リリアンナ・セフィールと不機嫌な皇子様

束原ミヤコ

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セフィール家での休暇と想起の夏

庭園での記憶 1

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 睡蓮が美しく花を開かせている池にかかる橋を、私はフィオルド様に手を引かれて歩いた。
 爽やかな風が頬を撫でる。

 フィオルド様の髪をさらりと揺らした。

 黒い飾り気のないシャツに、黒いスラックス。ベルトの金具だけが金色。色味を抑えた服装を好んでいるフィオルド様だけれど、ご本人が美しいから、どんな服装も良く似合う。

 華美な服装もきっとフィオルド様を引き立てるのだろうけれど、どちらかといえばシンプルな方が、フィオルド様らしいように思う。

 私よりもずっと大きな手が手のひらに重なり、指先が絡まるのはとても安心できるのに――どうしてか、私は少し、緊張している。

「フィオルド様、あのお花は、紫陽花です。……紫陽花は、知っていますか?」

「花は、あまり詳しくない。けれど、美しいな。……これは、紫色、だろうか。紫と、青? 同じ木から、違う色の花が咲くのか」

「はい、……紫陽花は、接ぎ木で育つのです」

「接ぎ木?」

「枝を、切って土に刺すと、新しい木になります」

 夏の前のこの季節、中庭の庭園は紫陽花が見ごろになる。

 薔薇の咲き乱れる庭園ももちろん美しくて好きだけれど、私はこの季節のお庭がとても好きだ。
 紫陽花は華やかだけれど、どこか、静けさと落ち着きが感じられる。

 皇都ではあまり見かけない花ばかりのお庭だけれど、私は辺境の街でお父様が買い付けてきた花々が好き。

 フィオルド様も、紫陽花に似ている。

 美しいけれど涼し気で落ち着きがある。私よりもずっと大人びていて、けれど、繊細で、どことなく可愛らしくて、とても、真面目で。それから、それから。

 好きを数えたら、胸の奥から言葉があふれてくる。

 紫陽花が好き。

 家族が好き。

 ドロレスが好き。

 ――フィオルド様が、好き。

 フィオルド様の婚約者に選んでいただけて、良かった。

 一つ、好きが増えただけなのに、こんなにも、世界が違って見える。

「リリィは、良く知っている」

「お花、好きです。お花……植物も、好き、です。私の魔法、植物を成長させることしか、できなくて。……だから、でしょうか。昔から、植物に囲まれていると、気持ちが休まって」

「学園にも、植物園があるな。それから、庭園も。城にも、薔薇園がある。……今まで、一度もお前を案内したことがなかった。お前が花を好んでいることさえ、私は知らなかった。……リリィ、すまない」

「い、いいんです、そんなこと……私だって、……私だって、フィオルド様が、甘いものをお嫌いなこと、知らなかったのですから」

 晴れた日でも、紫陽花はいつでも水気を孕んでいるように見える。
 しっとりと濡れているような光沢のある大きな葉や、その雨を連想させる青い色のせいなのかもしれない。

「学園に戻ったら、一緒に行こう。……花を愛でる心の余裕さえ、私にはなかったのだな。花の名前すら、ろくに知らない」

「フィオルド様は何でも知っているって、勝手に思っていました」

「一般的な教養……ぐらいなら、あるだろうか。薔薇は分かる。それから、チューリップ、だったか。確か」

「……なんだか、可愛らしいです」

 フィオルド様の口からチューリップという単語が発せられるのが、なんだか不思議だった。

 口元に手を当てて、私は少しだけ笑った。

 フィオルド様は眩しいものを見るように目を細めて私を見た後、足をとめて私の頬を撫でた。

 池の端を通り過ぎて、その奥には東屋がある。

 東屋の周りには、紫陽花が咲き乱れている。
 明るい陽射しが、フィオルド様の紫色の耳飾りや青い紫陽花に似た銀の髪を、きらきらと輝かせていた。

「紫陽花は、……不思議な木です。同じ木なのに、刺す土地によって、色が変わるのです」

「そうなのか? 例えば庭の木の枝を貰って、学園の私の屋敷の庭に刺したら、この色にはならないのだろうか」

「その、土壌の性質によって、変わるそうなのです。……青になったり、紫になったり、赤紫色になったり」

「リリィはどの色が好き?」

 フィオルド様は、私の手を取って軽く口づけた。


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