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 昼食を終えると、椿は制服から、昨日と同じような古ぼけたパーカーとジーンズに着替えた。それから、昨日と同じく駅前の商業施設に向かった。

 今日は昨日よりも幾分か陽射しがあり、雲の切れ間から水色の空もちらほらと見える。

「今日も、涼しいですね」

 椿がこちらを見ることもなく、そう呟いた。

「そうだね。まあ、私としてはあんまり暑いよりは、このくらいの方が助かるよ、過ごしやすいし」

「……そうですね。過ごしやすさだけなら、今日くらいの方がいいですね」

 ……なんだか含みのある言い方だ。
 まあ、たしかにあまり涼しすぎるのも問題か。そういえば、小学生くらいのときに、冷夏で米が壊滅的な不作、なんてこともあったな。あのときは三島が、出所がよく分からない米を大量にお裾分けしてきたっけ……。

「……すみません。気分を害するような、口をきいてしまいました」

 いつの間にか、椿は軽く眉を寄せて目を伏せていた。肩は微かに震えている。
 ……間違いなく、怯えているのだろう。

「いや、そんなことないよ。ただ、冷夏は冷夏で大変だった、って思い出してただけだよ」

「……そうですか」

「そうそう。だから、そんなに身構えなくても大丈夫」

「はい……、すみません……」

 まだ少し表情は硬いけれど、肩の震えは止まったようだから、これでよしとしておこう。

 そこからはまた無言でしばらく歩き、目的の商業施設に辿り着いた。
 辺りを見渡すと、オフィス街が近いためか、年齢層が高めの女性を意識した店舗が多い。
 少し遠くても、別の場所にすれば良かったかもしれない……。

 それでも、隣を歩く椿の表情はどこか楽しげだ。
 本人が満足しているなら、こちらからとやかく言うのは止めておこう。


 商業施設の中を歩いている家に、ある店の前で椿がピタリと足を止めた。店先には、フリルやレースをあしらった可愛らしい洋服が並んでいる。他の店よりは、ターゲット層が若そうだ。
 椿は店頭に飾られていた水色のワンピースを見つめてから、こちらに振り返った。

「あの、川上さん」

「どうした?」

「……少しだけゆっくり、このお店を見てきてもいいでしょうか?」

 不安げな表情とともに、椿は首をかしげた。
 一週間ほど一緒に生活をしてきたけれど、自分から要望を口にしたのはこれが初めてかもしれない。

「ああ、構わないよ。私はここで待っているから、ゆっくり見てくるといい」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げてから、椿は軽い足取りで店舗の中に入っていった。その後ろ姿に、真由子の姿が重なる。
 思い出してみると、真由子も服を選ぶのに時間がかかる方だったな。私はあまり悩まない方だから、本屋とかに移動して時間を潰すこともあったっけ。

 ……椿も同じくらいの時間がかかるかもしれないけれど、会計のことを考えるとこの場を離れるわけにもいかないか。
 ひとまず他の客の邪魔にならないよう壁際に移動し、スマートフォンでもいじりながら時間を潰すことにしよう。

「ねえ、今日は大丈夫なの?」

 スマートフォンを取り出した矢先、画面に通知された三島からのメッセージが目に入った。
 正直なところまた見なかったことにしておきたいけれど、かなりの件数を受信しているみたいだ……。これは、放っておくと、いっそう面倒なことになるだろう。仕方ない、返信をしておこうか……。

「ゴメン、今気がついた。今日は出かけてるから、また今度にしよう」

「本当? じゃあ、私もちょうど出かけてるし、どこかで待ち合わせしよう!」
 
 ……なんでこう、話がかみ合わないんだろう。

「いや、他の予定があるから、今日は無理だから」

「大丈夫だよ、私今日ヒマだし、カワカミの予定が終わるまで、どっかで時間潰してるから!」

 ……なんだか、頭痛がしてきた。
 まあ、三島が合流しても良いのかもしれないけれど……、せっかく椿が楽しそうにしているし、余計な負担はできるだけかけたくないんだよね。

「あの、川上さん」

 駆けられた声に顔を上げると、服のかかったハンガーを手にした椿と目が合った。ひとまず、三島への返信は置いておこう。

「欲しいもの、決まったの?」

 近づきながら問いかけると、椿は小さく頷いた。

「はい。こちらにしようかと思います」

 そう言って、椿は店頭に飾られていたものと同じワンピースを胸の前で掲げた。笑顔とまではいかないけれど、嬉しそうな表情だ。

「それじゃあ、会計をしてくるからここで待っていて」

「はい。ありがとうございます」

「いえいえ、どういたしまして」

 深々と頭を下げた椿からワンピースを受け取り、会計を済ませた。予想していたよりも高い値段だったけれど、彼女の嬉しそうな表情を見られたと思えば、安いものなのかもしれない。

「はい、これ」

「ありがとうございます」

 店頭に戻りワンピースの入った袋を渡すと、椿は抱きしめるように抱えながら、また深々と頭を下げた。

「他に見たいものはある?」

「いえ、これ以上は、特にありません」

 椿の答えを受けて、腕時計を確認した。時刻は午後二時を過ぎている。このまま帰ってもいいけれど、少しタバコも吸いたくなってきた。

「それじゃあ、喫茶店に……」

 ――ブー。

 不意に、鞄の中からの振動に気がついた。
 間違いなく、三島からのメッセージだろう。

 ――ブー、ブー。

 ……いや、メッセージじゃなくて、電話の方かもしれない。

「あの、川上さん、お電話がきているようですが……」

「ああ、うん、そうだね」

「出なくても、良いのですか?」

「あー……、うん、そうだね。ちょっと、待っててくれる?」

「はい、分かりました」

 椿が無表情で頷く。また、いつもの調子に戻ってしまった。せっかく、嬉しそうな表情が見られたというのに、こんな電話のせいで……。

 胸の奥から苛立ちのようなものが、込み上がってくるのが分かった。それでも、三島に悪意があるわけでもないし、気を落ち着かせて電話に出ないと。長年の友人に、八つ当たりのようなことは、したくないから。

「もしもし?」

「カワカミ! なんで、メッセージ既読無視するのよ!?」

 ……この苛立ちは、八つ当たりなんかではなく、順当なもののような気がしてきた。まあ、それでも、メッセージのやり取りを途中で打ち切ったこっちにも、非がないことはないか。

「ああ、ゴメン。ちょっと、返信できないような状況になったから」

「ふーん。そう、なら仕方ないか」

 苛立ちを表に出さないように答えたおかげか、三島の方も冷静さを取り戻してくれたようだ。

「それで、今日は何時ごろ集合にする?」

 ……だからといって、まともにこちらの話を聞く気はないようだ。

「あー、ゴメン。さっきも言ったけど、まだ予定があるし、いつ終わるか分からないから」

「うん、だから、私は今日時間あるし、いつでも大丈夫だよ!」

「いや、このままだと、夜までかかるかもしれないから」

「そうなんだ、じゃあ、夜にそっちの家に行くわ! 私が夕飯買っていかないと、またインスタントで済ますつもりでしょ?」

「いや、明日は仕事だから、また別の機会にしてよ」

「大丈夫! 私は明日も休みだし、カワカミだって最近は在宅で仕事してるんでしょ?」

「そうだけど、今日は本当に無理だから。それじゃあ、これで」

「あ、ちょっと! カワカ……」

 三島の声はまだ聞こえていたけれど、通話を切った。これだけ言っておけば、さすがに押しかけてくることもないだろう。多分。

「……お疲れさまでした」

 不意に、抑揚のない声が耳に届いた。顔を向けると、椿が気の毒そうな表情を向けていた。

「ああ、どっと疲れたよ……。あいつ、人の話を全く聞かないから」

「あいつ?」

「ああ、ほら、三島のこと」

「三島、さん?」

 私の言葉に、椿は軽く目を見開いた。

「そう。なんか今日、押しかけてくるかもしれないんだよね……、一応、止めはしたけど」

「そうですか……、でしたら、私はどこか別の場所に、泊まった方が良いですよね?」

「……え、なんで? というよりも、行く当ては、あるの?」

「ない、ですが……、元交際相手の娘がいたら、三島さんの気を悪くしてしまうのでは?」

「いや、まあ、驚くかもしれないけど……、気を悪くするまではいかないんじゃないかな?」

「でも……、三島さんは、川上さんに好意をもっているんですよね?」

「……は?」

 三島が、私に好意?
 ……なんだ、そんな勘違いをしていたのか。

「ああ、それはないから心配しないで。アイツ、彼氏いるみたいだから」

「そう、なのですか?」

「そ。それで、定期的にうちに押しかけて、彼氏の愚痴をこぼしていくんだ。今日も、それで来たがってたんじゃないかな」

「そう、だったのですか……」

 椿はどこか釈然としない表情で、相槌を打った。
 まあ、同性と恋愛ができる人間にしつこくしているのだから、勘違いされても仕方ないのかもしれない。実際、私と三島がお似合いだとはやし立てるような知人も、少なくはなかった。

 それでも――

「……川上、さん?」


 気がつけば、椿を見つめていた。

「ああ、ゴメン。ちょっと、タバコを吸いたくなったから、喫茶店に移動してもいいかな?」

「あ、はい。分かりました」

「ありがとう。付き合ってもらうお礼に、ケーキを全種類ご馳走するよ」

「……そんなには、食べられませんよ」

 軽口に対して、薄い微笑みが返って来る。

 ――私が本当に想っているのは、彼女だけなのかもしれない。
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