現代妖奇譚

束原ミヤコ

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幽世からの来訪

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 カグツチの苛立ちに呼応しているかのように、部屋に浮いていた球状の炎の熱量が増し、球状から竜のように形を変化させて部屋を飛び回りながら轟々と燃え盛る。
 琥珀は頭を掴まれると、乱暴に寝台に叩きつけられた。

「お前の言う通り、俺は俺に足りないものを手に入れるため、お前を愛してやろう」

 カグツチは笑みを深くする。
 笑っているが、その瞳は怒りに燃えていた。

 侮辱されたことが許せないのだろう。
 琥珀はカグツチを静かに見上げる。もう、恐れてはいない。
 カグツチの怒りよりも、大切な人たちを失う事の方が余程怖い。

 寝台の両端から炎でできた手枷が伸びて、琥珀の両腕に巻き付いた。
 両腕に焼き鏝が押し付けられたような熱さと激しい痛みに、呻き声を洩らしたくなくて奥歯を噛み締める。

 琥珀から彼に与えてやるものなど、何一つない。悲鳴も涙も、何一つ。
 琥珀にとってとても大切な人たちを、遊び半分で傷つけたカグツチが嫌いだ。
 カグツチの足りなさは哀れだと思うが、それでも嫌悪感の方が先に感情を騒めかせる。

「お前の四肢を蝶の羽のように捥いで磔にして、泣いて縋る程に愛でてやる」
「それではあなたは永遠にここからでられない」
「まずはやはりその小賢しい口を、二度と開けなくしてやろう」

 カグツチの両手が琥珀の首を掴む。
 喉を潰されるのだと、他人事のように思った。
 息苦しさに生理的な涙が零れるのが、悔しい。

 腕枷は腕を焼き、息はできなかったが、それで心まで屈服させられるわけにはいかない。
 強く在ることを決めたのだから。

「風伯!」

 振り絞る様に、涼が叫ぶ。
 風伯は悲壮な表情で涼の傍からふわりと舞い上がると、両手を前に突き出す。
 風が渦巻き、かまいたちがカグツチの寝台を引き裂いた。

 しかしそれが届く前に、全てを飲み込むような炎が巻き起こり、風を阻んで風伯を津波のように飲み込んだ。
 炎に飲み込まれた風伯は、緑色のきらきらとした粒子を残してその場から消え去った。

 カグツチは床に倒れている涼と、体の半分を火傷から修復してなんとか起き上がった尽に冷めた視線を送る。

「余計な邪魔をしたら、すぐさまこの女の魂を砕く」
「カグツチ、殺すなら俺を殺せ。代償はそれで十分だろう……!」
「八津房、琥珀以上に死にたがっているお前を殺して何が楽しい? お前たちはこの女を、この女はお前たちを救いたいと願っているが、どちらの望みも俺が壊してやる」

 カグツチの言葉に琥珀は目を見開く。
 取引をしてくれると言ったのに、嘘吐きだと、カグツチを罵りたかったが、締め付けられている喉では声を出すことが出来なかった。

 息ができないからだろうか、意識が暗闇に落ちていく感覚があった。
 しかし、意識を失う事はこの残酷な男に負けるという事だと思うと悔しくて、起きているために腕の痛みに集中する。

 喉の奥で嫌な音が響く。
 潰されたのだと感じた瞬間、それは起こった。

 ――カグツチの牢獄の、偽りの夜空に光が溢れる。

 それは目を焼くような激しいものではなく、柔らかい月の光だった。
 部屋の中を優しく照らし、荒れ狂う炎を沈め、琥珀の肌を羽のように軽く撫でていく。

 息苦しさも痛みも、その光に触れるとどこか遠くにいってしまったようだ。
 寝台の天蓋も、寝台も、炎の手枷も、最初から何もなかったように薄く白けて消えていく。

 神殿のようだった牢獄は、ただの石でできた洞窟のような簡素なものに変わり、飾り棚にあった鳥籠が失せると、華の形をした魂達が、光の溢れる天井へと舞い上がり吸い込まれていった。

 琥珀は痛みが消え、自由に動けるようになっている事に気づく。
 苦々しい顔で天井を見上げているカグツチの傍から離れ、両手を失って倒れている涼の元へ駆け寄る。
 覗き込むと、涼の両腕は元通りになっていた。

