聖女だった老婆は、機械になった王子ともう一度恋をする~ love again~

月詠 夜音

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あなたを手放せない理由

軋む音よりも、あなたの沈黙がこわい

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 夕刻の陽が村の屋根を金に染める頃、小さな家の中は、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。

  だが、その静けさは穏やかさとは少し違っていた。

 部屋の奥、窓辺に置かれた木製の椅子には、セレがいつものように座っている。

  その身体は、先の雨で錆びた箇所から奇妙なきしみ音を漏らし、

 時折、内部の歯車が空回りするような音がした。

  左腕はもう、自力では動かせなくなっていた。

 脚も重く沈黙したまま、まるで地に根を張った古木のようだった。

 「……また、動かなくなっちゃったのね」

 リゼルはふぅと息を吐き、手のひらでそっとセレの肩をなでる。

  冷たい金属越しに、かすかに伝わる鼓動のようなものが

 ――錯覚かもしれないが、たしかにそこにある気がした。

 「サミルには、修繕はもう無理だって言われたの。でも……それでも、わたしは……」

 言葉が宙で止まった。

 リゼルはゆっくりと、自分の椅子に腰を下ろした。

  その横顔に射す陽の色は、年老いた肌を刻む皺さえも柔らかく包み、

 かつて“聖女”と呼ばれた美しさの片鱗を、今なお浮かび上がらせていた。

 「……あなたが、何も話せなくても、何も思い出さなくても、わたしにはわかるのよ」

 まるで誰かを説得するように。

  あるいは、自分自身を奮い立たせるように。

 「だって……あなたの中には、今でも……あのひとの光が残っている。

  覚えてないでしょう? わたしの名前も、過ごした日々も……でも、それでいいの。

  わたしは覚えてるから。わたしは、全部、忘れてないから」

 リゼルはかがみ込み、セレの右手をそっと抱いた。

  ひんやりとした金属が、彼女の温もりを吸い込むように静かに沈んでいく。

 「人はね、セレ。思い出だけで生きられるほど、強くはないのよ。
  でも、記憶のないあなたを見つめていると……
わたしは不思議と、ひとりじゃないと思えるの」

 その声にはもう、哀しみも痛みもない。

  ただ、深い深いところから湧きあがってくる、

  ずっと胸の奥にしまっていた想いが、にじむように言葉に溶けていた。

 「あなたが壊れていくのが怖いの。……こわくて、仕方がないの。
  また……誰かを失うのは、いやなの。あなたを……失いたくないのよ……!」

 その瞬間、セレの胸部から低く鈍い音が鳴った。

  金属が摩耗するような擦れる音とともに、左手の指先がぴくりと震える。

 リゼルは目を見開いた。

  言葉ではない。反応でもない。けれど、それはたしかに、彼の――セレの“生きている”証だった。

 「……あなた、今、動いたの?」

 祈るように問う彼女の声は、少女の頃と変わらぬ響きを持っていた。

 「ねえ、セレ。あなたの奥にいるあの人――今も、わたしのことを見てくれているの……?」

 リゼルはそっと、セレの額に額を寄せた。

 「たとえあなたが何者でも……
  わたしは、あなたのすべてを愛してるの。昔から……ずっと、これからも」

 夕暮れの光が、ふたりの影を長く引き伸ばしていく。

  沈みゆく陽が、二人をまるで金の布で包むように照らしていた。

 遠い昔の約束も、抱きしめられなかった過去も、すべてを越えて――

  いま、ここにある命の温度だけが、確かに存在していた。



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