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学園から離れて息抜きをする
しおりを挟む人間とは慣れるものである。
忘却と慣れが、ひとの人生を形成しているのだ。
――なんて、朝から私は哲学的なことを考えていた。
つまり、朝も昼もクロヴィス様の顔を見ることに慣れ、愛を囁かれることに慣れ、手を繋ぐことに慣れたのである。
「慣れってすごい」
「着々と飼いならされておりますね、お嬢様」
私は私の髪を結ってくれているルシアナを睨んだ。
因みにルシアナが毎朝毎朝自作の扇を振りながら「お嬢様ぁ今日もお勤め頑張ってくださいねぇええ!」などと大声でお見送りしてくるのにも慣れた。
私も慣れたし、徐々にほかの侍女の方々も慣れ始めている。
ミレニアの侍女などは、お嬢様を送り出す侍女の正しいお見送りの仕方などと、最近勘違いをしはじめたらしい。
王都の流儀なのでしょうか、と深刻にミレニアに相談されたので、私は否定しておいた。
あんなものが王都の流儀であってたまるものですか。
「ところでお嬢様、今日のお出かけは、殿下に伝えているのですか?」
私の銀の髪を頭の上の方から編み込んで毛先までを三つ編みにしてくれたルシアナが、ことりと、櫛を鏡台へと置いた。
私は鏡台の前の背もたれのない椅子に座っている。
鏡には、飾り気のない三つ編みを二本顔の横で結った私がうつっている。
どこにでもありそうな水色に水玉模様のワンピースを着ている私。王都で売っている量産型洋品店の服なので、多分目立たないはずだ。
最近王都では水玉模様が流行っている。
流行りものを着ておけばまず間違いないのよね。
「なんで私のお出かけをクロヴィス様に言わなきゃいけないのよ」
「だって、お嬢様。あんなに日々お嬢様を心配しているクロヴィス様なんですよ。それは、言った方が良いんじゃないですか?」
「嫌よ。私は今日は息抜きに行くのだもの」
私はぷいっとルシアナから顔をそむけた。
ルシアナは「お嬢様可愛い」と言って、喜んでいた。意味が分からない。
一週間魔道学園に通い、今日は休日である。
まだ学園は始まったばかりなので、左程難しい授業もなければ宿題もない。
試験期間ともなればそうは言っていられないのだろうけれど、概ね落ち着いていた。
なので、私は息抜きに町に降りることにした。
もちろん、公爵家の長女である私が一人で王都をうろうろすることは褒められた行動ではない。
警備隊もいるし、騎士団もいるのだから王都は概ね平和だけれど、だからといって犯罪が全くないというわけではないのだし。
私のような身分の者が一人で歩いていたらどんな危ない目に遭うか分からない、というのは実際の話。
私は魔法が使えるけれど、魔法が使えるのは貴族だけなので、街で魔法を使うようなこともしないようにしている。
身を守るために魔法を使うと、かえって危険な目に遭う可能性があるのである。難しいところよね。
そんな私が庶民のふりをして街をうろつけるのは、ひとえにルシアナ含めた公爵家のみんなのお陰なのである。
私がお忍びで街におりる日は、私を守るために隠密たちが私を隠れて見ている。
私はそれを知っているけれど、どうしても一人で街に行きたいと我儘を言うほど頭が悪いわけではないので、好きなようにしてもらっているし、感謝もしている。
要は、遠くから見張られていたとしても、一人で歩ければそれで良いのだ。息抜きになるから。
ルシアナは私の為に隠密を手配することを、「はじめてのお使い大作戦」と言っていた。
この隠密たちは特別に手配しているわけではなく、普段は公爵家の従者をしている方々である。
私が生まれた日から、私がいつか誘拐などをされることを見越して自らを鍛え上げた従者たちの集まり。それがネメシア家の隠密の皆様だ。
甘やかされている自覚はあるわよ。
ありがたいのだけれど、愛が重い。ありがたいのだけど。
「お嬢様、今日はどこに行くのですか?」
「フィオルの、エンバート商会の営んでいる喫茶店よ。フィオルのお兄様から、新しいケーキを作ったから食べにきてってお手紙をもらったの」
「あら。それは、それは……」
ルシアナは何故か口元に手を当てて、意味ありげに微笑んだ。
よく分からなかったけれど、ルシアナにあまり構っていると時間がなくなってしまうので、私はそそくさと寮の部屋を出た。
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