思ったんじゃが…」
「いい報告と申しますと?」
「お前の結婚が決まったとか、クリスティーヌに想い人が出来たとか、そういう話が聞きたいのじゃ!!」
(魔法玉で人も殺せるんだぞ! このクソ親父!)エテ王子からしたら殺傷能力がある魔法玉の盗難は国の一大事なのに、それすら聞こうとしない国王の態度に怒りが込み上げていた。
「エテ、前々から紹介している娘に会ってみないかい? 王女4人には想い人もいないし、一番上の王子はちと問題ありだし、2番目の王子はプレイボーイだし、まともなのはお前だけなんだよ。わしが王位についている間に一人でもいいから国を挙げての結婚式をやりたいんじゃよ」
駄々っ子のように体を左右に揺らしながら国王は「いいじゃろ?いいじゃろ?」とネコナデな声を出した。
「俺が結婚したら、姉上たちが黙っていないでしょうね! なにせ、王位継承権を持っている中で唯一、母親がいないのは俺だけなんですから。俺が結婚したら姉上たちが母親もいないくせに、次期王位に近づくなって言うでしょうね」
エテ王子が言うことは本当に起こりそうなことだ。いくら国王の座が任命制と言っても、伴侶がいて世継ぎもいれば優先順位は高くなる。だがエテ王子には生母がいない。生母がいなければ王宮内に張り巡られている派閥との衝突もあり、手助けしてくれる後ろ盾もいない。そうなると、万が一エテ王子が国王に就いたとき、王宮内は荒れる事間違いなしだ。
第一王女は国王の地位に就いたら伴侶を見つけると宣言している。
第二王女はどうやら王宮に出入りしている商人に想いを寄せているようだが、相手が身分を持っていないと国王の地位に就いたときに「身分もないくせに」と権力を持つ人たちが楯突くだろう。
第一王子は生母の関係で大きな問題がある。
第二王子は日替わりで恋人を作り、本命はいない。遊べる時に遊ぶ!と宣言しているが、このまま彼が王位に就けば「我こそ世継ぎ!」と名乗る物が多く出るはずだ。
第三王女のクリスティーヌ王女は異性の噂を何も聞かない。
第四王女のルイーズ王女はまだ子供だ。
そんな中、エテ王子は軍からの信頼もあり、王立研究院とも深い絆がある。また王宮警備をしているリチャードとも親しいため、身分に見合った娘と婚姻関係を結べば、すべてが安泰する。
「ともかく、今は俺のことよりも、魔法玉を盗んだ犯人確保が先です! 国王である父上の返事が必要なんです。今、リチャードの家に使いの者が待機しています。一刻も早く返事を下さい。国として協力するのか、しないのかを!」
アクアが持ってきた手紙と、20~30枚の紙の束を机に叩きつけたエテ王子。あまり見ない彼の迫力に国王はタジタジになっている。
「じゃ…じゃが、国として協力と言っても…」
「その紙の束に色々と作戦が書いております。なによりも、犯人は魔法玉を持っている事に警戒しなければなりません。俺としてはすぐに軍を派遣したいのですが、一度に軍人が押し寄せると犯人は村人を人質にしかねません。そこで、向こうでは証拠となる物を集めてくれるようです。その証拠が集まり次第軍を派遣します。まずは数人、向こうに送りたいのですが、その数人を村の温泉宿に泊まらせます。その宿泊費を国から出してもらいたいのです」
「温泉宿? では、犯人が逃げ込んだのはドラゴンがいる村なのか?」
「はい。初めに俺、リチャード、カトリーヌ殿の三人で滞在し様子を見ます。その後の展開によっては人を増やしていきます。向こうからも村に刺激を与えたくないとのことでしたので、初めは三人で動きます」
「カトリーヌ殿…というとリチャードの妹君か?」
「とても最適な人材だと思います」
「そうだな。その三人なら大丈夫だろう。返事を書く。すぐに使者をここに呼んでくれ」
「それはできません。返事なら俺が届けます」
「何故だ?」
「使者はドラゴンだからです。手紙の差出人が契約を結んでいるドラゴンなので、ここに連れてくることはできません」
「なに!? ドラゴンだと!!??」
エテ王子の口からドラゴンという言葉語飛び出すと、国王は部屋と飛び出して行った。
「父上!?」
エテ王子が止めようと思ったが、国王の姿はもうなかった。
