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第21話 温もり
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日が沈むころ、リチャードが中央広場に姿を見せた。
隣にカトリーヌの姿があったが、カトリーヌは騎士団の制服を着ている。仕事を終え屋敷にも同とした時、にリチャードと出会い、今から中央広場に行くと話したら勝手にくっついてきたのだ。
「カトリーヌお姉ちゃんだ!」
「お姉ちゃん、かっこいい!!」
双子は見るのが二回目であるカトリーヌの制服姿に歓声を上げていた。スラリとした長身に、自慢の金色のロングヘアを1つに束ねたカトリーヌは、はしゃぐ双子の頭を軽く撫でた。
「この間は村人たちを誘導してくれてありがとうございました。マリーちゃんとミリーちゃんのお蔭で助かりましたわ」
カトリーヌに褒められ、双子はエヘン!と同時に胸を張った。
手に持っているドーナツが違和感を醸し出しているが…。
「何を持っているんですの?」
「ドーナツだよ! ヴァーグお姉ちゃんの新作!」
「カトリーヌお姉ちゃんも食べる? 美味しいよ!」
まだ食べていないドーナツを差し出すと、カトリーヌは思わず喉を鳴らした。
「太るぞ」
というリチャードの突っ込みも無視し、マリーから受け取ったドーナツを一口頬張った。
口に入れた途端に広がる甘い味、外はカリカリしているのに中はしっとり、ふんわりとしている今までに体験したことがない食感。そして表面に掛けられた砂糖の粉がより甘さを引き立てている。
カトリーヌは幸せそうな笑みを浮かべた。
「お前、本来の用事を忘れるなよ」
「あ! そうでした!」
もう一口食べようとしたカトリーヌは、小さく咳払いをして、マリーとミリーの視線と合う様にしゃがんだ
「明日のルイーズ様のお茶会には、わたくしが護衛させていただきます」
「本当?」
「はい。ですので、マリー嬢とミリー嬢は今夜はわたくしの屋敷にお泊りください」
「え!? カトリーヌお姉ちゃんのお家に行ってもいいの!?」
「わぁ~い!!」
カトリーヌのお誘いに双子は跳びはねながら大喜びだった。
メアリーは突然の事で戸惑っている。
「そんな、ご迷惑ですよ。わたしたちは宿に泊まりますから」
「お気になさらないでください。ヴァーグ殿を始め、こちらの中央広場でお店を出す皆様は、国王陛下がお招きした大切なお客様です。我々、ミゼル家が責任をもっておもてなしさせていただきます」
そう言ってきたのはリチャードだった。
リチャードは国王からヴァーグたち中央広場を使う村人たちの護衛と泊まる場所の提供を仰せつかっている。ミゼル家は、リチャードの部下たちが合宿を行うこともあるため、大人数を収容できる。今日、中央広場で設営している人数なら、まだ部屋が余るほどだ。
「いいんですか? リチャードさん」
エミーがリチャードの前にやってきた。
リチャードはエミーの手を握りしめ、
「もちろんです! 国王陛下から言われる前に決めていました!」
と、キラキラした瞳で答えた。そこが公衆の面前だと言うことも、エミーに出会えた嬉しさから忘れているようだ。
「兄上様こそ目的をお忘れですわ! この後、エテ様とリオ様がいらっしゃいますのよ!」
「エテは呼んだ覚えはあるが、リオは呼んだ記憶がない」
「兄上様!」
「いいか、カトリーヌ。わたしはまだ認めていないからな。母上がどんなに乗り気でも、わたしは絶対に認めん!」
「では父上に許可を頂きます。兄上様の許可など必要ございません!」
またしても始まってしまった兄妹喧嘩。どうやらリチャードは、カトリーヌとリオの仲を認めていないようだ。
村から戻ってきたリオは自宅で療養していたが、カトリーヌが毎日お見舞いに来てくれた。リオの父は王立研究院の責任者を任されており、爵位も伯爵の地位を持っている。カトリーヌは侯爵令嬢で、お互いに貴族だが女性の方が身分が高い事に両家の親はどう思うか…と心配されたが、カトリーヌの母親もリオの両親も、お互いが認めた相手なら反対することはないと、二人の仲を認めてくれた。
ただカトリーヌは単身赴任中の父親に、まだ話していない。今度の芸術祭の日に一旦戻ってくるようなので、すべてを話す予定だ。
リチャードが頑なに反対しているのは、ただの意固地である。
ヴァーグに言わせれば、
「可愛い妹に悪い虫が着き、その虫を退治することで妹に気に入られようとしている隠れシスコン」
だそうだ。
リチャードとカトリーヌは兄妹喧嘩をしながらも、ヴァーグたち村人全員を自分たちの屋敷へと案内した。
今回、彼女たちに用意されたのは本邸の隣に立つ離れの別邸。ここはリチャードが新人たちを対象とした訓練合宿を行うために使われている。部屋は一人部屋から8人部屋まであり、自由に使っていいとの事。
「ただ、1つだけお願いがありますの」
カトリーヌが遠慮気味に話を切り出してきた。
「お願い?」
「わたくしの母に、ヴァーグさんのお料理を食べていただきたいのです。ダメでしょうか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます! 早速、厨房へご案内しますわ!」
表向きは母親に食べさせたい。内心は自分が食べたいと思うカトリーヌだった。
厨房は、貴族の館ということもあって、料理人が何人もいた。
突然来た客が厨房にやってくることに料理人たちは嫌な顔をするかと思いきや、
「お待ちしておりました! 今日はお手伝いさせていただきます!」
と、来ることを楽しみにしていたようである。
「では、わたくしは母に教えてきますね。どんな料理か楽しみですわ」
スキップしながら厨房を出ていくカトリーヌの期待に答えなくては…と、逆にプレッシャーがかかるヴァーグだった。
数人の料理人と、ケイン、ラインハルトと共に夕食を作ることになったのだが、何を作ればいいのか決まっていなかった。村人たちにも振る舞わなくてはいけないため、一度に大量に作れるものの方がいいだろう。
「材料はどれを使っていいのですか?」
ヴァーグは料理人の中で最前列にいた男性に訊ねた。
「どれでも使っていただいて結構です」
「どれでも…って……あれ?」
厨房に中にある食材の保管場所を見渡したヴァーグの目に、ある物が飛び込んできた。
「あの、これを使っても大丈夫ですか?」
ヴァーグが目にしたのは、透明な大きな箱に入れられた、白い小さな粒ーお米だった。
「お米…ですか? そちらは我々は使わない食材です。リチャード様やカトリーヌ様が騎士団の遠征などで持って行くだけですので、我々は使い方が分かりません」
「そっか…。この国の主食はパンだものね。お米があれば主食には困らないけど……おかずはどうしよう」
白いご飯だけでは夕飯にはならない。いっそうの事おにぎりにしようかな?と考えていると、そのお米の入った箱の隣に見慣れたある物が置いてあった。
「あの、これは?」
ヴァーグが手にしたのは、紙に包まれた茶色い塊だった。
「それもリチャード様たちが遠征で持って行かれる携帯食です。お湯に溶かしてスープにするそうです」
紙に包まれた茶色い塊の匂いを嗅いだヴァーグは、その懐かしい香りに過去の記憶が蘇ってきた。
これ、カレーの匂いだ!
この世界にもカレーは存在するんだ!
