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第44話  お鍋パーティーの始まりです!

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 村の外れにある教会へ向かう前、ヴァーグはデイジーの所に寄った。
 デイジーの実家の隣にあった空き家の一階を使って、デイジーたちが立ち上げた会社の事務所を構えている。二階は時々泊まり込むナンシーたちの宿泊場所となっている。
 ヴァーグや神父たちが事務所に来たとき、タイミングよく村の教会の神父が来ていた。どうやら王都の教会本部から移動の知らせが届き、春に行われるエミー達の結婚式の事で相談に来ていたようだ。
「後任の方にお任せしたいのですが、引き受けてくださるかどうか…」
 急な移動で後任に任せていいのかどうか迷っている様子の村の神父。
(ナイスタイミング!!)
 ヴァーグにとっては絶好のチャンスだった。
「ご心配いりませんわ、神父様。今日、後任の神父様が見えられているんです」
「本当ですか?」
「ええ。ご紹介します。こちらが春から新しく赴任される神父様です」
 ヴァーグは後ろに控えていた神父を紹介した。
 キラキラと輝く金髪の神父は「どうも」と短く挨拶をした。
 すると村の神父が椅子からスクッと立ち上がると、金髪の神父に向かって頭を深く深く下げた。
「サルバティ神父様!!?? お初にお目にかかります!!」
 緊張しているような声色を出す村の神父は、頭を下げたまま微動だにしなかった。
「このような場所でサルバティ神父様にお会いできるなど、夢にも思いませんでした。これも女神さまのお導き。さらにこのようなわたくしの後任に選ばれるなど……」
「ああ、そんなに畏まらなくていいよ。そなたの知るわたしは遥か昔の栄誉ですので」
「そうは参りません。お目にかかれるだけでも光栄な事なのに、このようにお声まで掛けていただき感極まりないです!」
 金髪の神父を前に畏まる村の神父。
 長年、同じ教会で暮らしているランとサラは、なぜここまで畏まるのか不思議でなかった。もちろんヴァーグも同じで、この神父がどういう人かわかっていない。
「ただの美食家の神父じゃなかったのね…」
 ポツリと呟くヴァーグの言葉に、ずっと頭を下げていた村の神父が鋭い目つきで睨んできた。
「こちらの神父様は偉大なる功績を称えた素晴らしい方なんですよ! 女神さまに選ばれた聖なるお方でもあり、わたしたち一般国民がお目にかかるのは奇跡に近い方なのです!」
 熱く語りだす村の神父に、ヴァーグは引いてしまった。

 村の神父如く、美食家である金髪の神父は、先の国王に仕えていた側近の一人らしい。
 30歳を迎えた直後に女神より祝福を賜り、その日以降、年を取らない外見を得たとか。国王の側近として知識の分野で活躍し、現国王の教育係もしていた。知識だけではなく武術も素晴らしい腕前らしく、ケインの曾祖父と肩を並べる武術の達人だったとか。ケインの曾祖父が王宮近衛の推薦を断ったことで、神父が王宮近衛の隊長を務めていたが、若者たちの教育を熱心に行い、今までに多くの騎士たちを育ててきたとか。
 色々な功績を残したことで、先代国王から『ステラ王国教会本部長』という地位を与えられたが、それも今は他の人に渡している。
 女神に選ばれた神父として、あまり人前に姿を見せることはない。会えば奇跡、言葉を掛けてもらえれば女神の祝福を得られる…と、教会関係者の間では有名人のようだ。

 ただの美食家の神父だと思っていたのに、熱く語る神父の言葉に、ヴァーグだけでなくランもサラも信じられないという眼差しで金髪の神父を見つめた。
 神父はただニコニコとしているだけで、村の神父の熱弁に肯定も否定もしていない素振りだった。

 ただ、ヴァーグには疑問に思うことがあった。
 女神の祝福を賜り、年を取らない外見になった…という件。
(どの女神さまがそうさせたんだろう?)
 今、ヴァーグが知る女神は三人いる。自分をこの世界に連れてきて女神と、知識の女神と呼ばれる異世界から来た人、そして同じように異世界から来たと言われている戦いの女神。彼女たちに人の時間を止めることができる能力があるのだろうか?



