木陰

のらねことすていぬ

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 いつの間にか、外は明るくなっていた。

 壁と扉の隙間から陽の光が差し込んできている。
 清廉な朝の風に、気怠い空気が浄化されていく。

 疲れ一つ見せないベレトが、僕の服を手際よく着せてくれて、それを最後だからと甘えて受け入れる。



「こんなことをさせて済まなかったね。少ないかもしれないけど、受け取ってくれ」
「……ありがとうござます」


 僕が懐から取り出した金を、彼は無表情のまま軽く頭を下げて大きな両手で受け取った。

 15歳の誕生日に父から貰った羽根ペンを売って作った金だから、彼を一晩拘束した対価になると思ったんだが。

 残念ながら彼の顔から喜色は見つけられなくて、金で歓心を買おうとした浅はかな自分を卑小な存在だと感じた。


「今日も仕事だろう? 少し休んでから行くといい」


 なんとか笑顔を作り、一人静かに小屋の扉を閉じた。彼の返事はなかった。


 明るい陽の光に照らされた、屋敷に戻るための小道。歩みを進めるが鈍い痛みに足がもつれて、このまま真っすぐ歩いて部屋に帰るのは難しそうだ。

 覚束ない足取りでなんとか大きな木の傍まで寄ると、凭れるように寄り掛かり、ずるずるとその場に座り込んだ。

 ……この木陰で少しだけ休んでいこう。

 そうしたら、笑って屋敷に戻り、また物わかりのいい顔をして運命を受け入れられる。思い残すことなくこの地を去ることができる。

 そうだ。好きな相手に、最後の思い出にと望んだのは僕自身じゃないか。なのにどうして、こんなに胸が痛いんだろうか。

 木に寄り掛かるふりをして、僕は頬に伝う涙を隠すようにそっと俯いた。














◇◇◇◇◇





ベレト視点:






 細い体が、木陰で震えている様が痛々しい。だけど駆け寄って抱きしめることはできなくて、小さく舌打ちを零す。

 __やっぱり無理やりにでも連れ去るべきか。

 頭の中でそんな欲望が顔をのぞかせるけれど、今はその時ではないと分かっているからこそ苛立ちが募った。

 服を脱がせるときに、彼がじっと俺の指を見ていて気が付かれたかと思ったが……どうやら違ったようだ。
 日に焼けず、土に汚れていない爪。庭師にあるわけのない剣ダコ。腕に散らばる古い切り傷。

 気が付かれたらそのまま攫って行こうと思っていたが、俺にとっては幸か不幸か、彼の頭はそれどころじゃなかったみたいだ。





 俺が庭師としてこの屋敷に潜伏したのは、今から1年ほど前になる。

 不自然に頻発する川の氾濫。大雨でもないのに土砂崩れが起きる山。痩せ細っていく土地を守ろうと領主が私財を投げ出すが、領地はますます苦しくなっていく。

 その不自然さに目を付けた王から内情を探るように言われて、伝手を得て入り込んだ。

 少し調べれば、どれもがハイレン公が仕組んだことなのはすぐに分かった。都合よく弱みに付け入るようにして現れたのは、不用意だったとしか言いようがない。特に、俺のような王の番犬が忍び込んでいる目の前では。

 おおかた領主の美しい息子の体を弄び、その命を盾に領地を乗っ取ろうとしたんだろう。やや性急にことを進めようとしたのは、まだ咲き掛けの蕾のような少年を前に、欲に目が眩んだからか。

 どのみち人道にもとる行いだ。王の許可を得ていない領地の買収は厳罰の対象であるし、ハイレン公がこのまま許される道はない。

 だから、心配しなくていいとセーレの細い体を抱きしめてやりたい。

 王の間諜として潜伏している以上、全てをつまびらかにすることはできなくて。側で安心させることも気持ちを告げることすらできず、もどかしい思いにほぞを噛んだ。


 この屋敷に潜伏してから、熱心に注がれる視線にはすぐ気が付いた。どこぞのメイドか下女かと思ったら、視線の先には大きな瞳に隠すことのない憧憬をたたえた少年だった。今まで女に色目を使われることはあったが、純粋な好意なんて生まれて初めてだった。

 年長者へのただの好奇心だと気にしないつもりでいたのに、屋敷の内情を調べているうちに、セーレの努力家で高潔な内面を知ってどんどん興味が湧いた。
 しかも目が合うたびに嬉しそうに微笑まれ……手に入れたいと思うまで時間はかからなかった。

 彼に唆すように誘われた時、他の使用人ともこのようなことをしているのかと、一瞬目の前が真っ赤になった。

 慣れていない体になんとか心を落ち着かせたが、もし誰かの手が付いていたら抱き潰すだけでは済まないだろう。俺は思った以上にこの少年に執着しているようだ。



 王にとってはこの領地は大事な布石の一つ。だけどそれを治める人間よりも、自分の手足である俺の方を優先してくれるのは目に見えている。

 ……だからあなた一人を貰い受けることくらい、どうってことない。そう言ったら彼はどんな顔をするだろうか。

 あと少しで全てが片付く。証拠が揃えばハイレン公は捕らえられて、この領地は元に戻り、俺には……褒美が与えられる。

 俺が望む褒美が。
 そうしたら……もう逃がしはしない。

 木陰に消え入りそうな彼の背中を、少しの狂気を乗せた瞳でそっと見守った。




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