リリアンナ・セフィールと不機嫌な皇子様

束原ミヤコ

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セフィール家での休暇と想起の夏

フィオルド・セントマリアと記録石 1

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 ◆◆◆◆

 

 ――セフィール家に訪れることを、長年避けていた。

 あの日。婚約者であるリリィにはじめてあった日。拒絶されたと、感じた時から。

 私はセフィール家の客室の柔らかいソファに深く身を沈める。
 ロイス公爵とリアン公爵夫人との食事が終わり、その後案内された部屋だ。

 私のために準備をしてくれていたのだろう。清潔に整えられた客室は広く、リビングと寝室と、浴室がある。それからクローゼットが備え付けられている部屋には、私の荷物がすでに運ばれていた。

 世話をしようとしてくれる侍女の方々に断りを入れて、一人きりになった。
 昔から侍女を側に置くことをしなかった私は、大抵のことは一人でできる。

 可能な限り一人でいたいと思っていた。

 他者を拒絶しているわけではないが、その方が気が楽だった。
 立場上、そういうわけにもいかないことも多かったのだが。

 リリィとは客室の前で別れた。
 一緒にいたい。ずっとその顔を見て、声を聞いて、触れていたい。
 そう思いはするけれど、顔に出さないようにと気をつけた。

 久しぶりにセフィール家に帰ってきたのだから、リリィも自由になりたいだろう。

 長旅で疲れただろうし、昨日は明け方まで愛しさに任せてその体を貪ってしまった。

 可愛くて愛しくて、幸せで欲しくて、欲しくて、――どうにかなってしまいそうだ。

 リリィは疲れているだろう。ゆっくり休ませてやりたい。

 私を好きだと言ってくれたリリィの、小さな唇や白い歯や、熟れた果実のように赤く瑞々しい舌を思い出す。
 どんなに触れても足りなくて、もっと深く果てまで繋がりたいと、心の奥底から渇望している。

 飢えも乾きもひどくなる一方で、満たされているはずなのに欲望には際限がない。

 気持ちを落ち着かせるために風呂を済ませて、簡素な部屋着に着替えた。

 もうあとは、眠るだけだ。夜も、遅い。
 ベッドに入れば良いのだろうが、どうにも眠る気が起きずにソファに座ってぼんやりしていた。

「拒絶、されていたわけではないのだな……」

 小さな声で呟く。

 ソファの前のテーブルには、ワイングラスとボトルが置かれている。
 セフィール公爵領は甘い赤ワインが有名で、城にもよく運ばれてくる。

 デザート感覚で飲めるのが良いと、女性に人気らしい。
 酒は、飲んだことがない。何かを楽しいと思うことが、今まであっただろうか。

 娯楽に興じることは堕落のような気がして、禁忌だと思っていた。女性と話すことさえ、滅多なことではしなかった。

 幼い頃から、それが庭でも城の廊下でも、どんな場所でもお構いなしに、女性の体を弄る父を見てきた。

 酒を口にするとその行動はもっとひどくなる。

 母は父を罵ることはなかったし、悲しそうな顔一つしたことはなかったが、きっと辛いのだろうなと考えていた。

 どうしようもなく、愚かな男だと思っていた。

 そして、私の婚約者にリリアンナ・セフィールが選ばれたと、父から伝えられた。

 父はいつになく上機嫌だった。私は公爵家の娘たちの誰かと結婚することが定められている。誰でも良いと思っていた。
 ただ、父のようになりたくなかった私は、婚約者ができたらその女性一人だけを愛そうと、心に誓っていた。

 けれど――それは、かなわなかった。

 リリィに会いに行く前に、父がリアン公爵夫人を、己の妹を若かりし頃にーー獣のように襲ったのだという噂を耳にした。


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