 エミーとリチャードの結婚式は、後任となるサルバティ神父が執り行うことになった。神父同士の引継ぎなどがある為、春ごろと曖昧に決めていた2人の結婚式は春月二ヶ月目(4月の事)の終わり頃と決まった。
 決まった日程はすぐにエミーと、王都にいるリチャードに伝えられ、両方からその日で大丈夫だと言う返事を貰った。
「準備を進めなくちゃ!!」
 デイジーは日程が決まったことで、その日までにやるべきことを細かく決め始めた。衣装はナンシーの両親に頼んであり、式の後の披露宴の食事はケインとラインハルトが快く引き受けてくれた。会場も村の教会を使うよりは、ヴァーグが管理しているビニールハウスを使った方が招待客が多く呼べるという事で調整がついている。
「デイジー、無理しないでよ」
 張り切るデイジーにナンシーが注意した。ナンシーにはハイテンションのデイジーがどこかで躓かないか心配している。
「大丈夫! 初めての大仕事だもん。失敗はしないよ!」
 その意気込みが怖いんだよね…とナンシーは彼女を心配している。
「デイジー、今夜の夕飯はどうするの?」
「あ~~……何も考えてなかった……」
「ヴァーグさんが帰り際に、新しいお料理を作るんだけど食べに来ない?って誘ってくれたんだけど行く?」
「新しい料理!?」
「今夜は冷えるから温かい物を作るって言っていたよ。行く?」
「行く! 行く!! ……あ、ついでにケインに披露宴での料理の事を相談しようかな? まだ招待客の人数が決まっていないから、どういうスタイルで行くのか決めないと」
 少しでも仕事から離そうと食事に誘ったが、今のデイジーの頭の中には仕事のことしか入っていないようだ。
 ナンシーは小さく溜息を吐いたが、それを支えていくのが自分の仕事だと確信し、彼女をフォローしていくことを決めた。



 温泉宿のレストランには、デイジーとナンシー、ケインの両親と祖母、ゲン、アレックス、ビリーと見知った顔が集まり、今日はもう仕事は終わりだからと従業員のエルザとローズの家族も夕飯を食べに来た。
 ケインが実家から大量の白菜とネギを持ってきたのと、近くで牧場を経営している人が豚肉を沢山分けてくれた。豚肉を加工して王都に出荷したのだが、引き取り先が発注数を間違えたらしく、半分以上が戻ってきてしまったのだ。何かに役立ててくれっと持ってきた豚肉を見て、ヴァーグは「ナイスタイミング!!」と歓声を上げた。
「本当に使ってくれるのかい?」
 牧場主のモーリスは、厨房の作業台に積まれた豚肉を眺めながらヴァーグに訊ねた。どう考えても一回の食事で片づけられる量ではない。
「ええ。どうしても作りたい料理があるんです。今日は沢山の方が来てますし、助かりました」
「何を作るんですか?」
 大量の白菜と豚肉を前にワクワクしているのはラインハルトとジャン。白菜とネギを使った料理をずっと考えていたが、何も思いつかなかった2人はヴァーグがどんな料理を作るのか楽しみでならなかった。
「簡単にできるお鍋のメニューを二つ、作ってみようかなって思ってるの」
「お鍋?」
「皆で楽しく食べられる魔法の料理。まずは……白菜と豚バラ肉のお鍋ね」
 作業台に乗せられた白菜の束と、茶色い紙に包まれた豚バラ肉を、空いているスペースに分けると、ヴァーグは早速作業に取り掛かった。

