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こらえきれない本能
しおりを挟むディルグの体を包み込むように抱いていたメルティーナは、床に滴る血の滴に気づいて顔をあげた。
「ディルグ様、傷が開いてしまいました。もう一度、綺麗にしますね」
「必要ない。どうでもいい」
「お願いです、いうことを聞いてください」
「……言うことを聞けば、君は俺に口づけてくれるのか、ティーナ」
どことなく皮肉気に、けれど少し甘えるように、ディルグは言う。
メルティーナはディルグの唇に自分のそれをそっと押し付ける。
自分から行う口づけは、ぎこちなくて、辿々しい。
「言うことを聞かなくても、いくらでも、何度でも、してさしあげます」
「……ティーナ」
「ディルグ様、治療をしましょう。あなたと生きると決めました。私は、あなたを失いたくありません」
ディルグはメルティーナを閉じ込めていた腕から、力を抜いた。
大人しくなったディルグの開いてしまった傷を、止血のためにしばらくガーゼでおさえる。
じわじわと血が染み出す程度になったところで、今度はアルコールで消毒してから止血の薬草とガーゼと包帯で傷を塞いだ。
「……手慣れている」
「ずっと、一人でしたから。ディルグ様、薬湯を飲んで、それから少し何か食べましょう。ベッドがありますから、そちらで休んでいてください」
「嫌だ。……俺は、また、おかしくなるかもしれない。君を傷つけるかもしれない」
メルティーナは微笑んで、ディルグの頬を両手で包んだ。
それから軽く額を触れ合わせる。
「体の傷は癒えます。大したことではありません。ディルグ様、あなたの悲しみや苦しみを、どうか受け止めさせてください。私は大丈夫ですから」
「君は、大丈夫なんかじゃない」
「私の大丈夫は、本当に、大丈夫になりました。あなたの傍でなら、私は、強くなることができます」
心は強くならないのだと、思ったこともある。
けれど今は、違う。ディルグを守らなくてはという気持ちが、メルティーナの心に火を燈すようだった。
ディルグの手を引いて、寝室に向かう。
彼は大人しく手を引かれるままにふらふらと寝室までくると、ベッドに座り込んだ。
「少し待っていてくださいね。眠っていてください。ディルグ様、私はもう二度といなくなったりしません」
不安そうな瞳を覗き込んで、言い聞かせるようにそう口にして頬を撫でた。
安心して欲しくて、唇をそっと重ねる。
ディルグはじっと動かずメルティーナからの口付けを受け入れる。
メルティーナが促すと、ベッドに横になり目を閉じた。
ディルグの体には、長年蓄積された倦怠感がべっとり張り付いているかのようだった。
少し、信じてくれたのかもしれない。
安心してくれたのかもしれない。
静かな寝息が聞こえはじめて、メルティーナはディルグの髪を撫でると微笑んだ。
手早くミルクとパンとハチミツと木苺を煮込んで、ほのかに甘いパン粥を作る。
薬湯を煮出して、それから湯を沸かした。
ディルグの元に戻ると、物音に気づいたのか彼はすぐに起きあがり、警戒するようにメルティーナを睨んだ。
今にも相手の喉笛を切り裂こうとしている、野生の獣の瞳だ。
やつれて青白い顔をしているが、その瞳だけは爛々と輝いている。
ディルグは部屋に入ってきたのがメルティーナだとわかると、軽く息をついて肩の力を抜いた。
「……ティーナ、すまない。長く身を隠していたせいか、目覚めると過去に戻ったように、ここがどこなのかわからなくなる」
「気にしないでください、大丈夫ですから。……ディルグ様、少しなにか召し上がってください。食欲は、ないかもしれませんが」
メルティーナはディルグの側に椅子を持ってきて座る。
その口に、冷ましたパン粥をスプーンですくってもっていく。
ディルグは素直に口を開いた。
味わうようにゆっくり飲み込んで、目を細める。
「美味しい。……夢を、みているようだ。ティーナが、いる。俺の、傍に」
「ずっと、います。夢ではありません、ずっとあなたと一緒に」
美味しいと言いながら、ディルグはパン粥をしっかり食べてくれた。
薬湯を飲み、口直しに淹れた蜂蜜入りの薬草茶を飲むと、人心地ついたように深く目を閉じて自分の胸に手を当てた。
「久々に……人に、戻ったような気がする。……味も匂いも、色も、何もかもを忘れていた。君の料理は、美味しいな、ティーナ」