時折、無性に食べたくなるカレー。この世界に来て、何度も食べたくなったが、カレーのルーだけは女神さまからも買うことができなかった。
この世界に来て8年。やっとカレーが食べられるヴァーグは、早速カレーを作る事にした。
「材料を用意してください。まず、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、お肉は……なにがお薦めですか?」
「今日はいい鶏肉が手に入りました」
「じゃあ、それを。今から手分けして下ごしらえをします。皆さん、手伝ってください」
「はい!!」
料理人たちはそれぞれ分担があるのか、いくつかのグループに分かれた。
若い料理人たちは野菜を準備した。いつもやっているのか、大きな籠ごとに一種類ずつ言われた野菜を入れ、すぐに作業台に戻ってきた。
「野菜を一口サイズに切ってください」
「はい!」
三人の料理人はすぐに野菜の皮をむき、一口サイズに切り始めた。
一緒に野菜を運んできた一番若いであろう料理人は、剥かれた皮を片付け始めた。それを見たヴァーグは、その料理人に重大な仕事を与えた。
「このお米を水で洗ってください。洗ったことはありますか?」
「リチャード様に教わったことがあります」
「リチャードさん、厨房に立つことがあるの?」
「あ、いえ、僕は元々騎士団に所属していました。ですが体力がないので、訓練に着いて行くことが出来ず、辞めてしまったんです。その時、リチャード様が、こちらにスカウトしてくださったのです。騎士団にいた頃、遠征で料理担当をしていましたので、食材の扱いは慣れています」
「そうなんだ。じゃあ、ご飯の炊き方はわかる?」
「はい。何度か炊いたことがあります」
「だったら、ご飯炊きを任せてもいいかな? もし手伝いが必要なら、ケインかラインハルト君を付けるよ?」
「大丈夫です! ご飯炊きは得意です!」
胸を張って宣言するその料理人は、お任せください!と自分の胸をトンっと叩いた。
ご飯を炊くのもかなりの体力がいるはず。それでも体力がないと言い張る料理人だったが、重たい米袋を担いだり、大きな鍋をコンロにセットしたり、見た目からは想像できない働きぶりだった。
きっと彼は料理が好きなんだろう。好きだからこそ、辛い事もやり遂げられる力を持っているのだ。
次に2人の料理人に鶏肉を一口サイズに切るように指示した。
一口サイズに切った鶏肉は、ケインとラインハルトが何回にも分けて、フライパンで焼き目をつけた。
料理長だと思われる男性と残りの料理人には、切ったタマネギをあめ色になるまで炒めてもらった。
「なぜタマネギを炒めるのですか?」
「こうすると甘くなるの」
そういうヴァーグだったが、本当はタマネギの食感が大嫌いなヴァーグ。食感が無くなるまで炒めて、煮込まないと食べられない彼女のただの我儘で、あめ色になるまで炒められた。
野菜が切り揃い、タマネギは炒められ、鶏肉は焼き目が綺麗についた。
ヴァーグは空いたコンロに大きな鍋を置き、野菜とタマネギを入れ、水を大量に入れた。
「これだけだと足りないな」
おかわりされることを予測して、ヴァーグはもう一つ大きな鍋を用意した。その鍋にも野菜、タマネギを入れ、大量の水を入れた。
「沸騰するまで待ちま~す」
その間にサラダを作ることになった。一人分ずつ用意すると大変なので、大皿を用意し、そこにレタスを千切り、キュウリ、トマトを切り、ハムを薄く切って、綺麗に並べた。これにトングを添えるだけで、自分で取ってもらうスタイルにしたのだ。こうすればお皿を用意するだけですむ。
その次にデザートを作ることにした。これも一つ一つ盛るのが大変な作業になるので、大きなガラスの器に色々な果物を切り入れ、そこにお湯に砂糖とレモン汁を入れかき混ぜた物を、ガラスの器に流しいれた。
「即席フルーツポンチです」
即席といいながらも、ただ果物を切って、液体を入れただけなのにとても華やかに見える。これも自分で小さな器によそってもらう様にすれば、いちいちは配膳しなくても済む。
そうこうしているうちに鍋が沸騰してきた。残っていた鶏肉を入れ、さらに沸騰させた。
そしてカレーのルーを入れるのだが、どれぐらい入れたらいいのかわからなかった。
前の世界では丁寧に分量がパッケージに記されていた。今回はただ紙に包んでいるだけだ。しかも辛さが分からない。子供たちは食べれるだろうか? そんな不安が漂ってきた。
急に動きを止めたヴァーグに、ケインも料理長もハラハラしていたが、ヴァーグは「ま、いいや!」と二つあるうちの一つにドバドバッとルーを遠慮なく投入した。
しばらくして、辺りに香ばしいスパイシーな香りが漂ってきた。
ヴァーグにとっては8年ぶりに嗅ぐ懐かしのカレー。
だが、ヴァーグはある事に気付いた。いくら煮込んでもとろみがつかないのだ。スープにして飲むと言っていただけにサラサラしている。
「う~~ん……」
味見をしたヴァーグは首を傾げた。
辛さは中辛ぐらいだろうか? 子供にはちょっと辛いかもしれない。
もう一つの鍋には、さっきよりも少ないルーをいれ、すりおろしたリンゴと蜂蜜を加えた。少し辛さが残るが、甘すぎず辛すぎない。辛いのが苦手な人にはこれでいいだろう。
だけとやっぱり気になる。このままではスープカレーになってしまう。ヴァーグが想像するカレーライスではない。
「料理長さん、小麦粉はありますか?」
「あ、はい」
料理長は、瓶に入った小麦粉をヴァーグに手渡した。
ヴァーグは少量の小麦粉をボウルに入れ、水で溶かした。それを少しずつ鍋に入れ始めた。
ある程度入れると、とろみが出てきた。
「これよ、これ!」
想像していたとおりのカレーに仕上がり、ヴァーグは料理長に味見をしてもらった。
前にカレーのルーを使ってスープを作った時、水っぽくて味も薄かった。だか、今口にしたカレーにはとろみがあり、野菜や鶏肉を一緒に煮込んでいる事もあり、コクがある。そしてかすかに残っているタマネギは甘かった。
「それじゃ、食堂に運びましょうか。ご飯は炊けた?」
「はい! 完璧です!!」
ご飯を担当していた料理人は自信満々にヴァーグの前に、小皿に乗せた炊き立てのご飯を差し出した。
艶もよく、炊き立て独特の食欲の湧く匂い。一口食べてみると、完璧に炊き込まれていた。
「うん、完璧! じゃあ、これはご褒美ね」
ヴァーグは料理人が差し出したご飯に、カレーを掛けた。
「え!?」
「こうやって食べる物なの。皆さんも先に試食してください」
ヴァーグは料理人に人数分のご飯を用意させ、すべてにカレーを掛けた。
「これはカレーライスという食べ物です。癖になるから食べてみてください」
今までに食べたことがない、ご飯に何かを掛ける食べ物。
恐る恐る料理長が一口頬張った。さっきルーだけで食べた時より何かが違う。ご飯と一緒に食べることで、また違った味がする。いや味は一緒だが、とにかく何かが違っていた。料理長は二口、三口と無言で食べ続けた。
それを見て、他の料理人も一口食べた。すると料理長と同じように無言で食べ続けた。
「シチューと同じ材料なのに、ミルクではない物を入れるだけで、こんなにご飯とあうなんて…」
ラインハルトはまた感動していた。ヴァーグが作る料理はどれも素晴らしい。材料が同じなのに、次から次へと全く違う料理が生まれる。この人は一体いくつのレパートリーを持っているのだろう。明日もきっと、また違う料理を生むんだろう。この人には終わりがないように見える。
