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 唐突過ぎるデリアに、イアンは数秒間沈黙したあと、執務室を覗き込んだ。

「……なにか証拠が?」

 イアンが問うと、クライブは、いいや、と頭を左右に振った。イアンが眉を大きくひそめる。

「申し訳ありませんが、フェリシア様が認めてない以上、あなたを信じる根拠が私にはありませんので」

「……イアン様は、あたしのことが好きなのではないのですか?!」

 裏返った叫びに、イアンはもちろんのこと、クライブと国王も首を傾げていた。

 ただ。フェリシアだけは、息を呑み、硬直していた。

「……なぜそのような誤解をされているのかは知りませんが、私はあなたに、そのような感情を持ったことはありません」
 
 冷静な。はっきりとした声色に、デリアが困惑の表情を浮かべた。そんな顔をするデリアが理解できなくて、イアンが一歩、後退る。

「──聖女デリア」

 肩を落としかけたデリアが勢いよく顔を横に向けた。なにかを期待した双眸を打ち砕くように、クライブは今度こそ、きっぱり告げた。

「これまで勘違いをさせるような行動をして、すまなかった。わたしはただ、きみの容姿を──リサの面影をおっているに過ぎなかったようだ」

「あ、あたしはそれでもかまわないとっ」

「……なんと言えば伝わるかな。わたしが好きなのはフェリシアであって、きみじゃない」

「国のために本音を言えないこと、わかってます。でもあたし、クライブ殿下のために、王妃教育、一生懸命頑張りますから!」

「──わたしは第一王子という立場でなくても、きみではなく、フェリシアを選んでいたよ」

 真剣な眼差しに、デリアは口を歪めたまま、ぴたりと止まった。

「……それは、あたしが他の方とお付き合いしても、かまわないということですか」

「もちろんだよ。もしかして、幼なじみの彼──テッド、だったかな。に、交際を申し込まれているのだとしたら、なにも心配しなくていい。聖女だからと、王族や貴族と結婚しなくてはいけないという決まりはないからね」

 国王が、なにか言いたそうにしながらも、口をつぐんだ。本来なら、聖女と深い繋がりをもつため、自身の子どもと結婚してほしいのが本音だったろう。実際、そのつもりではあった。でも、これまでの聖女デリアの行動、言動から、どうも性格に難がありそうだと判断した国王は、とりあえずの口出しを止めた。


 デリアは柔く突き放すクライブの台詞に黙り込み、口を開かなくなった。国王の使者がテッドの屋敷に赴き、警護の観点からも、王宮の教会へ、聖女デリアを迎え入れたいという旨の提案を出したところ、迷うことなく、二つ返事で了承したそうだ。デリアはそんなテッドに驚愕していたが、やがてどうでもいいことのように、荷物をまとめ、屋敷を出て行った。






 それからは、驚くほど平穏な日々が続いた。デリアが、学園に登校しなくなったからだろう。もっともフェリシアの心は、これまでとは違う意味で、穏やかとは言いがたいものになっていたのだが。


「フェリシア。抱き締めてもいいかな」

 クライブの執務室にて。正面に座るクライブの、突然のハグの申し出。はじめてではないのに、フェリシアはその度、クライブに悟られぬよう動揺する。

 カチャ。ソーサーにカップを置き、膝に両手を添える。

「……クライブ殿下。何度も申したとおり、無理をなさらなくても大丈夫です。わたしはどうであれ、王妃の務めはきちんと果たしますので」

「無理なんてしてないし、そんなつもりはないよ」

「……わたしはリサ様の代わりにはなれません」

「なってほしいなんて、思ってない」


 あの日から、クライブは変わった。デリアがフェリシアに罪を着せようとしたあの事件で、すべてを諦める覚悟をしたのに、見事に、逆の結果となった。これはデリアも予想外だったろう。

 あれは本物の佳奈なのか。考えなければいけないことはあるのに、それどころではなく、どこか一線を引いていた距離を、縮めようとするクライブに惑わされる日々。

 クライブはあの日に告げた通り、フェリシアと同じクラスになった。護衛のイアンも一緒に。元クラスメイトの女子生徒たちは大いに哀しんだが、フェリシアのクラスメイトは感激し、中には、泣いている女子生徒もいた。

「好きだよ、フェリシア」

 囁きに、フェリシアの心が冷静になる。

 愛してる。ではなく、好きという表現は、無意識なのだろう。けれど、愛しているのはあくまでリサだけ。そう暗に告げられているようであり、おかげで、フェリシアは浮かれずにすんでいた。

(……佳奈を──聖女デリアじゃなくて、わたしを選んでくれた。それだけで、充分)

