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 気持ちの整理がつかず、甘えるように休んでいた学園、王妃教育。

 これも運命だと諦めがついたフェリシアは、塞ぎ込んでいてもどうにもならないと、次の日から学園に登校することにした。
  
 クライブが落馬したことは、学園中が知っていたが、記憶喪失のことはまだ、ごく一部の──王宮内の者しか知らされていなかった。

「クライブ殿下は、大丈夫なのですか?!」

 待ちかねていたように、フェリシアは女子生徒たちに囲まれ、質問攻めにされた。

「大丈夫ですよ。ただ、大事を取って、もうしばらくは学園をおやすみするそうです」

 まだあのお姿を拝見できませんのね、と。安心しながらも、残念そうにする女子生徒たち。

「フェリシア様も、さぞやご心配だったでしょう」

 気遣いに、はい、と答えるフェリシア。みんなの中では、まだわたしはクライブ殿下の婚約者なのだと、なんともいえない気持ちになった。

 友であるリンダも、クライブの記憶喪失のことは知らない。国王がよしとするまで、外部にはもらせないのだ。国民を不安にさせないようとの判断なのだろうが、リンダにも話せないこの状況は、素直に辛かった。




「どうしたの?」

 教室での移動途中、リンダが顔を覗き込んできた。心配そうな声色に、つい、口を開きそうになってしまった。

「な、んでもない」

 リンダが、はあ、とため息をつく。

「あたしにも話せないことがあるのね」

「……うん」

「未来の王妃だもんね。秘密にしなければならないこともたくさんあるだろうから……辛いね」

 フェリシアはもう一度、うん、と頷いた。泣きそうだったフェリシアの前に、意外な人物が立ちはだかった。

「……少しお時間、よろしいでしょうか」

 光のない双眸で見下ろしてきたのは、デリアの幼なじみの、テッドだった。驚きに、数秒間固まってしまったフェリシアが、なんでしょう、と返すと、テッドは隣に並ぶリンダをちらっと見た。

「……すみません。誰にも聞かれたくない話なので、できれば人気のないところに」

「……それは、ちょっと……」

 デリアに水をかけた犯人として認識されてからは、話しかけられるどころか、睨まれる日々。それから接点はなく、こうしてまともに会話したのは、おそらくはじめて。そんな相手と人気のないところで二人になど、誰が大人しく応じるだろう。

「……クライブ殿下が、落馬したと噂で知りました」

 俯き、テッドが小さく呟いた。この声量では、近くにいるフェリシアとリンダしか聞こえていないだろう。

「それがなにか……?」

 首を傾げるフェリシアに、テッドは。

「……それは本当に事故だったのですか?」

 と、告げた。

 フェリシアとリンダの目が、大きく見開かれた。リンダが「どういう意味?」と問えば、テッドは苦しそうに唇を噛んだ。

「……あなた方はデリアのこと、どんな人物だと思っていますか」

 テッドのえもいわれぬ緊張感に、デリアの──恐ろしい本性の話にかかわるものではないかと感じたフェリシアは、ぐっと唇を引き結んだ。

「──場所を変えましょう。リンダ、授業には間に合いそうもないから、先生にうまく言っておいてもらっていいかしら」

「ま、待ってよ。本気でこの人と、二人で話し合いをするの? 人気のないところで?」

「心配してくれてありがとう。でも、どうしても彼の発言が気になるの。それに、リンダも気にしていたわよね。彼の様子が、明らかにおかしくなっていたこと。聖女デリアを避けていたこと。その理由も、教えてくれるかもしれないわ」