「リチャードの家にいるんだよな! そうだよな!!」
突然外から国王の声が聞こえてきた。いつの間に外へ出たのか、私室を見上げる庭に国王の姿があった。
「いつの間に…」
「先に行っているからな! お前も来い!!」
走り去る国王は、その年からも想像つかないほど俊足だった。国王の逃亡に気付いた兵士たちが追いかけようとしたが、その兵士たちでさえ追いつかないその速さに、どこにそんな体力があるんだ?と誰もが疑問に思っていた。
ドタドタと誰かが走り込んでくる音に気付いたカトリーヌは、瞬時に身構えた。
中庭の回廊でアクアと戯れていた彼女は耳を澄ましながら、音のする方角を確認した。もし賊ならばここで戦わなくてはいけない。懐に隠し持っている短剣に手を掛けた。
「ドラゴンはどこじゃ!!」
そう叫びながら屋敷の中から飛び出してきたのは、予想もしなかった国王。
身構えていたカトリーヌは呆気にとられた。
「へ…陛下!?」
「おお、カトリーヌ殿。ドラゴンが来ていると聞いている。どこにいるんじゃ? まだおるんじゃろ?」
子供のようにキラキラとした顔を見せる国王は、カトリーヌににじり寄ってきたが、彼女の後ろにいるアクアを見た途端、ますます顔を輝かせた。
「ドラゴンじゃーーーー!!!」
(子供か!)と突っ込みたいぐらいにアクアに飛びつく国王。
供もつけず、連絡もなしにやってきた国王にカトリーヌがどうしたらいいのかわからずオロオロしていると、アクアは状況を察したのか国王を丁寧にもてなした。飛びつく国王に威嚇することもなく、身を屈めて背中に乗せたり、必要以上に頬ずりしてくる国王に嫌な顔一つ見せなかった。
「陛下の扱いが慣れている…」
カトリーヌがそう呟くのも当たり前。アクアは村の子供たちを相手にすることが多く、子供の扱いは慣れている。つまり、アクアにとって今の国王は村の子供たちと何の変わりもないのだ。
ごく自然に国王と接しているアクアに驚いていると、
「ったく、いい加減にしろよな、親父」
と、王宮から追いかけてきたエテ王子が到着した。
「お帰りなさいませ、エテ様」
「親父が迷惑かけた。申し訳ない」
「いえ、あのドラゴンが陛下の相手をしてくださいましたので、わたくしは何も…。陛下はドラゴンがお好きなのですね」
「好きっていうか、書物に描かれたかつて存在していたと言われる動物に会ってみたい野望があるらしい。国王の地位を降りたら、その動物たちを探しに旅に出るって言っているぐらいだ」
「そうなんですか? 初めて知りましたわ」
「俺以外、誰にも言っていない事だからな。王妃も知らない事だ」
「では、1人で旅立つつもりなのですか?」
「だろうな。国王の地位を降りたら、王妃には自由にしていいと言っているらしい。11歳で親元を離れ、父上の妃として王宮に上がられた王妃だ。自由な時間を与えられなかった事への償いだろう。俺も母を亡くしてからは王妃にだいぶお世話になっているし、俺の母のせいで辛い思いもされた。あの辛さは一生償っても許してはくれないだろうから、退位後の事はサポートするつもりだ」
淡々と王妃の事について話すエテ王子の横顔を、カトリーヌは微笑みながら見つめていた。
たとえ血が繋がっていなくても、エテ王子と王妃の間の絆が強い事はカトリーヌもよく知っている。王妃の侍女をしている母親からエテ王子と王妃の事はよく聞かされているからだ。
今の国王の王妃は、国王が初めて婚姻を結んだ相手だ。国王15歳、王妃12歳の時に婚姻を結ばれたが、子宝には恵まれなかった。周りからは世継ぎを催促されたが、まだ若い二人にはそれが大きなプレッシャーとなってしまい、王妃は体調を崩して子を授かれない体となってしまった。子が恵まれないのなら婚姻関係を解消するように周りから言われたが、国王は王妃との婚姻を解消しなかった。お互いに右も左も何もわからない時に手を取り合ってきたこともあり、お互いに深い絆で結ばれている。
それでも世継ぎを望む声に王妃は、「自分が認める相手」との子供なら世継ぎとして認めると国王に伝えた。色々な鬱憤の貯まっていたのだろう。国王は王妃が選ぶ「相手」との間に子をもうけ、世継ぎも無事に誕生した。だが、国王はその後、気に入った女性との関係を持ち続け、王妃が認めた相手ではない間の子供は王位継承権は持たないが、それぞれ将来は安定した職を約束されている。
