Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第二部

38.本気の世界 2

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 モミの木の裏にある山の反対側には、宝ヶ池という大きな池がある。それを囲む公園の並木道を、僕は朝のランニングコースにしていた。
 新緑が気持ちのいい季節になった。早朝だというのに、ジョギングをする人々の姿が以前より増えてきていた。
 池のそばにきれいな後姿を見つけた。すっと空に伸びるような立ち方の美しい女の子。アイスダンスをするようになってから、どうしても人の姿勢に目が行くようになってしまった。その子はパーカーに短パンで、隣に茶色の大きなブチのある犬を連れていた。どちらもそろって池に浮かぶ数羽の鳥を見ていた。

「アレックス。美味しそうな鴨だね」
 果歩だった。
「おーい、お前はそんなしょーもないことを考えて鳥を見てんのか?」
 後ろから声をかけると、果歩は僕の方に振り返り、慌てたように笑顔を作った。
「や、やだなー。アレックスの心の声と会話してただけだよー。私が狙ってるわけないじゃない、鴨!」
 鴨、というところの声が、少し弾んでいるように感じられたのは気のせいだろうか。
 その横でピンと尻尾を立てたアレックスが、ワン! と声を立てた。
「ああ、こら。アレックス!」
 垂れた耳を上下させて、アレックスはぴょんぴょん僕に飛びかかった。果歩はその結構な大きさの犬を抱え上げた。そいつは果歩の腕から身を乗り出して、僕の顔をぺろりとめた。
「うひゃー」
 後ずさる僕の顔に向かって、果歩は嬉しそうにアレックスを突き出してくる。
「『制覇、だいすき~。ぺろぺろ~』」
 僕はその声に追いかけられながら、アレックスに顔中を舐められた。
「なんなんだ? こいつ」
 やっと攻撃が収まり隣を見ると、今度は果歩が舐めまくられていた。犬は嬉しそうに尻尾を振っていた。

「制覇が会いたいって言ってたから、散歩コース変更して連れて来たんだよ」
 気が済んだらしい犬を地面に下ろすと、果歩はポケットからハンカチを取り出し顔を拭いた。一番最後に唇をぬぐうと、そのハンカチで僕の顔を拭こうと手を伸ばしてきた。
「な……なにっ?」
「べたべたになっちゃったでしょ」
「誰のせいだよ、まったく」
 僕はそう言うと、慌ててTシャツのすそで顔を拭った。

 アレックスに先導されて、僕たちは池のまわりを走り出した。隣に手を伸ばすと、果歩はアレックスの綱を僕に持たせてくれた。
「制覇、昨日進路のことで吉田さんに何か相談してたんだって?」
「うん。まあ。おかげで色々と……」
 納得は行かないけど方向は決まったかな。
「どこの高校行くつもりなの?」
「き……」
 公立高校の名前を出しかけて、言葉を止めた。果歩みたいに成績のいい奴の前に出す名前ではないような気がした。
 しばらく黙っていると、先に果歩が口を開いた。
「私はね、北山高校」
「え!? なんで!?」
「ふふっ。私みたいに頭のいい子がなんでって思った?」
「いや、それ自分で言う?」
 そう突っ込んでみたけれど、果歩がいつも数学で満点を取っていたのは事実だった。だから当然もっとずっといい高校に行くものだと思っていたわけで、それがまさか僕と同じ高校を志望しているなんて。僕の頭の中は疑問符で一杯だった。
「なんでだと思う?」
 果歩が僕に聞いた。
 ちらっと果歩を見ると、果歩も僕を見ていた。
 なんで……だろう。
「答えはわりと簡単なんだけどなあ」
 果歩は僕の前に回り込むと、いたずらっぽい顔で僕をのぞき込んだ。
「分からない?」
 アレックスも振り返って僕を見た。
 まさか。
「実はね、私……」
 そう言うと果歩はにっこり笑った。
「数学と理科の計算問題以外は全然できないんだ」
「え?」
「去年一緒のクラスだったのに、気がつかなかった?」

 果歩はケラケラ笑いながら走る速度を上げた。アレックスも嬉しそうにペースを上げた。
 肩透かしを食らったような気もしたけれども、僕はなんだかほっとして「ばーか、ばーか」と笑いながら二人(一人と一匹?)を追いかけた。
 途中、
「僕も北山高校」
 と言ってから、小さな声で「……に行けたらいいなと思ってる」とつけ足した。
 果歩は
「馬鹿にしといて、一緒かい?」
 と嬉しそうに突っ込んだ。僕たちは二人で一緒になって笑った。

「蒼井君は東京の高校に行くんだってね」
 水飲み場を見つけると果歩はアレックスに水を飲ませた。
「すでに行ってるも同然だな。最近あんまり学校に来てないよ」
 僕はアレックスの頭をでた。散歩と水で満足したのか、さっきまでの興奮が嘘のように大人しくなっていた。僕はそんなアレックスをそうっと抱きしめて顔を寄せてみた。短い毛はビロードのようにつやつやで、あったかくて、土のようないい匂いがした。

「貸し切りでも姿を見ないからこの前声をかけてみたんだけど、強化メンバーになったし東京での貸し切りも増えたから、もうあんまりモミの木に来る必要もなくなったって言ってた」
「ふーん……」
 適当に相槌あいづちをうった僕は、果歩の言葉の中に無視できない単語が含まれていたことにしばらくして気づいた。
「あのさ、強化メンバーって何? 流斗たち、今どういう状況なわけ?」
「強化メンバーってのは活躍を期待される選手のことだよ。試合の結果なんかを元に選ばれて、連盟に練習やなんかを援助される」
「そりゃそうだろうけど……」
 そんな言葉の意味じゃなくて、問題は「流斗」と「強化メンバー」って言葉が一緒に聞こえたことだよ。
「強化メンバーになると、メンバー用の貸し切りとか合宿とかそういうのが開かれてね。そこでいつも以上の練習をすることになるんだよ。まあ強化選手にも色んなレベルがあるんだけど、上の方だと国際的な大会でいい成績出すことを目標にがんばるわけ。蒼井君は全日本ジュニアで優勝したんだから、当然国際大会出てねってことでしょ。世界ジュニアとか、期待されてるんじゃない?」

 国際大会。
 世界ジュニア。
 あいつはもうそんなものに向かって進んでいるのか――
 寝ぼけていたところを揺さぶられた気分だった。
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