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紅樹先輩とアルバイト
しおりを挟む紅樹先輩は、私の隣に座った。
それから私の手にしているアルバイト情報誌を覗き込む。
「果林さんは、なんのアルバイトをするの?」
「そうですわね。飲食店は却下です。コンビニは、誘惑が多くて駄目。できれば、運動ができてお金ももらえる高収入なアルバイトが良いですわ」
「高収入っていうのは、どれぐらいの?」
「自分の使うお金は自分で働いて稼ぎたいのです。だから、それぐらいの」
「なるほど。…………それなら、紹介できるかもしれない」
「紅樹先輩が?」
「うん。俺は、……ルイみたいに、君の役に立つことはできないけれど、アルバイトは、しているから」
「あら。人は見かけによりませんのね。紅樹先輩は、そういったこととは無縁だと思っておりましたわ」
ルイ先輩がアルバイトをしているところは容易に想像できる。
これはルイ先輩が傭兵的な見た目をしているからだろう。
紅樹先輩は、ルイ先輩とは違う。言うなれば、貴公子的な、見栄えの良い方だ。
ご自宅が裕福そうだと、勝手なイメージを持っていた。
「アルバイト、高校一年の時からずっとしてる。色々やってみたけれど、今は、花屋」
「お花屋さん?」
「うん。元々は、俺の祖父の店でね。最近体調が悪くて、祖父の代わりに店に出てる。荷物を運んだりもするから、かなり肉体労働だと思う」
「紹介というのは、紅樹先輩のおじいさんのお店ですの?」
「果林さんが良ければ。休日は、俺一人だから、手伝ってくれる人がいれば良いなって思っていたんだ。でも、知らない人を雇うのは嫌だし、かといって頼れる友人もいないしね」
「紅樹先輩は、生徒会長ですし、ご友人がたくさんいらっしゃいますでしょう。それこそ、頼れる方がたくさん」
「そうでもないんだよ。……紅樹は、……いや、俺は、ずっと自分を偽って生きているから」
どういうことかしら。
紅樹先輩の言い方は、どことなく他人事のようだ。
自分自身のことなのに。
「俺は、誰にでも良い顔をしようとするだろう?」
「私、紅樹先輩について詳しく知っているというわけではありませんわ。でも、初対面の私にやたらと優しくて、胡散臭いと思いましたわね」
「果林さんは、正直で良いよね」
「自分の意見を言うことが正直ということだとしたら、そうなのでしょうね」
「うん。聞いたよ。クラスメイトに水をかけられたのをやり返したって。今は仲直りして、一緒に水泳部にいるって」
「よく知っていますわね」
「それはね。そんなことをする人は、滅多にいないから。大抵、いじめられると学校を辞めていくか、不登校になるかしかなくて。傷ついている人がいるのに、周りの人間は、みていることしかできないから」
「困ったことですわね」
私は悩ましげに眉を寄せた。
紅樹先輩が感心してくれるのは当然だ。だって、私はシャーロット・ロストワンだから。
けれど、果林は違う。
果林は、水槽の中の弱い熱帯魚だった。
他の個体から攻撃をされて、ただ死を待つだけの、弱りきった魚。
(でも、それは悪いことなのかしら。果林が追い詰められていたのは……お母様や、蒼依、三月の気持ちを理解していたからだわ)
誰かを傷つけないように、息を潜めて生きていた。
それで自分が傷ついたとしても。
(それは、弱いと言えるのかしら)
今の私には、よくわからない。
「強いよね、果林さんは。……俺にはそれがとても、眩しく見える」
「傷つけられて、……何もせずに、ただ、静かに耐えている人が、弱いというわけではありませんわ、きっと」
「…………そうかな」
「だって、強くなければ耐えることなんてできませんでしょう?」
「強いだけじゃなくて、優しいんだね、果林さん」
紅樹先輩は、綺麗な顔で微笑んだ。
私はじっとりと、半眼で紅樹先輩を睨む。
胡散臭いわね。
特に親しいわけでもないのに、アルバイトの斡旋をしたついでに口説いてくるような男は、胡散臭いとしか言えない。
まぁ、でも、悪い人ではなさそうだ。
紅樹先輩には紅樹先輩の悩みがあるのだろう。
果林や三月がそうだったように、人にはきっと色々な事情があるのだ。私が知らないだけで。
(知ろうともしなかったわね、私は。……相手の事情なんて、どうでも良いと思っていたもの)
私に叱責を受けて公爵家を辞めた侍女がどうなったのか、私は知らない。
私にみんなの前で注意を受けて泣いた貴族の娘が、その後どうしているのか私は知らない。
よく考えてみれば、婚約者だったのに、セルジュ様のことだって、私はよく知らない。
私にもーー悪いところがあったのかもしれない。
ふと、そんなふうに思う。
けれど、今更どうすることもできないわね。
だって私はもう死んでしまったのだから。
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