Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第一部

18.そして進み始めた 3

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 果歩の演技を、同じように陰ながら応援し、見守っている人物がもう一人いた。その人物はまさに物陰で応援していた。
 トイレの出入り口に建てられた目隠しの壁の陰に、そいつは隠れていた。観月理子だ。そっと顔を出して演技を見ている彼女に、僕はたまたま気がついた。

「こんな所で何してんですか」
 果歩の演技が終わった後、僕は理子さんに近づき声をかけた。
「(きゃっ!)」
 理子さんは声にならない叫びを上げた。そして僕を認識するなり、壁の中に引っ張り込んだ。
「なにっ!? もしかして変態っ!?」
「(シッ! 声が大きい! 静かにして!)」

 彼女は僕の腕をつかんだまま、僕の唇に人差し指を当てた。
 この状況でも自分の方が正当だと言わんばかりの態度が理子さんらしい。
「まったく。果歩が探してましたけど」
「(代わりに撮影してくれたんでしょ? ありがと)」
「北大路さんも忙しそうにしてた」
「(働くのがあいつの仕事よ)」
「あんたの仕事はサボることなんですね?」
 理子さんは何も答えずに壁すれすれに近寄ると、テストの進行をうかがうように覗き見た。

「隠れてないで見に行けばいいのに」
 後ろからそう言葉をかけると、理子さんはこちらにキッと振り返った。
「(は? 何言ってんの? 行けるわけないでしょ! ジャッジとか先生とかいっぱい来てんのよ!)」
 とても隠れている人間とは思えない、偉そうな態度。
「あんた……僕にはさんざん偉そうなのに、自分より偉い奴には弱いんだ……」

「(いいから早く戻んなさいよ)」
 またしても僕の言葉にまともな返事をせず、そうやって僕を追い払おうとする理子さんに、僕は言った。
「そんなんでよくバッジテスト開こうなんて思いましたね。第一、あんたが目指してたすそ野を広げるとかいうのとは、随分方向が違うんじゃないですか?」
 バッジテストなんかやって、大会とか目指したりして、上手い奴が増えてびゅんびゅん滑るようになったら、普通に遊びに来た客が安心して楽しめるようなリンクではなくなってしまうだろう。

 理子さんはつぶやいた。
「果歩には逆らえないから……」
 はあ?
「なに人のせいにしてんですか」
「私にとってあの子は特別だから」
 そう言った理子さんは、ふざけているようには見えなかった。

 しかしそれも一瞬だった。突然またいつもの態度に豹変ひょうへんした。
「(いーから早く戻んなさい! 講評こうひょう始まるから。それも代わりに聞いてきて!)」
 結局僕は追い払われた。
 去り際にたずねられた。

「(ダンスは楽しめてる?)」
「まーね」
 おかげ様で――とは言わなかったけど。そういえば、あれ以来会うのは初めてだ。気にかけてくれていたのか。
 理子さんは優しげな微笑みを浮かべながら言った。
「(そう。それは残念)」
 残念なのかよ!!

 相変わらず頓珍漢とんちんかんな人だと思いながら、僕は後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
 僕は聞きたかったのだ。理子さんに。
 かつて僕にしてくれたダンスに関する提案、あれは、僕が断ったことで白紙に戻ったんだろうか。それとも……。
 だけど結局その話を切り出すことはできなかった。

 それどころか、疑問はさらに一つ増えてしまった。理子さんの「果歩には逆らえない」という言葉。あれはどういう意味なんだろう。
 果歩が理子さんになついているのは知っていた。でもよくよく思い起こしてみると、理子さんの方も果歩には甘かったかもしれない。
 バッジテストを開こうと言い出したのは理子さんじゃなくて果歩なんだろうか。果歩がバッジテストを受けたいと言えば、それだけでこんな大掛かりなことをお膳立てするんだろうか。あの二人の癒着ゆちゃくって一体何なんだろう……。


