23 / 171
3章 三日目 特になにもない日
3-5 いつもどおりの午後の授業
しおりを挟むそして午後の授業がはじまる。
「あ゛……」
「どうした悦郎」
「あ……」
「ん? 咲までどうしたんだ?」
わずかにタイミングをずらしながら、固まる俺と咲。
おそらく、その原因は同じものだろう。
「緑青さん。少々お聞きしてもよろしいですか? 私、ここがよくわからなかったのですが……」
そう言って麗美が、緑青にレポートを見せている。
すなわち、古文のレポートを。
「おー、麗美の字すごい綺麗。っていうか、古文もできるの?」
「はい。できるというほどではないと思いますけど」
「いやー、これはできてる方だってば。悦郎とか、ちんぷんかんぷんだってよく嘆いてるもん」
「そうなのですか? 悦郎さん」
なかなかの成績上位者たちが、俺に視線を送ってくる。
「だって、こんな何百年も昔の人たちの言ってることなんてわかんなくて当然だろ?」
「だから勉強するんじゃん」
「いやまあ……そうか」
緑青の正論に、反論のしようがない。
「日本の古典は素晴らしいです。さすが豪大さまの生まれた国です」
「そのわりにはとーちゃん、日本では調査しないけどな」
「そうなのですか?」
「なんか、許可とかいろいろ面倒なんだって」
「ぐふふ。日本のお役所、頭固いからね」
まるであることから意識を逸らそうとしているかのように、俺たちはそんな風な雑談をしていた。
「もしかして麗美って、日本の勉強古典とかでしてた?」
「はい。といっても、枕草子の現代語訳からですけど」
「なるほどなー。ときどき古風な感じの言葉遣いになるのはそのせいか」
「私、そんなふうになったりしてましたか?」
「うん。たまに」
「悦郎さんも、そんな風に感じてましたか?」
「んー、どうだろ。俺は気が付かなかったけど」
「私は綺麗な言葉だなーって思ってたくらいかな。ちーちゃんみたく古典にも詳しくないと、そのあたりはわからないんじゃない?」
そして、始業のチャイムが鳴る。
教室の前の扉が開き、初老……いや、かなりの年配の古典教師、島崎が入ってきた。
聞いた話では、すでに定年の年齢を過ぎていて、何らかの制度を使って非常勤講師として勤めているらしい。
よく知らないけど。
「号令」
「きりーつ、きをつけー、れい」
緑青の号令で、クラスの全員が揃って動く。
転入初日はやや戸惑っていた麗美だったが、今ではすっかりこのクラスに染まっていた。
「えー、今日はこのあいだの続きから」
「先生! 転入生がいるので少し戻った方がいいと思います」
オレンジ頭が手を上げ、島崎に意見する。
島崎はジロリと藤黄を見たあと、その視線を麗美へと移した。
「そういえばそうでしたね。転入生のえーっと……」
名簿を確認しながら、島崎が麗美に尋ねた。
「麗美・マジェンタ・ソルフェリーノさん。日本の古典についてはどのくらいご存知ですか?」
「はい。うちの家庭教師から日本に行くならこのくらいは知っておいた方がいいと、いくつかの本を渡されました。現代語訳ですが」
「ふむ。タイトルをうかがっても?」
「万葉集……枕草子……徒然草……奥の細道……あ、あと源氏物語です」
ピキンと島崎のメガネが光り輝いた(ような気がした)。
「ほう、源氏物語も。感想をうかがってもよろしいですか?」
生徒たちの中にドンヨリとした空気が流れ始める。
またはじまった……そう思った生徒も、きっと多かっただろう。
なにしろ島崎は、筋金入りの源氏物語マニアだ。
紫式部オタクと言ってもいい。
信憑性はそれほど高くはないが、スマホの待受を紫式部にしているといった噂もあるくらいだ。
「そうですね……私の解釈があっているかは自信がないのですが……」
それからは、完全に麗美のターンだった。
俺にはよくわからない単語が、スラスラとその唇から紡ぎ出される。
それを聞いて満足気にうなずく島崎。
そして時々麗美に質問を投げかけて、首をかしげたり大きく頷いたり、俺にはわからない謎の空間がそこには存在していた。
「なるほど。だいたいわかりました。もしかすると麗美さんはクラスの誰よりも優秀かもしれませんね。古典に関して、という但し書きはつきますが」
珍しく島崎が生徒のことを褒めた。
いつもしかめっ面の島崎は、評価が厳しいことで有名だった。
そしてそのひと言がオレンジ頭……藤黄の闘争心に火をつけてしまう。
「先生! 私、麗美さんと勝負がしたいです!」
「ほう」
教室前方の動きを見て、緑青が含み笑いを浮かべながら俺に耳打ちしてきた。
「ぐふふ。まためんどくさいことはじめそう」
オレンジ頭の藤黄は、成績優秀でもあったがその高すぎる競争心からトラブルメーカーでもあった。
成績的には低空飛行が多い俺には無関係なことだったが、普段から標的にされていた緑青は自分からターゲットが移ったと喜んでいるようだった。
「あと緑青さんとも!」
「は?」
残念。どうやら緑青のヤツは、藤黄の標的としてまだ有効だったらしい。
「わかりました。では少しだけ。源氏物語に関する問題を出してあげましょう」
「はいっ!」
普段は固すぎるほど真面目な島崎。
しかしながら、源氏物語が関わるとそうではなくなってしまう。
とはいえ、これは俺たちにとってはまあまあ歓迎される事態だった。
なにしろ、授業を中断してちょっとゲームっぽいことをしてくれるのだから。
もっとも、藤黄に標的にされた麗美と緑青にとってはそうでもなかっただろうが。
* * *
そして授業も終盤に差し掛かり、俺が忘れかけていた事実を島崎がガツンと突きつけてきた。
まあ、当然のことだが。
「それじゃあレポート回収。後ろから集めて」
「……」
俺は無言で、固まることしかできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
失恋中なのに隣の幼馴染が僕をかまってきてウザいんですけど?
さいとう みさき
青春
雄太(ゆうた)は勇気を振り絞ってその思いを彼女に告げる。
しかしあっさりと玉砕。
クールビューティーで知られる彼女は皆が憧れる存在だった。
しかしそんな雄太が落ち込んでいる所を、幼馴染たちが寄ってたかってからかってくる。
そんな幼馴染の三大女神と呼ばれる彼女たちに今日も翻弄される雄太だったのだが……
病み上がりなんで、こんなのです。
プロット無し、山なし、谷なし、落ちもなしです。
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる