黒柳悦郎は走ったり走らなかったりする

織姫ゆん

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1章  一日目 転入生

1-7 いつもとはちょっと違う帰宅後の風景

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「ただいまー」

コンビニでのひと悶着のあと、さらにごく普通の日本のスーパーでテンションを上げた麗美。
そんな麗美と咲と一緒に、俺はいつもより若干ぐったりしながら家に帰ってきた。

「おじゃましまーす」
「おじゃまいたします」
「おじゃまします」
「って、いつのまに緑青」
「今日は咲のカレーって聞いたからね。このチャンスは逃せないよ」

駅で俺たちを置いてひとりで帰ったはずの緑青が、いつの間にか再び合流している。
その手には土産代わりなのか、『ろくしょうミート』のビニール袋がぶら下げられていた。

「はい咲。お肉」
「ありがと。鉄子さんお肉たくさん食べるから、助かるよ」
「まー、職業柄必要だもんね」
「あの筋肉だもんね」
「うん」

名前でわかるとおり、『ろくしょうミート』は緑青の実家の肉屋だ。
うちで食べる肉は、だいたい緑青の家から購入している。

「なるほど、それでスーパーではお肉を買わなかったのですね。もしかしたら咲のカレーはお肉を使わないのかと思ってしまいました」
「そんなことないよ。ごく普通のカレーだってば。なんかみんながすごい期待してくれてるけど、ホントに普通のカレーだからね」
「ぐふふ……その普通のレベルがめちゃくちゃ高い。咲のカレーはお店のより美味しいから、期待してていいよ」
「はい。ものすごく楽しみです。日本食レストランで日本式カレーを食べたことはありますが、本場の味は初体験です」
「いやカレーの本場はインドだろ」
「それはそうかもしれませんけど、日本のカレーの本場は日本なんです」
「あはは。よくわからないけど、なんかすごいプレッシャー」
「ま、お前はいつもどおりに作ればいいって」
「うんっ。じゃあ、準備してくるね」
「おう」

玄関を上がり、途中でキッチンとリビングに分かれる咲と俺たち。
もちろんキッチンへと向かったのは咲。
ただ食べる係である俺たちとは、ここからは別行動だ。

「おう、おかえり悦郎。今日は少し遅かったね」

ちょうどトレーニングルームから出てきたかーちゃんが、汗を拭きながら俺たちを出迎えてくれた。

「ただいま。途中でいろいろあってね」
「そうかそうか……って、ん? 知らない顔がいるね」

かーちゃんの目が麗美を捉える。
俺は麗美がビビるのではないかと思ったが、それは杞憂だった。

「はじめましてお母様。悦郎さんの許嫁にさせていただきました、麗美・マジェンタ・ソルフェリーノです」
「おおっ、あんたが麗美ちゃんか! 豪大くんから話は聞いてるよ!」

麗美の丁寧な挨拶に、破顔大笑するかーちゃん。
そんなかーちゃんの言葉に、俺は当然のことながらツッコミを入れた。

「知ってたのかよかーちゃん」
「もちろん。こんな大事な話、知らないわけがないだろ」
「いや、本人が知らなかったんだけど」
「がはははは。気にすんな」
「ぐふふ、相変わらずですね」
「おう、ちひろちゃん。いつも肉ありがとうな」
「いえいえ。こちらこそお得意様になってもらって父が感謝してます」
「まあ、持ちつ持たれつだな。おっと、寮の方にもあとで届けておいてくれ。もうすぐなくなるって言ってたから」
「わかりました。帰ったら伝えておきます」

かーちゃんは汗を流すためシャワールームへと向かい、俺たち三人は当たり前のようにリビングでくつろいだ。

「そういえば悦郎さん。咲さんにはちゃんと感謝しているのですか?」
「ん? なんのことだ?」
「いろいろのことです。食事のこととか、朝のこととか」
「いいっ!? あ、朝って……」
「もしかして麗美ちゃん、咲たちの生活パターンすでに把握済み?」
「はい。砂川から聞いてます」
「あ、あの野郎……」

ぐぬぬと思った直後、でも別に困る必要ないんじゃないかと思い直した。
そもそも俺は、麗美の許嫁の件はどうにかしたほうがいいと思っているからだ。

「つーか麗美、それ聞いてもなんとも思わなかったのか? 仮にも、婚約するつもりの相手がそんなんだったんだぞ?」
「いえ別に。だって私も、自宅ではそんな感じでしたから」
「は?」
「おー、興味ある。実は三角……いや、四角関係だったか?」

面白がる緑青。
しかし俺は、そんな緑青にツッコミを入れる余裕もなかった。
いや別に、妬いてなんかいないぞ。
なにしろ俺は、麗美のことはまだなんとも思っていないからな。
ちょっとだけ……ほんのちょっとだけムカッとしただけだ。
そんな俺たちに、麗美が『そんな感じ』について詳しく話してくれる。

「朝はメイドが起こしてくれましたし、食事はコックが作っていてくれましたから。ですから、悦郎さんと同じなんです」
「ぐふふふ……なるほど」

それはそれでちょっと複雑な気がした。
俺はその間違いを指摘しようと、口を開きかけた。
しかし……。

「それはちょっと違うぞ、麗美ちゃん」
「はい?」

俺より先に、シャワーを浴びて着替えてきたかーちゃんがツッコミを入れていた。

「もし本当にそんな風に思っていたなら、咲に謝るべきだ。あの子は、悦郎のメイドやコックなんかじゃない」
「い、いえ……そういうつもりだったわけじゃ」
「そうかい。ならいい」

どっかりと座り込み、かーちゃんも俺たちの話の輪に加わる。

「言うなればあの子は、あんたのライバルだ。とりあえずコイツの嫁歴は、あんたなんかよりもずっと長いからね。がんばんな」
「はいっ!」

いやどうしてそうなる……。

「ぐふふふ……大変だね、悦郎」
「なにがだよ」
「お嫁さん二人。世の男たちから嫉妬されまくりだよ」
「あのなあ……」
「がはははっ。そうだぞ、悦郎! もっと鍛えろ! 筋肉だ筋肉! お前には筋肉が足りない!」
「かーちゃんまでやめてくれよ」
「そういえばお母様。お母様の職業って、プロの格闘家なのですよね?」
「ん? ちょっと違うな。私はレスラーだ。プロレスラー」
「プロ……レスラー? 私の国にはない職業です。それは格闘家とは違うのですか?」
「んー、そうだな」
「……」

そんな感じで、咲のカレーができるまでの時間は、俺にとっては非常に居心地の悪い時間だった。
もっともだからと言って部屋に一人で籠もったりしたら、それはそれでまたあることないこと言われそうでおっかなかったりもしたが。

ともかく、今日も咲のカレーは美味かった、ということで。
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