最初、ラインハルトはケインができる事なら自分もできると甘い考えでレストランで働きたいと申し出た。だが今は違う。この人の傍に居ると、今迄何も感じなかった感動が体験できる。もっと先を知りたい。もっと自分も成長したい。そう思うようになった。
食堂では、一度に十何人も食事がとれる長テーブルがいくつも並べており、その一角に夕食が並べられた。
サラダとデザートはそれぞれ器を用意し、自分たちで取ってもらうが、カレーの盛り付けはヴァーグとケインが担当した。
カレーは大好評でおかわりする人もいた。子供たちも辛さををさえたカレーを気に入り、双子は2人そろって「おかわり!!」と催促した。とても夕方にドーナツを4つ食べた後とは思えない。
リチャードは今度の訓練で作りたいから、作り方を教えてほしいと頼んできた。
カトリーヌとエミーはカレーよりもフルーツポンチが気に入ったようだ。ヴァーグから「シロップをシャンパンに変えても美味しいよ」とアドバイスを受けると、すぐにワインセラーへ飛び込み、何本物のシャンパンを抱えて戻ってくるカトリーヌの姿があった。
カトリーヌの母親であるミゼル侯爵夫人も、たいそう気に入り、他の料理も食べたいと催促された。芸術祭の日に中央広場にいらしてくださいとだけ伝えた。
その日の夜、ミゼル家の別邸は遅くまで賑やかだった。
「なんか、宴が行われているように見えるのだが…」
リチャードが呼んだエテ王子とリオは、本邸にいる執事から別邸で夕食会を催していると聞き、別邸の食堂にやってきたが、そこで繰り広げられていたのは夕食会というよりも酒盛り大会と呼ぶにふさわしい光景だった。
最初にシャンパンを持ってきたカトリーヌに続き、リチャードもワインセラーから大量のワインを運び込み、お目にかかったことがない高価なワインに村人の男性たちが飛びついた。そして飲めや飲めやの酒盛り大会になってしまったのだ。
「エテ様、リオ様、ようこそお越しくださいました」
入り口で突っ立っていた二人にミゼル侯爵夫人が声をかけてきた。
「こんばんは、ミゼル侯爵夫人。今日は食事会とお聞きしていたのですが…?」
「国王様がご招待された方々の歓迎会ですわ」
「ああ、歓迎会ですか」
それなら納得する…とエテ王子は今の状況を把握して納得した。
リオはリオで、いつも静かな研究所にいることが多いので、これだけ盛り上がっている光景は見慣れていない。街の酒場にも足を向けないリオにとって、このような光景は新鮮ではあるが、自分は馴染めない場所だと確信した。
「エテさん、リオさん」
入り口で侯爵夫人と話していたエテ王子とリオにヴァーグが気づいて声をかけてきた。
「ああ、ヴァーグさん。あなたは平常でしたか」
「私はお酒が弱いですから」
そういいながらも、ほんのりと顔を赤くするヴァーグは、アルコールが入っているようにも見える。
「ヴァーグさんも飲んでます?」
「いいえ。私、アルコールの匂いを嗅ぐだけで酔っちゃうんです。酔い覚ましついでに外でお話しませんか?」
「リチャードはいいんですか?」
「あの状態では無理だと思いますよ」
ヴァーグは食堂の中心を見た。
そこにはヴァーグが持っていたビールという麦から作ったアルコールの入った飲み物で、ゲンとどちらが多く飲めるのか競争をしていた。リチャードもアルコールには強いが、ゲンはいくら飲んでも酔わないタイプ。勝負はついているはずなのに、リチャードの負けず嫌いが白熱な戦いを続けさせていた。
「カトリーヌ殿は?」
食堂に姿を見せないカトリーヌの姿をリオが探した。
「カトリーヌでしたら、明日、大切な仕事があるということで、部屋に戻りましたわ」
「そうですか…」
期待していたリオはがっくりと肩を落とした。
「よろしければ呼んできましょうか?」
「いえ、大切な仕事があるのならそちらを最優先してください。わたしは気にしませんので」
気にしないと言いながらも、はぁ…とため息を吐くリオの心はバレバレである。
ミゼル侯爵夫人は、そんなリオの姿を見てクスッと笑い、近くにいた使用人にカトリーヌを呼びに行かせた。
「カトリーヌお姉ちゃんの所に行くの?」
「ミリーね、明日のお洋服の事でお姉ちゃんとご相談したいの」
「マリーたちも行ってもいい?」
使用人が食堂を出ようとすると、双子が使用人の足を止めた。
困った使用人はミゼル侯爵夫人の顔を見た。
「よろしいですよ。カトリーヌの部屋までご案内してください」
侯爵夫人は双子を本邸へ案内するように命じた。
「では、私たちは庭でお話してきますね」
ヴァーグはエテ王子とリオと共に本邸と別邸の間にある庭へと出た。
庭は綺麗に手入れがされており、この季節ならではの花が咲いていた。
時折吹く風が、秋の深まりを伝えるとともに、食堂の賑やかな声も届けていた。
「魔法玉について、何かわかったのですか?」
「それなんですが……」
「何か困った事でも?」
「作り方が分かったところで、生産を開始したかったのですが、何分材料が手に入り辛くて、早期の大量生産が出来ないのです」
「そんなに貴重な物なの?」
「ガラス玉はリオが作れるので大丈夫です。問題は中に入れる材料でした。リオが文献を漁って調べ直した所、やはり以前お教えしたように、火、水、植物、雷を操る魔法玉が存在している事は確かです。ですが、その他にも風と雪を操る物と、傷を癒す魔法玉も存在することが分かりました」
「風と雪…」
「こちらに関しては材料は不明です。火、水、植物、雷に関しては、共通する材料が【永遠に変わらない水】、【グリフォンの羽根】、【ドラゴン(オス)の鱗】の三つだと言うことが分かりました。そこに火や水の元となる水晶が必要になります」
「それって…」
ヴァーグが思い出したのは、先日のマイケルとの戦いで、リオが急遽作った矢の先端に括り付けた結晶だった。あの時使用した材料も同じものだ。
リオは小さく頷いた。
「あの時作ったのは、浄化させる効果を加えたので【ドラゴンの涙】が必要でしたが、攻撃魔法の場合はいりません。そして、あの時、雷の威力を高めるためにこちらを使用しました」
リオはウエストポーチから小瓶に入った光り輝く結晶を取り出した。あたりが暗いと言うこともあり、あの決戦では気付かなかったが、決勝は黄金色に輝き、中でパチパチと小さな火花のような物が弾けていた。
「これが雷の元です。文献によると『雷が落ちる湖によって生まれた結晶』としか書かれておらず、自然界でも手に入るのかはわかりません。ここにある結晶は研究院に保管されていた大きな結晶を細かくした物なので、これ以上、手に入れることはできません」
「研究所にはどうやって大きな結晶が運び込まれたのかは、わからないの?」
リオは首を横に振った。
はぁ…とため息を吐くヴァーグだったが、収穫はあった。魔法玉にはそれぞれの元が存在し、それらと【永遠に変わらない水】、【グリフォンの羽根】、【ドラゴン(オス)の鱗】を混ぜることで、攻撃魔法の能力を高める物が作れるということ。
だが、大量生産は元になる結晶だけではなく、共通材料も大量生産に適さないと言うことも言える。いくら知り合いにドラゴンやグリフォンと契約している人がいたとしても、大切な仲間を傷つけてまで、人を傷つける道具を作るのはどうかと…。
「大量生産をしたところで、それを戦いの道具に使ってしまったら、静かに暮らしているドラゴンたちに迷惑がかかっちゃうわね」
「今後の研究で、少ない材料で作れないか試しに作ってみます」
「因みに一応聞いておくけど、他の元となる水晶はどうやって手に入るの?」
