あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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穏やかな夜の語らい

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 メルティーナは獣の姿になったディルグに跨がり、山をおりた。
 夜の山は暗い。先の見えないような暗闇を、木々を避けながらディルグはするすると足場の悪い山をくだっていく。

 人獣は身体能力が高い。夜目もきく。
 メルティーナは、ふわふわであたたかいディルグにしがみついている。
 夜風が火照った体に心地よい。星の降る丘でのことは、まるで夢の中での出来事のようだった。

 けれどその熱は、メルティーナの体に残っている。
 激しい口付けも、長い指や舌に体が胸や足に、とても口にはできない場所に触れたことも。

 愛されているのだと感じた。
 愛しているという言葉よりも、ずっと強く愛情を感じることができて、安心することができた。
 
 宿に戻ると、ディルグと共に共同風呂に向かった。
 こういった小さな街の宿の共同風呂というのは大抵が男女共用になっている。

 宿の店主に頼んで貸し切りにしてもらったという風呂に、メルティーナは一人で入った。
 ディルグはその間、風呂の前で見張りをしてくれていた。
 侍女の手を借りずに一人で風呂に入るのははじめてだったが、案外困るようなこともなかった。

 それもそのはずである。貴族としてうまれたメルティーナは、何をするにも侍女の手を借りていた。
 だが、この国に住む多くの人はそうではないのだ。なんでも一人で行うのが普通である。

 ディルグも一人きりで、あの丘で夜を明かしていた。
 メルティーナはずっと両親に守られていたのだと、あらためて感じた。
 ドレスから用意してきた寝衣に着替えて、ディルグが戻るのを部屋で待った。
 
「俺以外の誰かが来ても、鍵をあけないように。君は愛らしいから、心配だ」
「大丈夫です、ディルグ様。心配してくださって、ありがとうございます。待っていますね」
 
 ディルグは自分も湯浴みをすませて、夕食を持って戻ってきた。
 薄くスライスした芋にチーズをのせて焼いたものや、川魚の塩焼き、スライスしたサラミやカリカリに焼いたパンなどがテーブルに並ぶ。
 果実水と、葡萄酒を、ディルグは木製のカップに注いだ。
 
「君が普段食べているものとは違うだろう? 口に合うかどうか……」
「とても美味しそうです、ありがとうございます。全部お任せしてしまって、ごめんなさい」
「気にするな。……君のために色々と準備をするのは、楽しい。いつか、もっと遠くまで行きたいな。君と二人で」
「はい! 私も……私の両親は、旅をするのが好きでした。不幸な事故にあってしまいましたが、きっと、楽しいこともそれ以上にたくさんあったと思います」
「嫌なことを思い出させてしまったか」
「嫌なことではありませんよ。大丈夫です。今の私には、ディルグ様がいてくださいますから」

 夕食の料理の素朴な味はどれも美味しく、両親のことや兄嫁のこと、そしてお喋りな新しい侍女とのことががあってからのメルティーナは食欲をなくしていたが、環境が変わったせいかディルグと二人きりという安心感からか、よく食べることができた。
 
 ディルグは嬉しそうにメルティーナの姿を見ながら「これも美味しい」「これも食べてみたらどうか」「もっと頼んでくればよかったな」と、メルティーナの皿に、食事を取り分けてくれる。
 きっとずっと、心配をしてくれていたのだろう。
 このときになってはじめて、メルティーナは、心が疲れていたのだと気づいた。
 
 慣れない王妃教育にも。ディルグを悪く言う侍女にも。亡くした両親の、メルティーナの不幸を心配する気持ちにも。居場所のない実家にも。

 大丈夫だ、強くならなくてはと自分にいいきかせていた。
 けれどそれは、裏を返せば大丈夫ではなく、強くもないということだ。
 ──勉強をすれば知識がつく。体は鍛えれば、強くなる。けれど心は、簡単には強くなれない。

 ディルグが食器を片付けている間に、メルティーナは身支度をすませた。
 一人きりの空間はほっとして、ディルグと二人きりだと安心できる。
 今まで気づかなかったことだが、メルティーナは案外、一人が好きだ。
 
 髪をとかすことも、歯を磨いて口をゆすぐことも、体を洗うことも着替えをすることも。
 自分のことは自分でできる。それが妙に、気軽で、体さえ軽くなった気がした。
 
 戻ってきたディルグと共に、ベッドに横になる。
 また──あれをされるのかと思った。胸がドキドキして体が熱く切なくなる。
 これは、期待だ。
 あのはしたないことが──メルティーナは嫌いじゃない。
 
 ディルグはメルティーナを優しく抱きしめた。
 腕も尻尾も、メルティーナの細い体に巻き付いている。逞しい胸に頬をつけると、鼓動の音が聞える。

「ディルグ様……私、褥のことは知識にあります。ですから、大丈夫です」
「……ティーナ。それは、婚姻を結んでからと決めている。俺が学園を卒業したら、王位を継ぐことになっている。そうしたら、俺と結婚をしてくれるか?」
「もちろんです」
「嬉しい。……あと、一年もない。それぐらいは我慢ができる。利口な犬のように」
「ディルグ様はもう、子犬ではないのに?」
「君の前では、小さな犬に戻ったようだ。君に撫でられて尻尾を振る、犬に」

 メルティーナはディルグの艶やかな髪を撫でた。
 三角形の耳の付け根を撫でると、耳がぴくりと動く。

「……ん。……ティーナ、気持ちがいい」
「嫌では、ないですか……?」
「好きだ。君以外にはされたくないが、君になら、していてほしい」
「それでは、ディルグ様が眠るまで、撫でていてさしあげますね。……本当は触りたかったのです。私と違う耳にも、尻尾にも」

 尾に触れるのは憚られた。人獣の尾は敏感で、尾てい骨の付近からはえている。
 人間でいうと、尻や性器に無遠慮に触る行為に近いのである。
 
「触ってくれて構わない。そのかわり、俺もティーナに触れる。耳や腰に」
「ぁ……ディルグ様、眠れなくなってしまいます」
「……眠れなくてもいい。朝が来ても、起きなければいいのだから」

 ディルグはメルティーナの首筋に、甘く歯を立てる。
 メルティーナはディルグの耳にを撫でながら、目を閉じた。
 優しい快楽が首に、耳に、唇に与えられる。
 まるでふわふわと雲の上を漂っているような心持ちになる。

 幸せだと思う。ずっとこの幸せが続いて欲しい。
 夜があけなければいいのに。誰にも邪魔をされずに──彼と、二人で。
 そうすれば心の奥に僅かに残る黒い染みも、消し去ることができるはずだ。
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