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──一時間ほどして。
廊下で何かが割れる音がした。セシリーが自室の扉を開けると、目の前で青い顔をする女の使用人が、呆然と立っていた。すぐそばの床には、割れたカップの欠片と、茶色い液体がこぼれていた。
使用人が「あ、あ……」と言いながら、床に膝をつく。セシリーが素早く廊下に出る。同時に、十部屋分離れた位置にある部屋の扉が開いた。
「いまの音はなに?!」
顔を出したのは、母親だった。使用人が答えるより前に、セシリーが口を開いた。
「すみません、お母様。わたしが不注意にも少々乱暴に扉を開けてしまったせいで、この者にぶつかり、カップを落としてしまったようです」
「またあなたが原因なの? 不出来は顔だけにしてちょうだいね」
「その通りです。申し訳ありません」
「もういいから、早く紅茶を入れ直してきて。わたくし、喉が渇いていると言ったでしょう?」
「は、はい」
ばたん。
母親が部屋の扉を音を立てて閉める。使用人が「も、申し訳ありません……セシリーお嬢様……」と、涙ぐむ。いいのよ。セシリーが笑う。
騒ぎを聞き付けた別の使用人が二階へとやってきたので、急いで母親の部屋に紅茶を持っていくように指示する。そしてデイナには、この場を片付けるようにお願いした。
「あ、あの。それは私が……っ」
オロオロする使用人の右手を、セシリーはそっと触れた。
「駄目よ。手の甲、火傷しちゃったんでしょ? 薬を塗るから、わたしの部屋に来て」
「こ、このぐらい平気ですよ……?」
「絶対、駄目」
セシリーは使用人の左手をとると、少々強引に部屋へと招き入れた。
「……こんなことしか出来なくて、ごめんなさいね」
手当てをしながら、セシリーが謝罪する。使用人は、首を大きく左右にふった。
「そんな……そんなこと言わないでください。私たちにとって、セシリーお嬢様は、この屋敷の唯一の希望なのですから」
「そうね……本当にそうなれたら、嬉しいのだけれど」
「本当です。他の王族の方に使えている使用人は、拠り所がなくて……私のように弱くてドジな者は、すぐに解雇されるか……心を病むこともあるそうで……」
セシリーは、いいえ、とそれを否定した。
「あなたは弱くもないし、ドジでもないわ。ただ、少しの失敗でも罰を与えるあの人たちのせいで、どうしても力が入ってしまうだけよ……けれど、そうなのね。本当に王族は、自分を何様だと思っているのかしら」
「でも、セシリーお嬢様は他の方とは違います。失敗をして食事を抜かれた使用人に、ご自分の食事を与えてくれる王族など、きっと他にはいません」
使用人は、必死に、熱く語る。王族を悪く言うことなど、本来では許されないことだ。けれどセシリーは決して、告げ口などしない。そう信じているからこそ、使用人は本音を吐き出せるのだ。
「私はセシリーお嬢様がいるから、頑張れるんです」
ようやく少しだけ笑った同じ年の使用人を、セシリーは柔く、抱き締めた。
廊下で何かが割れる音がした。セシリーが自室の扉を開けると、目の前で青い顔をする女の使用人が、呆然と立っていた。すぐそばの床には、割れたカップの欠片と、茶色い液体がこぼれていた。
使用人が「あ、あ……」と言いながら、床に膝をつく。セシリーが素早く廊下に出る。同時に、十部屋分離れた位置にある部屋の扉が開いた。
「いまの音はなに?!」
顔を出したのは、母親だった。使用人が答えるより前に、セシリーが口を開いた。
「すみません、お母様。わたしが不注意にも少々乱暴に扉を開けてしまったせいで、この者にぶつかり、カップを落としてしまったようです」
「またあなたが原因なの? 不出来は顔だけにしてちょうだいね」
「その通りです。申し訳ありません」
「もういいから、早く紅茶を入れ直してきて。わたくし、喉が渇いていると言ったでしょう?」
「は、はい」
ばたん。
母親が部屋の扉を音を立てて閉める。使用人が「も、申し訳ありません……セシリーお嬢様……」と、涙ぐむ。いいのよ。セシリーが笑う。
騒ぎを聞き付けた別の使用人が二階へとやってきたので、急いで母親の部屋に紅茶を持っていくように指示する。そしてデイナには、この場を片付けるようにお願いした。
「あ、あの。それは私が……っ」
オロオロする使用人の右手を、セシリーはそっと触れた。
「駄目よ。手の甲、火傷しちゃったんでしょ? 薬を塗るから、わたしの部屋に来て」
「こ、このぐらい平気ですよ……?」
「絶対、駄目」
セシリーは使用人の左手をとると、少々強引に部屋へと招き入れた。
「……こんなことしか出来なくて、ごめんなさいね」
手当てをしながら、セシリーが謝罪する。使用人は、首を大きく左右にふった。
「そんな……そんなこと言わないでください。私たちにとって、セシリーお嬢様は、この屋敷の唯一の希望なのですから」
「そうね……本当にそうなれたら、嬉しいのだけれど」
「本当です。他の王族の方に使えている使用人は、拠り所がなくて……私のように弱くてドジな者は、すぐに解雇されるか……心を病むこともあるそうで……」
セシリーは、いいえ、とそれを否定した。
「あなたは弱くもないし、ドジでもないわ。ただ、少しの失敗でも罰を与えるあの人たちのせいで、どうしても力が入ってしまうだけよ……けれど、そうなのね。本当に王族は、自分を何様だと思っているのかしら」
「でも、セシリーお嬢様は他の方とは違います。失敗をして食事を抜かれた使用人に、ご自分の食事を与えてくれる王族など、きっと他にはいません」
使用人は、必死に、熱く語る。王族を悪く言うことなど、本来では許されないことだ。けれどセシリーは決して、告げ口などしない。そう信じているからこそ、使用人は本音を吐き出せるのだ。
「私はセシリーお嬢様がいるから、頑張れるんです」
ようやく少しだけ笑った同じ年の使用人を、セシリーは柔く、抱き締めた。
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