 白菜を1/4にカットし根元を切り落とすと、一枚ずつ丁寧に水洗いを始めた。
 次に取り掛かったのは、豚バラ肉。白菜と同じ長さにカットし、塩コショウを軽く振る。水気を取った白菜の葉の上に豚バラ肉を引き、その上に白菜の葉を置き、さらに豚バラ肉を乗せ、その上に白菜を置く。それを五回繰り返して白菜と豚バラ肉のミルフィーユを作った。
 ミルフィーユ状に重ねたそれを一口大に切り分け、底の浅い銀色の鍋に隙間なく詰め込んだ。
 1カップの水を入れ、最後に煮物で使う茶色い粒状の粉を軽く振りかけた。
「これで下ごしらえ終了!」
 あまりにも簡単で、尚且つシンプルな作りにラインハルトもジャンも驚いている。
「これで終わりなんですか?」
「ええ。あとは火にかけるだけ。これと同じ物を作ってほしいんだけど、ラインハルト君、ジャン君、作ってくれる?」
「え……でも、白菜とお肉しかないですよね? 味も煮物に使う粉しか使っていないし……」
「シンプルだからこそ美味しい料理ができるのよ。試しに一個、火にかけて煮てみるね」
 出来上がった鍋をコンロにかけ、蓋をして火をつけると、ヴァーグはそのまま放置し、次の作業に取り掛かった。
「何もしないんだ…」
「本当に美味しいのかな?」
 これという決め手の味がない事に不安を感じるラインハルトとジャンは、本当に美味しい料理なのだろうか?と半信半疑で残りの下ごしらえを始めた。
 その間、ヴァーグはもう一品の下ごしらえに取り掛かった。用意したのは醤油、みりん、料理酒、砂糖、そして先ほど使った茶色い粒状の粉。計量カップで測りながらこれらの調味料を一つのボールに入れ、軽くかき混ぜた。
「こうして作ると、市販されているタレが手軽だという事がよくわかる」
 前の世界ではすでに出来上がっているタレを一から作る事に面倒くささもあるが、それも料理の醍醐味だと自分に言い聞かせて、出来上がったタレを瓶に入れ、10本ほど作り終えた所で、火にかけていた鍋の蓋がカタカタとなりだした。
 火にかけていた鍋の蓋を少しずらし、中を確認すると、小さい皿に少しずつ取り分け、ラインハルトとジャンの前に差し出した。
「食べてみる?」
 待ってました!と言わんばかりに2人は差し出された皿に飛びついた。
 白菜と豚バラ肉、そして煮物に使う粉を少し入れただけの料理。
 どんな味だろう…ドキドキしながら口に入れた途端、ラインハルトとジャンは目を見開き、小皿をジッと見つめていた。
「モーリスさんも味見してみますか?」
 ヴァーグが差し出した小皿をモーリスは受け取った。
 先に食べたラインハルトとジャンは箸を口に咥えたまま固まっている。
 美味しそうな匂いはするが2人の固まっている様子を見ると、食べることに躊躇う。だが、ヴァーグが今まで作ってきた料理はどれも美味しかった。これも絶対美味しいはずだ! 意を決してモーリスは一口頬張った。

 口に入れた瞬間、モーリスは先に食べた2人と同じように目を見開き、皿を見つめた。
 2人が固まっている理由が分かった。白菜と豚バラ肉、見かけない茶色い粉を入れただけなのに、味がしっかりと着いている。白菜も芯まで柔らかく煮えており、間に挟んだ豚バラ肉も塩コショウの味付けだけなのに味がある。
 小皿に溜まった汁を飲むと。これまたコクのあるしっかりとした味が口いっぱいに広がった。

「どう?」
 ヴァーグが声を掛けると三人はハッと我に返った。
「凄く美味しいです」
「味もしっかりとしているし、少ししか水を入れていないのに、白菜の芯も柔らかい」
「白菜は元々、水分を多く含んでいるからね。煮ている間にその水分がお鍋の中にたまってくるの。前に住んでいた場所では冬になると週に一回、これを作って食べていたのよ」
「材料も少ないですし、簡単に作れるので、家庭でも作れますね」
「わたしにも作り方を教えてほしいです。出荷する肉が余った時に夕飯に出せますからね」
「じゃあ、モーリスさん一家も今から夕飯を食べに来てください。夕食の席で簡単に説明しますね」
「いいんですか?」
「お肉を分けてくださったお礼です」
「ありがとうございます! すぐに呼んできます!」
 手にしていた小皿をヴァーグに返すと、モーリスは厨房を飛び出して行った。
「いいんですか、ヴァーグさん。ただでさえ、今日の夕飯は全員に無償で作っているのに」
「いいの。いいの。どうせ試作品だし、これを気に入ってくれればレストランでも出せるでしょ? 家庭でも簡単に作れると知れば、ケインの実家の白菜も売れるし、モーリスさんのお肉も売れる。そしてこれから作るもう一品に使うタレも売れれば、わたしにも利益が入る。損する事なんか一つもないよ」
 そこまで考えていたんですね…先の先まで考えるヴァーグに、ラインハルトもジャンも感心するばかりだ。


 白菜と豚バラ肉のミルフィーユ鍋の下ごしらえが終わると、もう一品の準備に取り掛かった。
「本当は一つ一つお客様の前でやるんだけど…」
 今回は人数が多いため、最初から煮込んだ鍋にしようと、ヴァーグはケインに頼んでいた底の浅い黒い鍋を作業台に並べられた。
 黒い鍋に、一口大に切った白菜、幹の太いネギ、最近女神から買うことができるようになった(ランクがあがったらしい)豆腐と白滝を綺麗に並び入れ、空いている所にモーリスが持ってきた豚ロースを薄く切って見栄えのいいように並べた。下ごしらえはこれだけだ。
「え? これだけ?」
「今日は食材が揃った物だけ入れているからね。残りのお鍋も同じように盛り付けてくれる?」
「わかりました…」
 今までのヴァーグの料理とは異なり、2つの新作料理はシンプルな物だった。こんなシンプルな料理、食べに来た人は喜ぶだろうか?
 しかも、話に聞いたところ、新しく赴任する教会の神父はかなりの美食家だと聞く。もっと豪華な物のほうがいいのでは?とラインハルトもジャンも不安に感じた。
「あの神父様の一番の大好物は卵焼きよ」
 心配する2人にヴァーグはそう伝えた。
 卵焼きと言えば、卵と砂糖、少量の塩しか使わない料理だ。ヴァーグは作り慣れている事もあり、簡単に卵焼き用のフライパンでさっさと作ってしまうが、まだレストランに来たばかりの頃のラインハルトは卵を巻く工程が上手くできなかった。何度も何度も挑戦して、お店に出していいと合格を言い渡されたのは、1か月後の事だった。ケインも得意な作業ではないようで、合格を貰うまでにはかなりの時間を要したとぼやいていた。
 ジャンも初めて見る料理にてこずり、何度も何度も挑戦し、やはり1か月かけて合格を貰ったほどだ。
「少ない材用で簡単に作れる料理って、実は再現が一番難しいの。わたしも今は自分で作る卵焼きを食べることに慣れてきたけど、やっぱり母の作る卵焼きが一番好き」
(もう2度と食べられないけど…)別世界に来ただけではなく、前の世界では死んでいるヴァーグは、懐かしい母の手料理を思い出しては再現を試みたが、あの味と全く同じに再現することはできなかった。
 生きている間にちゃんと習っておけばよかった…と、今頃になって後悔しているが、今の自分が料理をしている事を母が知ったら、きっと泣いて喜ぶだろうな…と懐かしさに涙が出そうになった。