「文献には『炎に包まれた火が吹く湖で生まれた結晶』が炎の結晶、『永遠に変わらない水の湖で生まれた結晶』が水の結晶、『大陸の中央にそびえる天まで届く大木の木の実』が植物の結晶と書かれてありました。そんな場所が現実にあるんでしょうか?」
「文献に残っているってことは、実際にあったんだろうな。俺も近隣諸国の王室に聞いてみるかな。何か知っているかもしれない」
「近隣諸国に聞いても大丈夫なの? 国家機密として進めている研究なのに!?」
いくら王族とはいえ、国家機密に関わる事を他の国の王室に聞いてもいい物だろうか?とヴァーグは焦りだした。
エテ王子は
「王室って言っても、他国の王子や王女とは秘密のやりとりとかよく行われているから、別に国同士の争いにはならないよ」
と、あっけらかんと言いだした。
「いやいや、王子たちが秘密のやり取りをしていること事態、どうかと思うんですが…」
リオも初めて聞くことに驚いていた。
「よくある事だよ。どの国の王子がどこの王女に想いを寄せているとか、どっかの国の王子がある国の香料を手に入れたがっているとか、そういう情報のやり取りをして、交渉事をスムーズにしているんだ。ただし軍事情報に関しては一切教えないと言う約束事がある」
「どうやって繋がったんですか?」
「各国の国王の誕生日会に呼ばれることがあって、そこで知り合った王子や王女と連絡を取り合っている。親父の外遊のお供は俺だけだからな」
「他の王子様や王女様は?」
「面倒くさいからやらないって。俺が王室を出たらどうするつもりだよ。誰が引き継ぐことやら」
「やっぱり王室から出るんですか? コロリスさんの子爵家を継ぐことを決めたんですか?」
「まだ決めていない。親父と話し合わないといけないし、婚約もまだだから。芸術祭が終わったら、親父や王妃と話し合う予定」
「じゃあ、もし王室を出るとしたら…」
「俺の仕事は誰かに受け継いでもらうことになる。騎士団とか研究院のことはそのまま俺が引き続きやると思うけど、親父の外遊のお供とか、他国の王室との繋がりはクリスティーヌかルイーズが引き継ぐと思う。ルイーズに関してはまだ子供だから、どうなるかわからないが」
「ルイーズちゃんが引き受けたら、マリーちゃんやミリーちゃんと会えることが少なくなるわね」
「妹には申し訳ないが、王女として生まれたルイーズの運命だと受け止めるしかない。ルイーズの母君は、俺と違って生存しているし、後ろ盾も権力がある貴族がいるからな」
「明日のお茶会でルイーズちゃんが自分が王女である事を話さないといけ……」
そこまで言葉を発してヴァーグは口を閉ざした。そして、エテ王子とリオの背後に視線が止まった。
不思議に思ったエテ王子とリオが自分たちの後ろを振り向くと、そこにはカトリーヌとマリー、ミリーの双子が立っていた。
「カトリーヌ殿、今の会話を…」
「聞いてしまったようです。わたくしはこの場から連れて行こうと思ったのですが、2人がルイーズ様の名前を聞いた途端、動かなくなってしまって…」
カトリーヌと手を繋いでいるマリーとミリーは、俯いていた。
タイミング的には会話は聞かれている。ルイーズ王女が王族だと言うことも聞いてしまっただろう。
「マリーちゃん、ミリーちゃん」
ヴァーグが名前を呼ぶと、マリーだけが顔をあげた。上げられた顔は、ヴァーグではなくエテ王子を見つめていた。
「マリー嬢…」
「エテお兄ちゃん、ルイーズちゃんが王女様って本当なの?」
「……そうだよ」
「なんで黙ってたの? どうしてマリー達に教えてくれなかったの?」
今にも泣きだしそうな顔を見せるマリー。ミリーは泣き出してしまった。
エテ王子は双子の前に膝をつき、視線を合わせた。
「嘘をつくために黙っていたわけではない。あの村に滞在する時、俺はリチャードの友達で王子という肩書を外していた。これには理由があったんだ。王子としてもし滞在していたら扱いは違っただろう。マリー嬢もミリー嬢も『お兄ちゃん』とは呼ばなかったはずだ。クリス(クリスティーヌ王女)もルイーズも、王女だと言うことを言ってしまうと、周りがかしこまって、せっかく王宮を離れて羽を伸ばしているのに、旅先でも王宮と同じ生活になってしまう。マリー嬢も、旅行先の土地で大勢の召使いに囲まれて、食べる物も決められて、行く場所も決められていたら嫌だろ? ルイーズも全く同じ思いだったんだよ。それに王女と名乗ってしまったら、マリー嬢やミリー嬢のような親友はできなかった。別れる時、抱き合いながら泣くこともできなかった。ルイーズは王女と名乗ってしまったら2人が離れてしまいそうで、それが怖くて話せなかったんだ」
「マリーは、たとえ王女様でもルイーズちゃんと離れないよ!」
「ミリーも同じだよ! 大切なお友達に変わりないもん!」
「それを明日、本人に聞かせてあげてほしい。ルイーズは王女という立場上、友達はすべて母親が決めていた。同じ年頃の友達などいない。いずれ国王の座に就くであろう王女に相応しい年上の人ばかりだ。そんなルイーズに初めて出来た友達だ。どうかルイーズに本当の気持ちを聞かせてあげてほしい。ルイーズも明日のお茶会ですべてを話すつもりだ」
エテ王女のお願いに、双子は同時にうなづいた。
そんな双子にエテ王子は軽く頭をポンポンと叩いた。
「さ、明日は待ちに待ったルイーズに出会える日だ。早く寝ないとな」
「「うん…」」
「カトリーヌ殿、今夜は双子に付いていてほしい。両親には俺が話しておく」
「わかりました。行きましょう、マリーちゃん、ミリーちゃん」
もう一度双子と手を繋いだカトリーヌは来た道を戻った。
「ヴァーグさん、明日のお茶会には俺とリオで護衛に付きます。ヴァーグさんたちは設営の準備を続けてください」
「わかりました。何事も起きなければいいのですが…」
ヴァーグは空を見上げた。
この世界独特の二つの月が煌々と照っている。明るい未来を予感する光でもあったが、何かが起きそうな嫌な予感もしていた。
カトリーヌの部屋まで戻ってきたマリーとミリーは、彼女のベッドに潜り込んでいた。
「お姉ちゃん。聞きたい事があるんだけどいい?」
マリーはミリーとの間に横になったカトリーヌに訊ねた。
「なんですか?」
「王女様も、こんな広いベッドに一人で寝ているの?」
マリーはカトリーヌの寝室に置かれたベッドの大きさに驚いたが、逆に悲しい気持ちになった。
「ええ。貴族の女の子は6歳になるかならないかで、大きなベッドに一人で眠りますよ」
「じゃあ、ルイーズちゃんも一人で寝ているの?」
「ええ。王女様は生まれた時からご自分のお部屋を持たれます。使用人は沢山いますが、夜は一人です」
「淋しかったのかな? 王宮に戻ってから」
マリーはギュッとカトリーヌの腕にしがみついた。同時にミリーも同じように反対側の腕にしがみついた。
「マリーちゃん? ミリーちゃん?」
「あのね…あのね、村ではミリーたちと一緒に寝てたの。ベットをくっつけて、三人でこうしてギュッとして寝てたの。でも、今は一人なんだよね、ルイーズちゃん」
「……そうですね」
「ルイーズちゃんが帰ったあと、マリーとミリーの2人で寝たけど、すごく寂しかった。だからルイーズちゃんも…」
だんだんと悲しい声になっていく双子を、カトリーヌはギュッと抱きしめた。
「明日のお茶会でご本人にお聞きしてみましょう。ルイーズ様もきっとこう仰いますよ。『わたしも淋しかった』と」
カトリーヌの言葉を聞いて、マリーもミリーも安心して眠りについた。