「琥珀、怪我は……?」

 立ち上がった涼に抱き留められると、首や腕に確かめるように触れられる。
 琥珀も彼の腕が元に戻っているのが信じられず、腕の付け根にそっと触れた。

「涼、は、大丈夫?」

 彼の無事を傍で感じると、安堵から押さえていた涙が零れそうになる。
 何とか堪えて、問いかけた声は自分でも恥ずかしくなるほど拙かった。

「うん、なんだか分からないけど、戻った」

 涼はいつもの平静さで、何事もなかったようにそう言う。
 それから、琥珀たちを守る様に前に立った尽の背中に向けて、話しかける。

「八津房は盛大に焼け焦げてたけど、大丈夫?」
「なんだその言い方は。俺もお前と同じで状況はまるで分からないが、とりあえず無事だ」

 琥珀は尽の元へ行こうとしたが、「そこに居ろ」と厳しく言われたのでこくりと頷いた。
 尽はカグツチの見ている方向に視線を向けているようだった。

 琥珀も光り輝く天井を見上げる。
 天井は、目を凝らして見つめると、その先に花の咲き乱れる美しい世界があるように見えた。
 きらきらとした粒子が降り注ぐのは、星屑が落ちてきているようにも思われる。
 幻想的な光景に状況も忘れて思わず見とれる。

 すると、徐々に光がおさまって、天井から二人の人影が音もなくカグツチの前に降り立った。
 一人は金色の髪をした、女性なのか男性なのか分からない美しい人だ。
 足元まで隠すゆったりとした黒いローブを着ていて、肩からは同じように黒いマントを羽織っている。
 留め金だけが金色で、三日月の形をしている。布を引きずっているせいか、小柄な体が余計に小柄に見えた。

 もう一人は、ゆるゆるとした首周りの大きく空いた服を着た、薄い笑みを浮かべている若い男だった。灰色の短い髪に、大きな紺碧の耳飾りをつけている。

「風伯が、泣きながら帰ってきたぞ。よくもまぁ、虐めたものだ」

 若い男が言う。
 涼は一度瞬きをすると、驚いたように言った。

「蛟?」
「賢いな、漆間涼。俺の声を覚えていたのか?」

 人懐こい表情で彼は笑い、肩を竦める。

「幽世で見て居ようかと思っていたんだが、気が変わった」
「素直に助けたかったと言ったらどうです、僕に泣きながら助力を請うたのはどこのだれですか」
「泣いてはいなかったでしょう、俺は」

 僕、というからには男なのだろう。
 少年と青年の中間ぐらいの見た目の彼は、不貞腐れたように言う蛟を見て「そうでしたっけ」と口元に笑みを浮かべる。
 それからカグツチに厳しい視線を向けた。

「カグツチ、琥珀の言う通りだったんですよ。彼女の助言に素直に耳を傾ければ、母さんもお前を許したでしょうに」
「ツクヨミ、何千年と幽世から出てこなかったお前が、今更何の用だ」

 吠えるようにカグツチは言う。
 月読という名前の少年は、彼の苛立ちに表情を変える事なく、琥珀たちの方に向き直ると言った。

「ご挨拶がまだでしたね。幽世から出たことが殆どないので、少し緊張しています。僕はツクヨミ、カグツチの兄で、イザナミの息子です。君たちの言う、幽世の神ですが、基本的に幽世で寝ているだけなので、あまり神様らしくはないかもしれませんね」
「ツクヨミ様、もう少し威厳を持って挨拶はできないものですかねぇ」
「文句を言うなら蛟が僕の代わりに挨拶してくださいよ」

 不満気にいう蛟に、ツクヨミは唇を尖らせる。
 それから表情を引き締めて、カグツチを見据えた。
 先程までの、彼の持つ柔らかい雰囲気は消えて、髪と同じ金色の瞳は冷徹ささえ湛えている。

「かつて、お前を天照と母さんがここに閉じ込めた時、僕は少しだけ可哀想だと思ったんですよ。けれど、そのあともお前は、母さんが温情をかけてくれたおかげで、この場所ならば力を好きに使えるのを良い事に、人間たちを弄びましたね。僕は禁呪によって穢された人間と妖の絆を断ち切りました。彼らが、お前の遊びに巻き込まれるのを避けたかったんです」
「俺は望みを叶えてやっただけだ。それの何が悪い?」
「贄の魂を食らい、弄び、時には壊したでしょう。それに、お前のせいで現世は度々混乱した。お前は良い事と悪い事の判別がつかない。琥珀の言う通り、他者を思う慈悲も、慈愛もない」

