ここは番に厳しい国だから

能登原あめ

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2 夢なら

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 泣き疲れて目を覚ました時、私は着替えもせず食卓に突っ伏していた。
 真っ先に思い出したのは、授乳の時間。
 胸の辺りが濡れている。

「ジョナスに……」

 人の気配のない、シンとした部屋。
 現実感はないけれど、あれは夢じゃなかった。 

 喉がカラカラ。
 身体が凝り固まって、頭が重い。
 胸がカチカチに張っている。
 どこもかしこも痛い。
 
 ジョナスはどうしているだろう。
 ちゃんと飲ませてもらっているのかな。
 ちゃんと眠れているかな。
 今この腕に抱けなくて悲しい。
 ふにゃふにゃとした頼りない身体を、あの甘い匂いを感じたい。
 
 どうして今、一人きりなんだろう。
 昨日の朝は三人揃っていたのに。

 どうして今、ジョナスに飲ませるはずのものを捨てているんだろう。
 虚しい。
 
 番となんて出会いたくなかった。
 こんな悲しい別れを経験せずにすんだのに。

 番と出会うことは本当に幸せなのだろうか。



 
 

 

 家の中で何が悪かったのか、どうしたらよかったのか考えているうちに、いつ朝が来て、夜が来たのかわからなくなった。
 何もする気が起きなくてベッドに横たわる。

 あの日、商店街に行かなければよかったと何度思ったかしれない。
 
 それから、離縁状にサインなんてしなければよかった。
 ごねて、ごねて、何かもっといい方法が見つかるまでサインしなければよかった。

 ジョナスを起こしてずっと抱きしめていればよかった。
 
 胸が張ってくると、ジョナスはどうしているか虚しい気持ちになりながら処理する。

 自分が乳くさい。
 カーテンも開けずにこの家にこもっている。
 あの夜からお風呂にも入ってないし、何か食べたいとも思わない。
 多分二日……いや、三日経った?
 
 死んでもいい、死んでしまいたい、そう思うのに、小鍋に残ったスープがもったいないとも思う。
 二人合わせて一人前の稼ぎだったから、食べ物は粗末にできなかった。

 矛盾する気持ちに、なぜか笑いがこみ上げ、枯れたはずの涙が再び溢れる。
 スプーンを持つ手が震えた。
 私は立ったまま、冷たいスープを直接小鍋からすくって口に運んだ。
 
 ほとんど具は崩れているから、飲み込むだけ。
 味はよくわからない、多分悪くなっていないと思う。
 機械的に口元に運んで、空になったところで息を吐いた。
 こんな状態でもお腹が満たされると、頭の中も回りだす。

 八百屋のおばさんがやってきたのは、昨日だった?
 出なかったけれど。
 周りの目も気になって、夜暗くなってから玄関を開けると、芋の入った袋が置かれていた。

 彼女は目の前で私達を見ていた。
 広めたのは彼女かもしれない。
 商店街の目立つところで出逢ってしまったから、見ていた人は他にもたくさんいたし、違うかもしれない。

 心配して親切心でやってきたのか、私達家族のその後が気になって見に来たのか、今の私には冷静に判断できないけれど、いい感情は持てない。
 
 この先どうしたらいいかもわからない。
 ベッドに戻ってごろりと横になった。
 
 眠れるわけがない。
 でも身体を動かす気にもなれない。
 ぼんやりと天井の木目を眺める。
 
「ジョナスに会いたい」

 どうにかして取り戻すことができないかな。
 義姉夫婦の家に忍び込んで、取り戻す?
 部屋の間取りもよくわからないのに?
 大人が三人いて、赤ちゃんが一人きりになる時間なんてほとんどないと思う。

 もし運良く、取り戻したとしても、どこか遠くへ逃げなくてはいけないし、この国に住むことはできない。
 
 じゃあ、どうしたら?

 現れた番のことも考える。
 名前さえ知らない。
 彼はしばらく王都にいると言っていたけど、私は名前も住まいも教えていない。

 そろそろ帰るんじゃないかと思う。
 胸が震えて愛しいと思う気持ちを知ってしまったけど、その感情は厄介だ。

 何も知らないのに相手を愛しく感じるなんて、怖い。
 さらに、彼を見つけ出して、味方になってほしい、彼しか味方になってもらえないだろうという感情が湧き上がることも恐ろしい。

 法に反してまで味方になる可能性は、低いのに。
 そんなことを考える自分が、情けなくて、ますます自分の感情が分からなくなる。

「結局、夫も、子どもも、番も、みんないなくなったじゃない。住む所も……もう、なくなる」

 話す相手もいないのに、声に出す。
 弱々しい声。
 私にはなんにもない。
 
 このまま一月経って、私がこのままベッドの上で息を引き取っていたら、ジム達も罪悪感を感じるかも?

 私がその姿を見れないのは残念だけど。

 家にこもって多分五日目の夕方、八百屋のおばさんが外から声をかけた。

「奥さーん! 果物、置いとくからね。栄養が偏るから!」

 彼女は本当に心配してくれているのかもしれない。
 でも長く身なりを整えてないから人前には出れない。

 私は彼女が立ち去るのを静かに待って、暗くなってから玄関の扉をそっと開けた。

 次の瞬間何かに身体を包まれて、パタンと扉が閉まる。

「すまない……」

 男の低い声に、私は逃れようと手足をバタバタさせる。
 
「あなたが! あなたが、現れて‼︎」

 男の胸元にますます強く抱き込まれて、番の匂いに私の感情が溢れた。
 顔を上げて彼を睨む。

「全部、失った! 私の、私の大切な……!」

 ジョナス。
 涙が溢れて言葉にならない。
 
「すまない」
「私の……っ、私、……」

 彼の黒い瞳はただ静かに私を見つめていて。
 私の後頭部に手を添えてグッと胸に押しつけた。

「…………すまない」

 

 
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