あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

文字の大きさ
43 / 56

こらえきれない本能

しおりを挟む


 ディルグの体を包み込むように抱いていたメルティーナは、床に滴る血の滴に気づいて顔をあげた。

「ディルグ様、傷が開いてしまいました。もう一度、綺麗にしますね」
「必要ない。どうでもいい」
「お願いです、いうことを聞いてください」
「……言うことを聞けば、君は俺に口づけてくれるのか、ティーナ」

 どことなく皮肉気に、けれど少し甘えるように、ディルグは言う。
 メルティーナはディルグの唇に自分のそれをそっと押し付ける。
 自分から行う口づけは、ぎこちなくて、辿々しい。

「言うことを聞かなくても、いくらでも、何度でも、してさしあげます」
「……ティーナ」
「ディルグ様、治療をしましょう。あなたと生きると決めました。私は、あなたを失いたくありません」

 ディルグはメルティーナを閉じ込めていた腕から、力を抜いた。
 大人しくなったディルグの開いてしまった傷を、止血のためにしばらくガーゼでおさえる。
 じわじわと血が染み出す程度になったところで、今度はアルコールで消毒してから止血の薬草とガーゼと包帯で傷を塞いだ。

「……手慣れている」
「ずっと、一人でしたから。ディルグ様、薬湯を飲んで、それから少し何か食べましょう。ベッドがありますから、そちらで休んでいてください」
「嫌だ。……俺は、また、おかしくなるかもしれない。君を傷つけるかもしれない」

 メルティーナは微笑んで、ディルグの頬を両手で包んだ。
 それから軽く額を触れ合わせる。

「体の傷は癒えます。大したことではありません。ディルグ様、あなたの悲しみや苦しみを、どうか受け止めさせてください。私は大丈夫ですから」
「君は、大丈夫なんかじゃない」
「私の大丈夫は、本当に、大丈夫になりました。あなたの傍でなら、私は、強くなることができます」

 心は強くならないのだと、思ったこともある。
 けれど今は、違う。ディルグを守らなくてはという気持ちが、メルティーナの心に火を燈すようだった。

 ディルグの手を引いて、寝室に向かう。
 彼は大人しく手を引かれるままにふらふらと寝室までくると、ベッドに座り込んだ。

「少し待っていてくださいね。眠っていてください。ディルグ様、私はもう二度といなくなったりしません」

 不安そうな瞳を覗き込んで、言い聞かせるようにそう口にして頬を撫でた。
 安心して欲しくて、唇をそっと重ねる。

 ディルグはじっと動かずメルティーナからの口付けを受け入れる。
 メルティーナが促すと、ベッドに横になり目を閉じた。

 ディルグの体には、長年蓄積された倦怠感がべっとり張り付いているかのようだった。
 少し、信じてくれたのかもしれない。
 安心してくれたのかもしれない。

 静かな寝息が聞こえはじめて、メルティーナはディルグの髪を撫でると微笑んだ。

 手早くミルクとパンとハチミツと木苺を煮込んで、ほのかに甘いパン粥を作る。
 薬湯を煮出して、それから湯を沸かした。

 ディルグの元に戻ると、物音に気づいたのか彼はすぐに起きあがり、警戒するようにメルティーナを睨んだ。
 今にも相手の喉笛を切り裂こうとしている、野生の獣の瞳だ。
 やつれて青白い顔をしているが、その瞳だけは爛々と輝いている。

 ディルグは部屋に入ってきたのがメルティーナだとわかると、軽く息をついて肩の力を抜いた。

「……ティーナ、すまない。長く身を隠していたせいか、目覚めると過去に戻ったように、ここがどこなのかわからなくなる」
「気にしないでください、大丈夫ですから。……ディルグ様、少しなにか召し上がってください。食欲は、ないかもしれませんが」

 メルティーナはディルグの側に椅子を持ってきて座る。
 その口に、冷ましたパン粥をスプーンですくってもっていく。
 ディルグは素直に口を開いた。
 味わうようにゆっくり飲み込んで、目を細める。

「美味しい。……夢を、みているようだ。ティーナが、いる。俺の、傍に」
「ずっと、います。夢ではありません、ずっとあなたと一緒に」

 美味しいと言いながら、ディルグはパン粥をしっかり食べてくれた。
 薬湯を飲み、口直しに淹れた蜂蜜入りの薬草茶を飲むと、人心地ついたように深く目を閉じて自分の胸に手を当てた。

「久々に……人に、戻ったような気がする。……味も匂いも、色も、何もかもを忘れていた。君の料理は、美味しいな、ティーナ」
「よかった。何回だって、作ってさしあげます。血を、失いましたから。取り戻さないと……少し落ち着いたら、お医者様を呼んできますから」
「必要ない。……君は、俺の傍にいてくれ。人獣は、頑丈にできている。多少の傷は、舐めれば治る」
「ですが」
「どこにも、いくな」

