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第一章 マユラ、錬金術師になる
幽霊とアンナさん
しおりを挟む女性の姿をした魔物の叫び声が、キッチンの皿やらフォークやらグラスやらをガタガタと揺らした。
マユラの肌もびりびり震える。
その叫び声は実際に突風を巻き起こしている。飛ばされそうになるルージュを掴み、師匠を抱きしめ杖を構えなおす。
『やかましい』
師匠の不愉快そうな言葉と共に、何本もの黒い円錐状の槍が何もない空間から唐突に現れる。
ぎゅるんぎゅるんと回転する槍は女性の姿をした魔物の体をえぐるように、いくつもの風穴をあけた。
けれどすぐにその穴は塞がり、女性は元の形を取り戻す。
『どういうことだ』
「わ、わたしの顔を忘れてしまったのですか……っ、私のために夫を殺してくれたのにっ!」
憤慨したように女性は叫んだ。
──魔物では、ないのかもしれない。
マユラの知る限り、魔物とは対話など不可能だ。彼らは人の言葉を理解しない。
言葉を話すこともあるが、それは大抵意味不明で支離滅裂なものである。
「落ち着いてください、落ち着いて!」
「私を魔法で攻撃した! 私を魔法で攻撃したわ! ひどい、ひどい、ひどいいいい!」
「ごめんなさい、あなたを魔物かと思ったんです。あなたは……もしかして、四年前に浮気した男女によって殺された、この家の奥様では……?」
女性は、師匠について『夫を殺してくれた人』だと言った。
だとしたら、それ以外には考えられない。
髪を逆立てて血の涙を流していた女性は、すいっとマユラの前にやってくる。
音もたてずに、すいいっと。
それもそのはずで、女性の足は地面についていない。地面の少し上に浮かび、すいすいと宙を飛んでいた。
「わ、わたしは、アンナ」
「アンナさんですね、はじめまして。私はマユラ。そしてこちらが、ルージュです。こちらは師匠」
「マユラ……はじめまして」
マユラが丁寧に挨拶をすると、アンナの逆立っていた髪がすとんと落ちた。
ぼろぼろこぼれていた涙がおさまり、白めの部分が黒くなり、中央に赤い瞳孔のある瞳が現れる。
透き通るように白い肌に、小さな鼻、小さな唇。
若く可愛らしい容姿の女性だ。瞳の色は少し変わっているし、ふわふわと浮かんではいるけれど。
その声音も、泣いていた時には獣の唸り声のように聞こえたが、今は不自然に反響するものの、若々しい女性の甘い声である。
『お前は死んだ女か』
「し、死んだなんて、言わないでください……痛くて苦しい記憶のせいで、我を忘れてしまいそうです……」
「お辛いことがあったのですね。事情は知っています。ここを私に貸してくれた、フィロウズさんからお聞きしました」
そっけない師匠の言葉に、再びアンナは泣き出しそうになる。
マユラはアンナに手を差し伸べた。
──幽霊、だろうか。
幽霊とは、魔物とは違うのだろう。生前の記憶があり、人としての感情がある。
こんなにくっきりはっきり存在して、言葉を交わせるとは知らなかった。
アンナが特殊なのか、幽霊とは総じてこんな感じなのかはわからないが、ともかくアンナとはここで夫に殺された女性の幽霊である。
四年前、若夫婦がここに住んだ。
夫は浮気をし、浮気相手と共謀をして妻を殺して海に投げ捨てた。
殺された妻は生前に、師匠の封じられていた隠された錬成部屋をみつけて扉をあけた。
浮気の恨みを晴らしたかったのだろう。彼女は師匠に夫と愛人の呪殺を依頼した。
結局、彼女は殺されて、その後師匠が彼女の夫とここに移り住んできた浮気相手を呪殺したのである。
なんともまぁ、血なまぐさい話だ。
誰が悪いかといえばおそらくは、浮気した夫と愛人が悪いのだろう。
けれど──マユラはオルソンとリンカを呪い殺したいとは思わない。
離れ離れになって、せいせいしているぐらいだ。
その顔を思い出しても、思い入れがあまりないせいかどうとも思わない。
ヴェロニカの街の人々や、アルティナ家の使用人たちが平穏であればいいとは思うが──。
「そ、そうなの……ひどいの、ひどいことをされたのよ……私の恨みは猫ちゃんが晴らしてくれたけれど、私はどこにもいけずに、ここにいるしかなくて……」
「つまり、どういうことですか?」
『強い恨みや未練を残して死ぬと、その場所に縛られるという。この女の場合は、この家に縛られていたのだろう。何故今になって、姿を見せたのかは知らんが』
つまり、アンナは殺されたせいでこの家に縛られて幽霊になってしまった。
嫌な記憶しかない場所に縛られるとは不憫な話である。
王国の教典では、死者の魂は大地に還ると言われている
だが、教典ではそこで終わりだ。
これが、錬金術ではすこし変わってくる。
動物や人、そして植物も。その魂──生命力ともいうべきものが大地に還り、大地に魔素が満ちる。
魔素が満ちた大地からは、魔素を帯びた植物や鉱石がうまれる。
それが錬成の素材になる──というのが、錬金術師たちの基本的な考え方である。
アンナの魂は、殺されたせいで大地に還ることができなかったのだろうか。
「猫ちゃんは私が泣いても、大声をだしても、気づいてくれないのだもの……っ」
恨みがましくアンナが言う。師匠は興味を失ったように、アンナから視線をそらした。
「気づいてくれそうな子が家にやってきたから、私、お話したくて……でも、私、こんなふうになってしまったから、怖がられてしまうかもしれないと思って、そうしたら悲しくなって……」
「それで泣いていたのですか?」
「えぇ。それで、せっかくあなたが来てくれたのに、私を殺すというから……」
「それはごめんなさい。魔物かと思ったんです」
マユラはアンナの手を引いて、ひとまず話を聞くためにリビングに案内しようとした。
けれど差し伸べた手は、アンナの手をすり抜けてしまった。
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