Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第二部

37.本気の世界 1

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 次のレッスンで、僕はリンクに着くなり陽向さんに先生の元へと連れて行かれた。
「ロシア、アメリカ、フランスどこがいい?」
 気合いが入っているのか怒っているのか見分けのつかない剣幕で先生は言った。
「もうこうなったら本気で行くわよ! 本気で!」
 一体何がどうなったのかは不明だけれど、僕は陽向さんと二人で夏休みに海外で合宿をすることを提案された。

「港さんが私をパートナーに選ばなかったことで、火がついちゃったみたい」
 先生に聞こえないように、陽向さんが僕にささやいた。
「見てなさい、港君! シニアで一緒になることがあったら、後悔させてあげるんだから!」
 躍起やっきになっている先生を眺めて、陽向さんはふふっと笑った。
「港さんが私を選ばなかったんじゃなくて、私が制覇君を選んだのにね」
 どういうつもりだかそんなことを堂々と言うもんだから、僕は顔が熱くなるのをどう抑えていいか分からなかった。

「でもちょうどよかったわ。先生もやっと制覇君を認めてくれたみたいで。制覇君だって、あれだけのパフォーマンスを見せてくれたんだもの。本気でやることに異議はないわよね?」
 陽向さんはご機嫌であの日のことを振り返った。あの日僕は、上手く滑れたんだろうか。

「そうだ。ねえ、パスポートは持ってる?」
「え? いえ、持ってませんけど」
「じゃあ、急いで取らないとね」
 陽向さんは目をきらきらさせて微笑んだ。
 海外にはアイスダンスの良い先生がいるのだそうだ。そこに行けば本格的な指導をみっちり受けることができるのだという。
 ついこの前まで進歩が見えないことをなげいていたのに。それが海外で合宿だなんて。

「あ」
 海外でレッスンを受けるところを想像して、重大なことに気がついた。
「すいません、僕、英語しゃべれません」
 その言葉に陽向さんが吹き出した。
「大丈夫、大丈夫! 体使うことだし、なんとなく理解できるから」
 陽向さんは事もなげにそう言った。
「それから行き先なんだけど、制覇君に特に希望がないのなら、アメリカでどうかな? 前にお世話になった知り合いの方の所にステイさせてもらえば、宿泊費の心配もいらないし。そこがだめでもアメリカなら他にも父の知り合いがたくさんいるの。そしたら旅費とお小遣いだけで行けるから安心でしょ」
「そうね。もし何かあってもお知り合いがいれば心強いでしょうし」
 二人の高ぶった声に、僕の気持ちも高ぶった。
 やっと前に進めるのだ。やっと。それも、ずっと大きく。
「じゃ、制覇君。ご家族にもこのことを伝えておいていただける? 詳しいことは私からもまたお話しするから」

 その夜合宿の話をすると、いい経験になるから行っておいでと母は言ってくれた。
「にーちゃん、アメリカ行くの? なんでなんで?」
 興奮したようにそう聞いてくる大義の様子がおかしかった。
「いーだろー」
 僕は完全に舞い上がっていた。
 ところが父に、それは今やるべきことなのかなとひっそりとつぶやかれた瞬間、一気にその気分は沈み込んだ。
 僕は、中学三年生だった。

 翌日。僕は合宿に行けないと迷惑かと先生に尋ねた。
「行けない? そんなの困るわよ」
 先生は遠慮なくそう言った。
「そう……ですよね」
「どうして行けないの? ご両親に反対されたの?」
「あ、いえ、反対というか……」
 明確には反対されなかった。だけど、行くなと言われているような気がしてしまったのだ。
「受験生!? 制覇君、受験生なの!?」
 先生は僕が受験生だということに驚いて、それから脱力したように言った。
「そう……。まわりがエスカレーター式の子ばかりだから、気がつかなかったわ」
 先生は気落ちした様子で何かを考えて、ふと思いついたように言った。
「制覇君、あなたスポーツ推薦で進学すればいいじゃない」
 先生は、陽向さんの学校を受けてはどうかと僕に言った。その話に陽向さんは嬉しそうな顔をした。
「陽向ちゃんの相手としてやっているって言えば、通るんじゃないかしら。戦績は冬には出るわけだし」
 陽向さんはこくこくうなずいていた。
 受験の心配がなくなれば合宿も問題なく行けるでしょうと先生は言った。陽向さんは高校の名前をメモして渡してくれた。
「インターネットにも学校紹介が載ってるわ。いい学校よ。制覇君もきっと気に入ると思うわ」

 帰りの電車の中で、僕はそのメモの文字を眺めた。大阪にあるのだろう、聞いたことのない名前だった。でも駅に近いから僕の家からでもそんなに苦労せずに通えると陽向さんは教えてくれた。
 陽向さんと同じ学校……。
 ここに通うことにすれば、受験の心配もなくなるしアメリカにも行けるんだろうか。
 行きたいな。

 帰って調べてみると、その学校は私立だった。
 パソコンを前に、僕の両親はうーんと考え込むようなため息をついた。
「あのね、前にも言ったけど、私立に行くとなるとスケートに回せるお金がなくなるのよ」
 困ったような顔で、母は画面に目をやっていた。
「でも……説明会だけでも行ってみようかしら」
 そう言う母の横で、父はしばらく考え込んでいた。

「あのさあ、お前、将来どうしたいとかあるの?」
「え?」
「お前、アイスダンス始めてまだ半年だよな。試合にも出たことがない。それでスポーツ推薦もらってどうするつもりなんだ? この先、それをずっとやっていこうとかいう決意でもあるのか?」
 そんなこと考えたこともなかった。スポーツ推薦というのは、そんな将来のことまで考えなくてはならないようなことなんだろうか。僕はテストを受けずに高校に入れてくれるのなら、それでいいと思ってるだけなんだけど。

