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実家に戻った大樹さんが帰ってこない。いや、別に連絡が取れず行方不明になっているわけじゃない。お母様が倒れ、入院したと聞いた。前々から体調がすぐれないことが多くあったそうだが、このところ特に調子が悪くついに倒れたとのことだった。彼の父親はすでに離婚し縁が切れている。お姉さんが地元で結婚したので入院の手続き、面倒見はお姉さんがしているらしい。
入院したのはわかった。でも、一週間も戻ってこない理由は何?
ざわざわと胸の奥がざわめく。背筋がゾクゾクする。髪の毛が逆立ち頭皮がチリチリとする。指先からすうっと力が抜けていく、体が冷えて行くあの感覚、全身で警告を発している。
『土曜夕方の便で戻るよ』
彼からメッセージが届き、ホッとする。
結局彼は一週間地元、旭川に戻っていた。お店のお盆休みと重なったので、彼が仕事を休んだのは3日ほどで済んだ。
羽田まで迎えに行く。帰りは羽田空港内でデートと思ったのに、ゲートをくぐってきた彼を見て、それは無いとわかった。
「菜津ー、ただいま。」
「お帰りなさい。」
抱きしめられない代わりに、ぎゅーっと手を握られた。
こんな時なんて声をかければいいのだろう。チラリと頭一つ上にある彼の顔を見上げる。
「ん? どうした? お腹すいた?」
「もう、いつもいつもお腹すかせてる欠食児童みたいに言わないでよ。」
「でもさ、空港内って美味そうな寿司、蕎麦の店が多いんだよな。」
「海外からの人に美味しい日本料理を楽しんでもらうため?」
「なるほど。じゃあ、寿司、蕎麦、天麩羅どれがいい?」
「お腹すいてるの、大樹さんじゃない!」
「菜津の顔見たら腹減ってたの思い出した。」
「なんでよ!?」
空調ですっかり冷え切っていた私は温かい蕎麦を食べ、蕎麦湯を楽しむ頃ちょうどいい時間になる。展望デッキでトワイライトタイムの滑空路を眺める。
世の中のカップルならロマンチックに気分も盛り上がるのだろうが、なぜか私はシンと冷えていく、研ぎ澄まされていく感覚に不安を覚えた。
この感覚を知っている、覚えてる、思い出した。飛行機の離発着の音も人々のざわめきも全て掻き消える。大樹さんが私の顔を覗き込み、キスをした。
「わ、ごめん。泣かないで」
大樹さんが慌てて私の背をトントン叩き、頭を撫でる。まるで子供をあやしてるようだ。
暫くそうしてたら、彼が言う。
「母が倒れたって言ったよね?」
「うん」
「…癌、大分進行してて長くないらしい。」
予感が的中した。
「…そう」
人はいつか必ず死ぬ。死なない人間はいない。私は物心着く前に母が、中学生の時に伯父が、二十歳の時に父が亡くなっている。悲しみを知らないわけじゃない。でも、冷静に、人は必ず死ぬもんだと落ち着いている私は薄情なのだろうか。家族の愛情を知らないわけじゃない。父と兄姉に、末っ子として愛されたっぷり甘やかされてきた。
伯父も癌で亡くなった。看護師をしていた従姉妹は、とある週末に私たち家族を見舞いに呼び、父に「もってあと一週間ってところだね」と冷静に言った。総合病院の内科の看護師をしていた従姉妹の見立ては実に正確で、きっかり一週間後の深夜、電話が鳴り訃報が届いた。
あの時の従姉妹の顔が忘れられない。自分の実の父の余命をピタリと言い当て分かってしまうのは、どんな心境だったのだろうか。悲しみも諦めも通り越した、全てを受け入れざるを得ない、それを知っていた。
真夜中に鳴り響く電話の音が聞こえた、あの時の心のざわめき、シンと冷えていく感覚、それを思い出した。
「菜津、ごめん。重い話しちゃった。」
「…ううん、いいよ。話してくれてありがとう。今日、うちに泊まる?」
