33 / 107
第一章 マユラ、錬金術師になる
幽霊とアンナさん
しおりを挟む女性の姿をした魔物の叫び声が、キッチンの皿やらフォークやらグラスやらをガタガタと揺らした。
マユラの肌もびりびり震える。
その叫び声は実際に突風を巻き起こしている。飛ばされそうになるルージュを掴み、師匠を抱きしめ杖を構えなおす。
『やかましい』
師匠の不愉快そうな言葉と共に、何本もの黒い円錐状の槍が何もない空間から唐突に現れる。
ぎゅるんぎゅるんと回転する槍は女性の姿をした魔物の体をえぐるように、いくつもの風穴をあけた。
けれどすぐにその穴は塞がり、女性は元の形を取り戻す。
『どういうことだ』
「わ、わたしの顔を忘れてしまったのですか……っ、私のために夫を殺してくれたのにっ!」
憤慨したように女性は叫んだ。
──魔物では、ないのかもしれない。
マユラの知る限り、魔物とは対話など不可能だ。彼らは人の言葉を理解しない。
言葉を話すこともあるが、それは大抵意味不明で支離滅裂なものである。
「落ち着いてください、落ち着いて!」
「私を魔法で攻撃した! 私を魔法で攻撃したわ! ひどい、ひどい、ひどいいいい!」
「ごめんなさい、あなたを魔物かと思ったんです。あなたは……もしかして、四年前に浮気した男女によって殺された、この家の奥様では……?」
女性は、師匠について『夫を殺してくれた人』だと言った。
だとしたら、それ以外には考えられない。
髪を逆立てて血の涙を流していた女性は、すいっとマユラの前にやってくる。
音もたてずに、すいいっと。
それもそのはずで、女性の足は地面についていない。地面の少し上に浮かび、すいすいと宙を飛んでいた。
「わ、わたしは、アンナ」
「アンナさんですね、はじめまして。私はマユラ。そしてこちらが、ルージュです。こちらは師匠」
「マユラ……はじめまして」
マユラが丁寧に挨拶をすると、アンナの逆立っていた髪がすとんと落ちた。
ぼろぼろこぼれていた涙がおさまり、白めの部分が黒くなり、中央に赤い瞳孔のある瞳が現れる。
透き通るように白い肌に、小さな鼻、小さな唇。
若く可愛らしい容姿の女性だ。瞳の色は少し変わっているし、ふわふわと浮かんではいるけれど。
その声音も、泣いていた時には獣の唸り声のように聞こえたが、今は不自然に反響するものの、若々しい女性の甘い声である。
『お前は死んだ女か』
「し、死んだなんて、言わないでください……痛くて苦しい記憶のせいで、我を忘れてしまいそうです……」
「お辛いことがあったのですね。事情は知っています。ここを私に貸してくれた、フィロウズさんからお聞きしました」
そっけない師匠の言葉に、再びアンナは泣き出しそうになる。
マユラはアンナに手を差し伸べた。
──幽霊、だろうか。
幽霊とは、魔物とは違うのだろう。生前の記憶があり、人としての感情がある。
こんなにくっきりはっきり存在して、言葉を交わせるとは知らなかった。
アンナが特殊なのか、幽霊とは総じてこんな感じなのかはわからないが、ともかくアンナとはここで夫に殺された女性の幽霊である。
四年前、若夫婦がここに住んだ。
夫は浮気をし、浮気相手と共謀をして妻を殺して海に投げ捨てた。
殺された妻は生前に、師匠の封じられていた隠された錬成部屋をみつけて扉をあけた。
浮気の恨みを晴らしたかったのだろう。彼女は師匠に夫と愛人の呪殺を依頼した。
結局、彼女は殺されて、その後師匠が彼女の夫とここに移り住んできた浮気相手を呪殺したのである。
なんともまぁ、血なまぐさい話だ。
誰が悪いかといえばおそらくは、浮気した夫と愛人が悪いのだろう。
けれど──マユラはオルソンとリンカを呪い殺したいとは思わない。
離れ離れになって、せいせいしているぐらいだ。
その顔を思い出しても、思い入れがあまりないせいかどうとも思わない。
ヴェロニカの街の人々や、アルティナ家の使用人たちが平穏であればいいとは思うが──。
「そ、そうなの……ひどいの、ひどいことをされたのよ……私の恨みは猫ちゃんが晴らしてくれたけれど、私はどこにもいけずに、ここにいるしかなくて……」
「つまり、どういうことですか?」
『強い恨みや未練を残して死ぬと、その場所に縛られるという。この女の場合は、この家に縛られていたのだろう。何故今になって、姿を見せたのかは知らんが』
つまり、アンナは殺されたせいでこの家に縛られて幽霊になってしまった。
