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由良様の素顔

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 鎮守様たちが帰ったあと、由良様は私の手を優しく取って立たせてくれた。

「薫子、足は痺れなかっただろうか」
「大丈夫です。由良様、申し訳ありません。私、ご挨拶もままならなくて」
「大丈夫だ。気にする必要はない。君の緊張ぐらい、皆に伝わっている。見た目は怖いだろうが、悪い者たちではない」
「はい。皆様、とても気さくで、仲がよさそうでした」
「そう見えたか?」
「違うのでしょうか」

「いや、どうだろうな。ともに仕事をすることもあるが、個人的に親しいというわけでもない。嫌いでもなければ、好きでもない。ただ、付き合いは長い。同胞であり、同僚だな」
「そうなのですね」

 由良様は私の手を引いて、広間を出て長い廊下を歩いていく。
 廊下の左右に並ぶ襖には、金魚が泳いでいる。
 波紋と赤い金魚の絵の描かれた襖も並ぶ廊下を歩くのは、これがはじめてだった。

 白い足袋が、廊下を歩く私の足音を吸い込んでくれている。由良様は音もなく歩いている。
 ひらひらと、由良様の着物や赤い耳飾りが揺れるのを、手を引かれて歩きながら眺める。
 由良様は、どこに向かっているのだろう。

「薫子、身を清めたら、初夜となる。……だが、その姿の君は美しい。もう少し見ていたい」
「……っ、……はい」

 私は俯いて、蚊の鳴くような小さな声で返事をした。
 夫婦になるのだと分かっていても、心が落ち着かない。
 本当に私でいいのだろうかと、まだ、心のどこかで思っている。
 由良様の言葉を疑うわけではないけれど、私が由良様の妻になれるということが、いまだに信じられないでいる。

「こちらに」

 いつの間にか現れたシロとクロが、正面にある襖を開いた。
 その先には、二間続きの広い部屋がある。四角い行燈には青い炎が灯っていて、四角い座卓にはお茶とお酒が用意されている。
 続きの間には一人ようにしては大きな布団が一組敷かれていて、床の間には花が飾られている。
 掛け軸にも、赤々とした金魚が泳いでいた。
 開け放たれた障子の先に、庭がある。
 庭には白い玉砂利と飛石が敷かれて、藍色の紫陽花が咲いている。それから、橋のかかった池がある。
 池の水は青く美しい色をしていて、昨日と同じように晴れた空から降る天気雨が、池の水面にいくつもの円を描いている。

 私たちが中に入ると、襖が閉じられる。
 由良様は私を連れて縁側に座った。
 私たちは、昨日と同じように並んで庭を見ている。
 由良様が軽く縁側に触れると、盆に乗った盃に入った酒と、湯呑みに入ったお茶が現れる。

 それから、小皿に水を丸めて中に青いものを入れたような、お菓子が乗っている。

「薫子。それは、水まんじゅう。君が昨日美味しいと言っていたと伝えたら、ハチが食べきれないぐらいに買ってきた。祝いの席で水まんじゅうというのは、俺にはいいのか悪いのかよくわからないが」

「昨日の羊羹も可愛らしかったですが、今日の水まんじゅうも空色で可愛いですね」

「ソーダ味だと。君も、ソーダ味が好きなのだと思われてしまった」
「好きです。多分、……少し、変わった味ですが、美味しかったです」
「生クリームが入っていて、生クリームソーダ味だと言っていたな。食べるか?」
「はい」

 由良様が私の口元に、水まんじゅうをフォークで刺して持ってくるので、私は素直に口を開けた。
 甘くて爽やかで、牛乳に似たまろやかな味が口に広がって、私は口元を手で押さえる。

「美味しいです、とても」
「そうか。それはよかった。祝いの席では、あまり飲み食いができないものだろう? 薫子は、ずっと俺の隣で固くなっていたから、心配だった」

 私の口元を指で拭いながら、由良様は言う。
 水まんじゅうを一つ食べ終えるまで、由良様は私の口に水まんじゅうを運んで、私は運ばれるままに口に入れて咀嚼して飲み込んだ。
 そうしていると、恥ずかしいけれど少し緊張がほぐれる気がした。

「薫子、少し、俺の話をしよう」
「はい」
「先程、白蘭が言っていただろう。俺の顔に傷をつけたのは、俺の兄だと」
「はい。お聞きしました」
「帝都というのは、昔から怨念が集まりやすい場所だった。怨念や死霊が形となり、人に害をなす。そういったもののけどもを古きより討伐していたのが、俺たちが務めている帝都守護職。俺たちの主人、今は上司と呼ぶが、上司は、帝に仕えている鬼の一族、七鬼ななき様だ」

「私、詳しいことをあまり知らなくて。申し訳ありません」
「謝罪の必要はない。ただ、知っていてほしいことが一つある。玉藻家は、七鬼様に、そして帝に仕えている。玉藻の、九尾の力を色濃く継いだものが、当主となるしきたりだ。だが、俺の兄はそれが許せなかった」

 私は小さく頷いた。
 由良様の口振りでは、お兄様という方は私のように、先に生まれたものの力を持たないか、力が弱かったのだろう。

「少し前だ、兄は俺が家を継ぐのは認められないとこの家で暴れて、出奔した。兄を放っておけば玉藻家の恥となる。両親は使用人たちを引き連れて兄を討伐に行ったが、帰ってこなかった」
「そんな……」
「俺はその時、駄々をこねていてな。兄とは戦いたくないと。だが、それも限界がきて、兄の元へ向かった。なんとか兄を捕まえて七鬼様に引き渡すことはできたのだが、その時に、火傷を負ってしまって」

 由良様はそこで言葉を区切る。
 それからしばらくの沈黙の後、狐の面に指をかけた。

「あまり、見られたい顔ではない。だが、薫子。君には見てもらいたい」
「由良様……」

 狐面を外した由良様の顔には、顔の中央を斜めに引き裂くようにして、大きなひきつれの跡が残っていた。


 
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