「うん。なんか、一人になりたくない。」
「わかった。帰ろう?」
彼の顔を見たら泣いてしまいそうで、私が泣いたら彼が泣いてしまいそうで、電車に乗れずタクシーに乗った。相当な金額になるが、そんなこと言っている気分ではない。
部屋に着き、窓を開け扇風機を回し部屋の空気を入れ替える。その間に大樹さんがシャワーを使う。窓を閉め、冷房を入れる。
ふと生ぬるい空気が流れてくるのを感じ、見に行くとやっぱりお風呂へ続くドアは半開きで、でも今日は鼻歌一つ聞こえてこない。彼が風呂から上がり、私が入る。
寝るにはまだちょっと早い時間だけど、ソファがわりにベッドに転がる。チラリと彼が枕元に置いてある小箱を見る、え? こんな日なのにやるの? と思ったけど、彼が望むなら、私で癒してあげられるのなら癒してあげたい。キスをし、ぽいぽいと着ていたものを脱がされ裸になる。でも、お互い裸になり肌を触れ合わせるだけでいいと知る。大樹さんが私の背を撫でる。私が彼の頬を撫でる、キスをする。それだけでいい。
「菜津、今日抱きたいって思ったけど、このまま寝ちゃってもいい?」
「ん、いいよ。疲れてるでしょ? ゆくっり眠って。」
「ん……」
「……」
「菜津」
「なあに?」
「…おやすみ。」
「…おやすみなさい。」
無の証明。なんだっけそれ。ふと浮かんだ言葉。仏教の考えだっけ? 悪魔の証明って言葉もある、悪魔って仏教じゃないからキリスト教的考え? とりあえず、有るということを証明するのは容易いけど、無いということの証明は難しいって話だった。人間に第六感がないと証明できた人はいない。なぜ私は、彼の母親のことに気がついたのだろう。長くないのは確かだろう。お会いしたこともないし、見ても従姉妹じゃあるまいし、あとどれくらいかなんてわからない。人はいつか必ず死ぬ、それは本人が、周りが、思っているより早いか遅いか。そんなことはわからない。わかっていてもその心の準備ができているかどうか関係ない。長く生きていれば、それが訪れる時期が後ろにずれ、母数が狭まり確率が高くなる。理屈じゃわかってても、どうにもならないのが感情で、物心つく前から人の死が近くにあって、私は麻痺しているのかもしれない。彼が必要以上に傷つかないでいてくれればいいと思う。そう思うのは傲慢なのだろうか。
朝目が覚めたら、泣きはらした時特有の目の重たさがあり、指先で瞼を触ったら腫れていた。目尻に微かに涙の跡があり、泣いたとわかる。彼の代わりに私が泣いたのかもしれない。
「菜津? 起きた? 怖い夢見た?」
「見てないはず。昨夜考え事してて気がついたら今だった。」
彼の低い優しい声を聞いて頭を撫でられると、ほっとする。自然と笑みがこぼれる。私が笑顔になると彼も笑顔になる。
「おはよう」
「おはよう」
顔中にキスの嵐が降り注ぐ。
「やっぱり俺、菜津がいないとダメだ。」
「ええ? 突然どうしたの?」
「先週一週間ずっと暗い気分で、何やっても晴れなくて。でも昨夜菜津に触れたら一晩で回復した。」
「してないのに?」
「うん。菜津ってすごいね。触っただけで人、治せちゃうんだよ?」
「ふふふ……大樹さんだけでしょ。」
「俺以外に発揮するなよ。」
「しないよ!」
「…菜津、回復しすぎた。」
「はい?」
「だから俺が、菜津の腫れぼったい瞼治さなきゃね。」
「あ! やだ、見ちゃダメ!…っん……はぅ」
すっかり泣きはらした腫れぼったい瞼のことを忘れていた。ブッサイクな顔を見せたくないのに、抵抗むなしくキスの嵐が再開される。おでこに唇を当てられ、そのまま止まる。
「?」
「菜津、やっぱり早く一緒に住もう? 朝、ベッドに菜津がいないの耐えらんない。」
入院したのはわかった。でも、一週間も戻ってこない理由は何?
