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嫉妬

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 私たちの周囲に集まっている人々が、由来様の姿を見てざわめいている。

 しっとりと夜露に濡れたような光沢と艶のある金の髪。
 針で指を刺したときに、ぷくりと膨らんでくる鮮血のような赤い瞳。
 高い鼻梁に、引き締まった顎。
 
 黒い着物の上に、艶やかな紅葉と花の散る羽織をかけている。
 形のよい耳に、赤い水晶のような耳飾り。

 由良様は、人々の中にあって、ひときわ異彩な存在感を放っている。
 穏やかなたたずまいなのに、そこにいるだけで畏怖を感じるような。

「薫子。迎えにきた。買い物を、していたんだね」

「誰……誰なの、離しなさい!」

 咲子さんの腕を掴んだまま、由来様は私に話しかける。
 咲子さんは由良様の手から逃げようともがきながら激昂した。

 ご友人たちが、ゆっくりと後退る。
 皆、顔を青白くして、目を血走らせている。
 今すぐこの場から逃げたいと、顔に書いてあるようだった。

 私は、動くことができなかった。
 汚い言葉で罵られている姿を、見られてしまった。

 ──恥ずかしい。
 私の事情を由良様には知られているけれど、こんな姿を、見られたくはなかった。

 けれど同時に、深い安堵も感じてしまう。

 どこにいても何をしていても、背中や指先がいつも、緊張していた。
 私は、独りだったから。

 それなのに、由良様の顔を見た途端に、張り詰めていたものが消えていくように、心が軽くなる。
 花が咲くように、喜びが満ちる。

 こんな、時なのに。

「女。玉藻由良様に、そのような無礼な口を――!」
「ハチ、そう怒るな。別に、構わない」

 由良様の後ろに控えていたハチさんが、普段の様子からは考えられないぐらいに、厳しい声と表情で咲子さんを咎める。
 由良様は軽くハチさんを制した。
 私の背中にしがみつくようにしているクロとシロが身を乗り出して、「由良様!」「ハチ!」と声をあげた。

「玉藻様……嘘……」

 由良様は、咲子さんの手を離した。
 唐突に離された反動で、咲子さんはぺたんと地べたに座り込む。
 腰から下の力が、抜けてしまっているように見えた。

「顔が……面は……」

 放心したように、咲子さんは呟いた。
 咲子さんのご友人たちは「私たちは関係ないです」「たまたま一緒にいただけで……」といいながら、蜘蛛の子を散らすようにして逃げていく。

「薫子、怪我は?」
「私は、大丈夫ですけれど……」

 由良様は咲子さんを一瞥もせずに、落ちている荷物を拾い上げると、散らばったお野菜などをカゴに戻した。

「今日は、魚?」
「は、はい。魚を、焼こうかと……」
「嬉しいな。夕飯が楽しみだ。せっかくここまで来たのだから、カフェでクリームソーダでも飲もうか」
「やった!」
「由良様、ありがとうございます!」

 シロとクロが喜ぶ。
 ハチさんが由良様から荷物を受け取り腕にかけると、シロとクロの首根っこを掴んだ。

「由良様と薫子様はデートだ。邪魔をしたらいけない」
「クリームソーダ!」
「ソーダ!」
「それよりも、由良様、ハチ、その無礼な女をどうにかしてください!」
「クロたちの大切な薫子様を叩こうとしたのです!」
「シロたちは我慢をしたのです。薫子様がいけないというので、我慢をしました!」

 ハチさんに捕まれてばたばたしながら、シロとクロが怒っている。

「うん。薫子。シロとクロを止めてくれてありがとう。シキが無抵抗な人間に怪我を負わせたら、大問題になってしまう。場合によっては鎮守府において裁判にかけられて、封印をされる可能性もあるのでね」

「由良様……シロとクロは、何もしていません」

「大丈夫、分かっているよ」

 由良様は私の手に、自分の手を重ねる。
 指を絡めるようにしてぎゅっと握られて、勝手に頬が染まった。

「薫子、行こうか。何か食べよう。何でもいいよ、最近はプリンアラモードというものも人気らしくて……あぁでも、和菓子のほうが馴染みがあるかな。たい焼きなども、歩きながら食べることができていいね」

「由良様、あの」

「七鬼様に会ってきたんだ。その帰りでね。シロとクロの気配を探ると、君をみつけることができる」

「は、はい」

「街角で偶然出会うことができるほうが、運命のようでいいのだけれど。気配を探ったほうが早いからね」

 まるで――咲子さんなど存在していないように、由良様は振舞った。
 何事も起こらなかったような顔で、私の手を引いてその場から去ろうとする。

「待って! 待ってください……! 私は、八十神咲子。八十神の巫女です。ほら、ここに、桜の痣が……!」

 咲子さんは起き上がって、由良様の着物の袂を引いた。
 振り返る由良様に、自分の首を示して見せる。

「薫子お姉様は、取り違えられて玉藻様の元へ嫁いだのです。本来なら私が玉藻様の妻になる筈でした。それを、お父様が勘違いして……! お姉様には神癒の力などないのです。だから……!」

「――騒がしいな」

「玉藻様、お姉様よりも私の方がずっと優れています。お姉様なんて、ずっと女中として暮らしてきたのです。満足に、文字も読めないほどで!」

「聞こえなかったか。黙れ、と言っている」

「……っ」

「最大限の譲歩をしたことに、気づかなかったか? 俺の花嫁である薫子に対する無礼、本来ならば――しかるべき罰を与えてもよいぐらいだった。だが、お前は薫子の妹。そして、子供だ。寛大な心で、許しを与えた」

 ざわりと、肌が粟立つような気配がある。
 生温い風がアーケード街を吹き抜けて、ばらばらと、唐突に降り出した雨がアーケードにぶつかってはじける音が響く。

「これ以上、何も言わずに帰りなさい。怖い思いをしたくないのなら」

「玉藻様、私の方がお姉様よりも……!」

「人には、優劣などはない。……君は、薫子のような優しい人と、姉妹として生まれたことを、大切にするべきだ。何故シロとクロに手を出させなかったのか、甘んじて暴力を受けようとしたのか、その意味を考えたほうがいい」

「……咲子さん」

「うるさい……! 気安く、話しかけないで!」

 打ちひしがれているように見える咲子さんに声を駆けようとすると、途中で言葉を遮られる。
 嫌われて、いるのだろう。
 分かっているけれど――。

 由良様が言うように、私たちは姉妹だ。
 真白さんと由良様のように、道を違えてしまったわけではない。
 だから、できることなら、同じ神癒の巫女として、支え合っていけたら。

 なんて――今更、難しいかもしれないけれど。

 咲子さんは立ち上がると、私を睨みつけて、それから逃げるように反対方向へと走っていった。
 私たちを見ている人々にぶつかりながら。「どきなさい、邪魔よ!」と、叫びながら。
 
 騒動がおさまると、我にかえったように、見物をしていた人々が私たちに頭をさげる。
 由良様は「騒がせたね」と一言口にした。

 それから由良様は私の手を引いて、ハチさんは咲子さんを威嚇するシロとクロを引っ張って、アーケード街を出ていく。
 突然振り出した雨は唐突にやんで、空には虹がかかっていた。


 
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