「そもそもなあ、スケートの先生は世の中スケート中心に回ってるつもりなのかもしれないけど、普通は実績もない生徒を推薦なんかで取ってくれるとは思えないぞ。海外での合宿っていう話も、なんか話が飛躍しすぎている気がするんだがなあ」
 父の言葉に、僕よりも先に母が口を開いた。
「ちょっと。なんで一生懸命やろうとしているものを邪魔するのよ?」
 その口調の強さに父は尻込みする。
「いや、何も邪魔してないよ?」
「でも随分文句ありげな言い方よね? 合宿についても」
「いや、俺はどういう状況なのかよく分からないから聞いてるだけだよ。そんなつい最近始めたもので、海外とか推薦とか、びっくりするだろ普通」
「つい最近始めたばかりなのに、そんな声がかかることがすごいんじゃない! 親っていうのは、こういう時に子どもの応援するものでしょ? それを、どうしてそういう言い方するのかしら!?」
「いや、だからね……」
 二人の話はかみ合わず、僕を置いて二人はいつまでも続けていた。

 昔は両親のことを二人セットで親だと思っていたけれど、母には母の、父には父の考え方があるようだ。
 しかしそうなると、僕はどちらの意見をどう受け取ればいいのだろうか。父は何か言いたげだったけど反対しているわけではないというのなら、僕はアメリカに行ってもいいんだろうか。母は応援すると言ってくれているし、高校も見に行くと言ってくれているんだし。でも、実績がないと推薦では入れないっていうのが本当だとしたら……。

 将来どうしたいかなんて、この頃の僕には何の考えもなかった。アイスダンスとこの先どう付き合っていくのかという父の問いかけに向き合って答えを出すほど、僕は大人ではなかった。

 翌日、学校に行っても相談したい相手は来ていなかった。
 放課後、僕はモミの木を訪ねた。
 モミの木にはあのあと、カメラが数か所に取り付けられていた。大学生たちが自分のジャンプを撮っては、フードコートに置いてあるPCへと映像を確認しに動いていた。みんなが入れ代わり立ち代わり練習をしている中で、吉田さんだけがずっとPCの前に座って画面を眺めていた。

「こういうのって誰に相談すればいいんでしょうね」
 僕はそんな吉田さんの姿を見つけると側へ行き、今の状況を相談した。
「そうですねえ。私はこのあたりの進学事情には詳しくありませんが、あなたの年齢にとって進学というのは大切な問題だと思いますので……」
 吉田さんはそう言うと、テーブルに広げていたお菓子を僕にすすめてくれた。沈黙が続いた。吉田さんは言葉の続きを言うつもりはなさそうだった。
 その時、後ろから威勢のいい声がした。
「悩み事なら私に相談しなさい、私に!」
 観月理子みづき りこだ。
「なになに? どうしたのどうしたの?」
 理子さんは楽しそうに吉田さんの隣に座ると、なんの許可もなくお菓子に手を伸ばした。仮にも支配人なのに、こんなところで油を売っていていいのか。相変わらずな人だなあと思ったけれど、この人に相談するのはいいかもしれない。

 僕は理子さんに事情を説明した。理子さんは僕の話を聞くと、
「中学生のくせにアメリカ~? 生意気な! 私も行ったことないのに。十年早いわ」
 と偉そうに言った。
「あー、すみません。相談相手、間違えました」
 そこに北大路さんが走ってきて、理子さんのウィンドブレーカーを背中からつかんだ。
「先輩! 会議出てください、会議!」
「やだ、北大路君。見て分からない? 私は今、大事な話をしてるのよ」
 理子さんは大袈裟おおげさにそう言った。
 やっぱり仕事あるんじゃないか。僕は「うそですよ。単なる冷やかしです」と言って理子さんを北大路さんに差し出した。
 理子さんは僕を一瞬にらんだが、すぐに北大路さんの方を見て
「あなたどうせ出るんでしょ? だったら私出る必要ないじゃない」
 と開き直った。
「僕は部長として出るんです。バイト代出ませんから! 貸し切りの割り当てを決める会議に、リンクの担当者が出ないでどうするんですか。ほら、他のメンバーも集まってきてますよ」
 北大路さんはうだうだしている理子さんを事務室の方へと急かした。理子さんは北大路さんに連れ去られながら、遠くから僕に向かって叫んだ。
「アメリカに行くかと勉強するかは、関係ないでしょー! 公立高校くらい、気合でなんとかしなさ~い!」
 アメリカに行っても、一生懸命勉強すればいい――そう言ってくれているのか?
 しかし吉田さんは、理子さんの様子を見て小さく笑った。
「こういうのは人それぞれですからね。観月先輩のように、公立高校くらいという言い方ができたり、アメリカに行っても勉強をがんばれる人もいます。そういう人は、今スケートをやりたければ、精一杯やればいいと思いますよ。でもあなたは今、アメリカに行っていたのでは進路で困ることになるかもしれないと感じているわけでしょう? だったら、その判断は大切にした方がいいと思います。もし私立に行くことになったら、スケートにお金を回せなくなるかもしれないんですよね。だったら、なおさらですよ」
 それはとても真っ当な意見に思えた。だから僕はすごくがっかりした。
 僕は本当は、アメリカや私立に行くもっともな理由を言ってくれる誰かを、探していたのだ。
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