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「──フェリシア?」
女性の声に振り向く。そこには、懐かしい顔があった。
「リンダ……っ」
クライブの婚約者候補が集められたパーティーで仲良くなった、あのリンダだ。リンダは王都でなく、地方に住んでいたため、あれから手紙のやり取りはしていたが、こうして顔を付きあわせるのは、あれ以来だった。
「嬉しい、やっと見つけたわ。王都には知り合いもいないし、あなたに会えるのを楽しみにしていたのよ」
駆け寄ってきてくれるリンダに、フェリシアはどうしてか、涙がにじんだ。
「……わたしもよ、リンダ」
「やだ、泣かないでよ。つられちゃうじゃない」
笑い合い、気持ちが落ち着いたフェリシアはもう一度、イアンに告げた。先ほどよりも、しっかりと。
「リンダと入学式が行われる式場に向かいます。クライブ殿下には、そう伝えてください」
フェリシアの強い意思が見えたのだろう。イアンは「……わかりました」と、頭を垂れた。
「行きましょう、リンダ」
戸惑うリンダの腕を取り、フェリシアが歩き出す。
「え。もしかして、クライブ殿下と一緒に来たの? なら」
「大丈夫よ。クライブ殿下なら、ほら。あそこにいるから」
すっと指差すフェリシア。それを辿るリンダの視線の先には、黒髪の女性を庇うように前に立つ、クライブの姿があった。この学園の生徒である以上、みなが仲間だ。違うかと、まわりの人たちを説得している。
「あの子、誰なの? 婚約者のあなたを放って、クライブ殿下はなにを」
「放っているわけじゃないわ。困っている女性を助けているだけよ」
立ち止まりそうになるリンダの腕を軽く引っ張りながら、フェリシアが前を向いたまま答える。
「……なら、どうしてあなたは苦しそうな顔をしているの?」
ぴたっ。
フェリシアの足が止まる。数秒、沈黙が流れたのち、フェリシアは。
「……人気のないところ、あるかしら」
と、ぼそっと呟いた。
リンダは、探しましょうと足を動かし、今度はリンダが、フェリシアの腕を引いた。
「……でも、入学式がはじまってしまうわ」
「平気。咎められるときは、一緒よ?」
フェリシアは前を歩くリンダの背を見ながら、心がじんわり温かくなるのを感じた。
生徒も教師も、入学式が行われる式場に向かう中、人気のないところを探すのに、そう時間はかからなかった。
校舎裏に辿り着いた二人は、きょろきょろとあたりを見回し、誰もいないことを確認すると、目を見合わせた。
「ここなら、いいんじゃない?」
「そう、ね。でも、やっぱり入学式を欠席するのは。あなたがわたしのせいで叱られるのは嫌だし」
「いいんだってば。だってあなたは、あたしのはじめてのお友だちなんだもの」
「……それはわたしも同じよ、リンダ」
彩香だったとき、悩みを打ち明けられる人どころか、友だちすらろくにいなかったフェリシアにとっては、友と呼んでくれる存在がいること。それだけでもう、胸がいっぱいだった。
「ほら、話せる範囲でいいから。話してみて?」
「……公にはされていないから、他の人には」
「わかってる。誰にも言わない。信じて」
クライブには、過去、婚約者がいた。公にはされていないが、たとえ外部にもれても、そう問題にはならないだろう。
そう思い、口を開いた。全部は話せない。でも、せめて一欠片だけでもいい。話を、抱える気持ちを、誰かに打ち明けてしまいたかった。
「……クライブ殿下には、わたしの前に、婚約者だった人がいてね」
「そうなの? 確かに、将来の国王が婚約者を選ぶには遅すぎるなあとは思っていたけど……だったってことは、もしかして、亡くなっているの?」
「……うん。病気で、クライブ殿下が十歳のときに亡くなったって。クライブ殿下はその方をとても愛していて。だから次の婚約者なんてきっと、考えられなかったと思うの。でも、国のために仕方なく……」
「フェリシア……」
「……でね。クライブ殿下が庇っていた、女子生徒がいたでしょ? イアンから教えてもらったんだけど、あの女性の顔が、クライブ殿下が愛していた婚約者の人に、そっくりなんだって」
けれどなにより辛いのは、その顔が、佳奈と酷似していること。でも、それは言えるわけもないし、伝えたところで、信じてはもらえないだろう。
「フェリシアは、クライブ殿下を愛しているのね」
フェリシアは複雑そうに笑った。認めたくない想いを、ずばっと指摘された気分だったから。
「……惹かれてはいるわ。身の程知らずも、いいところね」
「どうしてそうなるのかしら。あたしから見たら、お似合いの二人なのに」
「……わたしじゃ、駄目なの。それはわかっていたのに。クライブ殿下は、とてもお優しいから」
