リリアンナ・セフィールと不機嫌な皇子様

束原ミヤコ

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セフィール家での休暇と想起の夏

 フィオルド・セントマリアと記録石 2

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 それはただの偶然だった。

 どこにでも噂好きなものたちはいる。城に勤めている者たちも例外ではなく、メイドや兵士たちが下世話な冗談とともに、笑いながらそんな話をしているのが、耳に入ってきてしまった。

 ――かつて襲った妹の娘と、フィオルド殿下を婚約させるなんて。

 ――リアン皇女様は皇帝陛下を嫌って、城に近づこうとさえしない。息子を婚約者にしたら、また会えるとでも思ったんじゃないのだろうか。

 そんなことを彼らは話していた。

 ただの噂だと、自分に言い聞かせてみたものの、あの父なら、やりかねないと心のどこかで理解していた。だから私は、フォルトナの父である宰相に、その話の真偽を確かめにいった。

 ただの噂であって欲しいと願っていた。けれどそれは――紛れもない事実だった。

 父に対する嫌悪感は、己の血にまで及ぶようになった。

 けれどリリィは婚約者だ。私の、ただ一人の婚約者。
 できることなら、私はリリィだけを愛したい。そして愛されたい。私は父のようになったりはしない。

 リアン公爵夫人も、リリィも社交の場にほぼ顔を出さなかったから、私は自ら出向いてリリィの顔を見ようと、挨拶をして、それから親しくなろうと決意をした。

 そうして、私はセフィール家を訪れた。

 父には黙っていた。もし伝えたら、自分も同行すると言うかもしれない。それだけは、どうしても避けたかった。

 私はリアン公爵夫人に嫌われているだろうと思っていたので、セフィール家の敷地を踏むときは、足が震えた。
 流れる血が煮え立つようで、己がひどく、薄汚い人間に思えてならなかった。

 ――そうして私はリリィと会った。
 幼いリリィは、とても愛らしかった。ややつり目がちな大きな瞳と、白い肌。柔らかい光を湛えた、ふわりとした癖のある金の髪。

 まるで、女神のようだと思った。

 私は一目でリリィに心を奪われて、けれどその恋は、一瞬で終わりを告げた。
 リリィに声をかけた私に、リリィは嫌悪の眼差しを向けた。

 やはり――私は、セフィール家に足を踏み入れてはいけなかった。
 幼いリリィも、私が己の母を汚そうとした男の子供だと知っているのだろう。

 自らの妹を襲う獣の息子。そんな私を、リリィが受け入れてくれるはずがなかった。

 私は、セフィール家から逃げた。
 そして、リリィからも。

 けれどリリィのことが欲しくて仕方なかった。

 どんなに嫌悪されても、手放したくないと思ってしまうほどに、私は――恋に、狂っていたのだろう。
 まるで、リアン皇女を求めていた、父のように。

「……リリィは、私を嫌って、あのような眼差しを向けたわけではなかった。……ただ、人馴れしていなかったというだけで」

 確認するように、過去を辿る。
 リリィはあの時のことは、口にしない。もしかしたら、忘れているのかもしれない。

 それぐらい、幼かった。

 いつまでも覚えている私が、女々しいのだろう。
 今更、尋ねることでもない。

 リアン公爵夫人と、ロイス公爵とも話すことができた。
 もう何も、不安に思うようなことはない。

 私は眉間を軽くおさえて、過去に浸っていた意識を浮上させた。

「……ヴェルダナ辺境伯家というのは、有名な魔導士を数多く生み出している家だったな」

 リリィの侍女の名前は、ドロレス・ヴェルダナ。
 辺境伯家の娘だという。

 リリィは気づいていないようだが、独特な魔力の気配を感じた。
 どこかで感じたことがあるものだ。

 確か――。

「遺跡には、あのような魔物はいなかった。……リリィを襲った、魔力を吸い、快楽を与える魔物たち。……作為的な何かを感じてはいたが」

 遺跡の奥には、記録石が置かれていた。
 生徒達の行動を記録して、成績に反映させるために確認するためのものだ。

 リリィのあられもない姿が残されている記録石を教師に渡すわけにはいかず、事情を適当に説明して、預かった。
 砕いて捨ててしまおうかと何度か思ったが、万が一、ということもある。

 リリィに危害を加えるために魔物を放ったものがいたとしたら、記録石は大切な証拠になる。

 とはいえ記録されているのは、リリィの――淫らな姿なのだから、確認しようにもできないままでいた。

 私は魔力を編み上げて作り上げた空間から、手のひら大の紫色の宝石に似た石を取り出した。

「……遺跡の魔物を放ったのが、……ヴェルダナ家の女だとしたら、リリィは傷つくな」

 記録石を持って、目の前に掲げて、私はため息をついた。

 信頼している侍女だと言っていた。

 まだ決まったわけではないが、可能性は高い。目的はまるでわからないが、記録石をもう一度確認すれば、映像とともに魔物が放っていた魔力の残滓も感じられるかもしれない。

「……確認する必要はある、が」

 一瞬、迷った。
 記録石など砕いてしまうべきだろう。リリィのあのような姿をもう一度確認するなど、悪趣味にも程がある。

 だが――もし、ドロレスという侍女が、リリィに対して害意を持っていたとしたら。

 捨て置けない。

 私は唇を噛むと、記録石に魔力を込めた。
 壁に、魔物の触手に纏わりつかれて、頬を染めて切なげに泣いているリリィの姿がうつる。

「冷静に、私」

 自分に何度か言い聞かせても、どうしようもない劣情が、ふつふつと腹の底から湧き起こってくるのを感じた。



 ◆◆◆◆



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