Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第一部

19.ひく者、ひかれるもの 1

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 リフトとスピンの練習が始まると、パターンダンスで停滞していた空気が一気に動き出した。陽向さんも日に日に、生き生きとはしゃぎ始めた。
 どちらも一人ではできない技だ。僕たちは一緒になってゼロから取り組んだ。新しいことへの挑戦は、毎日新鮮な苦労と進歩を味わわせてくれた。

「先生~! 次はもっと勢いつけてもいいですか~?」
 何か目標が達成されたと思った次の瞬間には、陽向さんは先生にそう言って手を振っていた。
「だめよー。まずは出入りに慣れなさーい。上手く入れるようになったら、勢いでもなんでもすぐにつけられるようになるからー」
 遠くで他の子のレッスンをしている先生からそうやって返事が返ってくると、彼女は指示の意図を理解し、すぐに目標を切りかえて取り組んだ。彼女は目を輝かせながら次々と課題をクリアし、練習のハードルを上げていった。


 新しい技の練習に入る前には、まずリンクサイドで基本となる動きの練習をする。一般営業と貸し切りの間の空いている時間などを利用して、運動靴に履きかえ、先生の前に集まった。
「リフトにも色々なものがあるけれど、取っつきやすいからお姫様抱っこから入っていきましょうか。応用もきくし」
 それが初めてのリフトの練習だった。
 お姫様抱っこ。
 その言葉の響きだけでも、僕を動揺させるには十分だった。僕が冷静さを取り戻せないでいるうちに、「はい、やって」という声が聞こえた。

「えっと……、やっていいんですか」
「当たり前じゃない。やらないでどうするのよ」
 あまりの動揺から、僕は思いっきりバカなことを聞いていた。
「簡単でしょ。抱え上げるだけだから」
 陽向さんはいつものようにがんばろうねと言う代わりに「大丈夫かな? 重かったらごめんね」と、はにかんだようにこちらを見た。
 僕はもう、どこかへ走り出していきたいような気分だった。その上、邪魔だからという理由でウィンドブレーカーを脱ぐように言われ、これまで以上に密着することが避けられない状況になった。
 震えそうになる指先をぎゅっと握ってこらえる。
 戸惑いと緊張から、照れ笑いなしには練習が始められなかった。陽向さんの腕が僕の首に回された。胸の鼓動が激しすぎて、このまま抱き上げたら陽向さんに伝わってしまうのではないかと心配になった。

「重くない?」
 抱え上げてすぐそう聞かれ
「あ、いえ。全然。平気です」
 と僕は答えた。
 本当に陽向さんは拍子抜けするほど軽かった。抱え上げたその瞬間は。

「じゃあ、制覇君はそのままモホークのつもりでターンして」
 そしてレッスンが始まった。陽向さんを抱えたままの僕に、ああしろこうしろと次々と指示が飛んでくる。リフトなんて抱え上げさえすればいいだけだろうと思っていたら、とんでもなかった。

「ああ、制覇君、そっちからじゃなくて、こっちに回って」
「違う違う、ほら、右足からよ。右足から」
「あなた本当に氷に乗ってるつもりでやってる? 靴履いてるつもりで練習しておかないと、あとで死ぬ目に合うわよ。陸上とは違って滑るんだから」

 腕にかかる重みがだんだんと増してくる。そのうち僕に対してだけでなく、陽向さんに対しても指示が飛び始めた。
「陽向ちゃん、あんまりしがみついてる感じにならないでくれる?」
「もっと上体をきちんと伸ばさないと。美しくないわ」
 腕の痛みに耐えながら、僕は何かを考える余裕もなく言われた通りに動き続けた。抱えた陽向さんが徐々にずり下がってくる。

「でね、下ろし方が一番重要なのよ。上手に下ろしてあげないと恰好かっこうが悪いし、怪我けがにつながることもあるから」
 やっと下ろせる時が来たのに進行方向がどうだとか下ろす姿勢がどうだとか言われ、どうしていいのか分からない。おたおたしながら結局二人ともあまりカッコいいとはいえない状態でしか下ろすことができなかった。