実は、エテ王子の母親は「王妃が認めた相手」ではなかった。王妃付きの侍女の一人で、結婚を決めた相手もいた。だが、国王に見初められ夜を共にし、エテ王子を身ごもった。それと同時に婚約者が不慮の事故で亡くなってしまい、相次いで実の両親も亡くしてしまった。哀れに思った王妃が、自分の実家の養女として迎え入れ、生まれてくる子供を「後継者」として認めた。エテ王子が誕生して数ヶ月後、産後の体調がよくならず、エテ王子の母親は亡くなってしまった。エテ王子には血の繋がった親族は誰もいない。王妃はエテ王子の継承権を剥奪しようと考えたが、紙の上の繋がりでも甥にあたる。血は繋がっていなくても実家の両親や兄たちが後見人としている。ここで継承権を剥奪したら実家から変な圧力がかかるだろう。そう思った王妃は王子の一人として王宮で教育できるように手配した。
エテ王子は成長していくにつれ、周りを察する能力に長け、10歳ながらも自分の居場所を把握していた。
だからだろう。すこしでも父国王の手助けになれるように、継承権を剥奪されても王宮に残り、国王や王妃を守れるように、軍の育成学校に行くことを望んだ。軍人になり、王宮警備に配属されれば退位するまで国王も王妃も守ることができる。国王が退位するまで傍に仕えるのが最大の恩返しだとエテ王子は思っている。
カトリーヌはクスリと小さく笑った。
「な…なんか変な事言いましたか?」
急に笑われたエテ王子は顔を赤くして恥ずかしがっていた。
「いえ。エテ様は本当に王妃様を愛していらっしゃるのですね」
「ぎ…義務だからな。俺を育ててくださった王妃に感謝し、恩返しするのが義務だと思っている」
「ご立派な義務ですわ。でも、王妃様はそんなことを望んではいないと思います。本当に望んでいるのはもっと別な事ですわ」
「別な事?」
「それはご自分でお考え下さいませ」
クスクスと笑うカトリーヌはそれ以上言わなかった。
カトリーヌは王妃の侍女をしている母親から、一度だけ王妃の愚痴を聞いている。
「血縁関係はないけども、紙の上では伯母と甥の関係。一度でいいからあの子から『伯母』と呼ばれたい」
と、王妃は言っているらしい。
王妃と王子という関係は築き上げられている。でも、親族としての関係は築き上げていない。
一度は突き放そうとしたが、自分の子供がいないこともあって、身近にいる親族との絆を築き上げたいようだ。
国王とこれでもか!と思えるほど遊び倒したアクアが村に戻ってきたのは、日が沈む直前だった。
フラフラの状態で空を飛んできたアクアは、国王とエテ王子から預かった手紙をヴァーグに渡すと、その場にバッタリと倒れ込んでしまった。
「アクア!?」
ヴァーグが心配してアクアに駆け寄ると、アクアは豪快ないびきをかいて寝ていた。
「あらあら」
傍で見ていたシエルは、アクアを咥えて自分の背中に乗せると、
「小屋に戻りますね」
と、温泉宿の裏にある自分たちの小屋へと向かった。
遠くまで飛んだから疲れたのかな?と思っていたヴァーグだったが、エテ王子からの手紙に「国王が興奮のあまり、何時間も占領させてしまった。申し訳ない」と書かれてあったため、きっと思い切り遊び続けたのだろうと察した。
国王からの手紙には、作戦に関してはそちらに任せる。必要な物があればすぐに用意すると書かれてあった。また、王都からエテ王子、リチャード、リチャードの妹が先に村に入り、状況を把握したいと書かれてあった。
タイミングよく、女神からも「カメラ機能が付いた名札」が届いた。
村全体に危険が及ぶかもしれない。
でも、他の人に話したら密告者が現れ、犯人を逃がしてしまうかもしれない。
いつもと変わらない生活をしつつ、尚且つ、犯人を追い詰めていく。
何が起きるかわからない未来に、ヴァーグは不安よりもワクワクとした期待しかなかった。
今まで物語にも書いたことがない出来事が、始まろうとしていた。
<つづく>
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