半獣王子とツンデ令嬢

束原ミヤコ

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魔力暴走

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 雨に濡れた制服のローブが重たい。広場にはもう誰もいない。ざぁざぁと雨は降り続けていて、時折ぴかりと稲光が薄暗い空を眩しいほどに照らしては、遠くで雷鳴を響かせた。
 寒さのせいだろうか。
 体から奇妙なほどに力が抜けていく。眩暈と息切れが酷い。座っていることすら困難だ。
 わたしはずるりと、ベンチの上に倒れこむようにして上体を横に倒した。仰向けになったせいで、顔に氷の塊でもぶつけられているように冷たい雨粒が降り注いだ。
 視界が霞む。もう、目を開けていられない。
 ――もしかしたら、本当に、死んでしまうのかしら。
 雨に濡れたぐらいで命を失うだなんて話は聞いたことがないけれど、それぐらい体の感覚が鈍い。
 頭も働かない。
 崖から落ちたときも人食い熊に襲われた時も、なんとしてでも生き延びてやると思っていたのに。
 ――今は、そんな風に思うことができない。
 ばしゃばしゃと、水溜まりのを靴底が蹴る音がする。

「リラちゃん!」

 焦ったような男性の声と共に、体がふわりと宙に浮くのがわかる。
 触れる大きな手は力強くて繊細で、冷えた体ではそこだけ焼けるように熱かった。

 
 ――お城の大広間では、越冬の祭典の晩餐会が行われている。
 豪奢なシャンデリアがいくつも天井から吊り下げられている。
 昔は蝋燭を使用していたけれど、オイルランプの発達の後に、動力としての蛍石の発掘・開発が行われて、シャンデリアにも蛍石が使われている。
 そのため、大広間は真昼のように明るかった。
 楽隊の奏でるゆったりとした音楽に合わせて、大広間の中心では二人の男女が優雅に踊っている。
 私はそれを、壁を背にして立って眺めていた。
 踊っているのはクロヴィス様だ。
 それではなぜ、私はここにいるのだろう。
 クロヴィス様の首には、細く白い女性の手が絡みついている。
 金色の豊かな髪を結いあげて宝石で飾り、クロヴィス様の目の色と同じ紫色のドレスに身を包んでいるのは――エイダ・ディシードだった。
 エイダは青い目で、挑発的に私を見つめる。
 赤い唇が弧を描き、言葉の形に動いた。

「かわいそう」

 声は聞こえなかったけれど、エイダがそう言ったのが分かる。
 クロヴィス様は私の方を見ることはない。
 どうして私は、ここに立っているのだろう。立っていなければいけないのだろう。
 助けを求めるように周囲に視線を彷徨わせる。
 クロヴィス様とエイダのダンスを眺めていた人々は、気付けば皆顔のない人形に変わっていた。

「――っ」

 目を見開く。
 呼吸の仕方を忘れてしまったように、喘いだあとに、けほけほと咳をした。
 体がだるい。体の表面はあたたかいのに、芯の方が冷え切っているかのようだった。

「リラちゃん。大丈夫?」

 額に大きな手が当てられる。
 あたたかくて優しい体温に安堵して、私は大きく息をついた。
 夢と現実がごちゃ混ぜになっていたのは一瞬のことで、すぐに現実が戻ってきた。
 私は暖かい毛布にくるまれている。
 毛布は濃い茶色で、ふわふわしている。びしょ濡れだった体は乾いているようだった。
 髪はまだ少し濡れている。
 私はシングルベッドに横になっている。飾り気のないシンプルなベッドだ。さらしとしたクリーム色ののシーツが気持ち良い。体を包む毛布があたたかい。
 額に当たっていた手が、そっと頬を撫でて離れていく。
 ぱちぱちと瞬きを数回すると、ぼんやりとしていた視界が鮮明になる。
 私を心配そうに見つめているカレルさんの薄紫色の瞳と目があう。
 その色に、クロヴィス様の瞳を思い出してしまい、心臓がブリキで動くおもちゃになってしまったかのように、ぎりりと軋んだ。

「カレルさん……」

「うん」

「あの、……私、どうして」

 カレルさんは、床に膝をついて座っているようだった。
 私の部屋よりも少し狭い部屋だ。窓辺には観葉植物が並んでいて、窓の外は薄暗いけれどもう雨は降っていないようだ。
 多分ここはカレルさんの部屋なのだろう。
 部屋の主をそんな姿勢で座らせているのが申し訳なくて、私は起き上がろうとして自分の体の状態に気づき、慌てて毛布の中に戻った。
 どうにも、服を着ていないみたいだ。
 気づいてよかった。危うく、見せてはいけないものを見せるところだった。

「広場のベンチに座っているのがお店から見えて、心配になって近づいたら、リラちゃんだった。声をかける前に倒れて、意識がなくなっちゃったから、俺の部屋に運んだ。治療院に行けば良かったかもしれないけれど、慌てていて。ごめんね」

 カレルさんは申し訳なさそうに眉尻を下げて言った。 

「ありがとうございます。迷惑をかけてしまってごめんなさい」

 私は首を振ってこたえる。
 カレルさんの手を煩わせてしまって、申し訳なかった。

「迷惑なんて思っていないよ。それよりも、どうしたのリラちゃん。……魔力、空になってる」

「……魔力が?」

 確かに酷い怠さは、魔力を使い果たした時のそれに似ている。
 でも、どうしてカレルさんにそれが分かるのだろう。カレルさんには確か魔力がなかったはずで、魔力がない方は魔力への感受性に乏しく、そもそもそれを感じ取ることが困難だった筈なのに。
 でもそんなこと、今は気にしている場合でもないかと、私は頭に浮かんだ疑問をすぐに消した。

「急に、酷い雨が降ったよね。今日はたしか、ずっと晴れって言っていたはずなのに。――リラちゃんて、水魔法が使える?」

「……もしかして、雨、私のせいですか」

「わからないけれど、リラちゃんが気を失った途端に雨がやんで、虹が出たから。魔力が暴走したのかもしれないと思って」

 私は目を伏せた。
 罪悪感が足元から這い上がってくる。涙が零れ落ちそうになったのを、唇を噛んでこらえた。
 泣いても仕方ない。更に迷惑をかけて、困らせてしまうだけだ。

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