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しおりを挟む「もうしばらくこのままで。……もう少しだけ」
ジュリアンの声が優しく響く。
考えることや、やることがたくさんあるのに体はだるいし、ジュリアンが体重をかけないように抱きしめてくるからほどよい重さと温かさで眠くてたまらない。
両親が帰ってくる前に、証拠隠滅しないと――。
それに、やっぱりジュリアンと話し合わなきゃだめ……。
「ごめん。重いかな」
くるっと体勢を入れかえて私をジュリアンの上にのせる。
くたりと四肢を伸ばす私の背中をゆっくり撫でるから、目を閉じたくてたまらない。
「ジュリアン、体、きれいにしたい……」
侍女には休むように言ったけれど、彼が帰っていないと知っている人は他にもいるはずで。家令は黙っていてくれるかな……。
早く日常に戻さないと……。
「わかっている。ほんの少しだけこうして抱きしめていたいんだ。イヴとの初めての夜だから」
「……うん」
ジュリアンが息を漏らすように笑って、可愛いとか幸せだとか二度と離さないとかつぶやくから……それを心地よく感じる自分もどうかと思ったけど、いつの間にか眠りに落ちていた。
ハッと気づいた時には寝間着を着て寝ていた。
夢、ではない。
体がだるいしすでに筋肉痛だし、脚の間に何か挟まっているみたい。
それにジュリアンが私の腰に腕を回したまま、静かに眠っている。
どのくらい時間が経ったんだろう?
私が寝ている間に体を拭いて寝間着を着せてくれたらしく、体がさっぱりしている。
気づかないくらい深く眠ってしまったなんて信じられないし恥ずかしい。
侍女がやって来た時にあからさまな行為の後がわからないように、ジュリアンが気遣ってくれたのだと思うけど……でも。
思わず枕に顔をうずめる。
ぐっすり寝ているジュリアンを起こして、使用人に馬車を用意させて帰ってもらうとか……夜中にそんなことできる――?
それともこのまま一緒に朝を迎えて、両親に挨拶する――?
婚約者同士とはいえ、結婚前だしどんな顔をしたらいいかわからない。
「……逃げたい」
でもここは私の部屋だし、隠れる場所もなかった。……そういえば。
「荷物」
隣国へ持っていこうと小さくまとめた荷物が衣裳室に隠してある。
早々と準備をしていたからどこかから情報が漏れたのかもしれない。
「……どこへ行くつもり?」
いきなり低い声で話しかけられて、声の方へ顔を向ける。
次の瞬間、ジュリアンの腕の中にきつく抱きしめられた。
「もう離さないって、本気なんだけど。できれば部屋に閉じ込めるようなことはしたくない。イヴ?」
眠りに落ちる前のジュリアンはこれまで一緒に過ごしてきた優しい彼だった。
でも部屋に現れた時や、今は独占欲が強くて驚く。
小説ではエピローグでヒロインと結婚式を挙げて初めてキスをする。
性的な匂わせは一切なかったからまさかこんな一面を持っているとは思わなかった。
「その……ジュリアンに好きな人ができたと思ったの。時々会っていたでしょう? だから、きっと婚約解消することになるから国を出ようと考えて」
私の言葉にジュリアンが目を見開いた。
「ごめん。俺から婚約解消なんて絶対にない……行かないで、いや行かせない。それにこれから先イヴ以外と二人きりになんてならないから。イヴ、愛している。これから先の俺をみてほしい」
今夜は知らなかったジュリアンの姿をたくさん見た気がする。
今だってすがるようにきつく抱きしめてくるから彼の気持ちを疑う気にもならない。
「行かないわ。荷物も片づけるから」
ジュリアンは私の耳元でほっとしたように息を吐き、ありがとうとささやいた。
「……隠れるように勉強していたのは、格好悪いところを見られたくなかったんだ。ただでさえ年下だし、結婚を延期するって言われたからもっと知識を高めて早くイヴの頼りになる夫に、大人の男になりたかった」
私が思いがけない言葉に驚いていると、ジュリアンが続ける。
「……彼女は卒業後、学園に残って先生の助手になるんだ。その為にいい成績を維持する必要があったからお互いに利害が一致しただけでそれ以上のことは何もない。図書室には職員がいたとはいえ、不注意だったね。もう二人きりで会うことは二度とないよ。……イヴが嫌がることはしない」
「彼女がジュリアンを好きということはないの? だってジュリアンは素敵だから」
これまでは器用で何でも要領よくこなせるタイプなのだと思っていた。
でもそれは陰で努力を重ねてきたからで、その理由を知ってしまえば私はもっと彼を好きになる。
彼女だって近くにいたら好きにならないはずがない。
「ありえない。彼女は弟達が大好きだからね。それに結婚相手に縛られるより自分で稼いであと十年は自由でいたいんだそうだ。彼女は男として生まれたかったそうだよ。……俺もそのほうがよかったと思う」
二人の物語は始まっていなかった。
じゃあこの世界は二人のためじゃないということ?
「そう、なのね……」
これからは気にしないでいいんだと思ったら、ほっとしてジュリアンに体を預けた。
少し速い、心音が聞こえてくる。
「イヴこそアルセニオ殿下のこと、すごく褒めてた」
ジュリアンが拗ねるように漏らすから、ふと思い出す。
いつぞやの夜会で友達と話題にしたことを。
「夜会で身分の高い相手を悪く言えないわ。ただのおしゃべりで特別な気持ちはないの。……ジュリアンは婚約してから変わらずに私に優しくて……好きにならないわけがないわ。……私も好きよ」
「……今初めて好きと言われた」
これ以上隙間がないくらいジュリアンが私をきつく抱きしめた後、一瞬ゆるんだところで唇を奪われた。
「んっ、……今はもっと好き」
「好き、イヴ、大好きだよ」
ジュリアンの手が不埒な動きをする。
「ジュリアン、だめっ……私達結婚前で、だから……っ」
「わかっている。大丈夫だよ、公爵夫妻には今夜泊まると伝えてあるから。最近娘の奇行が気になると言われてね。……早く孫の顔が見たいそうだ」
「…………奇行」
「そう、心配していたよ。だからこれからは俺がずっとそばで見ているから」
「…………」
「話はもういいかな? 子どもは今も五人欲しいと思っている?」
私は首を横にふった。
それは婚約したばかりの、何も思い出していない頃に訊かれて無邪気に答えただけだから。
「じゃあ、子供は神様にお任せしよう」
そう言って寝間着を裾からまくり上げる。
「ジュリアン?」
「ゆっくり休んだから、愛を育もう。僕達に足りないものだよね」
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