18 / 56
穏やかな夜の語らい
しおりを挟むメルティーナは獣の姿になったディルグに跨がり、山をおりた。
夜の山は暗い。先の見えないような暗闇を、木々を避けながらディルグはするすると足場の悪い山をくだっていく。
人獣は身体能力が高い。夜目もきく。
メルティーナは、ふわふわであたたかいディルグにしがみついている。
夜風が火照った体に心地よい。星の降る丘でのことは、まるで夢の中での出来事のようだった。
けれどその熱は、メルティーナの体に残っている。
激しい口付けも、長い指や舌に体が胸や足に、とても口にはできない場所に触れたことも。
愛されているのだと感じた。
愛しているという言葉よりも、ずっと強く愛情を感じることができて、安心することができた。
宿に戻ると、ディルグと共に共同風呂に向かった。
こういった小さな街の宿の共同風呂というのは大抵が男女共用になっている。
宿の店主に頼んで貸し切りにしてもらったという風呂に、メルティーナは一人で入った。
ディルグはその間、風呂の前で見張りをしてくれていた。
侍女の手を借りずに一人で風呂に入るのははじめてだったが、案外困るようなこともなかった。
それもそのはずである。貴族としてうまれたメルティーナは、何をするにも侍女の手を借りていた。
だが、この国に住む多くの人はそうではないのだ。なんでも一人で行うのが普通である。
ディルグも一人きりで、あの丘で夜を明かしていた。
メルティーナはずっと両親に守られていたのだと、あらためて感じた。
ドレスから用意してきた寝衣に着替えて、ディルグが戻るのを部屋で待った。
「俺以外の誰かが来ても、鍵をあけないように。君は愛らしいから、心配だ」
「大丈夫です、ディルグ様。心配してくださって、ありがとうございます。待っていますね」
ディルグは自分も湯浴みをすませて、夕食を持って戻ってきた。
薄くスライスした芋にチーズをのせて焼いたものや、川魚の塩焼き、スライスしたサラミやカリカリに焼いたパンなどがテーブルに並ぶ。
果実水と、葡萄酒を、ディルグは木製のカップに注いだ。
「君が普段食べているものとは違うだろう? 口に合うかどうか……」
「とても美味しそうです、ありがとうございます。全部お任せしてしまって、ごめんなさい」
「気にするな。……君のために色々と準備をするのは、楽しい。いつか、もっと遠くまで行きたいな。君と二人で」
「はい! 私も……私の両親は、旅をするのが好きでした。不幸な事故にあってしまいましたが、きっと、楽しいこともそれ以上にたくさんあったと思います」
「嫌なことを思い出させてしまったか」
「嫌なことではありませんよ。大丈夫です。今の私には、ディルグ様がいてくださいますから」
夕食の料理の素朴な味はどれも美味しく、両親のことや兄嫁のこと、そしてお喋りな新しい侍女とのことががあってからのメルティーナは食欲をなくしていたが、環境が変わったせいかディルグと二人きりという安心感からか、よく食べることができた。
ディルグは嬉しそうにメルティーナの姿を見ながら「これも美味しい」「これも食べてみたらどうか」「もっと頼んでくればよかったな」と、メルティーナの皿に、食事を取り分けてくれる。
きっとずっと、心配をしてくれていたのだろう。
このときになってはじめて、メルティーナは、心が疲れていたのだと気づいた。
慣れない王妃教育にも。ディルグを悪く言う侍女にも。亡くした両親の、メルティーナの不幸を心配する気持ちにも。居場所のない実家にも。
大丈夫だ、強くならなくてはと自分にいいきかせていた。
けれどそれは、裏を返せば大丈夫ではなく、強くもないということだ。
──勉強をすれば知識がつく。体は鍛えれば、強くなる。けれど心は、簡単には強くなれない。
ディルグが食器を片付けている間に、メルティーナは身支度をすませた。
一人きりの空間はほっとして、ディルグと二人きりだと安心できる。
今まで気づかなかったことだが、メルティーナは案外、一人が好きだ。
髪をとかすことも、歯を磨いて口をゆすぐことも、体を洗うことも着替えをすることも。
自分のことは自分でできる。それが妙に、気軽で、体さえ軽くなった気がした。
戻ってきたディルグと共に、ベッドに横になる。
また──あれをされるのかと思った。胸がドキドキして体が熱く切なくなる。
これは、期待だ。
あのはしたないことが──メルティーナは嫌いじゃない。
ディルグはメルティーナを優しく抱きしめた。
腕も尻尾も、メルティーナの細い体に巻き付いている。逞しい胸に頬をつけると、鼓動の音が聞える。
「ディルグ様……私、褥のことは知識にあります。ですから、大丈夫です」
「……ティーナ。それは、婚姻を結んでからと決めている。俺が学園を卒業したら、王位を継ぐことになっている。そうしたら、俺と結婚をしてくれるか?」
「もちろんです」
「嬉しい。……あと、一年もない。それぐらいは我慢ができる。利口な犬のように」
「ディルグ様はもう、子犬ではないのに?」
「君の前では、小さな犬に戻ったようだ。君に撫でられて尻尾を振る、犬に」
メルティーナはディルグの艶やかな髪を撫でた。
三角形の耳の付け根を撫でると、耳がぴくりと動く。
「……ん。……ティーナ、気持ちがいい」
「嫌では、ないですか……?」
「好きだ。君以外にはされたくないが、君になら、していてほしい」
「それでは、ディルグ様が眠るまで、撫でていてさしあげますね。……本当は触りたかったのです。私と違う耳にも、尻尾にも」
尾に触れるのは憚られた。人獣の尾は敏感で、尾てい骨の付近からはえている。
人間でいうと、尻や性器に無遠慮に触る行為に近いのである。
「触ってくれて構わない。そのかわり、俺もティーナに触れる。耳や腰に」
「ぁ……ディルグ様、眠れなくなってしまいます」
「……眠れなくてもいい。朝が来ても、起きなければいいのだから」
ディルグはメルティーナの首筋に、甘く歯を立てる。
メルティーナはディルグの耳にを撫でながら、目を閉じた。
優しい快楽が首に、耳に、唇に与えられる。
まるでふわふわと雲の上を漂っているような心持ちになる。
幸せだと思う。ずっとこの幸せが続いて欲しい。
夜があけなければいいのに。誰にも邪魔をされずに──彼と、二人で。
そうすれば心の奥に僅かに残る黒い染みも、消し去ることができるはずだ。
416
あなたにおすすめの小説
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。
※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
探さないでください。旦那様は私がお嫌いでしょう?
雪塚 ゆず
恋愛
結婚してから早一年。
最強の魔術師と呼ばれる旦那様と結婚しましたが、まったく私を愛してくれません。
ある日、女性とのやりとりであろう手紙まで見つけてしまいました。
もう限界です。
探さないでください、と書いて、私は家を飛び出しました。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi(がっち)
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる