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売買契約とお祝い
しおりを挟むベルカの名を呼んで泣いていたレイモンドとアナベルが落ち着いた頃、エルゥはラーチェルの肩へと戻ってきた。
「その動物は一体……」
「この子はエルゥ。森の中で出会いました。古の時代には、女神の御使いと呼ばれていたそうです。この地域の人々がルアルアの木を生命の木と呼び、神聖視しているのは、エルゥを崇拝していたからではないかなと思うのです」
「そんな話は聞いたことが……」
レイモンドはゆるく首を振った。
往々にして、過去の記録とは長い年月の中で失われているものである。
「女神ルマリエと鷲王神デイン、二対の神は邪神クーエルを倒した。デインはクーエルによって倒れ、ルマリエはその翼を自分の背にはやした。女神の涙から四人の子が生まれた。炎の獣、空駆ける蛇、雷の魚、雨の獣」
オルフェレウスは王国の教典を諳んじた。
それは建国神話と呼ばれているものだ。かつて王国には女神と鷹王神がいて、人々を治めていた。
そこに邪神が現れて、多くの穢れをうみだし、人々を苦しめた。
この穢れというのが魔物だと唱えている者たちもいる。
「炎の獣……」
『僕のことだね』
あっさりエルゥが同意したので、ラーチェルは驚いてエルゥを抱きあげて掲げた。
「か、神様……っ!?」
『女神ルマリエが僕をうんだというだけだよ。その意味では、人々も女神と鷹王の子供なんだから、神様ってことになるよね』
「そ、そうなるのでしょうか……」
『まぁ、あんまり気にしなくていいよ。ルマリエがいなくなってから、ずっと寝ていただけだし。僕はお腹がすいていて、ラーチェルとオルフェに助けてもらった。だから君たちと一緒に行く。それだけ』
「いいのでしょうか……」
レイモンドは「きっとそれがいいのでしょう。神様があなたたちを選んだのですから、それを僕たちが止めることなどできません」と言って、穏やかで満ち足りた表情で微笑んだ。
レイモンドはすぐに村人たちにラーチェルとオルフェレウスの功績を伝えた。
村人総出で祝いの席が設けられて、エウリアの料理や村の楽隊の合奏や、子供たちの歌などが披露された。
アナベルも少しだけ参加をした。
このところ姿を見せなかったアナベルを村の者たちは心配していたらしく、アナベルを囲んで喜びの声をあげていた。
「以前騎士様に助けられた時も、皆で祝いの会を開こうとしたんです。でも、必要ないと言われてしまって。数日で怪我の具合がよくなったら、すぐに村を去ってしまったんです」
「オルフェ様らしいですね」
「……当然のことをしただけだ。祝われる必要などない」
レイモンドは「たいした特産物も、潤沢な資金もない村ですから。これぐらいしか、感謝の気持ちを表すことができなくて」と、困ったように言った。
村の男たちがやってきて「ラーチェルちゃんが騎士様の嫁だったなんてなぁ」「お似合いだな」「羨ましいがお似合いだ」と、オルフェレウスを取り囲んだ。
王城では恐れられているオルフェレウスだが、僻地の村まではその噂は伝わってこないのだろう。
男たちから酒をすすめられているオルフェレウス──という、あまり見たことのない姿に、ラーチェルはくすくす笑った。
「レイモンドさん。もし、可能でしたらでいいのですが……必要な分しかとりませんので、ルアルアの木を頂きたいのです。きっと素晴らしい香水を作ることができます。そうしたらもう少し、香木が必要になります」
ラーチェルはあらためて、レイモンドにお願いをすることにした。
きちんとしておかないと、後々、売れると気づいた外部の者たちが素材を乱獲する可能性があるからだ。
「香木の取引を産業にするのならば、売買契約を結ばせていただきたいと考えています」
「それは……もちろんです。僕はラーチェルさんを信用しています。一度領主様にお伺いをたてなくては」
「ルイには……オランドル侯にはもう許可をいただいていますので、心配ありません」
「そうなのですね、では話が早い」
書面でのやりとりを行うときには、ルルメイアに同席をしてもらうことになっている。
香水作りに成功して商品化になれば、香木はもっと必要なる。
その時に、ルルメイアに頼んで契約を結んでもらうことになるだろう。
どちらにせよ、先に合意を得ておくことは大切だ。
「ラーチェルちゃん、まだ結婚式をあげてないんだって?」
「結婚式は来週と聞いたわ。ラーチェル、もうすぐ挙式なのに森を散策するなんて、仕事のし過ぎじゃない?」
「そのおかげで俺たちは助けられたんだけどな」
男性たちとエウリアがやってきて、ラーチェルの手を引いた。
あたりはすっかり暗くなり、櫓の炎が村の広場を明るく照らしている。
こぼれ落ちてきそうな星々と、温かい炎のに照らされて、オルフェレウスがラーチェルに手を伸ばした。
その手を握ると、ラーチェルとオルフェレウスに向かって花弁が降り注いだ。
優しく甘い香りは、白コスモスの花。
どれだけ酒を飲まされたのだろうか。
オルフェレウスの白い頬は、珍しいことに僅かに赤く染まっている。
「……君と共にいることができる、幸福に感謝を」
オルフェレウスはラーチェルの手を取って、手の甲に口づけた。
盛り上がる人々の歓声に囲まれて、ラーチェルは気恥ずかしさと喜びでいっぱいになり、はにかんだ。
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