今日からはじめる錬金生活〜家から追い出されたので王都の片隅で錬金術店はじめました〜

束原ミヤコ

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第一章 マユラ、錬金術師になる

アンナ・リディングは不幸である

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 ◇

 私はとある地方の農村の、葡萄農家の娘でした。
 豊かともいえず、貧困でもない、静かな暮らしです。ほとんどの村の者たちは、村の中で結婚をして、村から一歩も出ずに死んでいきます。

 私もそうだと思っていました。
 けれど、私が十八歳の時です。私の村に吟遊詩人を名乗る男がやってきたのです。
 
 それが、私のかつての夫。
 キールでした。
 
 キールは私に王都の美しさを教えてくれました。村の外には煌びやかで賑やかな世界が広がっていると教えてくれました。

 私は両親の反対を押し切って、キールと共に村を出ました。
 いわゆる、駆け落ちでした。

 馬鹿な女だったのです。キールに言われるままに、家からお金を持ち出して。
 そのお金で、キールは王都に家を借りました。私は新生活に浮かれていました。

 キールは、自分の稼ぎだけでは私を食べさせていけないといっていました。
 いつか王都の劇場に立って歌うのが彼の夢で、私はその夢を支える決意をしていました。

 だから、仕事を探して。昼はレストランで雑用係として働き、夜はキールのために食事を用意して家の中も常に清潔に保つように心がけたのです。

 キールは昼間は眠っていて、夜になると酒場に歌を歌いに出かけました。
 
 私はそれを信じていました。彼は夢のために、頑張っているのだと。

 朝まで帰ってこない日もありました。数日帰ってこない日もありました。
 そのうち──私はキールを疑うようになりました。
 
 そして見てしまったのです。街角で、キールが見知らぬ女性と腕を組んで歩いているところを。

 キールは、嘘つきだったのです。キールは吟遊詩人として酒場で歌を歌い日銭を稼いでいると聞きました。けれど、本当は、歌さえ歌っていませんでした。
 なにぶん容姿のいい人でしたから、酒場で女性を口説いては金を貰うような生活をしていたようで──そうです。
 いうなれば、ヒモ、というやつです。

 私は騙されたのです。キールは馬鹿な田舎娘を騙して、金を奪ったのです。
 もしかしたら最初は、ほんの少しの愛はあったのかもしれません。
 
 けれど、酒場で出会った歌姫システィーナと、キールはすっかり懇意になっていました。
 
 私は絶望しました。そして怒りました。悲しみました。
 実家の金を盗んでしまったのです。今更、騙されたと言って家に帰ることなんてできません。

 そんなとき、師匠と出会いました。

 掃除をしているときに、リビングの隠し扉をみつけたのです。
 大きな釜の中に、何でも願いを聞いてくれる悪魔が住みついているのだと思いました。
 だから願ってしまったのです。

 キールとシスティーナを殺して欲しいと。
 キールが私を捨てて、システィーナと暮そうとしていることを私は知っていました。
 
 でもきっと罰があたったのでしょう。
 悪魔が彼らを殺す前に、私は彼らに殺されてしまったのですから。
  
 ◇

「あのですね、アンナさん」
「は、はい、なにかしら、マユラ……ちゃん?」
「マユラちゃんというほど若くはないのですけれど……アンナさんの好きなように呼んでいただいて大丈夫ですよ」
「わぁ! ありがとう! じゃあマユラちゃん。王都に来てからお友達もいなくて、ずっと寂しかったの。死んでからは話し相手もいないし。マユラちゃんって呼ぶわね」

 幽霊のアンナさんは今、リビングのソファ座っている。
 座っているといっても、アンナの尻はソファから少し離れて浮いていた。
 だからアンナにとっては座っていようが立っていようが浮いているので同じことなのだろう。
 だとしても、身の上話を聞くためには落ち着いた環境が必要である。

 ルージュは身の上話には興味がないらしく、同じく座っているマユラの膝の上で眠っている。
 師匠は偉そうに腕と足を組んで、マユラの隣にちょこんと座っていた。

「アンナさんにふりかかった不運については理解したのですけれど、どうしてそこまで追い詰められていたのに、どこかに逃げなかったのですか?」

 身の上話をひとしきり聞き終えたマユラは、疑問を口にした。
 夫と浮気相手を殺したいほど憎んでいたということは、理解できる。
 だが、そんな最低な者たちなど捨ててどこかに逃げてしまえばよかったのに。

「だって悔しいじゃない。キールのために全てを捧げたのに。怒られながら雑用もしたし、家も綺麗にしたし、料理も頑張ったのよ? お給金は全部、キールに渡していたから、お金もなかったもの」

 くすんくすんと泣き出すアンナを、マユラは「すみません、辛いことを聞いてしまって。そうなんですね」と宥めた。

「いいの。ごめんね。どうにも幽霊になってから、感情のコントロールがうまくできなくて。幽霊って、負の感情に支配されるのね。こうなってみて、はじめて知ったわ」
「そうですね……幽霊になるなんて、なかなかできる経験じゃありません」
『お前の望み通り、その不実な男たちは私が殺してやった。お前はまだ未練があるのか?』

 師匠の疑問はもっともである。
 未練がアンナを土地に、場所に縛っているのだとしたら、その理由は何だろう。
 アンナの恨みは、師匠が晴らしたのに。

「そうなの! それなの! マユラちゃん、お願いがあるの」
「お願いですか?」
「ええ!」

 アンナは必死な様子で、マユラに頭をさげた。

「私の体、キールとシスティーナが海に捨てたの。私は、首を絞められて殺されて。自殺をしたのだと、キールたちは衛兵に説明をしたわ。でもね、そのあと、お墓に埋める手間やお金を惜しんだのでしょう。家の崖から、海に投げ捨てたの」
「ひどい……。確かにフィロウズさんが、遺体はみつからなかったっておっしゃっていましたけれど」
「ええ。それはそうよ。キールたちは私を海の見える丘に埋めたと言ったわ。キールたちの死を不審がって、フィロウズさんは墓を掘り返したのよ。私の遺体はみつからなかったのよね」

 そこまでの話は、フィロウズはしていなかった。
 きっと、凄惨な出来事を詳しく説明することをしなかったのだ。
 マユラを怖がらせないようにしてくれたのだろう。

「マユラちゃん。私の体を探して欲しいの」
「え……っ」
『海の中の遺体をさがせというのか? 無理な相談だ』

 師匠が肩をすくめる。流石のマユラも同感だった。
 数年前の遺体が、海の中に残っているとも思えない。

「遺体を探して欲しいわけじゃないの。私の体──多分だけれど、魔物になってしまったのよ」

 アンナの言葉に、マユラと師匠は顔を見合わせた。
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