 カグツチは舌打ちをつき、ツクヨミは哀れむように眉根を寄せた。

「お前が彼らをここに呼び込んだのは、本当ならば自分の足りないものを知りたかったからだ。彼らを惑わし、揺さぶり、観察することで、人の感情を知り、足りないものを補おうとしたのでしょう。けれど、堪え性のないお前は、その前に癇癪を起してしまいました。残念な事です」
「だとしても、お前には関係のない事だ」
「はい。本来ならば、僕は人間にもお前にも関わりません。でも、蛟に請われましたし、それに僕はお前の兄ですから」

 ツクヨミはカグツチの傍に滑る様に歩いていくと、手を伸ばしてその額に掌を触れさせた。
 カグツチの力では簡単に振り払えるように思えるが、どうやら彼は動くことが出来ないようで、ぎりりと歯ぎしりをする。

「母さんと相談をして決めたことです。お前が気づくならば、お前を許し、残酷な事を繰り返すのならば、お前の力を奪う、と。自己愛以外の愛を知るまで、お前の力は封じます」

 ツクヨミが言い終わるやいなや、カグツチの体は大きく震えて、次の瞬間炎を閉じ込めたような赤い宝石になってその場に浮かんだ。
 ツクヨミはカグツチが並べていたものと同じような鳥籠を掌の上に出現させると、丁寧にその中に宝石を入れる。
 それから、深く息を吐き出して、表情を崩した。

「僕の弟が大変迷惑をかけましたね。僕が責任を持って、あなたたちを現世まで送り届けましょう」
「蛟が、俺たちを助けるように頼んでくれたのか?」

 涼に問われて、蛟は視線を逸らした。

「俺は自分勝手な覡神楽も、優柔不断なそこの琥珀も嫌いだったから、放っておきたかったんだ。だが、琥珀が少し、変わったようだったから、助けてやろうかと思ってな」

 助けなかったら影虎も泣くだろうし、と言って、蛟はさっさと姿を消した。
 ツクヨミはくすりと笑うと、琥珀の前まで歩き、その手を優しく取った。

「琥珀、弟にきちんと向き合ってくれて、ありがとうございました。カグツチは、母さんの言葉も兄弟の言葉も聞きませんでした。でも、きっとあなたの言葉を、考えてくれる日が来るでしょう」
「どうして、カグツチ様は」
「残酷なのかと、聞きたいのでしょう。あれは本当は、人間が昔から好きだったのです。幽世や、高天原、冥府は殆ど変化しませんが、現世は絶えず変わっていきます。それは人間の生が驚くほどに短いからです。カグツチは現世が好きでしたから、その短い生を眺めて暮らしていた。そして、自分が愛した人間たちがすぐに死んでしまうのを繰り返し見続けて、おかしくなってしまった。人間を自分の玩具か何かだと勘違いしてしまったのでしょう」

 でも、いつかきっと。
 ツクヨミはそこで言葉を区切る。

「本当は冥府は母さんの管轄なのですけどね、母さんは恥ずかしがり屋なので、僕がかわりにここに来ました。蛟も偏屈ですし、僕の周りには変わり者が多くて困ります」

 そう言って、ツクヨミは涼と尽の顔を順番に見上げると、とても優雅に美しく微笑んだ。

「涼、お前の風伯は無事ですよ。寂しがってしまうでしょうから、また呼んであげなさい。尽、お前の狗神たちは、お前をずっと心配してます。カグツチのように、道を間違えないように、生きなさい。それから、囚われていた魂達は、無事に高天原に昇りました」
「父さんも?」

 涼が問う。
 ツクヨミは、こくりと頷く。

「はい。だから、安心して、現世に帰りなさい」

 ツクヨミが言うと、あたりが柔らかい光に包まれる。
 琥珀は強引に腕を引かれ、尽に抱きしめられたような気がした。
 けれどすぐに視界が真っ白く覆われて、それが現実なのかそれとも気のせいだったのかよく分からなかった。


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