Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第一部

22.目覚め 1

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 セッションというのはいわゆる社交ダンスのようなもので、練習の場というよりはどちらかというと実践というか交流の場らしかった。普通はその場に集まった色々な人と組んで楽しむものらしいのだけど、この日陽向さんに限っては、練習につき合ってくれるレベルの人をわざわざ専属で呼んでいた。

 陽向さんの相手は、年配の男性だった。すらっとしていて、バランスの良い体つきで、すごいスポーツマンにも見えなかったけど、全く運動をしていない人にも見えなかった。きちっとしていて、物腰がやわらかくて、上品な感じの人だった。
「今日はお呼び立てして申し訳ございません」
 という先生の嬉しそうな挨拶に
「いえいえ。こちらこそお声をかけていただけるなんて、大変光栄です。今日を楽しみにしておりました」
 とさわやかにお辞儀した。
 男の人にもこういう人っているんだな。僕は唖然あぜんとしてその人を見た。
 陽向さんは先生の隣で彼に向かって愛想よく頭を下げた。僕が上手くなるまでの間、陽向さんはこうやって他の人ともどんどん練習していくのだろう。僕はといえば、先生に「あの子です」と指をさされただけだった。

「メールでもお伝えしましたけれど、陽向ちゃんがヴィニーズワルツとチャチャコンゲラードを練習したいとのことですので、今日はついて回らせていただきますけれども、どうぞよろしくお願い致します」
 先生はそう言った。

 あれ?
 今日って、僕のバッジテストの練習がそもそもの目的じゃなかったっけ……? なんで先生、陽向さんについて回る気なの……?
 そう思って僕は二人の会話を聞いていたけれども、先生は完全に陽向さんのことを見るつもりでいるらしかった。知っていたことではあるけれども、この先生の陽向さんLOVEはすざまじく、僕のことなんてそのつけ足しくらいにしか思っていなかった。

 どうせそんなものなのだ。
 先生側にやる気がないのなら、もうバッジテストなんてやめてしまってもいいような気がした。陽向さんと試合に出るだけのことであれば、級なんて必要ない。これまでなんで急いで級なんて取りたいと思っていたのか、自分でも不思議なくらいだった。ちらっと気になったのは受験料一万数千円をすでに払ってしまったということくらいだった。

 そのうちにやっと先生から声がかかった。先生は別に僕を放置しようと思っていたわけではなかった。
「では、次。制覇君」
 その言い方から僕はその先を察した。先生は僕にも相手を用意しておいたのだ。その人に僕をたくすつもりなのだ。
 ああ~、この展開から行くと絶対オバサンだよね。さっきのおばさんのうちの誰かだろうか。それとも……。
「今日の制覇君の先生の……」
 先生は楽しそうに声を弾ませた。
「吉田君です!」
 って、男じゃん!!
 僕は思わず眉を寄せた。

「吉田君はね、すごいのよ~。とても頭が良いの。初めて来た時なんて、たった一回のセッションで第一プレリミナリーからなんとプレシルバーまでを一度に覚えてしまったのよ。それも男性パートだけじゃなく、女性パートまでね」
 いや、それ、女性パートは不要でしょ!?
「一回のセッションですべてを覚えたというわけではないんです。あれはあらかじめダイアグラムを読んでいましたから……」
 その言葉に、あの暗号を読める人間がいたのかと僕は驚愕きょうがくした。

「あの時は大変勉強になりました。陽向さん、プレシルバー合格なさったそうで、おめでとうございます」
 そう頭を下げる暗号解読者の吉田という人は、背がひょろ長く、眼鏡をかけ、その眼鏡に前髪がだらしなくかかっていて、いかにも運動できなさそうな人だった。本来美形の要素を持ち合わせていそうなのだけれど、しかしそれをおおいつくすように何とも言えない雰囲気がただよっていた。
 姫島先生は「今日の先生」と言っていたけれども、どう見ても先生には見えなかった。間違いなくどこかの大学生かなんかだ。まるで頼りになりそうにない。今日の練習大丈夫なんだろうかと不安になっていると、先生は覚えさえすれば合格できるからと楽天的なことを言った。覚えることに関しては吉田さんに絶対の信頼を置いているようだった。

 吉田さんはまず最初に、これまで僕がどうやってパターンを覚えようとしてきたのかを尋ねた。先生を追いかけたり、DVDを見たりしながらステップを口に出して覚えてきたということをそのまま伝えた。すると、今回覚えるのはプレブロンズまでだけれども、その先のパターンは覚えているのかと聞いてきた。ブロンズとプレシルバーだったか定かではないけれど次の六曲は滑れると答えると、それはどうやって覚えたのかと言う。それは陽向さんと練習しながら何となく覚えたと答えた。

「DVDを何十回も見たはずなのに覚えられている気がしない。ダンス名を言われても、ステップがスラスラ言えない。なのにその先の課題を滑ることはできる……なるほどねぇ」
 と彼は言った。しばらく考え込んだ後、ふいに彼は天井を指さした。

「聞いての通り、下の方の級から順番に曲がかかるんです。曲がかかっている間自由に滑っていいのですが、どのくらい滑れるのかを見たいので、どうですか? 前の人が滑っているのを見ながらで構わないので、滑ってみませんか」

 前の人を見ながらなら滑れるかもしれない。僕はその提案にうなずいた。
「では私が女役をやります」
 げ!?
「あの、覚えられさえすれば良いので、相手はいらないんですけど」
 気を使った言い方はしているけれど、内心全力で拒否してるの、通じるだろうか。
「テストも近いし、せっかくなので組んで練習した方が良いでしょう。それにセッションに来ておいてシャドーはいかがなものかと」
「……えーと……」
 反論のしようはないものかと僕は考えた。陽向さんちの車で来てるんじゃなかったら、速攻帰りたい。
「それにあなたの反応が面白いので、私は是非とも組んでみたいです」
 ほんと、陽向さんちの車で来てるんじゃなかったら、速攻帰りたい!!!!!

 僕はちらっと陽向さんの方を見た。彼女はかかっている曲とは全然関係のないステップをさっきの人と先生とで熱心に練習していた。とても助けてもらえる気配ではない。観念するより仕方がないと思ったその時、吉田さんは言った。
「が、その前にお伝えしておかなくてはなりません。ご存知かもしれませんが、アイスダンスは何が起こってもすべては男性の責任です。私が女役をやるからには、私がこけてもあなたの責任、私が怪我してもあなたの責任です。おそらく私はあなたより圧倒的に滑走力がないはずですので、特によろしくお願いします。何かあったら責任取っていただきますので、そのつもりで組んでください」
「要はこけさせなきゃ、いいんですよね?」
 僕は投げやりな調子で返事をした。
 アイスダンスは女の子に怪我させちゃいけないし、男はそのつもりでしっかりしなくちゃいけない。だけど……だけど吉田さんは男だよね!?
「よろしくお願いします」
 そう言ってスマイルされても、全然嬉しくないですから!!

 そうして僕たちはダッチワルツのスタート地点についた。僕は吉田さんの左隣に立つと、左手で彼の左手を自分の体の前にとり、右手を後ろから腰に回した。
 前の人が数歩進み終わったのを確認し、スタートする。ところが、滑り出し一歩目から僕の予想していないことが起きた。

「あの、私置いて行かれてるんですが……」
 僕の斜め後ろから情けない声がした。隣り合ってしっかり組んだ状態からスタートしたはずなのに、そのホールドが崩壊しそうになるほど、僕と吉田さんとの距離は開いていた。
 まだ一歩目だというのにいきなりこんなに差が開くなんて。吉田さんの滑走力のなさを知り、驚きあきれた。
「あー、仕方がないですね。じゃあ少しスピード落とします」

 そう言って僕は吉田さんの走れるスピードに合わせて再スタートをした。
 ところが、今度は助走を終えカーブに差しかかった所で、カーブの外にいる吉田さんがカーブを回りきれないという現象が起きた。
「エッジ深いですね。深すぎて私には回りきれません……」
 男ならこれくらいどうにか回りきってよと心の中で叫びながら、僕たちは一旦そこでダンスの輪から外れた。

「私、言いましたよね。滑走力あなたよりないって」
 あまりのリタイアの早さに僕はため息をついた。これでは練習にならない。僕たちはリンクの壁際に寄って立ち止まった。滑走の順番待ちをしたり、談話したりしている人たちが何人か同じように壁際に集まっていた。

「制覇君、君、シルバーサンバの後半、苦労してませんか?」
 吉田さんはこちらをうかがうように、そっとそう言った。
 そう。確かに僕は吉田さんの指摘のような苦労をしていた。といっても、僕が苦労しているのはそこに限った話じゃないけど。

「何となく、パートナーとの息が合わないとか」
「……」
「二人の距離感がつかめないというか」
「あの……、なんでそう思うんですか?」
「なんでも何も、組めば自明ですが……」

 お見通しとでも言いたげにそう言われたのが悔しくて、一応つっこんでみた。
「でも、そんな感じがするのはシルバーサンバの後半だけじゃなくて、色んなパターンダンスでですよ?」
「色んなパターンダンスでそんな感じがしちゃうんですか。ということは、キリアンポジションが特に苦手という訳ではなく、ホールド全般において重症、ということになりますね」
 僕の反論は吉田さんをやり込める方向ではなく、むしろ僕を不安にさせる結果になった。

 ダッチワルツやシルバーサンバの一部は男女が隣り合うキリアンというポジションを取るのだけれど、他のダンスでも苦労しているということは、僕が特定のポジションを苦手としているのではなく組み方ホールド自体に問題があるのだと吉田さんは言っているのだ。

「何か、まずいんでしょうか?」
「そうですねぇ。よくこんなホールドでプレシルバーの課題なんかを練習してきましたね。奇跡としか言いようがありません」
「重症だの奇跡だのって……。ホールドはちゃんとやってるつもりだし、先生や陽向さんとこれまで組んできたけど、あんた……いえ、吉田さんとさっき組んだ時起こったようなことは一度も起こったことはないですよ!?」
「それは、相手が上手いからでしょうね。それが良かったというか、かえって悪かったというか」
「え……?」
 いやいや、相手が上手いから悪かったとは言われたくないですよ? どう考えてもあなたが下手過ぎたのがまずいとしか僕には思えませんが、と言いたかったがやめた。僕はいつの間にかこの人に、理子さんと同じ変わり者ならではの何かを感じ始めていた。

「君、リードというものをどう考えていますか?」
「え? ホールドじゃなくて、リードですか? リードは、女の子が気持ちよく踊れるようにコースやなんかを判断して、『こっちですよ』みたいにエスコートしてあげることですかね?」
 って、口に出すのは恥ずかしすぎる。僕は後ろを向いてリンクのフェンスに顔を伏せた。
「そうですね。とても教科書的答えですね。あなたのやっていることも大変理想的ではありました。体の向きも手の位置も教えられた通りだろうと思われました。まあ私ダンス歴浅いんで、簡単な範囲でしか分かりませんけどね」
 この人のダンス歴が浅いのはいいとして……
「じゃあ、特に問題はないってことじゃないんですか?」
「ところが致命的なことにですね、あなたのリードは……肝心なツボを外しているんです」

 その言葉の真意と改善策を知るため、僕はなぜか女性パートを滑らされるはめになった。もちろん吉田さんの提案だ。
「ほんとにこれでさっきの言葉の意味が分かるんでしょうね?」
 いたずらに女性パートなんてやらされたのではたまらない。僕は不機嫌そうに念を押した。
「やってみないと分かりません。でも、ここでヒントを得ておかないと、あなた後々苦労しますよ」
 妙に説得力があった。
「次はキャナスタタンゴです。男女同じステップだから、女性パートでも問題なく滑れるでしょう」
 キャナスタタンゴはリバースキリアンと呼ばれるポジションで組むダンスだ。ダッチワルツとは男女の立つ位置が逆になる。

 スタートの前に吉田さんは言った。
「滑っている間、意識しておいて欲しいことがあります。男女のポジションをキープするのが難しそうな箇所はどこか、ということです。多分滑っているうちに、自然とここだと分かると思います。が、もし分からなかったら……重症、奇跡、致命的を越える言葉を私は探さなくてはなりません」

 心して滑らねばと思わされた。
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