あなたのつがいは私じゃない

束原ミヤコ

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愛情の証明

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 ディルグが目覚めたら、何か食べさせなくては。
 長い間まともに食べていないように見えたから、胃にやさしいものがいい。
 そう思い、メルティーナはディルグがよく眠っているのを確認して、街に買い物に出た。
 パンを売って稼いだ給金は、ほとんど手つかずで残っている。
 ジュリオの言うとおり、贅沢をしなければ二人でしばらく暮していけるぐらいの蓄えがあった。
 
 すっかり質素な生活に慣れたメルティーナは、街の中にいても目立たなかった。
 今のメルティーナを見て、伯爵家の令嬢だったと思うものは誰も居ないだろう。手も荒れているし、髪も手入れしていない。
 服もほつれを縫い直して着ているものだ。
 ワンピースの上からエプロンをつけているので、どこかの屋敷の下女のようだった。

 メルティーナの住んでいた村よりは大きな街なので、メルティーナが買い物をしても訝しがられるようなことはなかった。元々辺境には、貿易のために商人が集まるものだ。
 だから、知らない顔の者が通りを歩いていても買い物をしていても、誰もあまり気にしない。

 当面必要なものを買って、両手に荷物を抱えて家に戻った。
 知らない街での買い物は、店の場所も道もわからないので時間がかかってしまった。
 
 ディルグは大丈夫だろうかと心配になり、帰路を急ぐ。
 家に戻ると──大きな音が、中から響いていた。

 メルティーナは慌てて家の中に入り、荷物を玄関に投げ捨てるように置いて、音のするほうへと転がるように駆けて行く。
 リビングルームで眠っていたはずのディルグが起きあがり、暴れていた。
 頭をかきむしったのだろう、綺麗にした筈の包帯が外れて引き裂かれており、塞がっていた筈の傷から血が流れている。
 
 青い瞳はぎらぎらと輝き、低い唸り声をあげている。
 ──熱による、錯乱だろうか。
 熱はさがったはず。だとしたら、悪夢を見たのか。
 それともディルグの心は──メルティーナをナイフで刺しそうになったときに、壊れてしまったのだろうか。

 それでも、いい。どんなディルグでもいい。
 メルティーナは彼を守ると、愛すると、傍にいると決めたのだから。

「ディルグ様!」

 噛みつかれるかもしれない。爪に、体を引き裂かれるかもしれない。
 一瞬そう思ったが、恐怖はどこかに消えてしまった。
 ただ守らなくてはという思いに突き動かされて、暴れるディルグの元へとメルティーナは駆ける。
 
 大きな体躯に弾き飛ばされて、床の上を転がった。
 床に体が叩きつけられて、息が詰まる。激しい痛みに軋む体を叱咤して起きあがり、ディルグの大きな体を抱きしめるようにしてすがりついた。

「ディルグ様、大丈夫です、ディルグ様、大丈夫ですから……大丈夫、あなたは、大丈夫……っ」

 残された片方の耳元で、大丈夫だと繰り返した。

「ティーナ……?」
「ディルグ様、メルティーナです。あなたの、メルティーナです。ここにいます、あなたの傍に……!」
「ティーナ……俺は、また……君を……」

 ディルグの瞳に、知性の光が戻る。
 メルティーナを傷つけたことに気づいたのだろう、身をよじって、ディルグを抱きしめているメルティーナから離れようとする。

「ディルグ様、私は大丈夫、大丈夫ですから……っ」
「大丈夫ではない、君の大丈夫は……苦しいという、意味だ。俺への手紙に、書いてあった。大丈夫だと……俺は……俺が君を欲しなければ、君が苦しむことは、なかったのに……」
「ディルグ様……! ディルグ様、私を見てください。私の声を聞いてください。お願いです、ディルグ様……っ」

 ディルグは、ここではないどこかを見ているようだった。
 メルティーナを見ているようで、何も見ていない。全てを拒絶している。
 ──罪悪感の檻のなかで、苦しみ続けている。

 メルティーナはディルグの顔を両手で包んだ。
 それから、ディルグの大きな口に自分の唇を押しつける。
 この愛は、偽物なんかじゃない。
 あなたへの愛情に後悔はない。ディルグとの思い出は、メルティーナにとってはどれもすべて大切だ。
 疑った日々も、愛される喜びも、彼の元を離れた選択でさえ。
 
 メルティーナは、ディルグへの愛情を胸に抱いて、今までずっと生きていた。

 だから──大きな獣の唇に、小さな口を触れさせる。メルティーナのものよりもずっと大きな長い舌を、小さな舌で撫でた。
 舌は、熱くて、ぬるりとして、ざらざらしている。
 メルティーナとはまるで違う形をしている。
 少しも嫌じゃない。それがディルグだと思うと、全て愛しい。

「……ん……っ」

 白い獣の口は大きすぎて、舌を絡めることも、メルティーナが彼の舌を受け入れることも難しい。
 だから、ちろちろと、撫でるように舐った。
 ディルグの頬を撫でて、首を撫でる。あなたはここにいる、ここにいて欲しいのだと伝えるために。

「ティーナ……」

 いつの間にか、メルティーナの手に触れるふさふさした感触が、つるりとした人の素肌に変わっていた。
 唇をそっと離すと、ディルグの瞳と目が合う。
 ディルグは──人の姿に戻っていた。

「……ディルグ様……おはようございます。買い物に行っていたのです、一人にして、ごめんなさい。不安だったですよね」
「ティーナ……っ」

 ディルグは力の入らない手で、すがりつくように、助けを求めるようにメルティーナを抱きしめた。

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