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──三ヶ月後。
アラーナとテレンスは、この国で三番目に大きいとされる、都市にいた。
広場沿いにある、高位貴族御用達と名高い宝飾品店。そこでアラーナとテレンスは、働いていた。この店のオーナーである伯爵に、是非にと誘われたことがはじまりだった。
出会いは、ひと月前。
街道を幌馬車で移動しているときに、伯爵の乗っている馬車が賊に襲われていた。むろん、護衛役の男たちはいたが、少し劣勢だったので、テレンスが加勢した。見事、何の被害もなく賊を追い払えた伯爵は、テレンスの腕をとても評価してくれた。
「もし良かったら、私が経営する店の用心棒として働いてみないか? 君なら容姿も良いし、接客も任せられる」
思ってもみない申し出に、テレンスは目を丸くした。伯爵が、にやりと口角をあげる。
「君の剣には、どこか品がある。言いたくないなら詳しくは聞かないが──元、貴族だったりするのかな?」
見透かされるような瞳に、思わず息を呑むテレンス。伯爵は、はは、と笑った。
「商売柄、観察が趣味でね。今も、背筋はつねにぴんとしているし、所作も綺麗だ。これなら貴族相手でも、大丈夫だろう」
どうかな。問われ、テレンスは冷静に考えを巡らせてみた。常に疑うことは怠らないつもりだが、所持金にも、やがて限界がくる。これは、千載一遇のチャンスではないかと。
「……テレンス」
後ろから小さく名を呼ばれ、テレンスは、はっとした。
「アラーナ。まだ出てきていいとは言ってないだろ?」
「だって、心配で……荷台から顔も出してはいけないっていうから、状況もよくわからなくて。でも、ちゃんと音が止んでから出てきたでしょ?」
「そうだけど……」
「話し込んでいるみたいだから、気になって……何かあったのかなって」
アラーナがテレンスの服の裾を掴む。その様子に、伯爵は、おや、と頬を緩めた。
「もしや、駆け落ち中だったりするのかな?」
その質問にテレンスは「違います」と即座に答え、伯爵に向き直った。
「あの、先ほどのお話ですが。詳細を教えていただいてもよろしいでしょうか」
「むろんだとも」
アラーナが不安そうに「話しって?」と、テレンスの服の裾を引っ張った。
「この方が経営するお店で働かないかと誘われて」
アラーナは、え、と目を見開くと、伯爵に視線を向けた。
「あ、あの……わたしも……っ」
だがそこで、アラーナは言葉を切った。顔を伏せ「……何でもないです」と、ゆるりと頭を下げた。伯爵は、へえ、と顎に手を当てた。
「君も、とても所作が綺麗なんだね」
首を傾げるアラーナに、テレンスは「わたしなど、足下にも及びませんよ」と笑った。
「それにアラーナは、知識も豊富で、五ヶ国語も話せるのですよ?」
伯爵の双眸が、キラリと光った。
「……それはまた。輸出入を扱う私の事業では、原石どころか、宝石そのものではないか。私が誇る部下の中にも、そこまで言葉を操れるものはいないよ?」
「!! で、では。あのっ」
勢いよく顔をあげたアラーナの肩を、伯爵が掴む。
「詳しくは、面談をしてからだが。こちらこそ、是非ともお願いしたいね。しかし──」
「な、何でしょう」
「君は、こんなに美しくて優秀なのに……どうしてそんなに自信を持てずにいるのかな?」
「……へ?」
間抜けな声を出すアラーナと伯爵の間に入ってきたテレンスが、伯爵の腕をアラーナの肩からそっと外す。
「それについて否定はしませんが、初対面のレディにずっと触れているのは、紳士的ではないのでは?」
「おお。これはこれは、失敬」
いいえ。穏やかに答えるテレンスの背中を、アラーナがじっと見詰める。
(……否定、しないんだ)
そっか。
それは嘘かもしれないのに、わかっているのに、アラーナの心は何だか少し嬉しくて、くすぐったかった。
アラーナとテレンスは、この国で三番目に大きいとされる、都市にいた。
広場沿いにある、高位貴族御用達と名高い宝飾品店。そこでアラーナとテレンスは、働いていた。この店のオーナーである伯爵に、是非にと誘われたことがはじまりだった。
出会いは、ひと月前。
街道を幌馬車で移動しているときに、伯爵の乗っている馬車が賊に襲われていた。むろん、護衛役の男たちはいたが、少し劣勢だったので、テレンスが加勢した。見事、何の被害もなく賊を追い払えた伯爵は、テレンスの腕をとても評価してくれた。
「もし良かったら、私が経営する店の用心棒として働いてみないか? 君なら容姿も良いし、接客も任せられる」
思ってもみない申し出に、テレンスは目を丸くした。伯爵が、にやりと口角をあげる。
「君の剣には、どこか品がある。言いたくないなら詳しくは聞かないが──元、貴族だったりするのかな?」
見透かされるような瞳に、思わず息を呑むテレンス。伯爵は、はは、と笑った。
「商売柄、観察が趣味でね。今も、背筋はつねにぴんとしているし、所作も綺麗だ。これなら貴族相手でも、大丈夫だろう」
どうかな。問われ、テレンスは冷静に考えを巡らせてみた。常に疑うことは怠らないつもりだが、所持金にも、やがて限界がくる。これは、千載一遇のチャンスではないかと。
「……テレンス」
後ろから小さく名を呼ばれ、テレンスは、はっとした。
「アラーナ。まだ出てきていいとは言ってないだろ?」
「だって、心配で……荷台から顔も出してはいけないっていうから、状況もよくわからなくて。でも、ちゃんと音が止んでから出てきたでしょ?」
「そうだけど……」
「話し込んでいるみたいだから、気になって……何かあったのかなって」
アラーナがテレンスの服の裾を掴む。その様子に、伯爵は、おや、と頬を緩めた。
「もしや、駆け落ち中だったりするのかな?」
その質問にテレンスは「違います」と即座に答え、伯爵に向き直った。
「あの、先ほどのお話ですが。詳細を教えていただいてもよろしいでしょうか」
「むろんだとも」
アラーナが不安そうに「話しって?」と、テレンスの服の裾を引っ張った。
「この方が経営するお店で働かないかと誘われて」
アラーナは、え、と目を見開くと、伯爵に視線を向けた。
「あ、あの……わたしも……っ」
だがそこで、アラーナは言葉を切った。顔を伏せ「……何でもないです」と、ゆるりと頭を下げた。伯爵は、へえ、と顎に手を当てた。
「君も、とても所作が綺麗なんだね」
首を傾げるアラーナに、テレンスは「わたしなど、足下にも及びませんよ」と笑った。
「それにアラーナは、知識も豊富で、五ヶ国語も話せるのですよ?」
伯爵の双眸が、キラリと光った。
「……それはまた。輸出入を扱う私の事業では、原石どころか、宝石そのものではないか。私が誇る部下の中にも、そこまで言葉を操れるものはいないよ?」
「!! で、では。あのっ」
勢いよく顔をあげたアラーナの肩を、伯爵が掴む。
「詳しくは、面談をしてからだが。こちらこそ、是非ともお願いしたいね。しかし──」
「な、何でしょう」
「君は、こんなに美しくて優秀なのに……どうしてそんなに自信を持てずにいるのかな?」
「……へ?」
間抜けな声を出すアラーナと伯爵の間に入ってきたテレンスが、伯爵の腕をアラーナの肩からそっと外す。
「それについて否定はしませんが、初対面のレディにずっと触れているのは、紳士的ではないのでは?」
「おお。これはこれは、失敬」
いいえ。穏やかに答えるテレンスの背中を、アラーナがじっと見詰める。
(……否定、しないんだ)
そっか。
それは嘘かもしれないのに、わかっているのに、アラーナの心は何だか少し嬉しくて、くすぐったかった。
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