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あなたを手放せない理由
ねぇ、まだ間に合うでしょう?
しおりを挟む村の片隅にある小さな工房。
油の匂いと古びた鉄の熱が、昼の空気にしっとりとこびりついている。
「……リゼルさん、これ以上は無理です」
機械師の青年が、机に置かれたセレの外れたパーツを見つめ、深く息を吐いた。
工具を握る手が、ほんの僅かに震えていた。
「何が“無理”なの。今までも、あなたが頑張って直してくれてきたじゃないの」
リゼルの声は低く、だがはっきりと響いていた。
その瞳はまっすぐで、老いの滲む顔立ちに、奇妙なほどの気迫を宿していた。
「部品の代替ももう底を尽きてるんです。ネジひとつとっても、同じ規格のものがない。
……古すぎるんですよ、セレは。どこで作られたのかも、どういう構造なのかも不明で
……これ以上手を加えたら、かえって壊れてしまう可能性が高いんです」
「それでも――!」
リゼルの声が少し上ずった。
それは怒りではなく、焦りに近い感情だった。
「……それでも、あの子は、まだ動いてくれている。
目を動かして、私の手を取って……壊れていないのよ。
まだ、いるの。そこに。……だから、お願いよ」
機械師は眉をひそめ、目を伏せた。
老いた彼女がこのオートマタをどれほど大切にしているかは、村中が知っていた。
それでも。
「……リゼルさん。これは、ただの鉄と歯車の塊なんですよ。
もう、これ以上は“人間の気持ち”ではどうにもできないんです」
「……人間じゃない?」
リゼルは笑った。
寂しげに、優しく――それでいてどこか、凛とした響きがあった。
「なら、あなたの目には、あの子は何に見えるの?」
「……ただの、壊れかけの古代機械です」
青年の言葉に、しばしの静寂が落ちた。
リゼルは立ち尽くしたまま、ゆっくりと口を開いた。
「わたしには――あの子が、生きてるように見えるのよ。
呼吸の音も、目の奥の光も……その沈黙さえ、言葉のように響いてくる。
たしかに“人”だった気配が、今もあるの。
……それを、わたしは手放せない。諦められないのよ」
「……リゼルさん……」
「あなたには、ただの壊れかけの機械かもしれない。
でも、わたしには……世界でたった一人、大切な人なの。
……あの子を失ったら、わたしは……また、あの時のように――」
そこまで言って、リゼルは唇を噛んだ。
青年は何も言わなかった。
ただ、工具箱の蓋を静かに閉じた。
「……修繕、考えておきます。今日じゃなくても、また見ますから」
「ありがとう、サミル」
リゼルは、かすかに笑った。
その姿は老婆でありながら、どこか少女のように―
誰かを一心に信じている人間の、まっすぐな光を放っていた。
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