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血吸い花
お引越しの提案
しおりを挟むもう夜も遅い時間だ。
ドアの前でずっと話をしていると、他の住居者の方々にご迷惑になってしまう。
私は呂希さんとクラウスさんに『独房のように狭い部屋』に入ってもらうか、帰ってもらうかを一瞬悩んだ。
私が悩むよりも前に、呂希さんが私の両肩をがしっと掴んで、私に綺麗な顔をものすごく近づけてきた。
灰色の瞳があまりにも真剣に私を見ているので、一体何をされるのだろうと私は息を飲んだ。
「杏樹ちゃん。……僕のところに、来る?」
「ええと……」
「僕としても、杏樹ちゃんの居心地の良い部屋に永住したいのは山々なんだけれど、そうするとクラウスも一緒に暮らすことになる可能性があってね。さすがに、男二人で、六畳間はきつい。杏樹ちゃんの寝顔をクラウスに見られるとか、ありえない」
「私は構いません。その場合、私はキッチンの床で寝ます」
「ど、どうしてそうなるんですか……」
呂希さんが一緒に住むというのはまだわかる。
わかる――のかしら。なんだかなし崩しで一緒に居るせいか、納得しそうになってしまうけれど。
わかるような、わからないような。ともかく、多少は理解できる。
でも、クラウスさんは、会ったばかりの他人です。呂希さんも、そうだけど。
「私は呂希様の忠実なる僕。呂希様のお世話をするのが私の仕事です。つまり、呂希様の花嫁である杏樹様のお世話をするのも私の仕事です。因みに、給料制です」
「僕なのに、給料制なんですね……」
「ええ。私にも生活がありますのでね。といっても、やる気がなくて怠惰の極みであるところの呂希様が、社会人としての各種支払いや銀行の預金管理などできるはずもなく、全て私が行っています」
「呂希さんにお洋服を買ってきてくれたの、クラウスさんだったんですね」
「そうです。呂希様に他にご友人や協力者と呼べるような方はいません。なんせ、人間の好き嫌いが激しい方なので」
「クラウス、杏樹ちゃんと何仲良く話してるの? 僕の杏樹ちゃんなのに」
「悋気が強い男は嫌われますよ、呂希様。良い大人なんですから」
「杏樹ちゃん、クラウスなんかと話さなくて良いから。でも、このままじゃ確かに不自由だし、……杏樹ちゃんと離れるわけにはいかないし、僕のところに来て? 衣食住は保証するし。ちゃんとアルバイト代も払うから」
呂希さんが私の体をぎゅうぎゅう抱きしめて、縋るように言った。
特に何があったわけでもないのに、なんとなく修羅場、みたいだ。
たまたま帰宅してきたアパートの住人の方が、ぎょっとした顔をしながら私たちの横をこそこそ通り過ぎていくのがいたたまれない。
私は高校の制服だし、呂希さんは驚くほどの美形だけれど一般人に見えないし、クラウスさんはスーツ姿の外国人だしで、警察に通報されかねない。
借金取りに誘拐されそうになっている女子高生という光景に見えなくもない。
「よくわからないですけれど、分かりました。……その、ご迷惑じゃなければ……」
私は溜息交じりに頷いた。
お金に困っているのは、確かだし。
このまま何の目的もなく希望もなく、だらだらと生きるしかないのだろうと、思っていたのも確かだ。
私にはなにもない。失うものもなければ、欲しいものもなにもない。
ただ、毎日の生活を続けていくだけが精一杯だった。
だから――ここで提案を断って、呂希さんと会えなくなってしまうのは、やっぱり嫌だなと思う。
呂希さんの手をとればきっと、その向こう側に、世界がもっと広がっている。
私も、向こう側にいきたい。
――そうして私は、独房みたいな部屋を捨てて、外に向かって足を踏み出したのだった。
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