「ラインハルト君、ジャン君、この箱の中にある物を、各テーブルに並べてくれる?」
 ヴァーグは厨房の入り口に置かれた大きな木箱を指した。
「なんですか、これ」
「ゲンさんと共同開発した物なの。試験運用…って感じかな。テーブルに2台ずつ置いてきてね」
 ヴァーグに指示され、ラインハルトとジャンはレストランに集まった人たちが座るテーブルに【それ】を持って向かった。
 2人がテーブルに置いたのは、卓上用の小さなコンロだった。騎士団ではすでに使っているが、燃料に炎の結晶を使った火の石という特別な道具を使わなくてはいけない。火の石は炎の結晶と鉄、そしてもう一つ【何か】を加えて作られるため、結晶に限りがあり、今は王宮の調理場や教会、学校などの施設でしか使われていない。王族に近い貴族の屋敷でも使っているそうだが、販売価格はものすごく高いらしい。
 なんとか一般家庭でも使えないか?とゲンに相談したところ、コンロ自体を作ることはできる。問題は火の石のみだと返答が返ってきた。やっぱり炎の結晶が必要か…と落胆していた所に、偶然にも結晶を大量生産してしまったことで、火の石を量産できることになった。
 リオが1日を掛けて数時間燃え続けるように調節してくれたおかげで、今回、この卓上用のコンロを使うことができるようになったのだ。
 テーブルに並べられる2つのコンロを見て、誰もが不安になった。
「これは…何?」
 新作料理だー!!と喜んできたデイジーは、コンロが並べられた光景に、浮かれていたテンションが下がった。
「新作料理に必要な物らしいです。一つだけ味見しましたけど、めちゃくちゃ美味しかったです!」
 準備をするジャンの輝く笑顔に、デイジーは顔をぱぁ~と明るくした。
 ジャンとデイジーは、何故か食の好みが似ている。美味しい物は美味しい、そうでない物ははっきりと意見を言う2人は、エミーの結婚式での料理のアイデアも一致していたりする。
 そのジャンが美味しいと言っているのだから、期待せずにはいられない。
 すべてのテーブルにコンロを並べ終えると、今度は銀色の鍋と黒い鍋を用意したコンロに乗せ始めた。
「今日は2種類の料理をご用意しました。銀色の鍋は白菜と豚バラ肉を煮込んだ物、黒い鍋は【すき焼き】という醤油ベースでお肉や野菜を煮込んだ物です。いまからコンロに火を入れますので、合図があるまで蓋は取らないでくださいね」
 コンロに乗せられた鍋は透明な蓋が乗っており、中の様子がよく見える。銀色の鍋には白菜の白と豚バラ肉の赤が円を描く様に並べられており、黒い鍋には緑や白、赤と具材の色が綺麗に見えた。
 ヴァーグが一つ一つのテーブルを周り、コンロに火の石を投げ入れ、つまみと呼ばれるスイッチを回して火をつけた。火をつける時、黒い鍋には先ほど作った醤油ベースのタレも回し入れた。

 しばらくすると辺りに醤油の香ばしい匂いが充満してきた。食欲をそそる香ばしい匂いに、誰もが鍋から目が離せなかった。
 銀色の鍋の蓋がカタカタ鳴りだすと、「銀色のお鍋の蓋を少しだけずらしてください」と指示した。
 火の扱いに慣れている大人たちが鍋の蓋をずらし、美味しそうな匂いを誰もが思い切り吸い込んだ。
 子供たちが「まだ? まだ?」と合唱を始める頃、ヴァーグは「召し上がれ!」と合図をした。

 一斉に蓋を開け、レストラン中に充満する鍋の匂い。それと同時に湧き上がる歓声。
「冬と言ったら、やっぱりお鍋よね」
 久しぶりに食べるすき焼きは格別だ。
 ヴァーグと同じテーブルに着いているケインとラインハルトは、すき焼きの肉を取り合っている。
 ジャンはその隙を見て自分の小鉢に大量に肉を確保していた。

 周りを見渡すと、誰もが楽しそうに食べている。
 この国では、食事は一人一皿ずつ料理を提供される。今回の鍋のように一つの皿に乗った料理を皆で突きあう事はしない。最初は抵抗があった人も、取り分け用の箸やトングを用意している事で、何も問題なく食べている。
 ゲンは年に関わらず、アレクセイと肉の奪い合いをしており、同じテーブルに座るビリーやデイジー、ナンシーたちが呆れ返っている。
 ケインの祖母のアンは固い物は…と躊躇っていたが、すき焼きの豆腐や、柔らかく煮えたミルフィーユ鍋を美味しそうに食べている。ケインの母のドロシーは安心した顔を見せていた。
 マックスやメアリーは、エミーや双子たちと楽しそうに食事をしている。一家がこうして顔を揃えて食事する回数も限られてくるだろう。
 エルザとローズもそれぞれ自分の家族と鍋を囲っており、出産の為に里帰りしていたローズの娘夫婦も、食べたことがない料理に歓声を上げていた。
 ランやサラも初めて見る料理に顔を輝かせており、村の神父もサルバティ神父も教会の炊き出しに使えないかと、料理の話で意気投合していた。
 リオはジーヴルとカノンと久しぶりに一緒に食べる食事を堪能している。リオやジーヴルは自分の仕事が忙しくなると、食事を取る時間すら削ってしまうことがある。小さい頃から親がそうしてきたこともあり、こうして同じテーブルで食事をとることがこんなに楽しい物なのかと再認識した。

