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15 婚約解消?
しおりを挟むバレンティ様の書斎には何度が入ったことがあるけど、今日はいつもより緊張する。
使用人たちは片づけに忙しいのか、私たち二人きりで控えの侍従もいない。
「…………」
「…………」
お互いに言葉が出てこなくて、少し気まずかった。
「そうだ、菓子が……ジェマスを食べるか?」
卵黄と砂糖で作られた一口サイズのお菓子で、ほんのりレモンの香りがするもの。
とても贅沢だから、お兄様たちには内緒でバレンティ様だけに修道院からもらってきた。
食べ切らなかったのは、昨日の夜はお兄様たちのお別れパーティーでたくさん食べたからだって。それともう一つ。
「レアルと一緒に食べるほうがもっとおいしい。どうだ?」
「いただきます」
口に放り込むとふわっとレモンの香りと卵と強い砂糖の甘味が広がった。材料が少ないから、素材の味がしっかりしている。作りたてより味が尖ってなくて食べやすい。
次からは我慢してとっておこうかな。
「味がなじんでおいしいですね」
小さなサイズなのもちょうどいい。
バレンティ様も口に入れた瞬間、ほんの少し目元が優しくなった。
「バレンティ様、お茶にしましょうか」
「ああ、そうだな」
二人きりになる前に侍従が置いて行ったハーブティーの入ったティーポットはキャンドルで温められていて、ちょうど飲み頃だった。
二人分用意してお互いの目の前に置く。
手を動かしているときは沈黙が気にならなかったけど、バレンティ様はずっと何か考えているみたい。
一杯目のお茶を飲み干す頃、バレンティ様が口を開いた。
「俺はレアルと過ごす日々が楽しくて、この生活がずっと続いて欲しいと願っている。このままここにいてほしい。……本気で結婚を考えてくれないか?」
想像したことと全然違うことを言われて驚いた。
婚約解消じゃないの?
「本物の結婚にしたいってことですか……? 私、ずっとバレンティ様に憧れていたので嬉しいです」
「そうか、なら」
「でも私はまだ修道女見習いの身分で、修練中で……ごめんなさい」
「見習いはまだ修道女ではない。修道女だって還俗して結婚する者もいると聞く。俺のことが嫌いじゃないなら、もう一度考えてみてほしい。それと……以前から俺に憧れていたというのは……俺は一体何をしたんだ?」
バレンティ様が静かに言う。
お兄様たちが来て忙しかったから、うっかり話すのを忘れていた。
「あの、それは狩猟大会でたくさんの貴族が集まった時、私は木登りして遊んでいたんです。降りられなくなって困っていたら、バレンティ様が気づいて受け止めるから飛んでみろと言いました。怖かったけど私をちゃんと落とさず抱き止めてくれました。すごく格好よくて……私の初恋です」
十六歳のバレンティ様はふらつかず私をしっかり受け止めてくれた。木の上から飛んだ時、心臓がドキドキしておさまるまでずっと抱きしめてなだめてくれて、優しかった記憶しかない。
スカートが破れているのに気づいた時も、あとでみんなに怒られると思ったからちょっとだけ泣いてしまった。
困った顔したバレンティ様が次は乗馬パンツを履いてもっと低い木にするようにって。
女の子は木登りしちゃいけない、ってみんなに言われてきたのに違ったから、びっくりしてすぐに涙が止まった。
私の好きの基準は最初からバレンティ様だったのかもしれない。
「あぁ、そういえば、そんなことがあったな。猫みたいなあの少女か……懐かしい。だが、その、初恋だったなら俺との結婚を」
「ダメですよ……釣り合いません。私は貴族の令嬢としての教育もほとんど受けていませんし、領主の妻は務まらないと思います」
「そんなことはない……俺はレアルがいいんだ!」
大きな声に驚いて、私は思わず立ち上がった。
「……ごめんなさい! 私、これから修道院へ行ってきます!」
「え、あ、レアル……⁉︎」
バレンティ様が呼び止める声が聞こえたけど、私は振り返ることができなくて、館を飛び出して修道院まで走った。
頭が混乱している。
嬉しかったのに。
バレンティ様に結婚を申し込まれて、はいって答えたかったのに……。
「修道院長!」
「……レアル。どうしたのです、騒がしい」
建物の中はシンとしていて、私の足音だけが響いていた。この時間の修道女たちは外で作業をしていたから、一番最初に出会えたのが修道院長で嬉しい。
「ごめんなさい」
厳しい顔を見て、私はシュンとしてしまった。
修道院長は大きく息を吐いてから、私を院長室に入れて、水を注いで渡してくれる。
「何かあったのですか?」
「……はい。バレンティ様に結婚してほしいと言われました」
「それが?」
「この七年、修道女になることを考えて過ごしてきたので、よくわからなくなったんです」
「そう」
「バレンティ様と一緒にいると楽しいです。一緒にいたいです。でも領主の妻になっても周りにたくさん迷惑をかけちゃうと思うんです……だから何が正しいのかわからなくなりました」
修道院長は静かに私の話を聞いてくれた。
話すうちに頭の中がすっきりしてくる。
「ここに来た時はいろんなお菓子を作れる修道女になることが目標でした」
「そうね。レアルはとても頑張っていたわね」
「でも……」
「あのね、レアル。誓いを破ってはいけない修道女とは違って、あなたは修練中の見習い。一度世間を知るのも大事なことだし、ここに戻ってもいいし、戻らなくてもいい。それが神の思し召しなのでしょう。……修道女だって俗世に戻ることがあるのよ。これまでにも親元に帰った子や結婚した子もいるわ。親を看取って戻ってきた子もいるのよ」
この修道院は未婚者しか受け入れてくれないから、もし私が結婚したら二度と入ることができない。
ここは私の第二の家だから多分それが一番寂しい……。
「頑張り屋のあなたなら大丈夫よ。それに領主様も若い時に爵位を継いで頑張ってこられた方だから、あなたの立場をよくわかっているはずだし、支えてくれるわ。ちゃんと考えて求婚したはず。……だから、今度は領主夫人として修道院に関わってくれたら嬉しいわ。あなたなら作業場にはこれからも入れるのよ」
修道院長の言葉に涙があふれた。
「私……結婚を断ってしまいました」
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