小さな恋とシロツメクサ

能登原あめ

文字の大きさ
4 / 29

3    再会

しおりを挟む


 二十一歳になった私は港町の小さな宿屋を一生懸命切り盛りしていた。 
 この一年、父さんが身体を崩して、母さんは仕事を半分くらいに控えて父さんのそばにいることが多くなった。
 私と従業員のウィルとミリー夫婦、料理人のモーガンで乗り切ってきた。


 そんな時だったから、目の前に私と同じ髪色の、父親に目元がよく似た少年がやってきて驚いた。

「エラ姉ちゃん?」
「……デーヴィドなの? 格好良くなったね。一人なの?」

 彼は肩をすくめて、一人だよと呟いた。

「泊まって行く? 食事は?」
「……変わらないな、世話好きなところ。食べてない。腹減った」

 その場をウィルに任せて食堂に案内する。
 お客さんのいないがらんとした場所で、調理場からパンとスープを持ってきた。

「泊まって行くよね? みんなはどうしてる?」
「何も知らないんだよな……。ミアが黒髪の男の子を産んでさ、子どもとその父親と駆け落ちしたよ。それで、あの村に居づらくなって俺は父ちゃんの従姉妹の住む村に移り住んだ」
「嘘……」

 驚きすぎて言葉が出ない。
 九年もここで安穏と過ごしてきたから、デーヴィドに対して申し訳ない気持ちになる。

「俺は小さかったし、向こうで歳の近い友達ができて楽しかったから気にしないでいいよ。父ちゃんもうまくやってる。母ちゃんは……山奥のばあちゃんちへ行った」

「何もできなくてごめんね。ここにはいつまでいられるの? ずっとここにいたら?」
「あー、しんみりさせたかったわけじゃないんだ。それに、俺十六になったから好きにしていいって言われて色々なところを旅しようと思って、まずここに来たんだ」

 のびのびと素直に育ったような見た目だけど、きっと苦労したんだろうな。
 昔はあんなに甘えてわがままだったのに。

「……男らしくなったね」
「姉ちゃんはきれいになったね」
「……そんなお世辞まで言えるんだ」
「本当のことだけど。まあ、いいよ。しばらく泊めてくれない?」

 





 デーヴィドを宿屋の裏にある自宅へ案内した。
 私の隣の部屋が空いているから。
 もともとソフィア夫婦は宿屋に住んでいたけれど、私が移り住む前に空き家を買い取って住みやすいように改装してくれていた。
 宿屋の空いた部屋にはウィルとミリー夫婦が住み込みで働いている。

「父さん、母さん! デーヴィドが来てくれたよ」

 彼の前で二人を呼ぶことを一瞬ためらったけど、今さら変えるのもおかしい。
 ちらりと彼を見ると眉を上げたけど、黙ったままだ。
 少しだけ居心地が悪い思いをする。

「よく来たね……ゆっくりして行くといい」
「あらあら、まあまあ……大きくなって。抱きしめさせてちょうだい」

 今日は父さんの体調がよさそうでほっとする。
 デーヴィドは母さんに抱きしめられて、背中をポンポンとそっと叩いた。

「お久しぶりです。しばらくお世話になります」
「そんな堅苦しくしないで。エラの弟なんだから、私たちに息子がいる気分を味わせてよ」

 母さんの言葉にちょっと幼い顔を見せる。

「……ありがとう、ここに来れてよかった」
「私も抱きしめさせて」

 小さかったデーヴィドが、私をすっぽり包む。

「大きくなったね……また会えて嬉しい」
「俺も。姉ちゃん、こんなに小さかったんだな……」
「これでも、成長したんだけど」

 和やかだったのはそこまでで、ミアの子供が産まれた後の顛末を聞いて二人ともショックを受けた。
 ミアたちの行方がわからないけど、もし困ったらここに来るだろうと言うデーヴィドの言葉に慰められて。

 彼女なら男の間をうまく渡って生きて行くだろうな。
 子どもがどうなってるか心配だけど。
 それから。
 考えないようにしていたけど、オーブリーはどうしてるんだろう。
 ショックだっただろうな……。
 
「オーブリーは……?」  

 それでも、聞かずにはいられなかった。
 こうして思い出すと、ほんの少しだけ胸が痛む。
 あの時の私は本気で好きだったんだと思うから。

「俺も、小さかったからなぁ……姉ちゃんは懐いていたもんね。ごめん、あの村の話はわからない」
「そう……だよね。なんか、懐かしくなっちゃって」


 一人になってふと考える。
 九年も経てば、オーブリーだって結婚しているだろうな。
 優しくて素敵な人だから。

 ミアのことは考えない。
 考えたくないのに。
 だって、どす黒いものが湧き上がってくる。
 幼かった当時の私はミアが夜中にしてたことをわからなかったけど、今なら……わかる。
 あの洗濯の意味も。
 オーブリーと結婚できたのに大切にしなかった。
 他の男の子を身ごもって、オーブリーを裏切るなんて……。

 九年も経つのに。
 今さらどうしようもないのに。
 
 私は意識して息を吐いた。
 
 今、まぶたに浮かぶ彼はサラサラの金髪が揺れるところ。
 私を見て優しく笑うところ。
 抱き上げられたこと。
 シロツメクサの花冠を頭にのせてくれたこと。

 優しい思い出だけ。 
 それだけあれば、今の彼の幸せを願える。
 もう、昔のことだもの。

 

 
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

旦那様の愛が重い

おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。 毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。 他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。 甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。 本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

愛してやまないこの想いを

さとう涼
恋愛
ある日、恋人でない男性から結婚を申し込まれてしまった。 「覚悟して。断られても何度でもプロポーズするよ」 その日から、わたしの毎日は甘くとろけていく。 ライティングデザイン会社勤務の平凡なOLと建設会社勤務のやり手の設計課長のあまあまなストーリーです。

貴方なんて大嫌い

ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

もう何も信じられない

ミカン♬
恋愛
ウェンディは同じ学年の恋人がいる。彼は伯爵令息のエドアルト。1年生の時に学園の図書室で出会って二人は友達になり、仲を育んで恋人に発展し今は卒業後の婚約を待っていた。 ウェンディは平民なのでエドアルトの家からは反対されていたが、卒業して互いに気持ちが変わらなければ婚約を認めると約束されたのだ。 その彼が他の令嬢に恋をしてしまったようだ。彼女はソーニア様。ウェンディよりも遥かに可憐で天使のような男爵令嬢。 「すまないけど、今だけ自由にさせてくれないか」 あんなに愛を囁いてくれたのに、もう彼の全てが信じられなくなった。

処理中です...