貴族の娘として生まれたカトリーヌは、広いベッドに一人で眠ることは義務だと思っていた。学校の寮も貴族ということで個室を用意され、ベッドの広さも実家の物とさほど変わらなかった。
夜は一人で寝るもの。それが当たり前だったが、こうしてマリーとミリーと体を寄せ合って眠ると、いままで感じだことがない安心感が生まれる。
ルイーズ王女はこの安心感を体験した後、1人で眠ることに抵抗はなかったのだろうか。
すぐ側に感じる温もりを抱きしめながらカトリーヌも眠りについた。
<つづく>
隣にカトリーヌの姿があったが、カトリーヌは騎士団の制服を着ている。仕事を終え屋敷にも同とした時、にリチャードと出会い、今から中央広場に行くと話したら勝手にくっついてきたのだ。
「カトリーヌお姉ちゃんだ!」
「お姉ちゃん、かっこいい!!」
双子は見るのが二回目であるカトリーヌの制服姿に歓声を上げていた。スラリとした長身に、自慢の金色のロングヘアを1つに束ねたカトリーヌは、はしゃぐ双子の頭を軽く撫でた。
「この間は村人たちを誘導してくれてありがとうございました。マリーちゃんとミリーちゃんのお蔭で助かりましたわ」
カトリーヌに褒められ、双子はエヘン!と同時に胸を張った。
手に持っているドーナツが違和感を醸し出しているが…。
「何を持っているんですの?」
「ドーナツだよ! ヴァーグお姉ちゃんの新作!」
「カトリーヌお姉ちゃんも食べる? 美味しいよ!」
まだ食べていないドーナツを差し出すと、カトリーヌは思わず喉を鳴らした。
「太るぞ」
というリチャードの突っ込みも無視し、マリーから受け取ったドーナツを一口頬張った。
口に入れた途端に広がる甘い味、外はカリカリしているのに中はしっとり、ふんわりとしている今までに体験したことがない食感。そして表面に掛けられた砂糖の粉がより甘さを引き立てている。
カトリーヌは幸せそうな笑みを浮かべた。
「お前、本来の用事を忘れるなよ」
「あ! そうでした!」
もう一口食べようとしたカトリーヌは、小さく咳払いをして、マリーとミリーの視線と合う様にしゃがんだ
「明日のルイーズ様のお茶会には、わたくしが護衛させていただきます」
「本当?」
「はい。ですので、マリー嬢とミリー嬢は今夜はわたくしの屋敷にお泊りください」
「え!? カトリーヌお姉ちゃんのお家に行ってもいいの!?」
「わぁ~い!!」
カトリーヌのお誘いに双子は跳びはねながら大喜びだった。
メアリーは突然の事で戸惑っている。
「そんな、ご迷惑ですよ。わたしたちは宿に泊まりますから」
「お気になさらないでください。ヴァーグ殿を始め、こちらの中央広場でお店を出す皆様は、国王陛下がお招きした大切なお客様です。我々、ミゼル家が責任をもっておもてなしさせていただきます」
そう言ってきたのはリチャードだった。
リチャードは国王からヴァーグたち中央広場を使う村人たちの護衛と泊まる場所の提供を仰せつかっている。ミゼル家は、リチャードの部下たちが合宿を行うこともあるため、大人数を収容できる。今日、中央広場で設営している人数なら、まだ部屋が余るほどだ。
「いいんですか? リチャードさん」
エミーがリチャードの前にやってきた。
リチャードはエミーの手を握りしめ、
「もちろんです! 国王陛下から言われる前に決めていました!」
と、キラキラした瞳で答えた。そこが公衆の面前だと言うことも、エミーに出会えた嬉しさから忘れているようだ。
「兄上様こそ目的をお忘れですわ! この後、エテ様とリオ様がいらっしゃいますのよ!」
「エテは呼んだ覚えはあるが、リオは呼んだ記憶がない」
「兄上様!」
「いいか、カトリーヌ。わたしはまだ認めていないからな。母上がどんなに乗り気でも、わたしは絶対に認めん!」
「では父上に許可を頂きます。兄上様の許可など必要ございません!」
またしても始まってしまった兄妹喧嘩。どうやらリチャードは、カトリーヌとリオの仲を認めていないようだ。
村から戻ってきたリオは自宅で療養していたが、カトリーヌが毎日お見舞いに来てくれた。リオの父は王立研究院の責任者を任されており、爵位も伯爵の地位を持っている。カトリーヌは侯爵令嬢で、お互いに貴族だが女性の方が身分が高い事に両家の親はどう思うか…と心配されたが、カトリーヌの母親もリオの両親も、お互いが認めた相手なら反対することはないと、二人の仲を認めてくれた。
ただカトリーヌは単身赴任中の父親に、まだ話していない。今度の芸術祭の日に一旦戻ってくるようなので、すべてを話す予定だ。
リチャードが頑なに反対しているのは、ただの意固地である。
ヴァーグに言わせれば、
「可愛い妹に悪い虫が着き、その虫を退治することで妹に気に入られようとしている隠れシスコン」
だそうだ。
リチャードとカトリーヌは兄妹喧嘩をしながらも、ヴァーグたち村人全員を自分たちの屋敷へと案内した。
今回、彼女たちに用意されたのは本邸の隣に立つ離れの別邸。ここはリチャードが新人たちを対象とした訓練合宿を行うために使われている。部屋は一人部屋から8人部屋まであり、自由に使っていいとの事。
「ただ、1つだけお願いがありますの」
カトリーヌが遠慮気味に話を切り出してきた。
「お願い?」
「わたくしの母に、ヴァーグさんのお料理を食べていただきたいのです。ダメでしょうか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます! 早速、厨房へご案内しますわ!」
表向きは母親に食べさせたい。内心は自分が食べたいと思うカトリーヌだった。
厨房は、貴族の館ということもあって、料理人が何人もいた。
突然来た客が厨房にやってくることに料理人たちは嫌な顔をするかと思いきや、
「お待ちしておりました! 今日はお手伝いさせていただきます!」
と、来ることを楽しみにしていたようである。
「では、わたくしは母に教えてきますね。どんな料理か楽しみですわ」
スキップしながら厨房を出ていくカトリーヌの期待に答えなくては…と、逆にプレッシャーがかかるヴァーグだった。
数人の料理人と、ケイン、ラインハルトと共に夕食を作ることになったのだが、何を作ればいいのか決まっていなかった。村人たちにも振る舞わなくてはいけないため、一度に大量に作れるものの方がいいだろう。
「材料はどれを使っていいのですか?」
ヴァーグは料理人の中で最前列にいた男性に訊ねた。
「どれでも使っていただいて結構です」
「どれでも…って……あれ?」
厨房に中にある食材の保管場所を見渡したヴァーグの目に、ある物が飛び込んできた。
「あの、これを使っても大丈夫ですか?」
ヴァーグが目にしたのは、透明な大きな箱に入れられた、白い小さな粒ーお米だった。
「お米…ですか? そちらは我々は使わない食材です。リチャード様やカトリーヌ様が騎士団の遠征などで持って行くだけですので、我々は使い方が分かりません」
「そっか…。この国の主食はパンだものね。お米があれば主食には困らないけど……おかずはどうしよう」
白いご飯だけでは夕飯にはならない。いっそうの事おにぎりにしようかな?と考えていると、そのお米の入った箱の隣に見慣れたある物が置いてあった。
「あの、これは?」
ヴァーグが手にしたのは、紙に包まれた茶色い塊だった。
「それもリチャード様たちが遠征で持って行かれる携帯食です。お湯に溶かしてスープにするそうです」
紙に包まれた茶色い塊の匂いを嗅いだヴァーグは、その懐かしい香りに過去の記憶が蘇ってきた。
これ、カレーの匂いだ!
この世界にもカレーは存在するんだ!