「よかった。何回だって、作ってさしあげます。血を、失いましたから。取り戻さないと……少し落ち着いたら、お医者様を呼んできますから」
「必要ない。……君は、俺の傍にいてくれ。人獣は、頑丈にできている。多少の傷は、舐めれば治る」
「ですが」
「どこにも、いくな」
ディルグが、メルティーナの腕を掴む。
骨が軋むほどに強く掴まれる。痛みを顔に出さないように気をつけながら、ディルグの手に自分の手を重ねた。
「わかりました、私はここにいます」
「……っ、すまない」
「いいんです。大丈夫。……ディルグ様、気分は悪くありませんか? 熱はもうないようですが、吐き気は?」
「ない。君の、おかげだ」
「でしたら、体を綺麗にしますね。血がついてしまいましたから」
ディルグはもう少し、起きていられそうだった。
彼が頷いてくれたので、メルティーナは食器をさげて、少し置いておいたためにほどよい温度になっているタライの湯に布を浸して、きつく絞った。
「髪は、もう少し傷が癒えたら洗ってさしあげますね」
「君に、このようなことはさせられない」
「お嫌かもしれませんが、しばらく我慢をしてください」
絞った布で、髪を丁寧にふく。血のついた部分を何度も綺麗にすると、絞るたびにタライの湯が赤く染まった。
新しい湯と交換して、今度は首を拭いていく。
「お洋服も、洗濯します。大きめのシャツを村の人がくださいましたので、着替えましょう」
「そこまでしなくていい」
「ディルグ様、私に全て、任せてください」
「だが」
「大丈夫です。慣れているのですよ、これでも」
村の女性たちに頼まれて、子供の面倒を見たりもしていた。汚れた服を着替えさせたり、体を綺麗に清めたり。
メルティーナは子供を産んだことはないが、そのせいで人の世話というものにかなり慣れた。
ディルグはなぜか、傷ついた顔をした。
メルティーナが下女のように振る舞っているのが、不憫なのかもしれない。
大人しくされるがままになっているディルグの服を脱がせて、痩せてしまってはいるが、それでもメルティーナよりはずっと立派な体を清めていく。
胸や、腹や、腕。この一年でディルグはさらに大人になっているようだった。
メルティーナも、同じだろうか。もう十八になった。
自分の容姿について気にするのを、長らくやめてしまっていた。
今の自分がどんな姿をしているのかが、急に気になった。ひどく、老けこんでしまったかもしれない。
そんなことを気にしていられるような状況ではないが、ディルグの裸の上半身を見たせいか、自分が女であることを唐突に思い出してしまった。
上半身を拭き終わり、メルティーナは白いシャツをディルグに着せた。ゆったりとした大きな作りになっているため、体の大きなディルグでも着ることができた。
「……ディルグ様、顔色があまりよくないです。横になっていてください。後のことは私が、全てしますから」
ディルグはメルティーナの様子を、食い入るように見つめている。
血の気の少ない白い顔を見上げて、メルティーナはディルグに横になるように促した。
足や下半身は、座ったままよりは寝かせてたほうが手入れがしやすいということもあった。
「ティーナ、もう、いい」
「ディルグ様が意識を失っている時も、同じことをしていました。ディルグ様は、白い獣の姿でしたけれど。だから、心配しないでください」
汚れた服を、洗ってしまいたい。汚れたままでいたら、また傷に菌が入り、熱を出すかもしれない。
大人しく横になったディルグの、下肢を覆うものを脱がしていく。
足の指の先から、長い足を優しく拭った。
「もう、十分だ」
「……っ、あ」
下着を脱がそうとしたところで、下着の中にあるディルグ自身が固く張り詰めていることに気づく。
一年前に、はじめて抱かれた時のことを思い出す。
ジュリオの話では、ディルグはヴィオレットと愛し合ったりはしていない。それはディルグの様子を見れば、すぐにわかることでもあった。
つがいの本能を殺して過ごしていた。きっと、誰かで発散するようなこともしなかったのだろう。
ディルグがどんなふうに過ごしていたかを全て知っているわけではないが、ディルグがそれぐらい、深くメルティーナを愛してくれていたということはよくわかる。
「ティーナ、駄目だ」
「……ディルグ様、傷に障りますから。動かないでいてください」
メルティーナは、苦しそうな彼自身に、そっと手を伸ばした。
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