嫌な記憶しかない場所に縛られるとは不憫な話である。
王国の教典では、死者の魂は大地に還ると言われている
だが、教典ではそこで終わりだ。
これが、錬金術ではすこし変わってくる。
動物や人、そして植物も。その魂──生命力ともいうべきものが大地に還り、大地に魔素が満ちる。
魔素が満ちた大地からは、魔素を帯びた植物や鉱石がうまれる。
それが錬成の素材になる──というのが、錬金術師たちの基本的な考え方である。
アンナの魂は、殺されたせいで大地に還ることができなかったのだろうか。
「猫ちゃんは私が泣いても、大声をだしても、気づいてくれないのだもの……っ」
恨みがましくアンナが言う。師匠は興味を失ったように、アンナから視線をそらした。
「気づいてくれそうな子が家にやってきたから、私、お話したくて……でも、私、こんなふうになってしまったから、怖がられてしまうかもしれないと思って、そうしたら悲しくなって……」
「それで泣いていたのですか?」
「えぇ。それで、せっかくあなたが来てくれたのに、私を殺すというから……」
「それはごめんなさい。魔物かと思ったんです」
マユラはアンナの手を引いて、ひとまず話を聞くためにリビングに案内しようとした。
けれど差し伸べた手は、アンナの手をすり抜けてしまった。
895
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
結婚して3年経っても子供ができないという理由で離縁されたエマは、前世の記憶を思い出して幸せになる。周りが勝手に復讐してくれました。
山田 バルス
恋愛
結婚三年目の春、エマは伯爵家の夫アンドレオから突然、側室を迎える話を告げられる。子をなせなかったことを理由に、彼女は僅かな補償のみで離縁された。妻として過ごした三年間は「無価値だった」と突きつけられ、エマは貴族社会から静かに切り捨てられる。
また実家の父母の墓参りに行くと、当主になっていた兄に離縁金を奪われてしまう。
大ピンチのエマには、秘密があった。なんと彼女は幼少期に前世の記憶を思い出していたのだ。
かつて観光地で石を磨き、アクセサリーを作り、人に喜ばれる仕事をしていた人生。何も持たない今だからこそ、もう一度「自分の手で生きる」ことを選び、あの人が住む商業国家スペイラ帝国へ向かう決意をする。
国境への道中、盗賊に襲われるが、護衛兵ロドリゲスの活躍で難を逃れる。彼の誠実な態度に、エマは「守られる価値のある存在」として扱われたことに胸を打たれた。
スペイラ帝国では身分に縛られず働ける。エマは前世の技術を活かし、石を磨いてアクセサリーを作る小さな露店を始める。石に意味を込めた腕輪やペンダントは人々の心を掴み、体験教室も開かれるようになる。伯爵夫人だった頃よりも、今の方がずっと「生きている」と実感していた。
ある朝、ロドリゲスが市場を訪れ、エマの作ったタイガーアイの腕輪を購入する。ところがその夜、彼は驚いた様子で戻り、腕輪が力を一・五倍に高める魔道具だと判明したと告げる。エマ自身は無意識だったが、彼女の作るアクセサリーには確かな力が宿っていた。
後日二人は食事に出かけ、エマは自分が貴族の妻として離縁された過去を打ち明ける。ロドリゲスは強く憤り、「最悪な貴族だ」と彼女と一緒になって怒ってくれた。その気持ちが、エマにとって何よりの救いだった。彼は次に防御力を高める腕輪を依頼し、冒険者ギルドで正式な鑑定を受けるよう勧める。
翌日、冒険者ギルドで鑑定を行った結果、エマの腕輪は高い防御効果を持つことが判明。さらに彼女自身を鑑定すると、なんと「付与特化型聖女」であることが明らかになる。聖女が付与した魔道具は現実の力として強く発現するのだ。
価値がないと切り捨てられた人生は、ここでは確かな力となった。スペイラ帝国で、聖女エマの新しい人生が、静かに、そして輝かしく始まる。
事情があってメイドとして働いていますが、実は公爵家の令嬢です。
木山楽斗
恋愛
ラナリアが仕えるバルドリュー伯爵家では、子爵家の令嬢であるメイドが幅を利かせていた。
彼女は貴族の地位を誇示して、平民のメイドを虐げていた。その毒牙は、平民のメイドを庇ったラナリアにも及んだ。
しかし彼女は知らなかった。ラナリアは事情があって伯爵家に仕えている公爵令嬢だったのである。
公爵家の隠し子だと判明した私は、いびられる所か溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
