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玉藻由良
しおりを挟む白に朱色の線がひかれた狐の面は、顔を全て覆ってしまうつくりになっている。
顔は見えないけれど、その両耳には赤い水晶のような耳飾りがある。
月の光を受けた湖面のような艶やかな金の髪は、とても美しい。
金と、赤の印象が強い、見上げるほどに背の高い男性だった。
異国の方かと、一瞬思った。
けれど、仮面で顔を隠しているのだから――きっとこの方が玉藻由良様なのだろう。
「は、はじめまして……私、八十神家から参りました、八十神薫子と申します」
「――薫子」
狐の面の目の部分には、穴が開いているのだろうか。
こちらから見る限りではわからないけれど、きっと見えているのだろう。
私は、怯えた顔をしていないだろうか。
嘘をつくのは怖い。それと同じぐらいに、嘘がばれてしまうことが怖い。
「よく来た、俺の花嫁」
玉藻様はそう言うと、私の顔や頭を幼い子供にするようにして撫でた。
深く低い、男性の声だ。仮面の下から聞こえているとは思えないほどに、はっきりと聞こえる。
明るく穏やかな声音に、私は唖然としながら玉藻様を見上げる。
もっと――怖い方かと思っていた。
けれど、その声はどこまでも優しい。
「蜂須賀が君を連れてくるのを、今か今かと待っていた。君はどんな顔をしているのだろう、どんな声なのだろうと、ずっと考えながら」
「……玉藻様」
「あぁ、挨拶もせずにすまないな。俺は玉藻由良。玉藻家の当主であり、君の夫だ」
ぽつりと、雨が私の頬に触れる。
空は晴れているのに、白い雲から雨が落ちてきているようだった。
ぽつぽつと、大粒の雨が私の体や、玉藻様の体にあたって、玉藻様は空を見上げると、片手を軽く振った。
「すまないな、薫子。感情が昂ると、雨が降る。雨男などと呼ばれていてな、俺は」
その手の中に、いつの間にか朱色の傘が現れる。
玉藻様は傘を開くと、私を中に入るようにと促した。
傘にぱらばらと、雨粒がぶつかる音が響く。蜂須賀さんが「車を戻してまいります」と言って、私たちに礼をした。
「中に入ろうか。しばらく、雨はやまないだろう。薫子、こちらに」
「はい……」
玉藻様は片手で傘をさして、片手で私の手を取った。
触れる体温に、その手の大きさに、私はびくりと体を震わせる。
誰かの体温が――こんなに近いのは、はじめてのことだ。
「……すまないな、怖かったか?」
「ご、ごめんなさい……違うのです、怖くは、なくて……私……」
「知らない男の元に突然嫁げと言われたのだから、おそろしくて当然だ。それに、俺はこのような見た目だからな」
「玉藻様は、立派な方です。ごめんなさい、私……慣れて、いなくて」
「これから少しずつ、慣れてくれるだろうか。ここは君の家だ、薫子」
「……はい」
ほんの少しの邂逅で、玉藻様が私にとても優しくしようとしてくださっていることが理解できた。
それが分かると、罪悪感が肥大していく。
私は、私に優しくしようとしてくださっている方を、騙している。
最低だと。
玉藻邸の玄関は大きな引き戸になっている。
その先は土間で、土間をあがると長い廊下が続いている。
玉藻様が傘を閉じると、傘はどういうわけかその手の中から消えてしまった。
廊下の左右にも引き戸があり、畳敷きの部屋が並んでいる。
廊下には行灯が並んでいて、まだ真昼なのに炎がともっているようだった。
「薫子、屋敷は広いが、使っている部屋は本当に少ないんだ。昔はもっと、人がいた。だが、色々あって今は、俺と蜂須賀と、それから」
「シロです」
「クロです」
そう言いながら、廊下の奥から頭に耳のある少女と少年が、顔を出した。
白い髪の少女がシロ、黒い髪の少年がクロ。
その面立ちは、双子のようによく似ている。
二人とも、愛らしい着物の上からエプロンをはめていた。
「この二人は、俺の法力で使役している使い魔のようなものだな。この家の管理をしてくれている」
「シロは料理をしています」
「クロは掃除と洗濯をしています」
よく似た顔立ちの二人は、そろって頭をさげてくれる。
「薫子ともうします」
「お待ちしておりました、薫子様!」
「ようこそいらっしゃいました、薫子様!」
明るく元気に挨拶をして、二人は深々とお辞儀をしてくれる。
私が何か言葉を返す前に――まるで最初からその場には誰もいかなったかのように、二人の姿は消えてしまった。
驚く私の背中を軽く押して、玉藻様が足を進めるようにと促した。
「用事があるときは、名を呼ぶとすぐにあらわれる。用事がなくてもあらわれることもある。驚くだろうが、慣れてくれ」
「は、はい」
「緊張しているか、薫子」
「少し……」
「今日は一晩休んで、明日は祝いの席になる。慣例にのっとり、他の鎮守の神も呼ぶことになっている」
「他の、方々も……」
「あぁ。帝都守護職についている鎮守の神は、俺以外では三人。帝都を東西南北に四分割して、それぞれの場所を護っている。薫子は、彼らと会ったことは?」
「……ありません」
私は、背中を冷や汗が流れ落ちるのを感じた。
他の鎮守の神様たちの前で――私の嘘が、ばれてしまったら。
それよりも、玉藻様を騙してしまっていることが、苦しかった。
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