「そうだけど……ねえ、あたしが一緒じゃ駄目だの?」

 リンダがテッドに訴える。テッドの中で、伝えたいなにかの決意が揺れたような気がして、フェリシアの方が焦ってしまった。

「大丈夫よ。わたし、腕には覚えがあるから」

「でもっ」

 心配そうに腕を掴まれ、フェリシアは、ええと、とリンダを安心させるために、必死に思考した。

「馬車の──我が家の馬車の中で話すのはどうかしら。傍で、わたしの護衛役に待機してもらって」

 それでかまいません。
 テッドの小さな頷きに、フェリシアはほっとしたようにリンダに笑いかけた。

「ね、本当に大丈夫だから」

 リンダはそっとフェリシアの腕を離してから「……彼の話で、あなたの憂いが晴れるかもしれないの?」と、真っ直ぐな視線を向けてきた。

「わからない。けれど……」

「けれど?」

 諦めたものが、もしかしたら戻ってくるかもしれない。それはあまりにも、期待が過ぎるだろうか。胸の前で固く拳を作るフェリシアに、リンダは。

「……うん、わかった。先生には、うまく伝えておく。あなたの分も」

 リンダがフェリシアからテッドに視線を移すと、テッドは、ありがとうございます、と静かに頭を下げた。その声に、まったく覇気はなかった。





 学園の近くに待機していたハウエルズ公爵家お抱えの馭者と、フェリシアの護衛役の二人に事情を説明し、馬車に乗り込む。

 ぱたん。
 護衛役の男によって馬車の扉が閉められ、狭いながらも、二人きりの空間になる。正面に座るテッドは俯き、口をつぐんでいる。

 彼のタイミングを待つべきなのだろうか。迷っていたが、テッドは数分間の後、口を小さく開いた。

「……デリアが、あなたにナイフで切りつけられたと、泣いて帰ってきた日がありました。王宮からの使者と共に」

 虚ろな目を、テッドが向けてきた。その双眸には、意外なことに、怒りなどの感情がないように見えて。フェリシアは疑問符を頭に浮かべた。

「──知っていたのなら、どうしてわたしになにも言ってこなかったのですか? わたしに水をかけられたと聖女デリアが訴えたとき、あなたはわたしに怒りの感情をぶつけてきましたよね?」

「……すみません」

「違います。怒っているわけではありません。よく知りもしないわたしなんかより、大事な幼なじみの言葉を信じるのは、ごく自然なことです。だからこそ、大事な人を切りつけたわたしに、なにも言ってこなかったことの方が、不自然に思えてならないのです」

「…………」

 五人の攻略対象者の中で、誰より優しく、太陽と笑顔が似合う男の子だったテッド。もはや見る影もなくなってしまった目の前の男の子に、フェリシアは我慢ができなくなった。

「テッドさん。いつの頃からか、顔色が悪く、やつれていきましたよね。それと同時に、聖女デリアを避けるようになった。それと、なにか関係があるのですか?」

 テッドは「……気付いて、いましたか」と、薄く笑った。

「誰もが気付いていましたよ。でも……ごめんなさい。気付かないふりをしていました」

「……いいえ。ぼくはあなたを、デリアを虐める人だと認識していたので……そうされて、当然です」

 消え入りそうな声量には、敵意など、まったくもって感じない。彼がなにを話したいのか。この時点では、予想がつかなかった。

「……フェリシア様。あなたは、デリアを傷付けましたか?」

 これにフェリシアはぴくりと片眉を動かしてから、いいえ、とはっきり答えた。

「信じてもらえないかもしれませんが、聖女デリアはわたしと二人きりになったとたん、自身の腕をナイフで傷付け、悲鳴を上げました。駆けつけた者たちに、わたしにやられたと泣きながら訴えて……どうやら、わたしに罪をきせたかったようです」

 テッドは予想外にも、やはり、と呟いた。フェリシアの目が、大きく見開く。

「……わたしの言い分の方を信じてくれるのですか? でも、やはりとは……その可能性もあると予想していたということなのですか……?」

「……していました。クライブ殿下をフェリシア様から奪うためなら、やりかねないと」

 フェリシアが「……なにが、あったのですか」と、掠れた声を出した。


 テッドから語られたのは、ゲームでのストーリーには決してなかったであろう、それこそ予想だにしないことだった。


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