ざわざわと胸の奥がざわめく。背筋がゾクゾクする。髪の毛が逆立ち頭皮がチリチリとする。指先からすうっと力が抜けていく、体が冷えて行くあの感覚、全身で警告を発している。
『土曜夕方の便で戻るよ』
彼からメッセージが届き、ホッとする。
結局彼は一週間地元、旭川に戻っていた。お店のお盆休みと重なったので、彼が仕事を休んだのは3日ほどで済んだ。
羽田まで迎えに行く。帰りは羽田空港内でデートと思ったのに、ゲートをくぐってきた彼を見て、それは無いとわかった。
「菜津ー、ただいま。」
「お帰りなさい。」
抱きしめられない代わりに、ぎゅーっと手を握られた。
こんな時なんて声をかければいいのだろう。チラリと頭一つ上にある彼の顔を見上げる。
「ん? どうした? お腹すいた?」
「もう、いつもいつもお腹すかせてる欠食児童みたいに言わないでよ。」
「でもさ、空港内って美味そうな寿司、蕎麦の店が多いんだよな。」
「海外からの人に美味しい日本料理を楽しんでもらうため?」
「なるほど。じゃあ、寿司、蕎麦、天麩羅どれがいい?」
「お腹すいてるの、大樹さんじゃない!」
「菜津の顔見たら腹減ってたの思い出した。」
「なんでよ!?」
空調ですっかり冷え切っていた私は温かい蕎麦を食べ、蕎麦湯を楽しむ頃ちょうどいい時間になる。展望デッキでトワイライトタイムの滑空路を眺める。
世の中のカップルならロマンチックに気分も盛り上がるのだろうが、なぜか私はシンと冷えていく、研ぎ澄まされていく感覚に不安を覚えた。
この感覚を知っている、覚えてる、思い出した。飛行機の離発着の音も人々のざわめきも全て掻き消える。大樹さんが私の顔を覗き込み、キスをした。
「わ、ごめん。泣かないで」
大樹さんが慌てて私の背をトントン叩き、頭を撫でる。まるで子供をあやしてるようだ。
暫くそうしてたら、彼が言う。
「母が倒れたって言ったよね?」
「うん」
「…癌、大分進行してて長くないらしい。」
予感が的中した。
「…そう」
人はいつか必ず死ぬ。死なない人間はいない。私は物心着く前に母が、中学生の時に伯父が、二十歳の時に父が亡くなっている。悲しみを知らないわけじゃない。でも、冷静に、人は必ず死ぬもんだと落ち着いている私は薄情なのだろうか。家族の愛情を知らないわけじゃない。父と兄姉に、末っ子として愛されたっぷり甘やかされてきた。
伯父も癌で亡くなった。看護師をしていた従姉妹は、とある週末に私たち家族を見舞いに呼び、父に「もってあと一週間ってところだね」と冷静に言った。総合病院の内科の看護師をしていた従姉妹の見立ては実に正確で、きっかり一週間後の深夜、電話が鳴り訃報が届いた。
あの時の従姉妹の顔が忘れられない。自分の実の父の余命をピタリと言い当て分かってしまうのは、どんな心境だったのだろうか。悲しみも諦めも通り越した、全てを受け入れざるを得ない、それを知っていた。
真夜中に鳴り響く電話の音が聞こえた、あの時の心のざわめき、シンと冷えていく感覚、それを思い出した。
「菜津、ごめん。重い話しちゃった。」
「…ううん、いいよ。話してくれてありがとう。今日、うちに泊まる?」
「うん。なんか、一人になりたくない。」
「わかった。帰ろう?」
彼の顔を見たら泣いてしまいそうで、私が泣いたら彼が泣いてしまいそうで、電車に乗れずタクシーに乗った。相当な金額になるが、そんなこと言っている気分ではない。