時折、無性に食べたくなるカレー。この世界に来て、何度も食べたくなったが、カレーのルーだけは女神さまからも買うことができなかった。
この世界に来て8年。やっとカレーが食べられるヴァーグは、早速カレーを作る事にした。
「材料を用意してください。まず、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、お肉は……なにがお薦めですか?」
「今日はいい鶏肉が手に入りました」
「じゃあ、それを。今から手分けして下ごしらえをします。皆さん、手伝ってください」
「はい!!」
料理人たちはそれぞれ分担があるのか、いくつかのグループに分かれた。
若い料理人たちは野菜を準備した。いつもやっているのか、大きな籠ごとに一種類ずつ言われた野菜を入れ、すぐに作業台に戻ってきた。
「野菜を一口サイズに切ってください」
「はい!」
三人の料理人はすぐに野菜の皮をむき、一口サイズに切り始めた。
一緒に野菜を運んできた一番若いであろう料理人は、剥かれた皮を片付け始めた。それを見たヴァーグは、その料理人に重大な仕事を与えた。
「このお米を水で洗ってください。洗ったことはありますか?」
「リチャード様に教わったことがあります」
「リチャードさん、厨房に立つことがあるの?」
「あ、いえ、僕は元々騎士団に所属していました。ですが体力がないので、訓練に着いて行くことが出来ず、辞めてしまったんです。その時、リチャード様が、こちらにスカウトしてくださったのです。騎士団にいた頃、遠征で料理担当をしていましたので、食材の扱いは慣れています」
「そうなんだ。じゃあ、ご飯の炊き方はわかる?」
「はい。何度か炊いたことがあります」
「だったら、ご飯炊きを任せてもいいかな? もし手伝いが必要なら、ケインかラインハルト君を付けるよ?」
「大丈夫です! ご飯炊きは得意です!」
胸を張って宣言するその料理人は、お任せください!と自分の胸をトンっと叩いた。
ご飯を炊くのもかなりの体力がいるはず。それでも体力がないと言い張る料理人だったが、重たい米袋を担いだり、大きな鍋をコンロにセットしたり、見た目からは想像できない働きぶりだった。
きっと彼は料理が好きなんだろう。好きだからこそ、辛い事もやり遂げられる力を持っているのだ。
次に2人の料理人に鶏肉を一口サイズに切るように指示した。
一口サイズに切った鶏肉は、ケインとラインハルトが何回にも分けて、フライパンで焼き目をつけた。
料理長だと思われる男性と残りの料理人には、切ったタマネギをあめ色になるまで炒めてもらった。
「なぜタマネギを炒めるのですか?」
「こうすると甘くなるの」
そういうヴァーグだったが、本当はタマネギの食感が大嫌いなヴァーグ。食感が無くなるまで炒めて、煮込まないと食べられない彼女のただの我儘で、あめ色になるまで炒められた。
野菜が切り揃い、タマネギは炒められ、鶏肉は焼き目が綺麗についた。
ヴァーグは空いたコンロに大きな鍋を置き、野菜とタマネギを入れ、水を大量に入れた。
「これだけだと足りないな」
おかわりされることを予測して、ヴァーグはもう一つ大きな鍋を用意した。その鍋にも野菜、タマネギを入れ、大量の水を入れた。
「沸騰するまで待ちま~す」
その間にサラダを作ることになった。一人分ずつ用意すると大変なので、大皿を用意し、そこにレタスを千切り、キュウリ、トマトを切り、ハムを薄く切って、綺麗に並べた。これにトングを添えるだけで、自分で取ってもらうスタイルにしたのだ。こうすればお皿を用意するだけですむ。
その次にデザートを作ることにした。これも一つ一つ盛るのが大変な作業になるので、大きなガラスの器に色々な果物を切り入れ、そこにお湯に砂糖とレモン汁を入れかき混ぜた物を、ガラスの器に流しいれた。
「即席フルーツポンチです」
即席といいながらも、ただ果物を切って、液体を入れただけなのにとても華やかに見える。これも自分で小さな器によそってもらう様にすれば、いちいちは配膳しなくても済む。
そうこうしているうちに鍋が沸騰してきた。残っていた鶏肉を入れ、さらに沸騰させた。
そしてカレーのルーを入れるのだが、どれぐらい入れたらいいのかわからなかった。
前の世界では丁寧に分量がパッケージに記されていた。今回はただ紙に包んでいるだけだ。しかも辛さが分からない。子供たちは食べれるだろうか? そんな不安が漂ってきた。
急に動きを止めたヴァーグに、ケインも料理長もハラハラしていたが、ヴァーグは「ま、いいや!」と二つあるうちの一つにドバドバッとルーを遠慮なく投入した。
しばらくして、辺りに香ばしいスパイシーな香りが漂ってきた。
ヴァーグにとっては8年ぶりに嗅ぐ懐かしのカレー。
だが、ヴァーグはある事に気付いた。いくら煮込んでもとろみがつかないのだ。スープにして飲むと言っていただけにサラサラしている。
「う~~ん……」
味見をしたヴァーグは首を傾げた。
辛さは中辛ぐらいだろうか? 子供にはちょっと辛いかもしれない。
もう一つの鍋には、さっきよりも少ないルーをいれ、すりおろしたリンゴと蜂蜜を加えた。少し辛さが残るが、甘すぎず辛すぎない。辛いのが苦手な人にはこれでいいだろう。
だけとやっぱり気になる。このままではスープカレーになってしまう。ヴァーグが想像するカレーライスではない。
「料理長さん、小麦粉はありますか?」
「あ、はい」
料理長は、瓶に入った小麦粉をヴァーグに手渡した。
ヴァーグは少量の小麦粉をボウルに入れ、水で溶かした。それを少しずつ鍋に入れ始めた。
ある程度入れると、とろみが出てきた。
「これよ、これ!」
想像していたとおりのカレーに仕上がり、ヴァーグは料理長に味見をしてもらった。
前にカレーのルーを使ってスープを作った時、水っぽくて味も薄かった。だか、今口にしたカレーにはとろみがあり、野菜や鶏肉を一緒に煮込んでいる事もあり、コクがある。そしてかすかに残っているタマネギは甘かった。
「それじゃ、食堂に運びましょうか。ご飯は炊けた?」
「はい! 完璧です!!」
ご飯を担当していた料理人は自信満々にヴァーグの前に、小皿に乗せた炊き立てのご飯を差し出した。
艶もよく、炊き立て独特の食欲の湧く匂い。一口食べてみると、完璧に炊き込まれていた。
「うん、完璧! じゃあ、これはご褒美ね」
ヴァーグは料理人が差し出したご飯に、カレーを掛けた。
「え!?」
「こうやって食べる物なの。皆さんも先に試食してください」
ヴァーグは料理人に人数分のご飯を用意させ、すべてにカレーを掛けた。
「これはカレーライスという食べ物です。癖になるから食べてみてください」
今までに食べたことがない、ご飯に何かを掛ける食べ物。
恐る恐る料理長が一口頬張った。さっきルーだけで食べた時より何かが違う。ご飯と一緒に食べることで、また違った味がする。いや味は一緒だが、とにかく何かが違っていた。料理長は二口、三口と無言で食べ続けた。
それを見て、他の料理人も一口食べた。すると料理長と同じように無言で食べ続けた。
「シチューと同じ材料なのに、ミルクではない物を入れるだけで、こんなにご飯とあうなんて…」
ラインハルトはまた感動していた。ヴァーグが作る料理はどれも素晴らしい。材料が同じなのに、次から次へと全く違う料理が生まれる。この人は一体いくつのレパートリーを持っているのだろう。明日もきっと、また違う料理を生むんだろう。この人には終わりがないように見える。
最初、ラインハルトはケインができる事なら自分もできると甘い考えでレストランで働きたいと申し出た。だが今は違う。この人の傍に居ると、今迄何も感じなかった感動が体験できる。もっと先を知りたい。もっと自分も成長したい。そう思うようになった。