「あんな方が傍にいて、惹かれない方がどうかしているわ」
憤慨するリンダに、くすりと笑いがもれる。
「リンダはどうなの? 年上の婚約者との仲良しぶりは、よく手紙で惚気られていたけど」
「は、話を変えない! そもそも、クライブ殿下があなたを愛してないってどうして思うの? はじめは国のために、だったかもしれないけど、気持ちは変わるわ。前の婚約者だった方が亡くなられて、もう五年が経つのでしょう? なら」
「みんなとね、同じなのよ。わたしに対する接し方が。クライブ殿下が恋をしたら、独占欲とか、凄いんだから」
「へえ、意外ね。それも、イアンから聞いたの?」
ゲーム内ではそうだった、とは言えず。フェリシアは、そうよ、と慌てて合わせた。
「あの特待生の女性に駆け寄ったときのクライブ殿下の表情、とても必死だった。わたしやみんなに接するときは、いつも穏やかだから。だからきっと、あの女性は、あの方にとって特別な存在になるわ」
「特待生? 待って。ということはあの子、平民なの?」
「よく知ってるわね」
「これから通う王立学園がどんなところか、あたしなりに調べたから……じゃなくて。第一王子と平民が一緒になるなんて、ありえない。許されないわ。なのにどうしてそこまで不安になるの?」
後に聖女となるから、それも可能になる。ことは、まだ言えない。
「心は別でしょ? 愛し合うことはできるし、止められないわ」
「そうかもしれないけど……」
「そうなったら、わたしは悪役令嬢ね」
「……あなたのどこが悪役よ」
「そう思う? 嬉しい。ふふ。なんだか、あなたに吐き出せてすっきりしたわ」
誰かに愛されることはないってわかっていたのに、情けなくも取り乱し、涙がこぼれそうになった。
(でも、仕方なかった。だって、ヒロインの顔が、よりにもよって大嫌いな佳奈に酷似していたんだから)
あれは完全にイレギュラーだった。中身も佳奈だったら。考えるだけで身体がぶるりと震えたけど、確かめる勇気もないし、近付きたくもない。
(──なんにしても、予定はなにも変わらないわ)
ヒロインが誰を選ぼうとも、クライブに婚約破棄されることは決まっている。どうなるにせよ、フェリシアは表舞台から姿を消すことになるのだから。
「──そこの二人」
艶のある、聞き覚えのある声色。風に混じって、それがごく近くから響いた。
女性の声に振り向く。そこには、懐かしい顔があった。
「リンダ……っ」
クライブの婚約者候補が集められたパーティーで仲良くなった、あのリンダだ。リンダは王都でなく、地方に住んでいたため、あれから手紙のやり取りはしていたが、こうして顔を付きあわせるのは、あれ以来だった。
「嬉しい、やっと見つけたわ。王都には知り合いもいないし、あなたに会えるのを楽しみにしていたのよ」
駆け寄ってきてくれるリンダに、フェリシアはどうしてか、涙がにじんだ。
「……わたしもよ、リンダ」
「やだ、泣かないでよ。つられちゃうじゃない」
笑い合い、気持ちが落ち着いたフェリシアはもう一度、イアンに告げた。先ほどよりも、しっかりと。
「リンダと入学式が行われる式場に向かいます。クライブ殿下には、そう伝えてください」
フェリシアの強い意思が見えたのだろう。イアンは「……わかりました」と、頭を垂れた。
「行きましょう、リンダ」
戸惑うリンダの腕を取り、フェリシアが歩き出す。
「え。もしかして、クライブ殿下と一緒に来たの? なら」
「大丈夫よ。クライブ殿下なら、ほら。あそこにいるから」
すっと指差すフェリシア。それを辿るリンダの視線の先には、黒髪の女性を庇うように前に立つ、クライブの姿があった。この学園の生徒である以上、みなが仲間だ。違うかと、まわりの人たちを説得している。
「あの子、誰なの? 婚約者のあなたを放って、クライブ殿下はなにを」
「放っているわけじゃないわ。困っている女性を助けているだけよ」
立ち止まりそうになるリンダの腕を軽く引っ張りながら、フェリシアが前を向いたまま答える。
「……なら、どうしてあなたは苦しそうな顔をしているの?」
ぴたっ。
フェリシアの足が止まる。数秒、沈黙が流れたのち、フェリシアは。
「……人気のないところ、あるかしら」
と、ぼそっと呟いた。
リンダは、探しましょうと足を動かし、今度はリンダが、フェリシアの腕を引いた。
「……でも、入学式がはじまってしまうわ」
「平気。咎められるときは、一緒よ?」
フェリシアは前を歩くリンダの背を見ながら、心がじんわり温かくなるのを感じた。
生徒も教師も、入学式が行われる式場に向かう中、人気のないところを探すのに、そう時間はかからなかった。
校舎裏に辿り着いた二人は、きょろきょろとあたりを見回し、誰もいないことを確認すると、目を見合わせた。
