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第二十話 身勝手な元婚約者
しおりを挟む──ダニエル様は、婚約当初から私の事をあまり好きではなさそうだった。
『初めまして』
『……』
初めての顔合わせをした時、彼は私の顔を見るなりあからさまにガッカリしていたから。
典型的な政略結婚による婚約話だった。
仕事で付き合いのあった父親同士によって決められた話。
結婚への憧れも想いを寄せる人がいるわけでもない私にとって、結婚は義務の一つ。そんな気持ちだった。
(それでも、信頼関係を築いて仲良くやっていけたらと思っていたのに!)
デートに誘われる事も贈り物を贈られる事も無く……
一緒に参加したパーティーや夜会もエスコートだけして後は放置。
そんな彼との関係をどうすべきか悩んでいた頃、ダニエル様の浮気が発覚した。
『ダニエル様、さすがにこの件は看過する事は出来ません。ご自分の立場をー……』
『うるさい! 黙れ! ミネルバはお前とは違って美しくて聡明で俺にピッタリの女性なんだ! 爵位さえ低くなければ!』
『……』
浮気相手のミネルバ様は男爵令嬢だった。
私が何度苦言を呈してもダニエル様は聞き入れない。
そうして、あの日の婚約破棄騒動が起きた。
──どうして、あの日だったのか。あのタイミングだったのか。
それは今でも知らない。
ただ、本当に突然だった。
その日のパーティーは、ダニエル様からエスコートが出来ないと聞かされていておかしいな、と思った事を覚えている。
なのにダニエル様はその日、ミネルバ様を伴ってそのパーティーに現れた。
『ダニエル様……どうしてですか?』
『寄るな! お前のような地味でつまらない女なんかとは、俺は始めから婚約なんかしたくなかったんだ! 俺はミネルバを愛している!』
ダニエル様は私の伸ばした手を払い除けてそう言った。
『……っ!』
『もう、お前のお小言はうんざりだ! この苦痛で仕方なかった婚約は破棄させて貰う!』
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
『ダニエル様……何を言って……?』
『聞こえなかったか? 婚約破棄だ! そもそもお前はー……』
その後もダニエル様の酷い言葉は続き……
『ダニエル様! その物言いと身勝手な言い分はさすがに、お父上だって……』
『煩い! 黙れと言っているだろう!』
パシャッ
激昂したダニエル様は手に持っていたワインを私の頭からかけた。
この時はさすがに何が起きたのかすぐには理解出来なくて、髪からポタポタと伝い落ちるワインの滴が私をいっそう惨めな気持ちにさせた。
『……ぷッ……』
ワインまみれになった私を見たミネルバ様が吹き出したのをきっかけに、会場内は私を嘲笑う声でいっぱいになった。
そうして、私は逃げ出した────
この騒動はの後、両家で話し合いが持たれ私とダニエル様の婚約は正式に解消となった。
そしてその後、お父様から聞いた話によると、ダニエル様が勝手に起こしたこの行動はカーミューン侯爵家の当主を怒らせたらしく、ミネルバ様とも別れさせられ、領地での謹慎を命じられたー……
──そうして、姿を見る事の無くなっていた元婚約者が今、目の前に現れた。
「久しぶりだな、アイリーン」
「……」
ヴィンセント様が私の耳を塞ぐように抱き締める。
私も私でヴィンセント様にしがみつく。
そんな私達の様子を見てダニエル様は笑った。
「ふーん、へぇぇ、アディルティス侯爵家の花嫁にアイリーンが選ばれた? と耳を疑ったが本当だったんだなぁ」
その目が語るのは“お前なんかが?”だ。
この人は何も変わっていない。
「久しぶりに王都に戻って来て、社交界復帰の為にたまたま父上に頼んで代わりに参加させてもらったパーティーだったけど。まさかなぁ、元婚約者のお披露目パーティーだとは驚いたよ」
嫌な目付きだ。
「それに? 少しは垢抜けて見れるようになったじゃないか」
「!!」
「あぁ、今のお前なら……まぁ、許容範囲……だな」
「何を言って……!」
「俺が許しを得て爵位を継ぐにはそれなりの爵位の令嬢が必要なんだよ。俺に捨てられて婚約者のいないであろうお前なら丁度いいと思った」
その言葉にさすがの私も黙っていられなくなる。
ヴィンセント様にすがりついていた身体を離してダニエル様と向き合った。
「勝手な事を言わないで下さい! 私とあなたはもう無関係です!」
「……」
「それに、私はヴィンセント様と婚約しました! あなたとどうこうなる事は絶対にありません!」
「でもさぁ~」
私の言葉を受けたダニエル様は、近くで目を丸くしたまま固まっているパトリシア様とステラの方を見る。
「そこの女達が今、言ってたよなぁ? アイリーンはアディルティス侯爵家の花嫁に相応しく無さそうだって事をさ」
「全部、言いがかりです!」
私は盗人でも大嘘つきでも無い!
「ダニエル! アイリーンは僕の花嫁だ。根拠の無い言いがかりはやめろ!」
ヴィンセント様が私を庇うように前に出た。
「あぁ、久しぶりだなぁ。会いたかったよ、ヴィンセント。まさかお前の花嫁にアイリーンが選ばれるなんて思わなかったよ」
「ふざけるな! 僕は出来るならお前とはもう一生会いたくなかった」
「ん? 何でだよ。そう言えば……お前は急に俺に対してよそよそしくなったな?」
「お前って奴は! 自分がアイリーンにした事を忘れたのか!!」
ヴィンセント様のそんな言葉にもダニエル様は素知らぬ顔。
そして、今知ったけれど、ヴィンセント様とダニエル様は顔見知りだったらしい。
(歳も近いし、家格も同じ侯爵家の令息同士だもの知らない仲のはずがない……)
「へぇ、話には聞いていたが、アディルティス侯爵家の男は花嫁に一途なんだな。ははは! なるほどなぁ。で? だから俺を無視したのか? アイリーン?」
……だから? とは??
「戻って来てすぐに俺はお前に手紙を出したんだが? なぜ、無視をした?」
「手紙……?」
「俺は、お前に会いたいと書いたんだが?」
「!」
ダニエル様からの手紙?
そんな話聞いてな……
そこで、ようやく思い出す。
お父様の様子がずっとおかしかった事。
そして、様子がおかしかったもう一人……
(そうよ、聞きそびれてしまったけれどお父様とヴィンセント様は私に隠し事している様子で……あれは!)
「ヴィンセント様……」
「……」
「ヴィンセント様、知っていたんですね? ダニエル様が戻って来ていて私に手紙が届いていた事」
「……ごめん。伯爵から聞いていた……」
しゅんっと落ち込む様子を見せるヴィンセント様。
「……思い出させたくなかったんだ」
「え?」
ヴィンセント様がそっと私の頬に優しく手を触れる。
見つめ合ったヴィンセント様の瞳はどこか不安に揺らめいている。
「あの日の君は酷く傷付いていた。泣きながら会場の外に出て……」
「え? え? ちょっと待って下さい、ヴィンセント様!」
その口振りだとヴィンセント様はあの日、会場にいたみたいに聞こえる。
私の事情は知っていそうだったけれど、それは噂や話を聞いたからだとばかり……
そうではなく、見ていた?
「あの日、ヴィンセント様は私を見ていた……のですか?」
「……」
ヴィンセント様は小さく頷く。
「僕は、友人だったダニエルの暴挙をその場でただ呆然と見ているだけで……君はあんなに……」
──酷い目にあったのに。
と、ヴィンセント様は俯く。
「情けない僕に出来た事は、泣いている君を追いかけて上着を貸す事だけだった」
「……え?」
私は驚き顔を上げる。
ヴィンセント様は困った顔をして笑った。
「やっぱり、覚えてな……」
「ヴィンセント様だったのですか!?」
忘れるはずがない! あの日たった一人私に優しくしてくれた人──
「……覚えているの?」
「もちろんです! だってあの時、私は……あなたに……救われて……」
あの人の優しさに私は救われた。その人が……ヴィンセント様だった……?
私の目からは涙がポロポロと溢れる。
「アイリーン……」
ヴィンセント様がそっと私の涙の跡に優しいキスを落とす。
そして唇を離すと、私の目を見つめて真剣な顔で言った。
「……アイリーン。聞いて? 僕は……あの時から君の事がずっと好きだったんだ」
ヴィンセント様による突然のその告白に会場中がしんっと静まり返った。
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