 終わってみると陽向さんの感触なんて記憶にはなく、練習前のときめきすらもいつの間にか消えていた。
 腕をさする僕に、先生の声が聞こえた。
「じゃ、もう一回」

 スピンの練習にしても同じようなものだった。
 女の子に抱きつくように入っていったり、足に絡んだりして一緒に回るなんて、はたから見たらドキドキ感極まりないのだけれど、これをやるとなると別の意味でドキドキできた。入り方を失敗したら、女の子の振り回した足に蹴られて死ぬ。本当にドキドキ感極まりない。

 一人でやるのですら特殊な競技を二人で合わせてやるのだから、困難は当然大きかった。だけど、達成感もそこら辺に転がっているものとは全然比べ物にならなかった。これだ、と思う所に行き着いた時の嬉しさ。隣を見れば、僕と同じ気持ちがにじみ出ている陽向さんの表情があった。
 そして小さな喜びの後には、陽向さんのもっとこうしていいか、もっとああしていいかと先生に問う楽しげな声が続いた。前から気づいてはいたけれど、彼女は自分を高めることに貪欲どんよくだった。パターンダンスの時より、ずっと強くそう感じた。彼女は自分の登るステップをどんどん高く設定しては、生き生きとそれを駆け上がっていった。それに付き合って僕も引っ張り上げられた。途中で何度もつまずきながら。

 僕はそうやって陽向さんとアイスダンスをすることが楽しかった。身体的疲労はずっと増えていたけれども、ダンスを始めた当初のような不毛な疲れとは全く違い、毎日が心地良かった。

 しばらくして、リフトとスピンの練習に、ツイズルとステップシークエンス――例えばリンクの端から端までといったようなリンクの使い方をして行う連続したステップ――も加わった。
 ちなみにツイズルに関しては、一つ残念なことがあった。ダンスの世界では、あんなものは一人で出来ても何の価値もないのだそうだ。二人でそろって初めて意味があるらしかった。多少がっかりしたけれども、それだけだった。アイスダンスを始めて以来、思っていたのと違うことが判明するのはよくあることで、もうこのくらいのことでは動じないようになっていた。
 そうして三週間が過ぎて行った。
 パターンダンスに不安を抱きながらも、僕の気分はかなり上向いていた。


 そんな時、僕の元に一つの情報が入った。
「シンデレラ。先生がお呼びでーす」
 一般営業が終わり、リンクをあがろうとした時だった。きょうちゃん先輩にそう声をかけられた。
「その呼び方、やめてください」
 僕の抗議に、彼女は切れ長の目を細めて笑った。
「かーわいー」
 彼女は僕に向かって飴を一つ放り投げると、後ろからリンクをあがってくる陽向さんに「ヒナ、今日ご飯どうする?」と言いながら去って行った。僕の抗議なんて、まったく気にしてはいない。先生のところのほとんどの女の子がそんな感じだった。自信家で、一見失礼としか思えないような態度を僕に対して平気でとった。僕から見たら性格がいいのなんて陽向さんくらいだった。だけどみんな悪気があるわけではなさそうだった。どうやらそれが彼女たちの普通らしいのだ。彼女たちのことが次第に分かるにつれ、大阪のリンクもそれほど居心地の悪い場所ではなくなっていた。
 きょうちゃん先輩と入れ違いにやって来た上本が、コンビニに行くから何か買ってこようかと言ってくれた。この日は貸し切りまで一時間半も時間が空いていた。僕は自分の食べる物も頼んで先生の所へと向った。

 リンクサイドのミーティングルームには、僕を含めて四人の生徒が集まった。
「制覇君、あなたバッチテストを受けたいのでしょう? ダンスも見てもらえるテストが十二月の中旬に開かれることになったわ。申し込むわよね?」
 バッジテストの申し込み用紙を受け取る。僕以外の子はシングルだ。

