Hand in Hand - 二人で進むフィギュアスケート青春小説

宮 都

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第三部

86.キス&クライ 1

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「アイスダンスの抽選を行います」
 公式練習終了後、進行を伝える運営がやって来た。

 僕は鞄と靴を持つと、運営について本部席へと向かった。抽選札を引き、滑走順が決まった。
「一番滑走が神宮路・蒼井組。二番滑走が音川・天宮組です。開始時刻は十六時二十分ですので、二十分前にはお集まりください」

 男子シングルが開かれている間、僕たちはエントランスホールで過ごした。コンビニで買った昼食を取り、陸上で軽く振りを合わせてみたりした。まわりではシングルの女の子たちも、少しずつ準備を始めていた。
 第二グループと第三グループの間の休憩時間になると、客席との間の扉が開き、観客がホールへと流れてきた。

「このアイスダンスの時間に抜けて休憩するよね」
 掲示板に張り出された時間割をチェックし、当然のように言う声が聞こえた。今さら驚きもしない。アイスダンスの扱いなんて、だいたいいつもこんなもんだ。

「観ないなんてもったいないよ。観ようよ。私の推し、教えてあげる」
 思いがけない言葉が聞こえた。
 誰がいったいそんなことを。慌てて後ろを振り返る。でも声の主は、扉の中へと戻っていく人の群れに紛れて、姿を見ることはできなかった。

 十六時。
 僕たちは靴を履きかえ、男子シングルが終わるのを待った。少し離れたところで流斗たちがイメージトレーニングをしているのが見える。
 しばらくして、整氷車がリンクへと入っていった。

「ただ今より、全日本フィギュアスケートジュニア選手権大会、アイスダンスの部を始めます。選手はリンクに入ってください」
 アナウンスと同時に、リンクへの扉が開かれる。僕たちは練習滑走に飛び出した。

 いよいよだ。
 いったい何点取れば、勝てるだろうか。
 少なくともフリーは配点が大きい。シングルを見ていても、初日と二日目で順位の入れ替わりは普通に起こっている。弱気になる必要はない。そう言い聞かせる。

 六分間の練習滑走を終え、リンクサイドに戻る。
「観月さんから、昨日の試合を皆さんで見たと連絡いただいたわ。オーナー様も今日の演技を楽しみにしてらっしゃるそうよ。がんばりましょう」
 楽しみにしている……か。
 僕は小さくうなずき、ウィンドブレーカーに袖を通した。

「一番。神宮路氷華・蒼井流斗組」
 その声に僕はリンクへと近寄った。
 観客席から大きな拍手が起こった。銀色の衣装を纏(まと)った二人がリンクの中央へと向かう。
 彼らが舞台の中央に立つと、大きな拍手がぴたりと止んだ。

 きれいな立ち姿だった。銀の衣装ではなく、彼らそのものが光っているように見えた。
 どうして僕は、出番前にこんなものを見ようと思ったんだ。
 こんなものを見て、僕はこのあと冷静に戦えるのか?

 一つ目の音がゆっくりと耳に届く。神宮路さんの指先が動き始めるのが見えた。観戦していることに後悔しながらも、僕はもう目をそらすことはできなかった。

 不思議なプログラム。今までに見たこともない。面白くて、飽きなくて、きれいだ。

 氷の上を舞う二つの銀の光。くるくると入れ替わりながら円を描いたかと思えば、絡まり合い、一つになる。そしてまたほどけ、先に行く一つをもう一方が追いかけていく。

 弦楽器の音色とともに、繰り返し繰り返し。
 それは繰り返される毎日のよう。繰り返し繰り返し、同じようだけれど、少しずつ変わっていく。
 その時々に色々な人と関わり合い、手を取り合って。そしてある時、自分ではない誰かが同じような道をたどり始める。

 そんなメッセージを受け取っているような心地に、はっと焦る。
 これってあいつが、インタビューで話していたことじゃないか。
 こんな意味不明なこと考えながらアイスダンス見る奴なんかいないと思ってたのに。
 しっかりメッセージを受け取ってしまっている。

 この二人は、なんていう表現者だ。
 自分たちの表現をこんなにも追い求めている。これまでのやり方にまったく捕らわれずに。

 陽向さんがじっと二人を見ている。ライバルにこれほどの演技をされても打ちのめされるどころか、彼らの演技からまるでエネルギーでも得ているかのように、その目は生き生きとしている。
 ずっとずっと不思議だった。この人はなぜこんなにも不安に揺るがないのかと。実力があればそこまでの自信が持てるのかと思ったこともあった。でもそれは違うのだ。これは表現者の魂がもたらす姿なのだ。
 そして上本があんなに強く変われたのも同じ理由なのだろう。
 彼らはみんな、氷の上でやりたいことがある。
 そのために氷に乗るのだ。
 彼らの表現したいことは、他の誰かに代わってもらうことなど絶対にできない、彼ら自身でしか追うことができない。

 会場は水を打ったように静かだった。
 すべての観客が一つになって、二人の世界に惹き込まれていた。

 時の流れを忘れ演技に見入っているうちに音楽が鳴りやんで、体の中では波の余韻のように、弦楽器の音色が響き続けていた。会場もしばらくの間、静けさを保っていた。

 僕は何のために今日滑るんだろう。
 彼らにしかできない舞台を成し遂げた二人を前に、僕は静かに自分を見つめていた。

 僕がアイスダンスをやる意味はどこにある?

 そこに導かれたのは、昨日とは違う答えだった。

 僕と陽向さんの内にある世界を見える形にできるのは、僕たち二人しかいない。そしてそれを楽しんでくれる人が待っている。

 まだ得点も出ていないというのに、降り注ぎ始めたたくさんの拍手と歓声に僕は確信する。

 勝つか負けるかなんていう結果は、やることをやり切った後についてくるだけのこと。


 先生が僕たちの背中を押した。
「たくさんの人の応援があることを忘れずにね。音楽をよく楽しんで。行ってらっしゃい」
 それは昨日とほとんど同じ言葉のはずなのに、なぜか今日はとても温かく、明るく聞こえた。

 僕は隣に手を伸ばした。陽向さんがにこりと僕に手を重ねた。
「二番。音川陽向・天宮制覇組」

 名前を呼ばれたこの時から、演技は始まる。
 顔を上げて、表情を整えて、僕たちはリンクの真ん中へと滑り出した。
 僕たちは今から、ハーモニーを奏でる喜びに目覚める二人になる!
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