リリアンナ・セフィールと不機嫌な皇子様

束原ミヤコ

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聖女の魔力と豊穣の秋

 私の知らないこの国のこと 2

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 辺境伯は、軽く首を振る。


「事実を述べたまでだ。リリアンナ様は聖女になる覚悟を決めて、ここに来たのでしょう?」

「はい。……魔物についても、魔族についても、フィオルド様から少しは聞いています。けれど……私が思うよりも、ずっと、状況は切迫しているのでしょうか……?」

「先ほど、聖女や聖人が現れずに百年以上経ったと言ったな。実際には、最後の聖女が失われたのは、およそ百八十年前。聖女の生きている間は、魔物たちは人を襲うことをしない。だが、聖女がいなくなればーー人を襲わない間に増えた魔物たちが街や村を襲い、人を喰いはじめる」


 常に明るい笑顔を浮かべていた陛下の顔に、はじめて表情らしい表情が浮かんだ。

 忌々しそうに、眉をひそめて続ける。


「聖女という存在は良くも悪くもある。聖女が生きるおよそ五十年から六十年の間、皇国の人々は平和を享受することができるが、聖女が亡くなるころになると、戦うことをすっかり忘れてしまう。百八十年前からはじまった聖女不在期間の間、この国の人口のおよそ四分の一は失われている」

「小さな町や村は、地図から消えた。陛下が即位なさったときには、隣国との戦争も起こっていたから――国は疲弊の一途を辿っていたの。それを、ヴェルダナ辺境伯と陛下が協力して、なんとか今の状態に落ち着くことができた」


 アミティ様が、陛下の後を続けた。


「私は魔物討伐に出かける陛下について行っては、魔物の研究を続けた。分布図や、生態や、退治する方法を本にまとめるためにね。陛下は……切実に、女神を欲していたの。国のために。今だって、この国は安全とは言えないわ」

「戦う力を持たないものの方が、この国には多いのです。それに、人々の脅威は魔物だけではない。再び隣国に攻められたら。そして、地の門の向こう側にある魔族の国ネクタリスに住む魔族たちが、攻めてきたら。我が国はひとたまりもないでしょう」


 厳かな声で、辺境伯は言う。

 私の世界は、今までとても平和だった。けれど、実際その平和とは、薄氷の上を歩いているように、脆い。


「……聖女は、……魔族の脅威からも、国を守ることができるのですか?」


 私はフィオルド様の手を、強く握った。

 怖くないといえば嘘になる。私の両手では持ちきれないぐらいの責任が、聖女という役割にはある。

 フィオルド様が私を守るようにして、手を握り返してくださる。

 それだけで、私は真っ直ぐ立っていることができる。


「ええ、もちろん。聖女がいる限り、魔族はネクタリスから地の門を越えて、この国に入り込めないのです。……かつて私の父は、力を求めて魔族の女と番いました。けれどそれは、魔族たちにとっては許されざること。魔族たちはかつて翼あるセントマリア様に従い、白い翼を無くした私たちのことを、嘲り憎んでいます」

「全員が全員、そういうわけでもないとは思うんですけどね。そういう人もいるってことです」


 ドロレスが悩ましげな表情で言う。

 ドロレスにも、魔族の血が混じっているのだろうから、魔族のことを悪く言われると複雑な気持ちになるのかもしれない。


「今の所、交戦を唱えるものは少ないようですけれどね。情勢が、突然変わらないとも限りません。隣国アルケイディアも同様に。それ故、陛下はリアン皇女を手に入れようとする暴挙に走った。……そして、リアン皇女はリリアンナ様の聖女の力を私に命じて封じました」

「……それは、良くないことではなかったのですか? それだけ、国が困っているのに、……お母様は」

「親は子供が大切なのですよ。私も人の親ですから、リアン皇女の気持ちも理解できた。思うところはありましたが。……だから、ドロレスにリリアンナ様の守護と監視を命じたのです」

「なんという非道な言い方! 監視などではありませんよお嬢様! 可愛らしいお嬢様の成長を見守るという明るく楽しく高収入なお仕事でした。趣味と実益を兼ねた、素晴らしい立場です。監視などと!」


 ドロレスが、辺境伯に向かって怒っている。

 辺境伯は細い杖でドロレスの額を軽く叩いた。


「お前の気持ちはわかったから、落ち着きなさい。……おおよその状況は理解できましたね、リリアンナ様。聖女の力を取り戻したら、リリアンナ様は、聖女の役割から降りることはできません。あなたが失われることで、失われる命がある。……それでもあなたは、魔力の封印を解きたいと思うのですか?」


 私はフィオルド様の顔を見上げた。

 アニスさんやシリウス様が心配そうに私を見ている。

 フィオルド様は私の心の奥までを見透かすような瞳で、じっと私を見つめた。


「……リリィ。…………やはり、やめよう。辺境伯に頼み、もう一度、魔力の封印を施して貰おう。この国は、聖女に頼らずに生きていくべきだ」

「……フィオルド様。……私は、大丈夫です。ただ、その代わり……ひとつだけわがままを言っていいでしょうか……?」


 フィオルド様はどこまでも私に優しい。

 皇帝になるものとしてのフィオルド様は、聖女の必要性を理解しているのだろう。

 けれど、私のために、聖女はいらないと言ってくれている。

 私は大丈夫。

 けれど、もう少しだけ、勇気が欲しい。


「なんでも言ってくれ。私にできることなら、全て叶えよう」

「……フィオルド様、私とずっと、一緒にいてください。フィオルド様と一緒なら、大丈夫だから、ずっと、一緒に……」

「当然だ……!」


 フィオルド様は私の手を強く引いた。

 私の体を、フィオルド様はきつく抱きしめた。

 ドロレスの泣き声が微かに聞こえる。私の隣でアニスさんも、小さな声を立てて泣いている。


「それでは、……魔力封印の、解除を行います」


 辺境伯が静かな声で言った。



 
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