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カトル・エスタニアは愛を知らない
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前王であるカトルの父には、妾がいた。
きちんと側妃として迎えなかったのは、王は正妃を愛していたからだ。
だが、王の妃は体も心も弱い女だった。
子もできにくく、ようやく一人男児を産んだと思ったら寝付いてしまい、熱のない日のほうが少ないという有様だった。
王妃の生んだ男児もまた、体が弱い子供だった。
王家は長らく近親間での婚姻を繰り返してきていた。それ故の弊害かと思われたが、そんなことを口にできる者はいない。王の王妃への寵愛を否定したと思われかねないからだ。
だがこのままでは、王家の血が絶えてしまう可能性がある。
そこで、王にあてがわれたのがカトルの母。
彼女は没落した貴族の娘で、娼館に売られて貴族相手の高級娼婦として働いていた女だった。
褥の作法を知っていることや、家同士の軋轢が起らないこと、そして何よりも美しく健康なこと。
それらを加味して、判断された結果である。
カトルの母は娼館から国費で買いあげられて、城の一角に移り住んだ。
王が妾を囲ったと思い込んだ王妃は、ますます体調を崩した。
そしてやがて帰らぬ人となった。王はお前のせいだと妾を憎んだ。
憎しみの矛先を間違えていた。だが、王は行き場のない憤りを妾にぶつけるしかなかったのだろう。
それでも妾は身籠もり、カトルを産んだ。それで役目を終えたとばかりに、彼女もまた王に憎まれるという心労に耐えきれなくなっていたのだろう。城の塔から身を投げて死んだ。
妾が産んだ子、カトルは──美しく健康で、神童といわれるほどに優秀だった。
正妃の子は走ることさえままならなかったが、カトルは走ることも武器を持って戦うことも得意だった。
カトルを王太子に──という声が、多くあがった。
正妃の子は、いつまで生きられるかわからない。走ることもできず、学ぶことも不得意で、ベッドで寝ていることしかできないと。正妃の子はカトルと比べられ、いつも貶められていた。
カトルはそれを耳にするたび、いつもうんざりしていた。
父も母も自分を愛してなどいないのに、見た目と能力が多少優れているというだけで、皆がちやほやともてはやす。
別に、産まれてきたいと願ったことなど一度もないのに。
正妃の子が、腹違いの兄が不憫でならなかった。腹違いの兄は、自分の死についてずっと考えているような人だった。どこか達観していて、穏やかに笑うことをカトルは知っていた。
カトルは城にいるのが嫌で、城から抜け出しては野山を駆けまわった。
鳥を射た。兎を射た。鹿を狩り、猪を狩った。
時には、盗賊たちのねぐらを強襲し、その首をとった。
皆がカトルを褒めたが、カトルの心の芯はいつも冷え冷えと、醒めていた。
そうしているうちに、腹違いの兄が死んだ。
体調が悪化していると聞いて、見舞いに行った翌日のことだった。
腹違いの兄は、死の前日に枕元に訪れたカトルを手招きして微笑んで言った。
「カトル。私はお前がうらやましい。お前をずっと憎んでいたよ。私ではなくお前が死ねばよかったのに」
兄は力の入らない手で、カトルの手首を跡が残るぐらいに強く掴んだ。伸びた爪をたてて。それが皮膚に食い込み、皮膚の一部を突き破っていた。
「兄上、知っていました」
カトルは部屋から出ると、小さな声で呟いた。
そんなこと──気づかないはずがない。自分が兄の立場でも、同じように思っただろう。
兄が死ぬと、カトルは王位継承権を得て王太子となった。
父は相変わらずカトルを憎んでいた。愛する正妃も息子もカトルに奪われたのだと思い込み、まるでカトルを死地に追いやるように度重なる部族の反乱の平定に向かわせた。
海の民は既に土地を奪われている。森の民は静かに暮らしている。
反乱を起こすのは、炎の民と氷の民だ。
氷の民とは一時期貿易をするほどに交流があったのだが、どういうわけか王国を憎むようになっていた。
彼らは『大切な巫女を奪われた』のだという。
カトルは巫女とは、友人であるユリシアスの母だとすぐにわかった。
ユリシアスには氷の民の血が流れている。
だがガルウェイン公が巫女を攫ったことは秘密だ。それを公にすればユリシアスの出自に触れることになる可能性がある。
カトルは黙っていた。誰にも言わないと、ユリシアスと約束をしていたからだ。
炎の民は好戦的だった。彼らは自分たちの領土を拡大しようとしていた。
「どうか、カトル様。ヨセフ様の身を護ってください。私の元に彼を、無事に帰してください」
出立をするとき、決まってリリアンが城を訪れてカトルに言った。
リリアンは大神官家の長女である。カトルや、カトルの友人のユリシアスにとって姉のような存在だった。
いや、カトルにとっては姉だが、年齢の近いユリシアスにとってはもっと親しい──憧れの存在だっただろう。
ユリシアスの片目は、いつもリリアンを追っていた。
リリアンが好きなのだろうなと、漠然と考えていた。
だがリリアンにはヨセフという想い人がいた。ヨセフはリリアンの護衛をしていたが、本来恋をしてはいけないリリアンに思慕を抱き、自ら志願して聖騎士団にうつった。
距離が離れたせいか、それとも道ならぬ恋のせいか。
リリアンの想いもヨセフの想いも燃えあがり、人に見られぬ場所で逢瀬を重ねていた。
カトルはそれを知っていた。
リリアンに「カトル様、私がヨセフと密会をしている時、私はあなたの元に国教の教義を教えに行ったと、父には嘘をついています。どうか許してね」と、秘密を共有するように言われたからだ。
まったく、女というのは強かだなと、思った。
リリアンはヨセフに夢中だった。ユリシアスの想いになど、気づいていないか、気づいていても気にしていないか。ともかく、ユリシアスは歯牙にもかけられていなかった。
カトルが十七の時。ヨセフは炎の民の平定戦で命を落とした。
このとき──ユリシアスはやや自暴自棄になっていた。自分の出自に悩み、リリアンへの想いに悩み、ヨセフへの嫉妬に身を焦がしていた。だから、周りが見えておらず、突出した。
それを庇い、ヨセフは前線に出て、死んだ。
人の死とは、呆気ない。矢に射られただけで死ぬ。
リリアンは塞ぎ込み、大神殿から滅多に外に出なくなった。ユリシアスは思慕と罪悪感の間で苦悩し、以前よりも更に笑わなくなった。
カトルは──どうとも思わなかった。
もちろんヨセフの死を悼んだ。戦によって暴虐に奪われる命ほど、無駄なものはない。
だからカトルは誰よりも前に出て、敵を討ち倒すことにしていた。
それでも、守り切れないものはある。
だが、カトルの心はいつも冷えていた。死を悼み、リリアンの不幸を悲しみ、ユリシアスの苦悩に想いを馳せた。
そういったことが、窮屈だと感じる自分も、同時に存在していた。
誰かを愛すことなど、不要だ。
余計な感情を抱くから──人は不幸になる。
彼らの悩みを他人事ごとのように考えながら、励ましの言葉を伝える自分に、辟易していた。
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