食堂では、一度に十何人も食事がとれる長テーブルがいくつも並べており、その一角に夕食が並べられた。
サラダとデザートはそれぞれ器を用意し、自分たちで取ってもらうが、カレーの盛り付けはヴァーグとケインが担当した。
カレーは大好評でおかわりする人もいた。子供たちも辛さををさえたカレーを気に入り、双子は2人そろって「おかわり!!」と催促した。とても夕方にドーナツを4つ食べた後とは思えない。
リチャードは今度の訓練で作りたいから、作り方を教えてほしいと頼んできた。
カトリーヌとエミーはカレーよりもフルーツポンチが気に入ったようだ。ヴァーグから「シロップをシャンパンに変えても美味しいよ」とアドバイスを受けると、すぐにワインセラーへ飛び込み、何本物のシャンパンを抱えて戻ってくるカトリーヌの姿があった。
カトリーヌの母親であるミゼル侯爵夫人も、たいそう気に入り、他の料理も食べたいと催促された。芸術祭の日に中央広場にいらしてくださいとだけ伝えた。
その日の夜、ミゼル家の別邸は遅くまで賑やかだった。
「なんか、宴が行われているように見えるのだが…」
リチャードが呼んだエテ王子とリオは、本邸にいる執事から別邸で夕食会を催していると聞き、別邸の食堂にやってきたが、そこで繰り広げられていたのは夕食会というよりも酒盛り大会と呼ぶにふさわしい光景だった。
最初にシャンパンを持ってきたカトリーヌに続き、リチャードもワインセラーから大量のワインを運び込み、お目にかかったことがない高価なワインに村人の男性たちが飛びついた。そして飲めや飲めやの酒盛り大会になってしまったのだ。
「エテ様、リオ様、ようこそお越しくださいました」
入り口で突っ立っていた二人にミゼル侯爵夫人が声をかけてきた。
「こんばんは、ミゼル侯爵夫人。今日は食事会とお聞きしていたのですが…?」
「国王様がご招待された方々の歓迎会ですわ」
「ああ、歓迎会ですか」
それなら納得する…とエテ王子は今の状況を把握して納得した。
リオはリオで、いつも静かな研究所にいることが多いので、これだけ盛り上がっている光景は見慣れていない。街の酒場にも足を向けないリオにとって、このような光景は新鮮ではあるが、自分は馴染めない場所だと確信した。
「エテさん、リオさん」
入り口で侯爵夫人と話していたエテ王子とリオにヴァーグが気づいて声をかけてきた。
「ああ、ヴァーグさん。あなたは平常でしたか」
「私はお酒が弱いですから」
そういいながらも、ほんのりと顔を赤くするヴァーグは、アルコールが入っているようにも見える。
「ヴァーグさんも飲んでます?」
「いいえ。私、アルコールの匂いを嗅ぐだけで酔っちゃうんです。酔い覚ましついでに外でお話しませんか?」
「リチャードはいいんですか?」
「あの状態では無理だと思いますよ」
ヴァーグは食堂の中心を見た。
そこにはヴァーグが持っていたビールという麦から作ったアルコールの入った飲み物で、ゲンとどちらが多く飲めるのか競争をしていた。リチャードもアルコールには強いが、ゲンはいくら飲んでも酔わないタイプ。勝負はついているはずなのに、リチャードの負けず嫌いが白熱な戦いを続けさせていた。
「カトリーヌ殿は?」
食堂に姿を見せないカトリーヌの姿をリオが探した。
「カトリーヌでしたら、明日、大切な仕事があるということで、部屋に戻りましたわ」
「そうですか…」
期待していたリオはがっくりと肩を落とした。
「よろしければ呼んできましょうか?」
「いえ、大切な仕事があるのならそちらを最優先してください。わたしは気にしませんので」
気にしないと言いながらも、はぁ…とため息を吐くリオの心はバレバレである。
ミゼル侯爵夫人は、そんなリオの姿を見てクスッと笑い、近くにいた使用人にカトリーヌを呼びに行かせた。
「カトリーヌお姉ちゃんの所に行くの?」
「ミリーね、明日のお洋服の事でお姉ちゃんとご相談したいの」
「マリーたちも行ってもいい?」
使用人が食堂を出ようとすると、双子が使用人の足を止めた。
困った使用人はミゼル侯爵夫人の顔を見た。
「よろしいですよ。カトリーヌの部屋までご案内してください」
侯爵夫人は双子を本邸へ案内するように命じた。
「では、私たちは庭でお話してきますね」
ヴァーグはエテ王子とリオと共に本邸と別邸の間にある庭へと出た。
庭は綺麗に手入れがされており、この季節ならではの花が咲いていた。
時折吹く風が、秋の深まりを伝えるとともに、食堂の賑やかな声も届けていた。
「魔法玉について、何かわかったのですか?」
「それなんですが……」
「何か困った事でも?」
「作り方が分かったところで、生産を開始したかったのですが、何分材料が手に入り辛くて、早期の大量生産が出来ないのです」
「そんなに貴重な物なの?」
「ガラス玉はリオが作れるので大丈夫です。問題は中に入れる材料でした。リオが文献を漁って調べ直した所、やはり以前お教えしたように、火、水、植物、雷を操る魔法玉が存在している事は確かです。ですが、その他にも風と雪を操る物と、傷を癒す魔法玉も存在することが分かりました」
「風と雪…」
「こちらに関しては材料は不明です。火、水、植物、雷に関しては、共通する材料が【永遠に変わらない水】、【グリフォンの羽根】、【ドラゴン(オス)の鱗】の三つだと言うことが分かりました。そこに火や水の元となる水晶が必要になります」
「それって…」
ヴァーグが思い出したのは、先日のマイケルとの戦いで、リオが急遽作った矢の先端に括り付けた結晶だった。あの時使用した材料も同じものだ。
リオは小さく頷いた。
「あの時作ったのは、浄化させる効果を加えたので【ドラゴンの涙】が必要でしたが、攻撃魔法の場合はいりません。そして、あの時、雷の威力を高めるためにこちらを使用しました」
リオはウエストポーチから小瓶に入った光り輝く結晶を取り出した。あたりが暗いと言うこともあり、あの決戦では気付かなかったが、決勝は黄金色に輝き、中でパチパチと小さな火花のような物が弾けていた。
「これが雷の元です。文献によると『雷が落ちる湖によって生まれた結晶』としか書かれておらず、自然界でも手に入るのかはわかりません。ここにある結晶は研究院に保管されていた大きな結晶を細かくした物なので、これ以上、手に入れることはできません」
「研究所にはどうやって大きな結晶が運び込まれたのかは、わからないの?」
リオは首を横に振った。
はぁ…とため息を吐くヴァーグだったが、収穫はあった。魔法玉にはそれぞれの元が存在し、それらと【永遠に変わらない水】、【グリフォンの羽根】、【ドラゴン(オス)の鱗】を混ぜることで、攻撃魔法の能力を高める物が作れるということ。
だが、大量生産は元になる結晶だけではなく、共通材料も大量生産に適さないと言うことも言える。いくら知り合いにドラゴンやグリフォンと契約している人がいたとしても、大切な仲間を傷つけてまで、人を傷つける道具を作るのはどうかと…。
「大量生産をしたところで、それを戦いの道具に使ってしまったら、静かに暮らしているドラゴンたちに迷惑がかかっちゃうわね」
「今後の研究で、少ない材料で作れないか試しに作ってみます」
「因みに一応聞いておくけど、他の元となる水晶はどうやって手に入るの?」
「文献には『炎に包まれた火が吹く湖で生まれた結晶』が炎の結晶、『永遠に変わらない水の湖で生まれた結晶』が水の結晶、『大陸の中央にそびえる天まで届く大木の木の実』が植物の結晶と書かれてありました。そんな場所が現実にあるんでしょうか?」
「文献に残っているってことは、実際にあったんだろうな。俺も近隣諸国の王室に聞いてみるかな。何か知っているかもしれない」
「近隣諸国に聞いても大丈夫なの? 国家機密として進めている研究なのに!?」
いくら王族とはいえ、国家機密に関わる事を他の国の王室に聞いてもいい物だろうか?とヴァーグは焦りだした。