 シングルとダンスでは採点する上で見る所が違うようで、バッジテストが開かれるからといって必ずしもダンスも受験できるとは限らなかった。ダンスのためだけのバッジテストというものも滅多にないらしく、受けるチャンスがあるなら逃さず受けた方がいいというのが先生のすすめだった。

 ダブル受験もできるということで、僕はすすめられるままに第一プレリミナリー、第二プレリミナリー、プレブロンズの三つの級を同時に申し込むことになった。これでは、ダブルじゃなくてトリプル受験だ。
 まあそれは良いとして、それぞれが二曲ずつで、これはつまりはあの宿題の六課題すべてを一気に受験するということを意味していた。すでに十一月も末に近づいていた。テストまで三週間もない。他の練習もあることだし、このままではテスト用の練習をさせてもらえる回数は限られている気がした。あれからかなりの回数DVDを見たのだけれど、未だに覚えられたという自信はない。ついに先生に相談するしかないと思った。

 思い切って打ち明けた僕への先生の反応は、意外とあっけないものだった。
「あらそう。まだ覚えてないの。でも下の方の練習に陽向ちゃんを付き合わせるのはもったいないわ。そうね……」
 そう言うと、先生は考えながら携帯を開いて何かを確認した。
「セッションに行きましょう」
 先生の口からまた知らない単語が出てきた。
 まあ、もう慣れましたけどね。

 先生は他の生徒を解散させた後、ミーティングルームの外にいた陽向さんに扉を開け声をかけた。妙に浮かれていた。
「陽向ちゃん、今度のセッション、もし日が合うようなら行ってみない? あなたが行くならお相手を探しておくわ」
 きょうちゃん先輩と一緒にベンチで弁当を広げていた陽向さんは、「はーい」という感じで笑って手を振った。
「ヴィニーズワルツと、来年の課題のチャチャコンゲラードを思い出しておいてね~」
 先生もご機嫌で陽向さんに手を振ると、部屋に戻ってメールを打ち始めた。

「では、来週はこのリンクではない場所へ行きます。そこで第一、第二、プレブロンズをきっちりマスターすること。そして今度のバッジテストで必ず合格してちょうだい。でないと、そのあとが苦しくなるわよ」
 携帯をぱちんと閉じ、先生はそう言った。
 僕はどんどんスタートに近づいていた。


 月の初めの学校は、いつも全校集会から始まった。
 体育館の入り口には、大きな石油ストーブがかれていた。それでも十二月の朝の体育館は、ひんやりとしている。恐らくストーブの恩恵を受けるのなんて、ストーブの真正面にいる奴だけだ。
 僕たちはクラス別に冷たい床に座って、どうでもいい集会の時間をぼーっと過ごしていた。人を集めておいて、大した話はほとんどない。「もうすぐ冬休みだけど、気を緩めずに……」とか、あとは校長先生の長~いお話。隣の列の女子なんかは、前後の女子と手をつないで、「○○ちゃんの手、あったかーい」とか「○○ちゃんの手、つめたーい」とか、くだらない遊びを始めていた。

 校長先生の話も後半に差しかかった頃、舞台の袖に向かって体育館の壁際に、生徒の長い列ができていた。集会の終わりはいつも、前の月に活躍した部活の表彰となっている。先月活躍した部活はどこだろう。僕は知った顔を探して、遠くからその面々を眺めた。
 バスケ部か。秋季大会調子いいっていってたっけ。卓球部? うちの学校強かったか?
 そうやって前の方から順々に目を移していった僕は、列の最後尾で目を止めた。
 たまに、部活関係ではない生徒も表彰されることがある。個人的な活動で成果を出した奴だ。去年もそういう奴がいた。英語弁論大会とか。そうだ、あいつならそれも有り得る。けど……。

 表彰が始まり、賞状が次々と読み上げられていく間、僕は鼓動が高まるのを抑えきれなかった。
 そしてついに、その賞状が読み上げられた。

「全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会 アイスダンスの部 第一位 蒼井流斗君。おめでとう」
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