 講評が始まる前、一部の人間が集められた。果歩も呼ばれていた。そしてなんとフリーの途中をやり直させてもらっていた。今度は無事、ループを決めた。

 そして講評が始まった。
 受験者は全員リンクサイドに集まった。ジャッジの前にウィンドブレーカーを着た人間の山ができた。その後ろに先生だの保護者だのが続いた。静かだった。そこから少し離れた所に僕は立った。その場所から知らない子たちの講評を延々と聞いていた。

常葉木ときわぎさん」
 最後の方になってやっと果歩が呼ばれた。果歩はウィンドブレーカーのすそを握ったまま、ジャッジの方に顔を向けた。
「まずフリーについてです。常葉木さんの今回のフリーは、要求されている数にダブルジャンプが一つ足りていませんでした。けれどもエレメンツのテストではきちんと跳べていましたし、再チャレンジでは何とか無事跳ぶことができましたので、合格とさせていただきます。とてもお上手に滑れていましたよ。エレメンツとステップの方も合格です。特にステップは大変良くできていました」
 ジャッジにそう言ってにっこりされて、果歩は嬉しそうにぺこりとお辞儀をした。

「次は五級かしらね。頑張ってくださいね」
 激励げきれいの後、ジャッジはこう付け加えた。
「あとはスケーティングだけね」
 と。
 果歩は僕の方に振り返ると、小さくガッツポーズをした。

 果歩のあとでステップを受けた子は、やっぱりチョクトーが乗れていないという理由でステップは不合格になっていた。
 インエッジからアウトエッジに乗り替えなくてはならないのに、その子はピシッとアウトに乗りきれず一瞬インになってからアウトにチェンジエッジしていたらしい。ジャッジがボードにトレースの絵を描きながら説明していた。
 なるほどね、と僕は思った。このステップの講評は僕にとってとてもいい勉強になった。ダンスの採点がどう行われるかが分かったわけではもちろんない。けれど、まあこういう風にしてジャッジの評価を受けるのだということはおぼろげながら理解した。
 パターンダンスは特に、ここはアウト、ここはインというように、すべてのエッジが決まっていて、全員が共通のステップを滑る。比較もしやすいだろう。
 果歩に誘われてただ見に来ただけのつもりだったのに、僕は途中からバッジテストというものを真剣に考えていた。

 すべてが終わると、僕は果歩にタブレットを渡した。
「ありがと」
 そう言って受け取られて、僕ははっとした。
「それ……音声も入っちゃってるよね……」
「もちろん?」
 僕はその場にしゃがみ込んだ。恥ずかしすぎる……。
「ごめん……。僕、めっちゃ叫んでた……」
「知ってる! ありがとね。それも含めていただきます!」
 そう言ってご機嫌で敬礼してみせる果歩の姿が、僕を複雑な思いにさせた。

 みんなが帰り支度を始めた。リンクには整氷車が動き出した。ジャッジたちは挨拶あいさつを交わしながらそれぞれどこかへ消えて行った。スケート靴を脱ぎ終えた子たちが、荷物を抱えてリンクサイドを急ぎ始めた。

「動画撮る人が要るんだったら、また五級受ける時に言ってよ」
 理子さんはあてになりそうにないからね。僕はなんとか気を取り直すと、別れの挨拶代わりにそう言った。

「『撮影』に来てくれるわけ?」
 ご機嫌だった果歩のトーンが一気に変わった。
 彼女は手早く自分の荷物をまとめた。
「駐車場でパパが待ってるから、早く行かなきゃ。――さよなら」
 果歩はそっけなくそう言うと、足早にその場を立ち去った。
 何だよ、突然かわいくなくなったな――果歩の態度の変化に対して僕は単純にそう思った。

 僕は、どうして自分がバッジテストに呼ばれたかなんて完全に忘れていた。果歩がどんな気持ちで僕を迎えてくれていたのかも、何を思って機嫌よく隣で過ごしていたのかも、考えてみることすらしなかった。僕はテストの途中からアイスダンスのことばかりを考えていた。帰り道には、早くダンスの級を取らねばという思いを強めていた。相手が級を持ってたって何にもならない、自分で早く取らないと、と……。