 ディルグが、メルティーナの腕を掴む。
 骨が軋むほどに強く掴まれる。痛みを顔に出さないように気をつけながら、ディルグの手に自分の手を重ねた。
 
「わかりました、私はここにいます」
「……っ、すまない」
「いいんです。大丈夫。……ディルグ様、気分は悪くありませんか? 熱はもうないようですが、吐き気は?」
「ない。君の、おかげだ」
「でしたら、体を綺麗にしますね。血がついてしまいましたから」

 ディルグはもう少し、起きていられそうだった。
 彼が頷いてくれたので、メルティーナは食器をさげて、少し置いておいたためにほどよい温度になっているタライの湯に布を浸して、きつく絞った。
 
「髪は、もう少し傷が癒えたら洗ってさしあげますね」
「君に、このようなことはさせられない」
「お嫌かもしれませんが、しばらく我慢をしてください」

 絞った布で、髪を丁寧にふく。血のついた部分を何度も綺麗にすると、絞るたびにタライの湯が赤く染まった。
 新しい湯と交換して、今度は首を拭いていく。

「お洋服も、洗濯します。大きめのシャツを村の人がくださいましたので、着替えましょう」
「そこまでしなくていい」
「ディルグ様、私に全て、任せてください」
「だが」
「大丈夫です。慣れているのですよ、これでも」

 村の女性たちに頼まれて、子供の面倒を見たりもしていた。汚れた服を着替えさせたり、体を綺麗に清めたり。
 メルティーナは子供を産んだことはないが、そのせいで人の世話というものにかなり慣れた。
 ディルグはなぜか、傷ついた顔をした。
 メルティーナが下女のように振る舞っているのが、不憫なのかもしれない。

 大人しくされるがままになっているディルグの服を脱がせて、痩せてしまってはいるが、それでもメルティーナよりはずっと立派な体を清めていく。
 胸や、腹や、腕。この一年でディルグはさらに大人になっているようだった。

 メルティーナも、同じだろうか。もう十八になった。
 自分の容姿について気にするのを、長らくやめてしまっていた。
 今の自分がどんな姿をしているのかが、急に気になった。ひどく、老けこんでしまったかもしれない。
 そんなことを気にしていられるような状況ではないが、ディルグの裸の上半身を見たせいか、自分が女であることを唐突に思い出してしまった。
 上半身を拭き終わり、メルティーナは白いシャツをディルグに着せた。ゆったりとした大きな作りになっているため、体の大きなディルグでも着ることができた。

「……ディルグ様、顔色があまりよくないです。横になっていてください。後のことは私が、全てしますから」
 
 ディルグはメルティーナの様子を、食い入るように見つめている。
 血の気の少ない白い顔を見上げて、メルティーナはディルグに横になるように促した。
 足や下半身は、座ったままよりは寝かせてたほうが手入れがしやすいということもあった。

「ティーナ、もう、いい」
「ディルグ様が意識を失っている時も、同じことをしていました。ディルグ様は、白い獣の姿でしたけれど。だから、心配しないでください」

 汚れた服を、洗ってしまいたい。汚れたままでいたら、また傷に菌が入り、熱を出すかもしれない。
 大人しく横になったディルグの、下肢を覆うものを脱がしていく。
 足の指の先から、長い足を優しく拭った。
 
「もう、十分だ」
「……っ、あ」

 下着を脱がそうとしたところで、下着の中にあるディルグ自身が固く張り詰めていることに気づく。
 一年前に、はじめて抱かれた時のことを思い出す。
 ジュリオの話では、ディルグはヴィオレットと愛し合ったりはしていない。それはディルグの様子を見れば、すぐにわかることでもあった。

 つがいの本能を殺して過ごしていた。きっと、誰かで発散するようなこともしなかったのだろう。
 ディルグがどんなふうに過ごしていたかを全て知っているわけではないが、ディルグがそれぐらい、深くメルティーナを愛してくれていたということはよくわかる。

「ティーナ、駄目だ」
「……ディルグ様、傷に障りますから。動かないでいてください」

 メルティーナは、苦しそうな彼自身に、そっと手を伸ばした。

しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

私達、婚約破棄しましょう

アリス
恋愛
余命宣告を受けたエニシダは最後は自由に生きようと婚約破棄をすることを決意する。 婚約者には愛する人がいる。 彼女との幸せを願い、エニシダは残りの人生は旅をしようと家を出る。 婚約者からも家族からも愛されない彼女は最後くらい好きに生きたかった。 だが、なぜか婚約者は彼女を追いかけ……

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...