「ここなら、いいんじゃない?」
「そう、ね。でも、やっぱり入学式を欠席するのは。あなたがわたしのせいで叱られるのは嫌だし」
「いいんだってば。だってあなたは、あたしのはじめてのお友だちなんだもの」
「……それはわたしも同じよ、リンダ」
彩香だったとき、悩みを打ち明けられる人どころか、友だちすらろくにいなかったフェリシアにとっては、友と呼んでくれる存在がいること。それだけでもう、胸がいっぱいだった。
「ほら、話せる範囲でいいから。話してみて?」
「……公にはされていないから、他の人には」
「わかってる。誰にも言わない。信じて」
クライブには、過去、婚約者がいた。公にはされていないが、たとえ外部にもれても、そう問題にはならないだろう。
そう思い、口を開いた。全部は話せない。でも、せめて一欠片だけでもいい。話を、抱える気持ちを、誰かに打ち明けてしまいたかった。
「……クライブ殿下には、わたしの前に、婚約者だった人がいてね」
「そうなの? 確かに、将来の国王が婚約者を選ぶには遅すぎるなあとは思っていたけど……だったってことは、もしかして、亡くなっているの?」
「……うん。病気で、クライブ殿下が十歳のときに亡くなったって。クライブ殿下はその方をとても愛していて。だから次の婚約者なんてきっと、考えられなかったと思うの。でも、国のために仕方なく……」
「フェリシア……」
「……でね。クライブ殿下が庇っていた、女子生徒がいたでしょ? イアンから教えてもらったんだけど、あの女性の顔が、クライブ殿下が愛していた婚約者の人に、そっくりなんだって」
けれどなにより辛いのは、その顔が、佳奈と酷似していること。でも、それは言えるわけもないし、伝えたところで、信じてはもらえないだろう。
「フェリシアは、クライブ殿下を愛しているのね」
フェリシアは複雑そうに笑った。認めたくない想いを、ずばっと指摘された気分だったから。
「……惹かれてはいるわ。身の程知らずも、いいところね」
「どうしてそうなるのかしら。あたしから見たら、お似合いの二人なのに」
「……わたしじゃ、駄目なの。それはわかっていたのに。クライブ殿下は、とてもお優しいから」
「あんな方が傍にいて、惹かれない方がどうかしているわ」
憤慨するリンダに、くすりと笑いがもれる。
「リンダはどうなの? 年上の婚約者との仲良しぶりは、よく手紙で惚気られていたけど」
「は、話を変えない! そもそも、クライブ殿下があなたを愛してないってどうして思うの? はじめは国のために、だったかもしれないけど、気持ちは変わるわ。前の婚約者だった方が亡くなられて、もう五年が経つのでしょう? なら」
「みんなとね、同じなのよ。わたしに対する接し方が。クライブ殿下が恋をしたら、独占欲とか、凄いんだから」
「へえ、意外ね。それも、イアンから聞いたの?」
ゲーム内ではそうだった、とは言えず。フェリシアは、そうよ、と慌てて合わせた。
「あの特待生の女性に駆け寄ったときのクライブ殿下の表情、とても必死だった。わたしやみんなに接するときは、いつも穏やかだから。だからきっと、あの女性は、あの方にとって特別な存在になるわ」
「特待生? 待って。ということはあの子、平民なの?」
「よく知ってるわね」
「これから通う王立学園がどんなところか、あたしなりに調べたから……じゃなくて。第一王子と平民が一緒になるなんて、ありえない。許されないわ。なのにどうしてそこまで不安になるの?」
後に聖女となるから、それも可能になる。ことは、まだ言えない。
「心は別でしょ? 愛し合うことはできるし、止められないわ」
「そうかもしれないけど……」
「そうなったら、わたしは悪役令嬢ね」
「……あなたのどこが悪役よ」
「そう思う? 嬉しい。ふふ。なんだか、あなたに吐き出せてすっきりしたわ」
誰かに愛されることはないってわかっていたのに、情けなくも取り乱し、涙がこぼれそうになった。
(でも、仕方なかった。だって、ヒロインの顔が、よりにもよって大嫌いな佳奈に酷似していたんだから)
あれは完全にイレギュラーだった。中身も佳奈だったら。考えるだけで身体がぶるりと震えたけど、確かめる勇気もないし、近付きたくもない。
(──なんにしても、予定はなにも変わらないわ)
ヒロインが誰を選ぼうとも、クライブに婚約破棄されることは決まっている。どうなるにせよ、フェリシアは表舞台から姿を消すことになるのだから。
「──そこの二人」
艶のある、聞き覚えのある声色。風に混じって、それがごく近くから響いた。
応援ありがとうございます!
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