「果歩ちゃん、受かった?」
 アパートのドアを開けると、大義がテレビの前からそう叫んだ。
「受かったよ」
「やっぱり。運動神経いいもんね」
 そう言ってすぐに画面に顔を戻した。父親と並んでどうでもよさそうなバラエティー番組を見ていた。
 やっぱ、言うかな――。
「あのさ、テレビ代わってくんない?」

 これまで言えなかった一言を思い切って言ってみた。
 陽向さんにプレシルバーを取ると宣言したわりに、結局未だに課題を覚えることができずにいた。本気でバッジテストを受けたいのであれば、やっぱりやるべきことはやらないと……。
 流しで食器を洗っていた母が手を止めた。
「あなた、ずっと前からそう思ってたんじゃない? なんか変だと思っていたんだけど……」

 すると父が僕に、何を見たいのかと尋ねてきた。見たいものの入ったメディアを出せと言う父親に、仕方なく僕はダンスのDVDを渡した。すると。
「前にゲーム用に譲った父さんの古いパソコンがあるだろう。これ、あれで見れるんじゃないかなあ」
 そう言って自分の部屋からDVDドライブを持ってきた。そして僕を連れて子供部屋に入ると、古いノートパソコンにつないで電源を入れた。
「ほらね」
 上手く再生できると、父は得意げに言った。
「このドライブもあげるから。ここで自由に見なさい」
 そう言って気前よくDVDドライブを僕にくれた。父はパソコンの前から立ち上がると、僕を代わりに座らせた。
「こういうことは早く言いなさい」
 ぽんと僕の肩をたたいて、優しくそう言った。そして子供部屋から出ていくと、そっと扉を閉めた。

 その直後、閉められた扉を通して弾むような声が小さく聞こえてきた。
「さっきの番組の続き、結局どうなった?」
「え? さっきって?」
「父さんがいなくなる時、やってたやつだよ」
「父さん、いついなくなったの?」
「ひどいー」
 どうやら僕は厄介やっかいばらいされたようだった。

「まあいいや。みんながいる所より、この方が好都合だし」
 そう言って僕は、画面に目を移した。
 ダンスの一番下の級の第一プレリミナリーでは二曲を滑ることになっている。そのうちの一つ、ダッチワルツを再生した。
「右、左、右、ラン、スイングロール……」
 動画を見ながら、僕はステップを呟いた。
「……スイングロール、ラン、あれ? 違ったかな? ランってなんだっけ? もう一回見てみよう。っていうか……」
 早くも不安が過った。

「これ、見ながらつぶやいてんのを繰り返してれば覚えられるもんなのか?」
 やりながらでも苦労したものを、見ているだけでは尚更だと思われた。しかもこれがあと五課題分あるのだ。

 何度も何度もダッチワルツを再生した。出だしは覚えた。スタートから五歩くらいだけど、これはもう完璧と言えた。余裕でばっちりだ。だけど、五歩目以降の記憶が……曖昧あいまいだ。音楽なんて最初から最後まですっかり覚えてしまったというのに。

 ディスプレイの四角い画面を見ているうちに、タブレットPCのことが頭に浮かび、ふと胸が痛んだ。
 かわいいカッコして動画を取って欲しいなんて、あいつも意外と少女趣味なところあったんだな……。
 そんな全然関係のないことが頭に浮かんだ。
 そんなものに僕の声なんか入れちゃって、ほんと悪かったな……。

 消せるものなら、消してしまいたかった。
 僕は机につっぷした。
 果歩は頑張れ頑張れ叫んでる僕を何だと思っただろう。ただのスケート馬鹿だと思っただろうか。それとも親ばかならぬ幼なじみ馬鹿だと思っただろうか……。
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