実は、公爵家の隠し子だったルネリア・ラーデインは困惑していた。
なぜなら、ラーデイン公爵家の人々から溺愛されているからである。
普通に考えて、妾の子は疎まれる存在であるはずだ。それなのに、公爵家の人々は、ルネリアを受け入れて愛してくれている。
それに、彼女は疑問符を浮かべるしかなかった。一体、どうして彼らは自分を溺愛しているのか。もしかして、何か裏があるのではないだろうか。
そう思ったルネリアは、ラーデイン公爵家の人々のことを調べることにした。そこで、彼女は衝撃の真実を知ることになる。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
田舎娘、追放後に開いた小さな薬草店が国家レベルで大騒ぎになるほど大繁盛
タマ マコト
ファンタジー
【大好評につき21〜40話執筆決定!!】
田舎娘ミントは、王都の名門ローズ家で地味な使用人薬師として働いていたが、令嬢ローズマリーの嫉妬により濡れ衣を着せられ、理不尽に追放されてしまう。雨の中ひとり王都を去ったミントは、亡き祖母が残した田舎の小屋に戻り、そこで薬草店を開くことを決意。森で倒れていた謎の青年サフランを救ったことで、彼女の薬の“異常な効き目”が静かに広まりはじめ、村の小さな店《グリーンノート》へ、変化の風が吹き込み始める――。
婚約破棄された「無能」聖女、拾った子犬が伝説の神獣だったので、辺境で極上もふもふライフを満喫します。~捨てた国が滅びそう?知りません~
ソラ
ファンタジー
「エリアナ、貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」
聖女としての魔力を使い果たし、無能と蔑まれた公爵令嬢エリアナ。
妹に婚約者を奪われ、身一つで北の最果て、凍てつく「死の森」へと捨てられる。
寒さに震え死を覚悟した彼女が出会ったのは、雪に埋もれていた一匹の小さなしっぽ。
「……ひとりぼっちなの? 大丈夫、私が温めてあげるわ」
最後の手向けに、残されたわずかな浄化の力を注いだエリアナ。
だが、その子犬の正体は――数千年の眠りから目覚めた、世界を滅ぼす伝説の神獣『フェンリル』だった!
ヒロインの淹れるお茶に癒やされ、ヒロインのブラッシングにうっとり。
最強の神獣は、彼女を守るためだけに辺境を「極上の聖域」へと作り替えていく。
一方、本物の聖女(結界維持役)を失った王国では、災厄が次々と降り注ぎ、崩壊の危機を迎えていた。
今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくる王子たち。
けれど、エリアナの膝の上には、甘えん坊の神獣様(執着心MAX)が陣取っていて――。
「聖女の仕事? いえ、今は神獣様とのお昼寝の方が忙しいので」
無自覚チートな聖女と、彼女にだけはデレデレな神獣様による、逆転溺愛スローライフが幕を開ける!
(本作品はAIを活用して構成・執筆しています)
追放された荷物持ち、スキル【アイテムボックス・無限】で辺境スローライフを始めます
黒崎隼人
ファンタジー
勇者パーティーで「荷物持ち」として蔑まれ、全ての責任を押し付けられて追放された青年レオ。彼が持つスキル【アイテムボックス】は、誰もが「ゴミスキル」と笑うものだった。
しかし、そのスキルには「容量無限」「時間停止」「解析・分解」「合成・創造」というとんでもない力が秘められていたのだ。
全てを失い、流れ着いた辺境の村。そこで彼は、自分を犠牲にする生き方をやめ、自らの力で幸せなスローライフを掴み取ることを決意する。
超高品質なポーション、快適な家具、美味しい料理、果ては巨大な井戸や城壁まで!?
万能すぎる生産スキルで、心優しい仲間たちと共に寂れた村を豊かに発展させていく。
一方、彼を追放した勇者パーティーは、荷物持ちを失ったことで急速に崩壊していく。
「今からでもレオを連れ戻すべきだ!」
――もう遅い。彼はもう、君たちのための便利な道具じゃない。
これは、不遇だった青年が最高の仲間たちと出会い、世界一の生産職として成り上がり、幸せなスローライフを手に入れる物語。そして、傲慢な勇者たちが自業自得の末路を辿る、痛快な「ざまぁ」ストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる