Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第一部

09.疑い 2

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 練習はリンクの普通の営業が終わったあと、リンクを借り切って行われた。
 週に何回、何時から貸し切りが取れるかはその時々で違うらしく、夜の七時始まりならラッキーな方で、八時や九時に始まってそこから一~二時間という日もあった。そうなると終了後は終電に間に合うように駅までダッシュ。姫島先生の生徒はほとんどが女の子だったので、その子たちは夜遅くなると母親が車で迎えに来ていた。
 朝練のある日もあるらしかったけれど、遠くから通っている僕には参加できるわけもなかった。
 平日の一般営業でもかなりの子がレッスンを受けていたのだけれど、僕は一般営業にもほとんど行かなかった。学校が終わってからでは十分な時間が取れそうになかったからだ。たった数十分のために滑走料を払うのは嫌だった。
 代わりに僕は土日に通った。今はいいけれど、じきに土日は混雑して練習するには厳しくなるとみんなが言っていた。
 恵まれた練習環境とは言えなかった。

 僕にはいつの間にか、シンデレラボーイだの逆源氏物語だの、妙なあだ名が付けられた。

 駅までの道で姫島門下の女子たちの後ろを歩くことになったことがあった。向こうは僕が後ろにいることに気がついていなかった。「ダンスって、コース読めなくない?」と一人が不満そうにらした。同じように貸し切りに入っている者同士でも、その瞬間先生の指導を受けている生徒がいたらそのコースを邪魔しないように動くのがレッスンのマナーだった。しかしシングルとダンスではコースの傾向が随分違うらしく、予測して避けるのが難しいらしかった。「私なんか、今日先生に三回もにらまれちゃった」と別の一人がなげくように同意した。姫島先生についている生徒の中で、アイスダンスに取り組んでいるのは僕たち一組だけだった。明らかに迷惑がられていることが分かった。

 女子の多さにひきかえ、男子生徒は僕が見た感じでは三人しかいなかった。同じリンクには他に二人先生がいたけれど、どこも同じように女の子だらけだった。モミの木には男性スケーターもかなりいたので最初はかなり驚いた。三人のうちの一人は数歳年上で、相当上手いように見えた。あまり練習に出て来ないので、その人には滅多に会うことがなかった。あとの二人は多分同い年くらいと、少し下くらい。ダブルがほとんど跳べていて、トリプルの練習に入っていた。
 ある日、貸し切りが始まる前にその二人の横のベンチが空いていた。女子の隣より、彼らの隣に座りたかった。僕はそこに荷物を置いた。彼らの方から先に話しかけてきた。
「シングルはやらないの?」
 彼は陸上で軸をとったり、開いたりしながらそう言った。
 僕はシングルをやめたつもりはなかった。といっても、習っていたわけではないので、やめるとかやめないとかそういうことを考えたことは特になかった。しばらくはアイスダンスで手一杯な感じはしていたけれども、彼らとそういう話ができるのは大歓迎だった。知識をつけて、いずれはモミの木に帰って難易度の高い技に挑戦したいと漠然ばくぜんと考えていた。
「こいつにシングルの話すんなって」
 僕が返事をする前に、もう一人の少年が僕たちの会話にストップをかけた。
「まずいって。こいつは買われて来てるんだから」
「そんな。買われるなんて、奴隷みたいな」
「奴隷じゃないだろ……」
 そこまで言うと、二人は示し合わせたように笑いだした。と思うと、突然真面目な顔になってリンクに向かった。
「さ、入ろ」
 そう言って足早にその場を去った。振り返ると、準備を終えた陽向さんがリンクに入ろうとこちらに近づいているところだった。
 当分仲良くなれそうにないと思った。と同時に、ここでシングルの話を浮かれてしている立場ではないと僕自身もこの時初めて気がついた。僕は初めに聞いていた通り、ダンスに必要な貸し切り代と先生のレッスン料を全て彼女に負担してもらっていた。

 そして肝心のアイスダンスの練習自身、気持ちのいいものではなかった。
 以前から先生についている陽向さんはすでに練習したい何かがあるようで、僕とは別にいつも何かを練習していた。
 僕の練習は、かなり些細ささいなことを指摘されることから始まった。コンパルソリーの時と同じように滑っている時の様子を見られては、蹴ったあとの足をきれいに伸ばせだの、腕を肩の高さまで上げろだの、それでいて肩は上げるなだの、僕にとってはどうでもいいことばかりを指導された。
 そんな表面的なことよりも、もっと滑りが上達するようなことを早く教えて欲しかった。でもそういったところがよくならないうちは、すぐ隣りを並んで滑るパートナーを蹴ってしまうかもしれないのだという。
 陽向さんのような女の子を蹴ってこけさせたりしては絶対にまずい。
 そうなると例えば足の伸ばし方だけにしても気を配ることが山盛りで、まだ組んでもいない段階の一人で滑るだけの練習から、僕は考え難いほどぐったりさせられた。