エテ王子は
「王室って言っても、他国の王子や王女とは秘密のやりとりとかよく行われているから、別に国同士の争いにはならないよ」
と、あっけらかんと言いだした。
「いやいや、王子たちが秘密のやり取りをしていること事態、どうかと思うんですが…」
リオも初めて聞くことに驚いていた。
「よくある事だよ。どの国の王子がどこの王女に想いを寄せているとか、どっかの国の王子がある国の香料を手に入れたがっているとか、そういう情報のやり取りをして、交渉事をスムーズにしているんだ。ただし軍事情報に関しては一切教えないと言う約束事がある」
「どうやって繋がったんですか?」
「各国の国王の誕生日会に呼ばれることがあって、そこで知り合った王子や王女と連絡を取り合っている。親父の外遊のお供は俺だけだからな」
「他の王子様や王女様は?」
「面倒くさいからやらないって。俺が王室を出たらどうするつもりだよ。誰が引き継ぐことやら」
「やっぱり王室から出るんですか? コロリスさんの子爵家を継ぐことを決めたんですか?」
「まだ決めていない。親父と話し合わないといけないし、婚約もまだだから。芸術祭が終わったら、親父や王妃と話し合う予定」
「じゃあ、もし王室を出るとしたら…」
「俺の仕事は誰かに受け継いでもらうことになる。騎士団とか研究院のことはそのまま俺が引き続きやると思うけど、親父の外遊のお供とか、他国の王室との繋がりはクリスティーヌかルイーズが引き継ぐと思う。ルイーズに関してはまだ子供だから、どうなるかわからないが」
「ルイーズちゃんが引き受けたら、マリーちゃんやミリーちゃんと会えることが少なくなるわね」
「妹には申し訳ないが、王女として生まれたルイーズの運命だと受け止めるしかない。ルイーズの母君は、俺と違って生存しているし、後ろ盾も権力がある貴族がいるからな」
「明日のお茶会でルイーズちゃんが自分が王女である事を話さないといけ……」
そこまで言葉を発してヴァーグは口を閉ざした。そして、エテ王子とリオの背後に視線が止まった。
不思議に思ったエテ王子とリオが自分たちの後ろを振り向くと、そこにはカトリーヌとマリー、ミリーの双子が立っていた。
「カトリーヌ殿、今の会話を…」
「聞いてしまったようです。わたくしはこの場から連れて行こうと思ったのですが、2人がルイーズ様の名前を聞いた途端、動かなくなってしまって…」
カトリーヌと手を繋いでいるマリーとミリーは、俯いていた。
タイミング的には会話は聞かれている。ルイーズ王女が王族だと言うことも聞いてしまっただろう。
「マリーちゃん、ミリーちゃん」
ヴァーグが名前を呼ぶと、マリーだけが顔をあげた。上げられた顔は、ヴァーグではなくエテ王子を見つめていた。
「マリー嬢…」
「エテお兄ちゃん、ルイーズちゃんが王女様って本当なの?」
「……そうだよ」
「なんで黙ってたの? どうしてマリー達に教えてくれなかったの?」
今にも泣きだしそうな顔を見せるマリー。ミリーは泣き出してしまった。
エテ王子は双子の前に膝をつき、視線を合わせた。
「嘘をつくために黙っていたわけではない。あの村に滞在する時、俺はリチャードの友達で王子という肩書を外していた。これには理由があったんだ。王子としてもし滞在していたら扱いは違っただろう。マリー嬢もミリー嬢も『お兄ちゃん』とは呼ばなかったはずだ。クリス(クリスティーヌ王女)もルイーズも、王女だと言うことを言ってしまうと、周りがかしこまって、せっかく王宮を離れて羽を伸ばしているのに、旅先でも王宮と同じ生活になってしまう。マリー嬢も、旅行先の土地で大勢の召使いに囲まれて、食べる物も決められて、行く場所も決められていたら嫌だろ? ルイーズも全く同じ思いだったんだよ。それに王女と名乗ってしまったら、マリー嬢やミリー嬢のような親友はできなかった。別れる時、抱き合いながら泣くこともできなかった。ルイーズは王女と名乗ってしまったら2人が離れてしまいそうで、それが怖くて話せなかったんだ」
「マリーは、たとえ王女様でもルイーズちゃんと離れないよ!」
「ミリーも同じだよ! 大切なお友達に変わりないもん!」
「それを明日、本人に聞かせてあげてほしい。ルイーズは王女という立場上、友達はすべて母親が決めていた。同じ年頃の友達などいない。いずれ国王の座に就くであろう王女に相応しい年上の人ばかりだ。そんなルイーズに初めて出来た友達だ。どうかルイーズに本当の気持ちを聞かせてあげてほしい。ルイーズも明日のお茶会ですべてを話すつもりだ」
エテ王女のお願いに、双子は同時にうなづいた。
そんな双子にエテ王子は軽く頭をポンポンと叩いた。
「さ、明日は待ちに待ったルイーズに出会える日だ。早く寝ないとな」
「「うん…」」
「カトリーヌ殿、今夜は双子に付いていてほしい。両親には俺が話しておく」
「わかりました。行きましょう、マリーちゃん、ミリーちゃん」
もう一度双子と手を繋いだカトリーヌは来た道を戻った。
「ヴァーグさん、明日のお茶会には俺とリオで護衛に付きます。ヴァーグさんたちは設営の準備を続けてください」
「わかりました。何事も起きなければいいのですが…」
ヴァーグは空を見上げた。
この世界独特の二つの月が煌々と照っている。明るい未来を予感する光でもあったが、何かが起きそうな嫌な予感もしていた。
カトリーヌの部屋まで戻ってきたマリーとミリーは、彼女のベッドに潜り込んでいた。
「お姉ちゃん。聞きたい事があるんだけどいい?」
マリーはミリーとの間に横になったカトリーヌに訊ねた。
「なんですか?」
「王女様も、こんな広いベッドに一人で寝ているの?」
マリーはカトリーヌの寝室に置かれたベッドの大きさに驚いたが、逆に悲しい気持ちになった。
「ええ。貴族の女の子は6歳になるかならないかで、大きなベッドに一人で眠りますよ」
「じゃあ、ルイーズちゃんも一人で寝ているの?」
「ええ。王女様は生まれた時からご自分のお部屋を持たれます。使用人は沢山いますが、夜は一人です」
「淋しかったのかな? 王宮に戻ってから」
マリーはギュッとカトリーヌの腕にしがみついた。同時にミリーも同じように反対側の腕にしがみついた。
「マリーちゃん? ミリーちゃん?」
「あのね…あのね、村ではミリーたちと一緒に寝てたの。ベットをくっつけて、三人でこうしてギュッとして寝てたの。でも、今は一人なんだよね、ルイーズちゃん」
「……そうですね」
「ルイーズちゃんが帰ったあと、マリーとミリーの2人で寝たけど、すごく寂しかった。だからルイーズちゃんも…」
だんだんと悲しい声になっていく双子を、カトリーヌはギュッと抱きしめた。
「明日のお茶会でご本人にお聞きしてみましょう。ルイーズ様もきっとこう仰いますよ。『わたしも淋しかった』と」
カトリーヌの言葉を聞いて、マリーもミリーも安心して眠りについた。
貴族の娘として生まれたカトリーヌは、広いベッドに一人で眠ることは義務だと思っていた。学校の寮も貴族ということで個室を用意され、ベッドの広さも実家の物とさほど変わらなかった。
夜は一人で寝るもの。それが当たり前だったが、こうしてマリーとミリーと体を寄せ合って眠ると、いままで感じだことがない安心感が生まれる。
ルイーズ王女はこの安心感を体験した後、1人で眠ることに抵抗はなかったのだろうか。
すぐ側に感じる温もりを抱きしめながらカトリーヌも眠りについた。
<つづく>
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主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
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