 それは嘘ではないのに、好きだと告げられるたびに少しずつ湧き上がってくる、リサへの嫉妬心。

「……わたし、これからとても自分勝手なことを言います」

 もういっそ、嫌われてしまった方が楽だと覚悟を決め、フェリシアは固く拳を握った。

「……亡くなった方との想い出は、年月を追うごとに美化されていくものです。それが初恋の相手なら、なおさら」

 これまでリサのことについてなにも語らず、訊ねてこなかったフェリシア。クライブは驚いた様子だったが、うん、と静かに先を促した。

「恋愛に勝ち負けなどないと言いますが、わたしはあると思うんです。わたしは生涯、リサ様に勝つことはない。それがわかっていながらクライブ殿下を本気で愛するなんて、できません。前までの距離感で充分なんです。ですが、国のために婚約したわたしに歩み寄ろうとしてくれたこと。聖女デリアでなく、わたしを信じてくれたこと。聖女デリアへの未練を断ち切ってくれたこと。その優しさには、本当に感謝しています。ありがとうございました」

 淀みない口調で一気に告げてから、フェリシアはゆるりと頭を下げた。

 一分。二分。

 クライブの反応がない。

 呆れたか。怒ってしまったか。それも仕方ないと顔をゆっくり上げる。クライブは目を見開いたまま、口元を右手で覆っていた。

 やはり伝えるべきではなかった。フェリシアは、立ち上がり、今度は深々と頭を垂れた。

「……政略結婚に、私情を挟んで申し訳ありません。未来の王妃として、あるまじきことでした。わたしたちが真に愛し合うことは、国が、民が望んでいること。このことは、聞かなかったことにしてください」

 我に返ったように、クライブが慌てて同じように立ち上がった。

「いや、話してくれてありがとう。想像力が欠如しているわたしは、そんなこと考えもしなかったから……そうか。聖女デリアへの煮え切らない態度に愛想を尽かされたものとばかり思っていたけど」

 フェリシアは「……それは多少思っていました」と、ぼそっと呟いた。

 そうなんだ。クライブが小さく笑う。

「馬鹿な自分に呆れるばかりだけど、今日はフェリシアの本音がたくさん聞けて、正直嬉しいよ」

「……わたしは亡くなった方に、クライブ殿下の大切な人に嫉妬しているんですよ」

「それは、わたしのことが好きだと言っているようなものだよね」

「そうですね。でもまだ、好き、なんですよ」

 よくわからないなあ。
 笑顔で首を傾げ、クライブはフェリシアをそっと抱き締めた。好きと愛しているの違いもわからない勝手な人だと思いながらも、抵抗はしない。でも、腕を回したりはしない。小さな反抗。

 しばらくして。クライブが頭を撫でてきた。心地よくて振りほどけない腕に、捨てられないなら、二番目で充分かという気になってくる。

(彩香だったとき、こんなこと、誰もしてくれなかったなあ……)

 真二はどうだったろう。記憶は薄れ、もうあまり、思い出せない。

 この日を境に、二人の距離は縮まっていった──のかもしれなかった。

 けれど。

 偶然だったのか。必然だったのか。誰にもわからないその一連の出来事は、フェリシアには、必然のように思えてならなかった。




 幼い頃から、クライブは乗馬が好きだった。慣れたもので、クライブはもう何年も、落馬などしたことはなかった。

 フェリシアが本音を語った次の日。晴れの空に雷が鳴り、近くに落ちた。馬が驚き、暴れ、クライブは馬から勢いよく落ちた。見た目には大きな怪我はなかったが、クライブは意識を失ったまま、目を覚まさない。

 呼ばれたのは、教会に引きこもっていた、聖女デリア。私室で眠るクライブの手を、無言で握る。傍には国王や、フェリシアたちもいた。ただただ、目を覚ましてほしくて、フェリシアは聖女デリアに対する嫌悪感も忘れ、必死で祈った。

 それでも、クライブが目を覚ますことはなく。医師が、聖女デリアが、代わる代わるクライブの元を訪れる。フェリシアはずっとクライブの傍にいたが、数日が経つころ、体力も精神力も限界に近付き、国王からきちんと寝台で眠るようにと促されてしまった。

「クライブに変化があれば、すぐに知らせる。隣の部屋を用意させたから、しばらく眠りなさい」

「……はい」

 すでにフラフラだったフェリシアは、離れがたい気持ちを引きずりつつ、クライブの私室の隣の部屋の寝台に横たわると、すぐに意識を手放した。



 ずっと傍にいたクライブが意識を取り戻したのは、皮肉にも、フェリシアが眠っているときだった。

 扉をノックされ、フェリシアは重たい瞼をゆっくり開けた。クライブ殿下が目を覚まされました、との報告に、一気に覚醒したフェリシアは、勢いよく寝台からおりた。

 知らせてくれた兵士に、ありがとうございます、と早口で礼を言い、隣の部屋へと駆けた。扉を開く。そこには、寝台に座るクライブと、聖女デリアがいた。二人の手は離れまいとするかのように、固く握り合わさっていた。


 
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