 最も辟易へきえきしたのが、ダンスのパターンを覚えなくてはならないということだった。
 アイスダンスにはパターンダンスといって、なんとかワルツとかなんとかタンゴと言われたら、リンクのこの部分をこういうステップでこのテンポで滑れというのが決まっているものがある。僕は別に踊りたくて先生の所に来たわけではなかったけれど、選手としてやっていくことが条件である以上、これらを覚えないわけにはいかなかった。
 パターンダンスは試合の課題の一つでもあるようで、年によりどのダンスが課題になるかは変わるらしかった。陽向さんは今年の課題のヴィニーズワルツをやりたいと言ったのに、先生は僕にはまだ無理だと言ってあっさりそれを却下した。僕にはそのセンスが分からなかった。ダンスをやりたがっている張本人がやりたいと言っているのだから、やったらいいじゃないか。どれだけ難しくても、頑張れば意外となんとかなるかもしれないのに。最初に会った時、僕に死ぬ気で頑張れとか言っていたわりに、案外この先生は甘いのかも知れないと内心思った。

 しかしそんな僕の思いには関係なく、結局僕は三十あるパターンダンスのうち、簡単なものから順にいくつかを練習させられることになった。ダンスをやりたいと言っているわりに陽向さんはそんなレベルのダンスにはとっくに興味がないらしく、これも僕一人での単独練習だった。
 先生に見本で滑ってもらいながら、右、左、スイングロール、ラン、シャッセ……と、ステップを唱えつつ後を追う。かなり単純で簡単なものにしか見えなかった。それもそのはず、入門レベルのパターンダンスは試合にも使われないようなプログラムなんだそうだ。試合に必要もないようなパターンを覚えるなんて、無駄な作業をやらされているとしか思えなかった。

 僕はいっそ難しくてもいいからヴィニーズワルツをさせてくれと言いたかった。僕にはダンスのレパートリーを増やしたいなんて気持ちは更々はない。何曲も何曲も、無駄なものを覚えるなんて。
 しかも簡単に見えるくせに、覚えるとなるとこれが重労働だった。一周分のプログラムが決まっているのだけれども、一周回ってくるころには最初のステップが思い出せなくなっていた。次の曲に入ったら、前の曲を忘れていた……。
 文字通り頭の痛くなる作業だった。


 練習が始まってから数日経ったある日のリンクで、僕は誰にともなくつぶやいた。
「こんな練習をしていて、本当に上手くなれるんだろうか」
 図形が上手く描けるようになっても、姿勢が良くなっても、ダンスのパターンを覚えても、何の意味もない。くだらないことに神経と労力を使うばかりで、肝心のスケートが上手くなる要素を感じなかった。
 僕のつぶやきが聞こえたのか、先生は冷たく言った。
「やる気がないのであれば、いつやめていただいても結構よ」
 そう言われたからといって、ここまで来てやめるわけにはいかなかった。親にも理子さんにも面子めんつが立たない。この先生の元で上達できるかどうか、しばらく黙って様子を見るしかない。
 そんな僕の心を、先生の続けた言葉が捕らえた。
「でもね、アイスダンスってのは上手くなければ出来ないものよ。大して上手くない子でも、シングルでなら上位に行けることもある。ジャンプさえ跳べればね。でも、アイスダンスをやれるのは本当の意味でスケートの上手い子だけよ」

 その時、陽向さんがすぐそばを通過した。ちらっと鋭い視線を向けられ、笑いかけられた気がした。彼女に僕たちの会話が聞き取れるはずはなかった。だけど僕は何かを言われたような気がして、彼女を目で追った。その姿は流斗と同じで自信に満ちていた。

 彼女はそのまま自分の基礎練習を続けた。
 右に左に弧を描きながら、彼女は流れるようにリンクを進んでいった。その一歩は大きく、美しかった。時折その中にターンが織り交ぜられた。何のとどこおりもなく、ゆがみもなかった。ごく自然に、それでいて素晴らしいアクセントとして、ターンが活きていた。
 僕には決してそんな滑り方はできなかった。
 そして上手い人間がそろっているこのリンクにおいてすら、誰一人として彼女と同じことができると思われる者はいなかった……。
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