Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第一部

21.ひく者、ひかれるもの 3

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 それからしばらくの間、僕の気分は晴れなかった。
 流斗が誰かさんと全日本で一位を取った、ただそれだけのことなのに。それなのに僕は、ものすごい喪失感に襲われていた。
 手の届く距離にあると思っていたものが、実はずっと遠くにあった――そんな感覚が、まるですべてのものを失ったような気分に僕をおとしいれた。
 何をやるのもおっくうになり、僕は家ではただ茫然ぼうぜんとして時を過ごした。積極的に動く気になどなれず、やらなくてはならないことだけを仕方なくやって過ごした。
 自分の中の電池が減ってしまったみたいだった。靴を見ても氷を見ても心がき立たなくなった。アイスダンスをやる意味すらも、なくなってしまったような気がした。
 もう何も残っていないのではないかと思う自分の中に、それでも練習を放棄できない何かがあった。

 少なくとも、僕は陽向さんのパートナーだった。パートナーに対する役目だけは変わらずに存在した。だから僕は、その役目を務めるためにリンクには通い続けた。


 一方で、学校に通うのは恐ろしく苦痛だった。
 学校にいること自体はそれほどでもなかったのだけれど、朝、学校へ行くという行動がとても辛かった。
 なので、瞬間移動して教室に入る能力がもし僕にあるのなら今こそ発動してくれないかと願ってみたのだけれども、いくら中二でもさすがにそれは無理だった。
 毎朝ぎりぎりまで家でうだうだしていると、いつもは僕たちを見送ってからパートに出かける母が、自分の出かける時間を気にしてイライラし始めた。
 仕方がないので僕は登校時間を逆に早めることにした。早めに学校に行っても何もすることはなかったし、夜が遅くて寝不足気味だというのに、まったく迷惑な話だったけれど、そうするより他に仕方がなかった。なぜだか分からないけれど、そうすることで僕は学校に行くことができた。


 数日が過ぎ、セッションの日が訪れた。
 寒い夜だった。
 僕は田舎の駅のロータリーに一人きりで立っていた。初めて利用するその駅は、人も車も少なくとても寂しかった。

 目の前にいかにも陽向さんの家らしい、小さくて上品で可愛らしい感じの車が止まった。
「制覇君!」
 輝くような赤い車の中から陽向さんの笑顔が覗いた。
 今日のリンクは駅から少し遠い上に、行きにくい場所にあるらしく、僕はリンクの近くの駅から陽向さんの家族に連れて行ってもらうことになっていた。陽向さんの顔を見るなり、僕はほっとした。

「どーぞ、どーぞ」
 陽向さんと同じで華やかで愛想の良いお母さんが、運転席から体を伸ばして助手席の扉を開けてくれた。僕は「こんばんは」と言いながら、車に乗り込もうと前かがみになった。
 !
 何この匂い!?
 僕は思わずマフラーで口を覆った。
 女性二人の園である車の中は、いい匂いを通り越して謎なお花畑のような匂いで混沌こんとんとしていた。
 僕のしぐさを見て陽向さんの母親が笑った。
「寒かったでしょ~。早く、乗って、乗って!」
 僕が乗りこむと、彼女は着ているコートを脱いだ。現れたおしゃれなセーターの上には、何連ものネックレスがかかっていた。僕の母親と同世代とは思えないくらい気合いの入った人だった。
「ママ、暑くなってきちゃった。これ、預かってて」
 大きなダウンのコートを後ろの陽向さんに渡す。僕の横を通過する時、コートからは香水のような匂いがして、ゆるくまとめられた明るい色の髪からはまた違う匂いがした。

 陽向さんは後ろの席で、受け取ったダウンのコートと、自分の鞄と、いくつもの紙袋の中に可愛らしく埋もれていた。氷に乗っている時の貫禄はどこにもなかった。コートが大きなクマのぬいぐるみでも何の違和感もなかった。

 彼女を取り囲むいくつもの紙袋の中には、小説だの、漫画だの、手芸用品だの、化粧品だのが大量に入っていた。どれもずっと置きっぱなしという訳ではなさそうだった。全くホコリもかぶっておらず、漫画はきれいな最新刊ばかりだった。
 多くの親たちが送迎だけでなく、子どものレッスンが終わるのをリンクで待ったりしていることを僕は思い出していた。

 陽向さんは僕と目が合うと、はにかむように笑いながら小さく手を振った。
大袈裟おおげさでしょ。こんな分厚いコート」
 陽向さんがそう言うと、
「そうは言ったって、あのリンク、ものすごく寒いんだから」
 と陽向さんの母親がにこやかに言った。
 ハンドルを握るせた手の先には、細やかなネイルが丁寧にほどこされていた。


 陽向さんの母親の言う通り、そのリンクはいつものリンクよりもかなり冷え冷えしていた。着替え終わった僕は、すぐに陽向さんの姿を探した。一瞬見当たらないかと思った陽向さんは、いつもと違って見慣れないブルゾンを着て、リンクの近くで数人のおばさんに取り囲まれていた。

「陽向ちゃん!」
「プレシルバー、取れたんですってね~」
「良かったわね~」
「パートナーも見つかったんですって?」
 おばさんたちはそう言って陽向さんに口々に話しかけていた。おばさんのくせにみんな短いスカートを身に付けて、スケート靴を履いている。僕に気がつくと、遠目にちらっとこちらを見た。
「来年からが楽しみだわ~」
 あっさりスルーされた。

「陽向ちゃんが登場すれば、日本のアイスダンスも注目されるようになるかもしれないわね」
「私は陽向ちゃんが怪我したって聞いた時から、ダンスに転向してくれればって思ってたのよ」
 おいおい、それは失言でしょ!?
 陽向さんは笑って聞いている。
「あら、ごめんなさい」
 違うおばさんが謝った。
「でもほんと、応援してるわね」
 おばさんたちは次々と陽向さんの手を握った。

 その押し付けるような熱い応援に、陽向さんは満面の笑みで応えた。
「ありがとうございます」

「さっきの人たち、誰ですか?」
「さあ~? 他の先生のお弟子さんじゃないかしら? 相当ダンスを好きみたいだったね」
 陽向さんはそう言って笑っていた。一方的にファンになられている状況を、何も気にしてないらしい。
 そういえばいつものリンクでごくたまに、他の先生とダンスの練習をしているおばさんがいたような気がした。しかし声をかけて来るからといって、同じリンクの利用者とは限らない。陽向さんは近畿一円のスケーターの間ではよく知られていて、人気者のようだった。上手くて可愛いのだから当然と言えば当然だ。

 彼女たちの興味の対象は、陽向さんだけだった。当たり前だけど。僕なんかに興味がある人間なんて、いるはずがない。

「今日の練習には色々な人が来るのよ。私も知らない人ばっかりなの」
 リンクに次々と集まってくる人を見ながら、陽向さんは言った。そこに来るのはいつもとは随分違う層の人たちだった。僕たち以外に子どもはまったくいない。

「緊張してる?」
 僕がずっと浮かない顔をしていることに気づいたのか、陽向さんがそう言った。
 慣れない場所に来たことを心配してくれているのだと思った。だけど、陽向さんが気にかけてくれていたのはもっと違うことだった。

「大丈夫。バッジテスト、難なく合格できると思うよ」

 それは見当違いな励ましだったけれど、本来、今の僕に必要な言葉だった。
 そうだ。僕はバッジテストを受けるんだった。今日はその六課題を完璧に覚えないと。

「誰と受けるか、決まってる? 先生とか?」
「いいえ」
「もし本番私と組んだ方が良かったら、遠慮せずに言ってね。相手するから」
 陽向さんはまっすぐな目をして笑った。

「さむっ」
 突然、陽向さんの笑顔が崩れた。彼女は自分の腕に手をまわして震えた。
「これはアップが必要だわ。暖房室があるからそこで柔軟して、それから少し一緒に走ろ!」
 陽向さんはテンションを上げるようにそう言うと、僕の手をぱっとつかんだ。

 僕は陽向さんに手を引かれ、暖房室まで走った――。
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