黒柳悦郎は走ったり走らなかったりする

織姫ゆん

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1章  一日目 転入生

1-8 いつもどおりな就寝前

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いつもどおりにはじまった一日が、いつもどおりに終わっていく。
もっとも、中身はかなりいつもどおりではなかったが。

* * *

「でさー、そのとき砂川がさー」

いつものように通話アプリをつなげたまま、なんでもない無駄話をしつつ夜の時間を過ごしていた。

「あはははー。そういうとこあるよね、砂川くん」

通話の相手は咲。
窓を開ければその向こうはもう咲の部屋なわけで、何をわざわざアプリを通してとも思うが、まあ便利なものは便利なので使わないという手はない。
一度ふざけてビデオ通話を繋いだときがあったが、そのときはすぐに直接乗り込んできて文句を言われた。
顔を合わせて文句を言えるくらいなんだからいいじゃないかとも思ったが、急にカメラを通して見られるのは嫌らしい。
違いが俺にはよくわからなかったが、とにかくそれ以降ビデオ通話は禁止になった。

「そういえばさ」
「ん?」

それまでずっとふざけていた咲の声のトーンが、スッと一段下がった。
これは、真面目な話をするときの咲の特徴だ。

「麗美さんのこと、どうするの?」
「どう、とは?」
「許嫁のこと……とか」
「……」

なんでもない俺たちの日常に、急に現れた麗美。
もちろん転入生なんて急に来るものだが、それにしても俺の婚約者というのはやりすぎだ。
それと言うのも、全部とーちゃんのせい。
まあ、向こうで麗美の家族を助けたってのはさすがだとは思うが、だからといってそこの家の娘を俺の婚約者にしてしまうのはどうかと思う。
たぶんだけど、向こうからの提案をそのまま受け入れているのだとは思うが、こっちと向こうの文化の違いだってあるじゃないかよ。

「私はいいと思うよ」
「え?」

ちょっと考えていた俺の耳に、予想外の咲の言葉が滑り込んできた。

「麗美さん美人だし、家もお金持ちだし、少し変わってるっぽいけど性格も悪くなさそうだし」

まあそのあたりは俺も同意せざるを得ない。
あと麗美が変わってるのは、まだこっちの常識に慣れてないからだ。
たぶん。

「咲は……」

それでいいのか、と聞きかけて俺は口を閉ざした。
まだ、その辺のことは曖昧なままにしておきたい。
もちろん、そんなのは俺のエゴだとは思うけど。

「私は?」

ゴクッと咲が息を飲んだのがわかった。
いつもは感じないような緊張感が、俺と咲の間に走る。
そんな重苦しい空気を吹き飛ばすように、俺はあえていつも以上に軽い調子で言った。

「料理が美味いよな」
「なによー、そんなことじゃないでしょー。ちゃんと言いかけたこと言ってよねー」

雰囲気が一気にもとに戻る。
ゆるゆるに緩んだ、着古したTシャツのような楽な空気。
言葉の上では俺を責める咲だったが、声の調子はまったくそんな感じではない。
その調子に、俺の方も合わせていく。

「んー、そうだな。まあ、また今度な」
「んもー」

笑い混じりの咲の言葉に、俺はホッと胸を撫で下ろす。
よかった。俺と咲の関係がおかしな感じにならなくて。
まだしばらくはこのままがいい。
周りからいろいろ言われたりすることはあるけれども、俺も咲も居心地のいいこの関係のままが。

「じゃあそろそろ私寝るから」
「おう。明日もよろしくな」
「うん」

そう言って咲が、スマホから離れていく。
繋いだままのアプリを通して、咲の部屋の空気のゆらぎが伝わってくる。
静かな衣擦れの音。
ベッドの軋む音。
パチンと電気を消した音。
そろそろ、俺もベッドに入るか。
そんなことを思っていたとき、不意にスマホの画面にメッセージが届いたことを示す表示がピロンとポップアップしてきた。

「ん?」

『おやすみなさい。また明日もよろしくお願いします』

一瞬、咲が追い打ちメッセを送ってきたのかと思ったがそうではなかった。
そもそも、アイツはもうスマホを手放してベッドに潜り込んだはずだ。
落ち着いてそのメッセージの送り主を見てみると、そこには『麗美・マジェンタ』の文字。
麗美にはまだこのアカウントの話はしていなかったはずだが……なんて思っていると、その答えが送りつけられてきた。

『麗美ちゃんに教えといた。明日もがんばれ』

どうやら、犯人は緑青のようだった。
ったく……。

* * *

そして俺の、いつもどおりのようでいつもどおりではなかった一日が終わった。




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