「これならメニューに加えてもいいかな?」
 卓上用のコンロも正常に動いているし、火の石もリオが大量生産してくれると約束してくれた。食材もケインの両親が畑を広げて育てると意気込んでいるし、すき焼きのタレも簡単に作ることができるので販売することもできる。
 一般家庭用に小さい鍋もゲンが作ると張り切っている事だし、冬の名物として売り出しても何の問題もないだろう。
 新年祭で売ることはできないが、この村にこれば食べられるというプレミアム感を持たせれば、この村を訪れる観光客も増える事だろう。
 村長と話し合った結果、村の開発はしない事になった。国王から貰った広大な土地に新しい街を作ることになり、この村はこのまま現状維持することにした。だが、村長も村に観光客が増えることを望んでおり、村の外れにある空き地に【村の景観を壊さない】程度に観光名所を作ってほしいと願い出た。村長は村が変わることに大賛成だが、やはり年配の中には村の面影を残してほしいと願う人もおり、無理に村を作り変えなくても、新しい土地に理想の街を作ることが可能になったため、村長の申し出を受けることにした。

 また『春の草原』に関しては、春の女王の許可が取れ次第、散策できるような花畑に作り替える予定だ。『春の草原』も村に隣接している為、観光地になるだろう。
 村外れに建設中の劇場も着々と建設が進んでいる。



「この村には【新しく芽生える】力があるようだ」
 サルバティ神父は初めて足を踏み入れたこの土地に、微かに『女神の祝福』がある事に気付いた。
 8年前、ヴァーグを初めて見た時、彼女に『女神の加護』をまとったベールが見えた。遥か昔…そう、まだ戦いの女神がこの世界を支配していた頃にも、同じように『女神の加護』を得た人物と出会っている。
 その時に出会った人物と、ヴァーグは似ても似つかない人生を送っている。過去の人物は自分が頂点に立つ事しか考えていなかった。その結果、周りからの信頼も無くなり、予期せぬ出来事に対応できず、自ら消滅の道を歩んだ。
 ヴァーグも同じ道を歩むと信じていた。教会で一緒に過ごした時、過去に出会った『女神の加護』を得た人物と同じになると思っていた。ところが実際は違っていた。ヴァーグはランやサラに料理を教え、教会を訪れる信者たちに平等に接していた。差別を付けることもなく、大人も子供も関係なく接していた。権力や財力のある信者から誘いを受けても断り続けていた。
 過去に出会った『女神の加護』を得た人物は、何の迷いもなく誘いを受けていたのに…。
 何かが違う彼女に魅力を感じた。この世界を変えてくれるかもしれないとそう思った。
 だからこそ大事に保管していた黄金に輝く武器を託した。この黄金の武器は悪の心を持つ者が持つと黒い武器に変わる。なのにヴァーグが手にしても何も変わらなかった。それどころか今でも普通に黄金の武器のままだと、リオから報告を受けている。
「過去に渡した武器は黒の武器に変わってしまったのに…」
 過去に出会った『女神の加護』を得た人物にも同じ物を渡したが、それらはすべて行方不明になってしまった。ついこの間、リオから結界石に守られた透明な箱に収められた長剣と短剣を見せてもらったが、それは紛れもなく、過去に『女神の加護』を得た人物に渡した物だった。
 なぜ、行方不明になっていた物が突然見つかるのか…。
 その謎を解くために、この村に赴任することを嘆願した。未だに黄金の武器のままで保っている理由や、なぜこの村に【新しく芽吹く】力があるのか。

「神父様?」
 突然黙り込んでしまったサルバティ神父の顔を、ランとサラが覗き込んだ。
「ん? どうかしたのかね?」
「召し上がらないのですか?」
「もしかしてお口にあいませんか?」
「そんなことないよ。とても美味しい。ランもサラも遠慮しないで召し上がりなさい」
 遠慮してあまり箸を付けない2人にサルバティ神父は鍋を勧めた。
 なにか真剣なことを考えているのだろうか…そんな不安を感じたランとサラだったが、いつものように笑顔で食べ続ける神父を見て、その不安も消え去っていった。


             <つづく>


 
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