黒柳悦郎は走ったり走らなかったりする

織姫ゆん

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6章  六日目 ろくしょう

6-1 いつもどおりじゃなかった朝

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いつものように朝が来た。
が、窓の外ではチチチと小鳥が鳴いていない。
それでも枕元ではスマホがピピピピとアラームを鳴らしていて、俺に覚醒を促している。

「はいはい、起きてます起きてます」

スムーズに眠りの中から浮き上がることのできた俺は、ベッドに身体を起こしながらスマホを手に取り、画面をタップしてアラームを止めた。
今朝はやけにスッキリと目覚めることができた。
こういう日は一日中調子が良かったり……することはそんなにない。
いつもは平気な午前中あたりに猛烈に眠くなったり、そうじゃなければお昼を食べたあとの眠気が我慢できないくらいのものだったりしたりするものだ。

「何事もバランスってことなのかもな」

早く目覚めることができた理由もわからなければ、いつもと違うタイミングで眠くなる理由もわからない。
厳密にいろいろ調べたりすれば、睡眠リズムの影響だったり、もしくは前日の行動パターンのせいだったり、そうじゃなければ食べたものが身体の中で吸収されるタイミングやらなんやらだったり、もっともっとオカルト的に考えたら惑星配列からの微重力の影響だったりするのかもしれない。
まあ、そんなのはどうでもいいんだけれども。

「よっと」

少し勢いをつけてベッドから立ち上がり、窓に歩み寄ってカーテンを開く。
途端に溢れ出す朝の光。
窓の外から差し込んでくるその明るさを味わいながら、俺はふとした違和感に気づいた。

「あれ? 今日はまだ起きてないのか?」

うちの隣にあるのは、勝手知ったる咲の家。
窓同士が向かい合うような位置にあるのが、その咲の部屋だ。
うちの朝食の準備やなんかをやってくれている咲は、いつもなら俺よりも早く起きていて、当然のように部屋のカーテンも開け放たれているのがおなじみの朝の光景になっていた。
しかしながら今日は……。

「珍しく俺の方が早起きだったのか?」

あんまり見ていてちょうど開ける瞬間やなんかに目があったりすると、あとでいろいろ言われたりする。
着替えのタイミングに遭遇してしまったことも一度か二度ほどあったが、それがラッキーだとは思えなかった。
それよりも、あとでいろいろチクチク言われることの方が面倒くさかったから。
まあ、緑青あたりに言わせるとそんな俺の考えた方は贅沢すぎるということらしいのだが……。

「まあいいや。それならそれで、たまには朝の支度を俺の方でチャッチャとやっておいてやろう」

地方巡業から戻ってきているかーちゃんもたぶん起きてはいると思うが、おそらくほぼ100%の確率で、かーちゃんは朝のトレーニング中だ。
朝食の準備やなんかで期待することはできない。
一度だけ弁当を用意してくれたことがあったが、あのときは開いた口が塞がらなかった。
よくある一般的なのり弁当などではなく、鳥のささ身とゆで卵、その隙間を埋めるようにビッシリとレンジでチンしたブロッコリー。ご飯やパンは存在せずに、代わりに食後に飲むためのプロテインがそっと同梱されていた。
おそらくかーちゃんたちの中では、あれは一般的なお弁当なのだろう。たぶん。きっと。
しかしながら、ごく普通の学生である俺にとっては少々攻めすぎたお弁当のメニューだった。
もっとも、柔道部の奴らにはバカウケだったが。

「ん?」

コンコンコンと部屋の扉がノックされた。
それは、俺にとっては完全に予想外だった。
なにしろ、そうして俺を起こしに来るであろう咲はまだ寝ているっぽかったから。
一体誰だろうと思っていると、その答えはすぐに扉の向こうから声という形で俺に届けられた。

「悦郎、起きてる? 起きてなくてもしらないけど、起きてたほうがいいと思うよ。二度寝してたら、容赦なく置いていくから」

それは緑青だった。
なんで朝から俺のうちに緑青が? という疑問はあったが、それを考えているほどの余裕は朝にはない。
ともかく俺は着替えて、緑青がいるであろう階下へと向かった。

ちなみにかーちゃんは当然のように、朝のトレーニングでせっせと汗を流していた。

    *    *    *

「おはよう悦郎。朝ごはんできてる」
「おはよう緑青。ってか、なんでお前が?」

ちびっこい姿に、ちょっと大きめのエプロン。
咲よりも背の低い緑青には、咲がいつも使っているエプロンは少し大きすぎるようだった。

「咲、風邪だって。悦郎のことお願いって、朝連絡来たから」
「そうか。それは悪かったな。咲のやつ、そんなに悪いのか?」
「ちょっと熱が出ちゃってるみたい。起きるとフラフラするって」
「そうか。昨夜はそんな感じ全然なかったけどな」
「その話はおいといて、とりあえず食べちゃって。うちの朝の残りだけど」
「おう。すまんな……って」

テーブルの上のものを見て、俺はしばし固まる。
確かにそれは、緑青の家の朝の残りなのかもしれない。
しかし緑青、朝からホルモンはないだろ。

「大丈夫。美味しいから」
「いやそれはわかってるけれども」
「栄養満点。パワー出るよ」

かーちゃんみたいなこと言ってやがる。

「お! 朝から肉かい! いいねえ!」

なんてこと考えてたら、そのかーちゃんがトレーニングを終えてリビングに入ってきた。

「ちょっとシャワー浴びてくるから、私の分も頼むよ!」
「りょーかいです」

ピッと敬礼でかーちゃんに返事をする緑青。
この2人は変わり者同士、けっこう気が合う。
というか、どんな相手でも合わせてしまうのが緑青とかーちゃんのような気もするが。

「あ、それから咲から伝言」
「ん?」
「お見舞いとかいいからちゃんと遅刻しないで学校行ってだって」
「そりゃ遅刻はしないようにするけど、お見舞い来る
なってことか?」
「そう」
「なんで」
「なんでって、そんなの考えないでもわかるでしょ」
「は?」
「とにかく、とっとと食べて。時間になったら私は出かけるから。悦郎が間に合わなくても知らないよ」
「うーっす」

俺はモグモグと朝からホルモンを口の中で何度も咀嚼する。
別に嫌いではないし、どちらかといえば好きな方ではあるけれども、朝からというのはなんかちょっと違うような気もした。
そうして口の中で噛み切れないホルモンを味わいながら、俺は片手でスマホを操作する。

『ちゃんと学校行くから心配すんな。そっちこそ早く治れよ』

そうしていつもどおりになりそうのない一日が、今日もはじまった。

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