部屋に着き、窓を開け扇風機を回し部屋の空気を入れ替える。その間に大樹さんがシャワーを使う。窓を閉め、冷房を入れる。
ふと生ぬるい空気が流れてくるのを感じ、見に行くとやっぱりお風呂へ続くドアは半開きで、でも今日は鼻歌一つ聞こえてこない。彼が風呂から上がり、私が入る。
寝るにはまだちょっと早い時間だけど、ソファがわりにベッドに転がる。チラリと彼が枕元に置いてある小箱を見る、え? こんな日なのにやるの? と思ったけど、彼が望むなら、私で癒してあげられるのなら癒してあげたい。キスをし、ぽいぽいと着ていたものを脱がされ裸になる。でも、お互い裸になり肌を触れ合わせるだけでいいと知る。大樹さんが私の背を撫でる。私が彼の頬を撫でる、キスをする。それだけでいい。
「菜津、今日抱きたいって思ったけど、このまま寝ちゃってもいい?」
「ん、いいよ。疲れてるでしょ? ゆくっり眠って。」
「ん……」
「……」
「菜津」
「なあに?」
「…おやすみ。」
「…おやすみなさい。」
無の証明。なんだっけそれ。ふと浮かんだ言葉。仏教の考えだっけ? 悪魔の証明って言葉もある、悪魔って仏教じゃないからキリスト教的考え? とりあえず、有るということを証明するのは容易いけど、無いということの証明は難しいって話だった。人間に第六感がないと証明できた人はいない。なぜ私は、彼の母親のことに気がついたのだろう。長くないのは確かだろう。お会いしたこともないし、見ても従姉妹じゃあるまいし、あとどれくらいかなんてわからない。人はいつか必ず死ぬ、それは本人が、周りが、思っているより早いか遅いか。そんなことはわからない。わかっていてもその心の準備ができているかどうか関係ない。長く生きていれば、それが訪れる時期が後ろにずれ、母数が狭まり確率が高くなる。理屈じゃわかってても、どうにもならないのが感情で、物心つく前から人の死が近くにあって、私は麻痺しているのかもしれない。彼が必要以上に傷つかないでいてくれればいいと思う。そう思うのは傲慢なのだろうか。
朝目が覚めたら、泣きはらした時特有の目の重たさがあり、指先で瞼を触ったら腫れていた。目尻に微かに涙の跡があり、泣いたとわかる。彼の代わりに私が泣いたのかもしれない。
「菜津? 起きた? 怖い夢見た?」
「見てないはず。昨夜考え事してて気がついたら今だった。」
彼の低い優しい声を聞いて頭を撫でられると、ほっとする。自然と笑みがこぼれる。私が笑顔になると彼も笑顔になる。
「おはよう」
「おはよう」
顔中にキスの嵐が降り注ぐ。
「やっぱり俺、菜津がいないとダメだ。」
「ええ? 突然どうしたの?」
「先週一週間ずっと暗い気分で、何やっても晴れなくて。でも昨夜菜津に触れたら一晩で回復した。」
「してないのに?」
「うん。菜津ってすごいね。触っただけで人、治せちゃうんだよ?」
「ふふふ……大樹さんだけでしょ。」
「俺以外に発揮するなよ。」
「しないよ!」
「…菜津、回復しすぎた。」
「はい?」
「だから俺が、菜津の腫れぼったい瞼治さなきゃね。」
「あ! やだ、見ちゃダメ!…っん……はぅ」
すっかり泣きはらした腫れぼったい瞼のことを忘れていた。ブッサイクな顔を見せたくないのに、抵抗むなしくキスの嵐が再開される。おでこに唇を当てられ、そのまま止まる。
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